その7 傾国のおとうふイチゴ姫
にゃんごろーは、少々かしこまった顔つきと上品なしぐさでミルクティーを吸い上げた。
ミルク多めで温めで甘めのミルクティーだ。
同席しているおばさま方が「まあー」と目を輝かせた。
ネコーの上品さに感心しているわけではない。
ネコーが見せた魔法の御業に感激しているのだ。
上品に傾けたカップから、ミルクティーは小川の流れのようにネコーの口の中に流れ落ちていき、ほど良いところで流れを止めた。
ゴクゴク飲める温度ではあったが、先ほどカフェオレを飲み干したばかりで、少々お腹はタプついていたため、上品なしぐさには似合わない不調法をせずに済んだ。
一口飲んだだけでカップをソーサーに戻すと、おばさま方から感嘆と賛辞の声が飛んできた。
「器用ねぇ」
「ネコーの魔法って、可愛いわねぇ」
「いいものが見れたわぁ」
「本当ね。お誘いして、よかったわぁ」
魔法を誉められたにゃんごろーは、照れて恥ずかしそうに俯いた。
その様もまた可愛らしいとおばさま方は大盛り上がりだ。
当初の予定では、午後は卵船に乗ってイチゴのお宿の上空を散策し、空からの景色をスケッチして回ろうと思っていた。
ところが、イチゴサンドを食べ終え、カフェオレを飲み干して、お暇しようとしたところ、カウンターのすぐ後ろの席でランチをしていた四人のおばさま方に、「一緒にお茶をしないか」と誘われたのだ。
にゃんごろーは、予定を反故にして、二つ返事で頷いた。
せっかくのお誘いであるし、出会いは一期一会なのだ。相手方のいる予定ではないのだから、反故にしたところで誰にも迷惑はかからないし、こうしたご縁は大切にするべきだ、というのがにゃんごろーの方針なのだ。
了承はしたものの、おばさま方のテーブルは四人席で、席は全部埋まっていた。さて、どうしたものかと思っていたら、話を聞いていたらしき男主人が、にゃんごろーを乗せたまま、カウンターの子供用いすをおばさま方のテーブルの、いわゆるお誕生席に運んでくれた。
成ネコーとはいえ、サイズは人間の子供程度な上、ネコーの体重は人間よりも軽いため、男主人は軽々と危なげなくにゃんごろーを乗せた椅子を移動させてくれた。
子ネコー気分で“運ばれ移動”を楽しんだにゃんごろーは、お誕生席にセットされると追加の飲み物を注文した。
注文したミルクティーが届くまでの間に聞いた話によると、おばさま方は丘の下に住んでいる地元民で、月に一度、イチゴ喫茶でイチゴの宴を開催していているのだそうだ。
イチゴ喫茶でランチを食べ、そのまま三時のおやつの時間までお茶と会話を楽しみ、三時になったら日替わりのイチゴ菓子を注文して、会話と共にお菓子を味わい、日が暮れる前に解散するのだという。
そして、まさに今日が、そのイチゴの宴の日だったのだ。
ランチの際、にゃんごろーのおとうふイチゴサンド語りに感銘を受けた四人は、自分たちも追加でイチゴサンドを四人で一皿注文し、一切れずつ分け合って、味わった。にゃんごろーのおとうふ語りを聞いた後のイチゴサンドは、いつもよりも美味しく感じられたという。
ということは、おやつのイチゴ菓子も、このネコーと一緒に食べれば、より美味しく感じられるのでは――――?
