わたし二インチよ。こんな時に質問?
逃げなければ──
あのカエルは次の一息で襲ってくる。
その時だった。
音がした。
足音。
森の中に、誰か?
胸が強く締めつけられる。
こんな姿、誰かに見られるわけにはいかない。
けれど一人では生き残れない。
恐怖と「助けてほしい」という願いが、心の中でぶつかり合った。
葉が押し分けられる。
大きな手が緑の幕を割って迫る。
ミラは固まった。
アドリアン。
どうしてここに?
カエルはじりじりと前へ──喉が脈打ち、舌が狙いを定めている。
それなのにアドリアンはただ立ち尽くし、まるで学会用の観察資料でも眺めるように、彼女を見下ろしていた。
このまま観察されながら食われるの?
「アドリアン! 見てるだけ!? 助けて!!」
叫んだ瞬間だった。
舌が空気を裂き──同時に、ミラの体はふわりと宙へ上がった。
アドリアンの掌の中。安全圏。
見上げたアドリアンは巨大だった。
豆の木の巨人──あの昔話の怪物──それを思い出すほどのスケール。
そして表情。
必死の焦りも心配もない。
ただ、稀有な理論を「証明できた」と確信した研究者の輝き。
「──興味深い」
彼の呟きが、針みたいに視界へ突き刺さる。
間髪入れずに問いが続いた。
「何が起きたのか説明できる? 異物の摂取や接触は?」
声音は冷静、滑らか。
危機の対処ではなく、セミナーのディスカッション。
花弁を巻きつけた身体の中で、息が震える。
一本一本の草が塔のようにそびえ立つ。
世界のスケールを理解しきれないのに──アドリアンは啓示の前の学者みたいに平然と膝をついている。
「アドリアン……わたし二インチよ。こんな時に質問?」
言葉を吐いた瞬間に分かった。
アドリアンの意識は、もうミラそのものには向いていなかった。
視線は彼女の形を追っているのに、心は別の場所へ走っている。
「小さな女の子」を見ていない。
未知の答えにたどり着いたデータとして処理している。
理論。
パターン。
数式。
彼の脳内で並び替えられていく。
理解した。
彼はミラの恐怖の中に立っているのではない。
自分の“発見”の中に立っている。
そしてミラは──望んだ覚えなんてないのに──
彼の新しい宇宙の中心に置かれてしまったのだ。




