その5 サバァのみそ煮ぃ♪
「サバァのみそ煮ぃ♪」
「はぁっ!? 今、ババアのみそ煮って、言ったかい!? アンタ、アタシを馬鹿にしてんのかい!?」
小洒落た料理が出てきそうな音程で、にゃんごろーが注文を歌うように読み上げると、店主が答えるよりも早く、カウンター席の少々お年を召した人間のご婦人が振り返って絡んできた。
ご婦人は荒々しく椅子を降りると、テーブル席のにゃんごろーの元へ大股で近寄り、バンッと片手でテーブルを叩いた。
どうやら、少々をとっくに通り越して、お酒を召し上がっているようだ。
にゃんごろーが店に入ったのは、開店と同時だった。
イチゴの宿での宿泊を決めたにゃんごろーは、忘れないうちにと今日の報告書とは名ばかりの絵日記作成に取り掛かることにした。
持ち込んだリュックの中からスケッチブックと色鉛筆を取り出して、床の上に広げた。部屋には備え付けの机と椅子もあるけれど、高さが合わないのだ。
独特だが特徴をよくとらえた味のある絵。添えられた短いコメントには、にゃんごろー味が溢れていた。絵葉書にしてもよさそうな素晴らしい出来栄えだったが、報告書としては微妙が過ぎた。不思議こどもハンターとしての報告書なら、『大変よくできました』の花丸がもらえそうではある。
心躍る不思議をいくつも発見した興奮で、にゃんごろーは珍しくおやつも忘れてお絵かきに集中した。
今日の不思議とおとうふのすべてをスケッチブックに彩りよく刻んで、「ふぅー」と満足の吐息を吐き出すと同時に、お腹がきゅるんと鳴き声を上げた。
窓の外は、すっかり茜に染まっている。
初日だし、宿で食事をとるか迷ったけれど、少し町を散策してみたくて、宿の主(主っぽい人は、やっぱり主だった)に一声かけてから、卵に乗って宿のある丘を下りた。
町へ下りると、昼間、こどもたちが遊んでいた広間の端っこに卵を停め、夕闇の町をふらふらしてみることにする。
漂ってくる夕ごはんの準備をする匂いに鼻をヒクつかせ、もふ毛に包まれた腹をきゅるきゅる鳴らしながら、通りを歩く。
木造の古めかしい家屋と、小洒落た外観の比較的新しい家屋が混在していた。
鱗を並べたような屋根もあれば、つるつるの板を並べたような屋根もあった。
緑や青の屋根が人気のようだ。
薄桃色と緑の鱗できれいな模様を描いている屋根もあった。明日、明るいところで空からよく見てみよう、とにゃんごろーは心に決めた。
そうして、匂いと町並みを楽しみながら、角を曲がると、古めかしいがよく手入れが行き届いている鱗屋根の建物から、白いエプロンをつけた初老の人間男性が出てきた。玄関には、のれんがかかっていた。紺色ののれんには、白字で『さくら屋』と書かれている。
人間男性は、玄関わきの立札をひっくり返した。『営業中』という文字が見える。
もしや……と声をかけてみたら、そこはネコーも入れる定食屋だった。
これも巡り合わせだ……と、にゃんごろーは迷うことなくのれんをくぐった。
店主と思われる男性は、背の低いにゃんごろーのために、人間の子供兼ネコー用の椅子をカウンター近くのテーブル席に設置してくれた。
お礼を言って椅子に座ると、さっそくお品書きに手を伸ばす。
一通り目を通し、迷うことを楽しむ。
そうして、心の中で決定戦を開催し、見事一位を勝ち取った料理名を歌うように読み上げたところで、見知らぬ酔っ払いに絡まれたというわけだ。
開店する前から、ご婦人が店内でお酒を召し上がっていたことは、特に不思議には感じなかった。きっと、ご近所の常連さんだから、特別にお店に入れてもらったのだろう、くらいに考えていた。
そんなことよりも、にゃんごろーには気になることがあった。
にゃんごろーは、酒臭い息を吐き出すご婦人にズズイともふ顔を突き出し、こう尋ねた。
「お品書きには、『ババアのみそ煮』というお料理は載っていなかったけれど、それは、もしかして! 常連さんだけにお出しする裏メニューというものですか!? それは、一体、どんなお料理!? そして、ババアとは、一体!? お肉? お魚? お野菜?」
「……………………は?」
「ぶふぉっ…………!」
しいて言うなら、お肉だろうか?
