女魔王、味噌汁に泣いて土下座する
ゴブリンが村から苗を盗んだことに胸を痛め、
味噌汁をすすりながら決意する。
「俺、謝りに行かなあかん」
森の小屋に、
湯気の立つ味噌汁の香りが満ちていた。
野島は木椀を両手で抱え、
一口すする。
「……あぁ……うまい……」
一口すすった瞬間、
舌の奥が、昔の居酒屋の味を思い出した。
仕事帰り、一人で通った夜の味だ。
久方ぶりに口にした日本の味に、
心と胃袋が同時に満たされていく。
湯気が頰を撫で、味噌のコクが舌に染みる。
木椀の温もりが、手のひらにじんわり…。
でも、胸に刺さるのは、
ゴブリンの『奪った』という無邪気な笑顔。
「お前らのこと、憎めへんけど…アカンわ、謝らな」
と苦笑が漏れる。
焚き火を囲むゴブリンたちが首を傾げる。
「マスター、ナゼ、涙? 謝ル……弱キ者ニ??」
「せや。お前らに悪気はないんわかっとる。
でも、人間からしたら“襲われた”んや。
俺は……その責任を放っとけへん」
ゴチが眉をひそめる。
「危ナイ。村ニ行ケバ……勇者、来ル」
「わかっとる。
でも、何もせんといたら……
俺、またただの駄目なおっさんや」
◆◆◆
その夜、野島は眠れなかった。
森の木々の間から見える星空を仰ぎながら、
サラリーマン時代を思い出す。
――失敗してもどこか他人事だと思っていた。
何もやらず倒れて終わった人生。
だからこそ、今度は逃げたくなかった。
翌朝、野島は隠蔽マントを丁寧にたたんで仕舞った。
「ゴチ、お前らはここで待っとけ。
もし俺が帰って来んかったら……好きに生きろ」
「マスター……」
心配そうな顔をするゴチを背に、
野島は村への道を歩き始めた。
道すがら、昨日の市場の賑わいを思い出す。
顔でパンを売る子ども、
歌うように値切る主婦、
鍬を担いだ農夫。
――あの中に、
ゴブリンに襲われた家族がいるかもしれない。
そう考えると足が重くなった。
「はぁ……サラリーマン時代もそうやったけど、
謝りに行くんが一番きついわ……」
◆◆◆
森の奥から禍々しい瘴気を漲らせ、
魔族が村に向かってくる。
顔は俯いて見えないが、
明らかに上位魔族だ。
見張りは緊張に顔を見合わせる。
「おい、ゴブリンにだって苦戦しているのに、
あれ、ヤバいだろ」
「死んだな。俺ら」
魔族は震える槍を組み合わせた見張りに、
ゆっくりと面を上げる。
「お、俺は……!」
野島は袋を地面に置き、
勢いよく頭を下げた。
「すんまへんでしたあああああ!」
見張りたちは目を丸くする。
玉座に座るはずの魔王が、
額を擦りつけながら、長い銀髪が泥にまみれ、
土下座をしている。
「実は……この村の苗、
うちのゴブリンらが盗んでもうて……
ほんま申し訳ない!
代わりにうちで穫れた作物、全部持ってきましたんで!」
額を擦りつけ、声を震わせて必死に訴える。
背中に走る冷汗。
もしここで斬られても仕方がない――
そう思っていた。
やがて、一人の年老いた村長が前に出てきた。
腰は曲がっているが、
目は鋭い。
「……魔族が、人間に謝るなど……聞いたこともない」
「そらそうですわ!
俺自身も信じられん!
けどな、ほんまに悪いことしたんや!
もう二度とせえへんから!」
村人たちは顔を見合わせ、
小声で囁き合う。
疑念と戸惑いが入り混じるざわめき。
村長はしばらく沈黙した後、
袋の中身を覗き込んだ。
丸々とした芋、瑞々しい豆、
腐らず育った作物たち。
「……これは、お前が作ったのか」
「はい! いや正確には、
俺とゴブリンたちで作ったんやけど……」
野島がうなずくと、
老人の目尻が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……。お主、人間より人間らしいじゃないか」
おじさん魔王の土下座は、笑えて泣ける“誠意の儀式”。
次回は、村長との“畑をめぐる対話”をお届けします。




