勇者、婚姻を申し込まれる ― スパイスの香りと瘴気の影
スパイス焼き鳥で村を救った勇者と聖女。
だがその成功の裏で、リディアは一つの決断をする。
村の広場は、今日も人であふれていた。
野島とコウが作った“スパイス焼き鳥”の屋台には、
長い列ができている。
「お兄さん、もう一本!」
「この香り、癖になるわね!」
鉄板の上でシシリの香りが立ちのぼるたび、笑い声が弾ける。
野島はタオルで汗をぬぐいながら、手を止めずに焼き続けた。
「すごっ……まさかこんなに人気出るとは」
「当然ですわ」リディアは隣で腕を組み、誇らしげに微笑む。
聖女としての凛とした立ち姿に、どこか誇りが滲んでいた。
夕暮れの屋台を片付け、ふたりは村外れの丘へ向かう
――シシリの香りが、夜風に溶けていく。
「この成功を見れば、王都の商人たちも無視できません。
近いうちに、取引の場を設けましょう」
「マジで? いやぁ、助かるわ」
野島は笑った。その笑顔に、
リディアはふと、胸の奥が熱くなるのを感じた。
――この人の無邪気な情熱が、いつの間にか周囲を動かしている。
きっとそれが、“導く者”の力。
屋台の灯が消えた夜、ふたりは村外れの丘にいた。
遠くで風鈴の音が鳴る。
「レイジ様」リディアが静かに口を開いた。
「王都に持ち込むには、わたくしの立場と名が必要です。
けれど、それだけでは足りません」
「足りへん?」
「――信頼、です」リディアは一歩近づき、
真剣な眼差しで彼を見上げた。
「あなたとわたくしの関係を、形にする必要があります」
「……形って?」
「婚姻です」
「ぶっ――!?」野島は思いきりむせた。
リディアは頬を染めながらも、真っ直ぐに言葉を続ける。
「それが、あなたを信じるという“証”になります。
……わたくしは、後悔しません」
静かな風が二人の間を通り抜けた。
夜空の下、シシリの香りがまだ微かに残っている。
「……リディア」野島は、ゆっくり息を吐いて言った。
「その話――本気で考えさせてくれ」
魔王討伐して以来、彼の言葉も、仕草も、
どこか“勇者”とは思えないほど、柔らかい。
リディアが、少しだけ微笑んだ。
その笑みは、王女ではなく、一人の女性のものだった。
「ただ、王宮に謁見する前に
どうしてもやらなければならないことがあります」
宿屋に到着すると、リディアは態度を改めた。
「急にどうしたん?怖いなぁ」
「……レイジ様。
貴方は、魔力の波長が変わりました」
リディアは杖を取り、
淡い光で彼の胸元を照らす。
聖印がかすかに揺らぎ、光が赤黒く濁った。
部屋の空気が熱く淀み、瘴気の焦げ臭が微かに漂う。
「王都の神殿で貴方の体内に残った
瘴気を浄化する必要があります」
野島の顔が青ざめる。
(しまった。忘れとった)
「魔王討伐の証明もできんしな……」
「はい。国王陛下と宰相は疑心暗鬼だと
賢者クライより連絡がありました」
「ほな、出発前にルルカに挨拶せんとな」
「魔王に!? 私の言っている意味わかってます!?」
「……あ、いや、ちょっと野菜のこともあるし」
リディアの瞳が揺れる。
この間は上手く胡麻化されてしまったが、
勇者が“魔王”と畑を耕すなど聞いたことがない。
魔王の呪いで精神が同調しているのでは?
「……確認します」
リディアは震える声で呟き、
聖典を開く。
「“魂の一致儀式”を」
「ま、待て、それは――!」
だが、すでに光陣が展開していた。
部屋全体が白く包まれる。
野島の体が一瞬、揺らいだ。
その背後に、“スーツ姿の中年男”の幻影が一瞬、重なる。
リディアの呼吸が止まった。
「何ですかこれ――!」
「落ち着けリディア! わかったやろ。オレはレイジや!
魔王なんて出んかった!」
「あの、距離が近いですっ」
リディアの頬が真っ赤になる。
「とにかく、挨拶だけは行かせてくれ。
いつ帰れるかわからんし」
◇ ◇
ゴブリンの畑に着いてもルルカは姿を見せなかった。
きょろきょろと辺りを見回すと、
噛み跡でボロボロになった案山子が見える。
「なんや、これ。俺か??」
「ばか者っ!」
背後からルルカが股に噛みついてくる。
「痛ったぁ!」
幼女の牙が肉に食い込み、熱い痛みが走る。
ルルカの目には涙が浮かんでいた。
「すまん。村に掛かりきりになっとった」
野島は股を押さえながらも頭を下げた。
「ゴブリン達が畑でシシリの栽培を始めおった。
お前の指示じゃろ」
「ああ、シシリを知っとったのか?」
「肉の保存に使っていたからな」
「だが、これは知らんだろう」
野島は得意げにシシリスープを出した。
「おお、久しぶりに食べるぞ。美味い」
「これも知っとるのか?」
「魔王城では寒くなるとよく出された。
定番メニューだぞ」
そうか、魔族は毒の耐性が人より強いから、
刺激物を人間みたいに怯えたりせんのか。
「この味付けも魔王城のものと一緒じゃ。
よくわかったの」
「いや、俺はそんなつもりじゃなかったんやが…」
もしかして、魔王だった頃の記憶がどこかに残っていたのか?
スパイス屋台の賑わいと、婚姻の提案――。
笑いのあとに訪れる瘴気の影が、次なる波乱を予感させます。




