カエルの舌が速すぎる世界
息が詰まった。
周囲の世界が、あり得ない速度で広がっていくように感じた。
まずブーツが脱げ落ちた。
服もずり落ちる。
布が突然、重すぎる。大きすぎる。
素肌にひやりとした空気が触れ、ミラの身体は人形どころか、花の茎よりも小さくなっていった。
その瞬間、上の葉から落ちた一滴の水が──
波のような衝撃となって肩に叩きつけられた。
恐怖が一気にせり上がる。
ミラは、必死に近くの花弁へ手を伸ばした。
絹のように柔らかな大きな花弁。
それを身体に巻きつけるように抱え込み、荒い呼吸をなんとか押し殺す。
何もかもが巨大だった。
何もかもが脅威だった。
そしてミラは、この森でいちばん小さく、壊れやすい存在になっていた。
花弁の奥へ身を潜め、胸の鼓動を押さえつけようとしたその時──
地面が、ぐらりと震えた。
湿った低い鳴き声が、闇の中に響く。
ミラはそっと顔を向け──
凍りついた。
数歩分先。
巨大なカエルがいた。
いや、もう “カエル” ではなかった。
この体格差では “怪物” と呼ぶほうがふさわしい。
ぬらりと光る緑の皮膚。
ふくれた喉がゆっくりと上下し、丸い目がまばたきもせずこちらを見据えている。
その存在感だけで、ミラは自分が一匹の虫けらよりも弱いと痛感した。
花弁の縁に指を食い込ませる。
まるで、この薄い布一枚が盾になってくれるかのように。
──動かなければ。
花の一部になりきれば。
気づかれないかもしれない。
そんな儚い祈りが、次の瞬間には砕け散った。
筋肉質な脚がわずかに沈み込み、喉の脈が速まる。
狙いを定めた捕食者の姿勢。
ミラでなくても理解できた。
もう “観察” ではない。
標的は決まった。
息が漏れた。
思考より早く、身体が後ろへ逃げようとする。
花弁ががさりと揺れる──しかし遅い。
空気が裂ける鋭い音。
鋭く、乾いた一撃。
カエルの舌が、凄まじい速度で放たれた。
鞭のような軌跡。
ミラは咄嗟に横へ跳ね、濡れた苔の塊へ叩きつけられる。
ほんの一瞬でもためらっていれば、終わっていた。
胸が激しく上下する。
鼓動が耳鳴りとなって世界を埋め尽くす。
振り返らなくても分かった。
──次の攻撃は、もう始まっている。




