高校生忠臣蔵
高校教師の吉良は、学校の中を見回していた。今は授業中、抜け出した生徒がいないか確認しているのである。
果たして、今は使われていない三階トイレで、野球部員主将、三年の浅野がタバコを吸っていた。野球部の主将と言えば、普通マジメな好少年であろうが、この生徒は何かと問題を起こす不良である。なまじ、試合での成績が良いために、吉良以外の教師はその行動を見て見ぬフリ。
「こら、浅野。何をやっている。今は授業中だ。それにタバコとは、おまえはどこまで腐っているのだ」
そう注意する吉良に対し、浅野はニヤニヤするのみである。その様子に堪忍袋の緒が切れた吉良。思わず声を荒げてしまった。おまえは自分が特別扱いされているからといって、調子に乗りよって、おまえのような人間は井の中の蛙といって云々。
対する浅野。もともと自分に対して何かと言ってくるこの教師に不満を持っていた。いっちょ懲らしめてやらねばと思い、吉良を押し倒すと上から何度も殴りつける。
結局騒ぎを聞きつけた教員たちがすぐに浅野を押さえつけたが、吉良は全治三ヶ月の重傷を負った。このことを重く見た学校は、すぐさま浅野を退学処分。浅野の居た野球部も、色々と問題があったのでこれを機に廃部とした。
浅野もさすがにこれには懲りたらしく、別の学校に再入学してからは今までの仲間と手を切って、真面目に勉学に打ち込むこととなったが、唯一納得できないのが廃部にされた野球部副部長大石を筆頭とする不良生徒四十七人。放課後大石の家に集まっては不満をたれた。
「何故、浅野が退学となる。何故野球部が廃部にならねばならない。吉良と言えば、何かと生徒に突っかかってくるあの嫌な教師ではないか。どうせ、あいつが浅野を侮辱したに違いない。なのに吉良は何のお咎めもないとはどういうことだ。学校は生徒のものだ。それがなぜ教師をかばうのか。道理に合わない。俺たちは、このような学校に代わり、吉良を罰せねばならない。正義を行うべきだ」
元野球部員たちの中心で大石がそう言うと、わっと皆が沸き立った。全員思うことは一緒である。
大石は歓声を手で制すると続ける。
「しかし皆、今すぐ動いたのでは意味がない。吉良が怪我を治し、学校に復帰して暫くしてから襲うとしよう。やつも暫く放っておけば安心し、気が緩むだろう。その時を狙うのだ」
大石の言葉に不満を持つ者も居たが、ほとんどが大石に賛成したので、吉良襲撃は半年後、十二月に憎いあの教師が、宿直で学校にいるときにしようと決まった。
そして遂にその時が来た。雪降る十二月の校庭に、今は無き野球部のユニフォームに身を包み、バッドで武装した四十七人の姿があった。
彼らは校舎の窓を打ち壊し、吉良の待つ宿直室を襲撃すると、彼が眠っていた布団を取り囲み、怯える吉良をやたら滅多らに打ち倒した。誰の一撃が原因となったかは定かでないが、悪徳教師は気がつくと死んでいた。
それを見た四十七人、満足げな顔をして校舎を後にし、その足で警察に自首をした。
高校生四十七人による教師へのリンチは忽ち世間の目を引き、連日テレビのコメンテーターやら何やらがこの凶行の原因をしたり顔で解説していた。残虐なゲームであったり、心ない匿名掲示板であったり、化学物質の入った食品であったりが原因としてやり玉に挙げられ、その度に関連業者は肝を冷やすことになった。しかし被害者の吉良教諭が生徒にひどく嫌われていて、また半年前に起こった浅野の事件が明らかになると、世論は四十七人を凶悪犯として見なくなっていく。
学校という閉鎖的空間で行われていた吉良教諭による横暴。それに抗議した勇気ある生徒に対する学校側の処分に義憤を感じ、悪の中心たる教諭に正義の鉄槌を下した生徒たち。そのような粗筋が、いつの間にか世間では出来ていたのだ。
もちろん学校は、そのような話は事実無根で、今回逮捕された生徒たちは普段から手のつけられない不良であったと公表したが、それは焼き石に水を垂らすどころか油に水を注いだようなもので、ますます生徒正義説が有力となっていった。
彼らの話を元にした『高校生忠臣蔵』等という小説まで世に出回り、これが飛ぶように売れたため、真っ先に生徒側の肩を持ったとあるテレビ局がこれをドラマにして放送した。もちろんこれらは娯楽であるから、痛快さを出すために事実と違った描写が多く入れられている。例えば吉良教諭はとことん悪漢として描かれ、浅野少年が吉良に襲いかかった理由にしても、入学時に教諭へ賄賂を送らなかったためとことんいじめ抜かれたことに変わっていた。
政府は、この風潮をよしとせず、この事件を元にしたいかなる創作であっても、これは認めないという法案を急遽作ったが、そんなことをしても結局は抜け穴を利用され、事態の沈静には至らなかった。
すでに世間は『高校生忠臣蔵』が事実であると決めつけていた。四十七人の釈放を求める署名が各地で起こり、同じような事件が多発する。吉良教諭の残された家族は、連日連夜のようにかかってくる心ない電話に遂に発狂、ある日自宅で全員首を吊って死んでしまった。そのことはニュースの速報で流され、それを見た視聴者たちは正義が行われたと手を叩いて喜んだ。事件の起こった校舎は記念館として保存されることが決まり、野球部の部室には少年たちが討ち入りの時に着ていたユニフォームや血の付いたバッドが展示されている。
もちろん、このような世間の喧噪は、少年院に入れられた大石達の元にも届いている。彼ら四十七人は各地に散らばることとなったが、各施設では英雄扱いであった。不良少年とは得てして、教員という者に敵意を抱いているのだから当然である。とにかくそんなわけで、まるで王様にでもなったかのように椅子に座り、テレビで『高校生忠臣蔵』を見ていた大石は誇らしい顔でこう言った。
「ほら見ろ、やはり俺たちは正義を行ったのだ。これを認めないのは政府の奴らだけ。きっとこれを認めると自分たちの地位も危ういと考えているのだろう。ああ、なんとも苛立たしい。江戸時代にも同じことをやった者が居たらしいが、そいつらも俺と同じ気持ちだったのだろうな」
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