聞き間違いから絡んできた酔っ払いを躱すでも宥めるでもなく、ネコーは真正面からとんでもない勘違いをぶつけてきた。
好奇心と興奮に突き動かされてズイズイもふ顔を近づけてくるネコーを押しのけることも忘れ、ババ……ご婦人は、呆けた顔で固まった。
カウンターの奥でハラハラと成り行きを見守っていた店主は、盛大に噴き出し、身を丸めていた。震えているようだ。
ジュルリ……とネコーが涎をすすり上げる音で、ご婦人は我に返った。
しっしっと追い払うしぐさをしながらも、ご婦人はカウンター席に戻ろうとはせず、にゃんごろーの向かいの席に居座った。
「何が、裏メニューだい。アンタが言い出したんだろう? 『ババアのみそ煮』って」
「ほえ? にゃんごろーは、『サバのみそ煮』を注文しただけだよ?」
「あん? 店が開く前から呑んだくれてたアタシへの当てつけじゃなかったってのかい?」
「ほえほえ?…………あ! ババアって、おばあさんを乱暴に言うヤツのことか!」
聞き間違いで絡んでしまったことに気づいたババアは、気まずそうな顔をしつつも、椅子の上でふんぞり返った。笑いたければ笑え!――――のポーズなのだろう。
ババアは己の聞き間違いから始まる勘違いに気づいたが、ネコーの方の勘違いは、さらに加速し、混迷を極めていった。
「つ、つまり、あなたは、食材の方!? はっ! だから、開店前なのに、お店の中に……。お酒は、調味料? お肉を柔らかくするために、内側から漬け込んで……?」
「誰が、食材じゃい!?」
今度は、ババアもすぐに反応した。
ガタンと音を立てて立ち上がり、バンッ!――――と両手で机を叩きつける。
店主は、息も絶え絶えだ。
そのうち、食材になってしまうかもしれない。
しかし、おとうふにとらわれたにゃんごろーは、周囲の状況にはとらわれず、独自の見解を展開した。
「……これは、この島特有の、儀式なのかもしれない。よそ者のにゃんごろーが、気軽に立ち入っていいお話じゃ、なかった」
「…………アタシは、島を救うための生贄か何かかい」
真剣な顔つきで古の伝承めいたことを語りだしたネコーに毒気を抜かれたババアは、力なく椅子に座り直しながらも、意外とノリよく合いの手を挟んだ。
与太話に付き合うつもりのようだが、ネコーの方は、それを聞いて「やはり……」と目を見開いた。
「島の者にだけふるまわれる、特別で秘密なお料理、ということか。偶然、知ってしまったけれど、このことは、誰にもいいません! そっと胸の奥に、しまっておきます」
「…………ああ。そうしておくれ」
ババアの話を真に受けたにゃんごろーは、勘違いが真実なのだと確信し、神妙な顔で誓いを立てた。ババアは、笑いをこらえながらも、もっともらしい顔を取り繕う。「そうしておくれ」と言いながら、面白おかしく吹聴して回る気満々だった。
「えーっと、それで。サバのみそ煮は、定食でいいんですかい?」
話がまとまったところで、いつの間にか笑いの発作から復活した店主が、カウンターの向こうから注文を確認してきた。
にゃんごろーは、それまでの神妙さを吹き飛ばし、笑顔でハキハキと答えた。
「はい! ご飯は、こどもサイズでお願いします!」
「あいよ!」
「あ、おやっさん。おんなじの、アタシにも。ご飯の量もおそろいにしとくれ」
「あいよ! ありがとさん!」
なぜか、ババアも便乗してきた。
にゃんごろーを気に入ったのだろうか?