そう考えた四人は、目くばせ一つで件のネコーをお茶に誘うことを決定した。
そうして、お誘いしてみたところ、ネコーの方も快くこれに応じ、今に至るというわけだ。
話題は、来訪者であるにゃんごろーのことに集中した。
おばさま方は四人とも、にゃんごろーに興味津々のようだった。
にゃんごろーが、青猫が描かれた卵船でやって来た旅ネコーだということは知っているようで、一人のおばさまがこう尋ねた。
「ねえねえ、あなた。青猫の絵の船に乗っているってことは、青猫号のクルーさんなのかしら?」
「はい。そうです。にゃんごろーは、青猫号の不思議ハンターです」
「あら、そうなのね。ところで、青猫号って何だったかしら?」
「魔獣退治と魔法遺物なんかの発掘や調査を専門にしている組織なんですって。うちの息子が言ってたわ」
「あらー、そうなのね。不思議ハンターってことは、にゃんごろーさんは、魔法遺物の担当なのかしら?」
「はい、そうです。世界の不思議を探して旅をしている、青猫号の遊撃クルーです。海に浮かんだドーナツの輪っかの真ん中から、ながーいお鼻が、にょいんと伸びているのが見えたので、不思議に思ってやってきました」
おばさま方の質問に、にゃんごろーはハキハキと答えていく。
――――が、一人のおばさまが息子情報で青猫号のことを知っていたため、にゃんごろーが答えるまでもなく、にゃんごろーの情報が明らかになっていった。にゃんごろーが答えるよりも、といった方が正しいかもしれない。にゃんごろーが説明していたら、もっとふわっとした内容になったはずだからだ。
話題は、にゃんごろーのことから、ドーナツから伸びている長いお鼻に移っていった。
「うふふ。ドーナツから伸びた長いお鼻だなんて、ネコーさんが言うことは面白いわねぇ」
「ねえねえ、空から見るこの島は、どんな感じなのかしら? もっと詳しく知りたいわ?」
タンポポの塔と名付けた長い鼻の情報が聞けるかも、とにゃんごろーはそわっとしたが、話題は一瞬で逸れていった。
にゃんごろーは深追いせず、質問に答えることにした。
おばさまがたの話に付き合うときには、ヘタに逆らうよりも流れに乗った方がいいと経験から学んでいた。にゃんごろーは、一部例外もあるが基本的には学習能力が高いネコーなのだ。
それに、よそ者のにゃんごろーから見たら不思議でも、生まれた時から長鼻を見慣れている地元民にとっては、それが当たり前で、特に不思議に思うことではないのかもしれない、とも考えていた。
「お空から見たこの島は、イチゴミルクドーナツみたいでした。カフェ・オ・レーイ♪……か、ミルクが飲みたくなる感じです。でも、島に降りてみたら、桜ドーナツだと判明しました。お抹茶ミルクの出番です」
お昼のカフェオレを思い出したのか、一部音符が騒いだが、にゃんごろーはよそ行きのキリリとした顔と丁寧な口調で子供のようなふわふわとした感想を語った。
ネコーのふわふわ感想は、おばさま方が求めていたものだったようだ。
おばさま方は、「きゃあきゃあ」と乙女のようにはしゃいで喜んだ。
その後、話はおばさま方の家族のことだったり、最近食べた美味しいもののことだったり、青猫号のことだったり、にゃんごろーの旅の話だったりと、あっちへこっちへと自由気ままに行ったり来たり戻ったりした。
おばさま方の気まぐれ雑談はネコーと大変に相性が良く、にゃんごろーは大いにお茶会を楽しんだ。
そして、ついに。
おとうふの時間がやって来た。
「そろそろ、お昼もこなれてきたし、本日のイチゴスイーツを頼みましょうか」
「今日はイチゴタルトって言っていたかしら?」
「そうよ。楽しみね」
「ネコーさんも、イチゴタルトでいいかしら?」
仲良し四人グループは、腹時計の進み具合も仲良しのようだ。
にゃんごろーのお腹も準備万端である。
にゃんごろーがパアッと顔を輝かせてコクコク頷くと、おばさまの一人が女主人を呼び注文を通した。男主人は、いつの間にかいなくなっていた。外で花壇の世話をしているようだ。
にゃんごろーたちの他にも、三組ほどの利用客がいた。
みんな、日替わりイチゴスイーツが目的のようだ。
朝食べた生イチゴもお昼のイチゴサンドも絶品だった。
となれば、当然イチゴタルトへも大いに期待が持てる。
にゃんごろーは湧き上がってくる涎をなるべく音を立てないように静かに飲み下した。
同席しているのがおばさんたちなら多少の粗相は許されそうだが、このおばさま方の前ではしたない真似は出来ないな、と思っていた。
ほどなくして、イチゴタルトがお届けされた。
まるで宝石のような美しさだった。
まさしく魔性のイチゴである。
