失われた味、祈りの光 ―勇者と聖女、再生のスパイス
魔王討伐を終え、王都へ帰還した勇者と聖女。
だが、“浄化”の儀式が彼から大切な記憶を奪っていく。
――王都の朝に響いた。
窓の外で鐘が鳴り、鳥が飛び立つ。
野島は物珍しげに辺りを見回す。
「やっぱ都会よな。石の建物ばっかりや。
ルルカにも見せてやりたかったわ」
その名を呟いた瞬間、
リディアの心がざわついた。
「ここまで来てまだ魔王の名を?」
「仲良くは……出来んか」
野島の肩が、わずかに震えた。
――そして、王都の神殿。
祭壇前には金髪の宰相と神官長。
石畳の冷たい空気が足元から這い上がり、
議場のざわめきが耳を刺す。
「では、村での“魔王討伐”の報告を」
宰相の声は冷たかった。
「魔王討伐でも魔核が出なかったのは本当か?」
「……はい。私も目撃しています――」
リディアが頭を下げる。
「ほう? 聖女の力でも魔核は見つからないと?」
神官長が鼻で笑う。
「神官より高位にある聖女が――」
「リディアを悪く言わんといて」
野島は静かに言う。
「あんたらが敬う“やんごとなきお方”が魔核探そうとして、
何もない村で不自由な生活しとったで?
真似できるんか?」
ざわめきが広がった。
聖女の瞳が揺れる。
「……彼の言葉に、私の祈りは救われたんです」
「リディア、もうええ――!」
リディアは野島を押しのけて前に出る。
「私は村で、人の営みの大切さを知りました」
神官たちが凍りつく。
神官長が怒鳴った。
「聖女が神に背く気か!
勇者レイジは瘴気に侵されていると報告がきておる!」
「魔王討伐の代償や。瘴気もここで浄化できると
聞いたんのは勘違いか?」
「瘴気の浄化ではない。魂の浄化だ」
「レイジ様、帰りましょう。
お父様から神殿に申し入れをしてもらいます」
「いや、瘴気が本当におさまるなら、頼むわ。
リディアの浄化じゃ俺の身が持たんからな
正直、瘴気があってよかったと思ったことが一度もないー」
その瞬間、神官たちに囲まれ、
光る紅玉が胸に押し付けられた。
瘴気が抜ける代わりに、
胸の奥で“何か”がほどける感覚。
やがて紅玉は黒く濁り、砕け散った。
「何という瘴気だ……浄化できたか分からぬ!」
「ははっ、神殿が聞いて呆れるわ」
「貴様、神を愚弄するのか!」
「神も、人も。祈りが生きとる場所は、
畑の上にもある。
それわからんなら、あんたら魔王以下やで」
野島は“観察”という名目で拘束され、
神殿に閉じ込められた。
粗末な食事が抜かれる嫌がらせ。
森で雑草を食ってた頃よりはマシやけど、
腹は減る。
「すいません……レイジ様」
リディアが申し訳なさそうに頭を下げる。
「ここまで高圧的だとは……」
「まぁ、瘴気は収まったみたいやし」
リディアもほっと一息つく。
「はい……それだけは、良かったです」
◇ ◇
――そして解放の日。
王都を離れ、馬車は村へ向かう。
「とても婚約を申し入れる雰囲気ではなかったな」
「はい……甘く考えていました」
リディアはしょんぼりと俯く。
「まずは腹ごしらえや」
野島はさっそく食材を手に取り、
いつものスープを作り始めた。
だが――湯気が薄い。
香りも弱い。
手順も火加減も完璧なのに、
“何か”が足りない。
「はい、どうぞ」
リディアが口に運ぶ。
……味が、しない。
いや、味はある。
塩気も甘味も、旨味も。
なのに――最後に来るはずの“光”がない。
シシリの香り。
舌の辛味。
全部あるのに。
「……なんや、これ」
ただの失敗なら笑える。
けど違う。
これは“ない”んやなくて――
“どこかに置いてきた味”や。
「レイジ様……大丈夫ですか?」
リディアが震える声で近づく。
「儀式の後から……ずっと、胸の中が空いた感じしてたんや」
言葉にした瞬間、胸が痛んだ。
あの丘。
屋台の灯り。
笑い声。
シシリの香りに涙ぐんだ夜。
全部――あの味の中にあった。
「浄化は……悪いことじゃありません」
リディアは震えながら続ける。
「瘴気は、あなたの記憶を蝕んでいました。
その影響が消えたなら、きっと――」
「俺から何が消えたかは言わんのか」
野島の声は意図せず低くなった。
責める気はなかった。それでも、そう聞こえた。
リディアは唇を噛んだ。
「俺は……なんで、あの味作った時、
あんなに嬉しかったんやろな」
木匙を置く音が小さく響く。
「ただ美味しいだけやない。
誰かと笑えたからや。
あの味は……
“お前、生きててええんやで”って言うてくれる声みたいで」
リディアの肩が震えた。
彼女は知っている。
“何が消えたか”。
――そして、野島も気づき始めていた。
あの味は、俺一人で作ったんやなかった。
湯気の向こう。
記憶のどこかで――誰かが笑っていた。
名前は思い出せない。
けど、確かにいた。
野島は鍋を見つめる。
「あの味……取り戻さなあかん」
リディアが息を呑む。
「でもそれは、ここじゃない」
シシリの香りが、そっと揺れた。
まるで――
誰かが、森の奥から呼んでいるようだった。
この章では、「信仰と記憶の代償」を描きました。
味と祈りを結ぶ心の記録が、再び交わる時――
勇者の“真実の旅”が始まります。次章、森の再会へ。




