土下座から始まる交渉
女魔王、野島。
ゴブリンが盗んだ苗の罪を背負い
村へ謝罪に向かう。
野島は頭を上げず、弁明を続けた。
「そらそうですわ!
略奪させて知らんとは言えん!
けど、もう二度とせえへんから!」
村人たちは顔を見合わせ、
疑念と戸惑いのざわめきが広がった。
小声の囁きが、
風に揺れる麦畑のように波打つ。
村長はしばらく沈黙し、
袋の中身をそっと覗き込んだ。
そこには、土の香りをまとった丸々とした芋。
瘴気に焼かれず、奇跡のように実った作物たち。
瑞々しい葉が朝露を湛え、輝く。
「……これは、お前が作ったのか」
「はい!
いや正確には、俺とゴブリンたちで作ったんやけど……」
村長の眉がピクリと動いた。
「……昔、魔族に畑を焼かれたことがある。
あの時、絶望する儂らを奴らは笑いおった。
だから、今のお前が……信じられんのだ」
「魔族の瘴気では、作物は育たぬはず……」
「そ、それがなぁ……俺の瘴気では枯れるんですわ。
せやから工夫して、
ゴブリンらが土替えたり水引いたりしてくれて、
なんとか実ったんです」
野島の言葉に、村人たちのざわめきが一気に爆発した。
「魔王が畑仕事?」
「嘘だろ、この出来の良さ……」
「この芋、手入れが行き届いとる。
水の通し方も、土の締まりも……信じられん」
村長は静かに手を上げ、人々を黙らせた。
真っすぐ野島を見据える。
「お前の目的は何だ。
この村を焼き払うことだって容易なはずだ」
野島は一瞬黙り込み、
やがて頭を下げ直した。
土埃まみれの額が、地に張り付く。
「俺は……ただ、生きたいだけです。
ただ飯を作って食うて、静かに暮らしたいんですわ」
必死の言葉に、村人たちは驚き、顔を見合わせた。
「魔王が、静かに暮らしたいだと?」
「魔族は人を襲うって母ちゃんに聞いたぞ……」
***
その時、森の影から現れたのは――ゴチ。
巨体が木陰を抜け、村人たちの悲鳴が上がる。
槍が数本向けられ、野島は心臓を押さえた。
「待て! こいつは味方や!」
ゴチが槍を地面に突き立て、
ゴツゴツした頭を下げる。
「マスター……村人、守ル。襲ワヌ。約束」
人間の言葉を話すゴブリンに、
村人たちは凍りついた。
「……こやつ、名を与えられ進化したのか?」
村長が目を細め、野島は苦笑して肩をすくめた。
「せや。名前は“ゴチ”や。
もう野蛮なだけやなく、ちゃんと考えられるやつです」
しばしの沈黙の後、
村長は大きく息を吐き、頷いた。
「よかろう。お前を完全には信じぬ。
だが、この作物を見れば嘘ではなかろう。
交易を望むのなら、話くらいは聞こう」
村人たちの緊張がほどけ、
穏やかなざわめきが戻る。
野島は顔を上げ、
土まみれの額を拭った。
「ありがとうございます!
ほんまに、ありがとうございます!」
こうして――魔王と村の最初の交渉が始まった。
土下座から生まれる奇妙な関係。
だが確かにそこに、
小さな共存の芽が芽吹いていた。
***
土下座して作物を差し出した日から、村はざわついていた。
魔王――と名乗れば誰も近づかぬはずなのに、
今目の前にいるのは、深々と頭を下げる女。
その中身が三十九歳のおっさんであることを、誰も知らない。
「本当に……すまんのや。
ゴブリンらが勝手にやらかしたことや。
これ、追加の収穫分や。受け取ってくれへんか」
差し出した籠には、立派に育った小麦や野菜が並ぶ。
瘴気に枯れぬよう、工夫して育てた成果だ。
黄金色の小麦穂が、風に優しく揺れる。
村長は長い沈黙の後、ため息混じりに言った。
「……わしはこの村を出たことがない田舎者だ。
お主が本物の魔王かもわからぬ。
だが、真っ直ぐに生きる者の目をしている」
***
その日を境に、魔王の畑と村との間に道が作られ始めた。
最初は物々交換から始まる。
「魔族の作物、毒じゃないか?」
――と村人の疑いの目が絶えない。
野島がその度、即席で味見デモをする。
「ほれ、食べてみぃ! 俺の特製味噌汁味やで!」
女魔王の姿をローブで隠し、瘴気を抑える。
村人の疑いが解けるまで、何度もデモを繰り返した。
作物と木材。
ゴブリンが担ぐ荷車に揺れるのは、戦利品ではなく、正規の交易品だった。
やがて村の若者が畑を手伝いに来る。
名をコウという。黒目、黒髪の明るい若者で、鍬を握る姿は逞しい。
「魔王様……いや、野島さん。
こっちの畝は間隔を広げた方がいい。風通しが良くなる」
「ほう……なるほどなぁ。ありがとやで、コウ君」
「俺も……昔、親父が魔族に殺された。
でも、あんたは違う。そう思いたい」
「コウ君は仇討ちせえへんのか?」
野島が真っすぐに見つめると、
青年は赤くなり、照れ隠しに額の汗を拭った。
「仇じゃなく、未来を作りたいんです。
魔族に土下座は出来ませんけど」
「それは俺の専売特許や」
汗を流しながら笑い合う二人の姿は、
もはや敵味方ではなかった。
***
ゴブリンたちも少しずつ農業が様になってきた。
名を与え進化したホブゴブリン“ゴチ”は、
粗野ながらも真面目に畑を見回っていた。
「魔王様よ。人間ト、土をイジル。森はダイジョブか?」
「せやな……。
お前がいた方が森のゴブリンは安心するやろ。
道はこれからやけど、森の畑は頼むわ」
「まだ、魔物を怖がる村人もおる。
交易で少しずつ慣れてもらうんが一番や」
季節は巡り、畑に緑が満ちた。
村との間に小さな信頼が芽吹き、
交易は少しずつ形を整えていく。
やがて、野島も――
魔王であることを忘れそうになっていた。
だが、そんな穏やかな日々に、
遠くから忍び寄る影があった。
森の奥で揺れる白銀の鎧の気配。
勇者の足音が、静かに近づいている……。
土下座で始まる交易、畑で育つ信頼。
野島の経験が生きました。