わりと厚みのある白いお皿は、その淵をぐるりと囲むように細い緑の蔓が描かれている。そのシンプルさが、艶やかな魔性のイチゴの赤をより一層引き立てている。
美味しいイチゴを育む芳醇な大地のようなタルト生地はサクサクと香ばしそうだ。
タルトとイチゴの間には、イチゴの姫君を受け止める柔らかいソファーベッドのようにカスタードクリームが敷き詰められていた。垣間見えるバニラビーンズの粒が、おとうふ心をくすぐる。
カスタードベッドの上にきれいに並ぶイチゴ姫たちは、扇情的な美しさと可憐さを併せ持っていた。
にゃんごろーは、食べる前から心を奪われてしまった。
にゃんごろーは「はわはわ」とイチゴタルトに見惚れながら、サッとお皿の上で手を開いた。無意識で「いただきます」の準備をしてしまったのだ。
それを見たおばさま方は、ササッと目くばせを交わし合い、ネコーに倣った。そして、期待を込めた目でネコーを見つめる。
イチゴタルトに釘付けのネコーは、それでも敏感に準備が整った気配を感じ取った。
そして、やっぱり無意識のままに期待に応えていく。
「それでは、お手々の肉球と肉球を合わせて……」
ここで溜まらずおばさま方から「くすくす」と笑い声が漏れ出したが、ネコーは気づかずに音頭を取る。
「……いったっだっきみゃ!」
ポフンと肉球が合わさった。
おばさま方は忍び笑いながら、にゃんごろーに続いて肉球のない掌を合わせていく。
おとうふにゃんごろーのもふ頭の中からは、すでにおばさま方の存在は弾け飛んでいた。
魔性のイチゴタルト姫とふたりだけの時間が始まる。
にゃんごろーは魔法を使って器用にフォークを操り、口に入るジャストサイズを切り分けると、涎の洪水を喉の奥へ流し込んだばかりの口中へ招き入れた。
もふ毛に包まれた顔が、幸せに蕩けていく。
咀嚼するたびに、ふよんと伸びたひげが、ひよひよと揺れた。
にゃんごろーは、最初の一口をゆっくりじっくりと味わい飲み下すと、「はわぁ~」と気の抜けた声を漏らしながら陶酔の顔でもふ毛を震わせた。
そして始まる、おとうふ語り。
揺れるひげの先を目で追っていたおばさま方は、フォークを手にしたまま、耳を澄ませた。イチゴタルトには、まだ手を付けていない。ネコーの感想を聞いてから食べ始めるつもりなのだ。
「ふみゅぅうん♪ イ・チ・ゴォ♪ イチゴへのぉ、惜しみない愛を、感じるぅ♪ サクサク香ばしいタルトの大地ぃ♪ バニラをきかせつつも前に出過ぎることなく、しっかりカスタードとしての存在を主張しているクリームゥ♪ それでいながらも、カスタァードォンによって姫の魅力が損なわれることはぁ…………にゃい! その存在感がむしろぉ! 姫の魅力を、際立たせている。遠慮は、いらない。なじぇなら! カスタァードォンが全力でカスタァードォンを主張しても、その上で! 燦然と!散々と! 輝く魅力が! 姫にはぁー、あるからぁぁぁん♪」
にゃんごろーを見つめるおばさま方の瞳もキラキラと輝いていた。
注目されていることに気づかぬまま、にゃんごろーは姫の魅力をおとうふに語っていく。
「タルトのイチゴには、生のイチゴとはまた違う、成熟した、おとなの魅力がある。甘さも酸味もギュッてなって、濃くなっている気がする。オーブンで焼かれることで、おとなの階段を上ったイチゴ姫! 少女の頃なら、カスタァードォンに負けてしまったかもしれない。おとなになったからこそ、濃厚なカスタードとも渡り合える…………んーにゃ! カスタァードォンの献身を受け止めて、より一層、おとうふにぃ、輝く! まさしく、傾国のおとうふイチゴ姫! にゃんごろーも傾いちゃう!…………こてっ!」
イチゴ姫の魅力を熱く語ったにゃんごろーは、最後の「こてっ!」に合わせて、もふっと体を傾がせた。
バッチリ目撃してしまったおばさま方は、フォークを置いて、必死に笑いをかみ殺す。
――――が。
カウンターの向こうから、弾けるような笑い声が聞こえてきた。
熱くなってしまったイチゴ姫語りは、カウンター奥にいる女主人……どころか店内全域に届いていたようだ。女主人の笑い声を皮切りに、イチゴ喫茶店内で笑い声が爆発する。
笑い声が弾けまくる店内だったが、笑いの起爆剤となったネコーは、どこ吹く風でイチゴタルトの続きを味わい始めた。
それがまた可笑しくて、店内はさらなる笑いに包まれる。
その後、にゃんごろーは女主人の求めに応じ、姫語りの途中で出てきた「おとうふ」について、その時店内にいた全員にレクチャーをすることになった。
不思議な話は何も聞けなかったが、島人たちに「おとうふ」布教が出来て大満足のにゃんごろーだった。