このまま、一緒のテーブルでサバのみそ煮定食を食べるつもりのようだ。
「旅のネコーなら、和国のことも知ってるのかい?」
「はい。知ってます。みそは、和国の調味料!」
「そうそう。この島はさ、ずっと昔から和国と交流があるんだよ。この店のおかみさんは、和国出身でさ。だから、この店には、和国の料理が多いんだよ」
話し相手が欲しかったのか、ババアは勝手に喋り出した。
なるほど、それでお品書きに和国の料理がたくさん並んでいたのか、とにゃんごろーは興味深く頷いた。
本来であれば、にゃんごろーの方からも、何か不思議な話を知らないかと質問をするところなのだが、今回は自重した。
盛大な勘違いが、まだ続行中だからだ。
もしかしたら、にゃんごろーが、これからみそで煮込まれる予定のババアの最後の話し相手なのかもしれない。ならば、好きなように語らせてあげよう。
そう考えたにゃんごろーは、適度に相槌を入れつつ、聞き役に徹した。
そうこうしているうちに、料理がお届けされた。
神妙さは、再び吹き飛んだ。
おとうふはすべてを凌駕するのだ。
「はわあ! いただきます!」
にゃんごろーは、ぽふんと肉球を合わせ、破顔した。
こども茶碗にちんまり盛られたご飯とホカホカのサバのみそ煮。ほうれん草のお浸し。ワカメと油揚げのおみそ汁。デザートは、小粒なイチゴだ。
もはや、ババアの存在は遠い彼方へと追いやられていた。
おとうふとの語らいに、全神経を集中する。
まずは、おみそ汁に口をつけた。
両手で大事にお椀を抱え上げ、しっかりと「フーフー」してから、熱々のお汁を啜り上げる。もちろん、魔法を使ってだ。
お椀にパクンと開けたお口をあてがい魔法を使うと、お汁がお口の中へと流れていく。傍目には、透明な太目ストローで吸い上げているように見える。
向かいの席では、ババアが微妙な顔でそれを見ているが、にゃんごろーは気づいていない。
程よい量を吸い上げると、お椀から口を離し、苦痛交じりの至福顔で天井を見上げ、ゆっくりと味わいながらお汁を飲み干していく。
「ちょっと、まだ、熱かった……。むふふ、でも、修行したおかげで、アチチィー!……ってお行儀悪いことにならずに、ちゃんと飲めたもんね。みゅふふ。かつおの隠れた、お・し・る♪ 大変結構な、かくれんぼ具合ぃ♪」
かつおだしが程よい加減で効いている、と言いたいようだ。
しかし、ババアが気になったのは、そこではなかった。
「修業したおかげでって、猫舌を克服するための修業をしたってことなのかいね? ずいぶんな食いしん坊ネコーだね……」
おとうふネコーに釣られたようにお椀に手を伸ばしながらあきれるが、当のネコーはもちろん聞いていない。
ネコーは、ひとつずつ料理を味わっては、独特な言い回しで感想を歌い上げていった。
「サバァ~♪ しっとりぃん♪ お口の中で、ホロホロぉん♪ お塩の海から、おみその海にお引越して、ちょっぴり甘くなったサバァン♪ ショウガも遊びに来てくれてるぅん♪ 控えめなようでいて、だけど、ちゃぁんと、そこにいるぅ♪ みんなのこーとを、見つめてるぅん♪」
「なんか、突然ショーが始まったみたいだねぇ。そのうち、踊り出すんじゃないのかい? だけど、悪くないねぇ。馴染んだ味なのに、いつもより美味しい気がするよ」
ババアは、にゃんごろーの後を追うように、料理に箸をつけていった。
ちなみに、にゃんごろーには箸とフォークの両方が用意されていたが、にゃんごろーは器用に魔法で箸を操った。両手は料理の上でもふっと待機している。箸だけが皿と口の間を踊るように往復していた。うっかり料理を取り落とすこともなかった。まるで、マジックショーを見ているようだ。きっと、これも修行をしたのだろう。
「ご飯とも、最高に相性がいいねぇ♪ みんなが、美味しく仲良しで、にゃんごろーのお口も、し・あ・わ・せ♪」
楽し気に踊る箸は、お膳の上を縦横無尽に飛び回る。
ババアの箸の動きも、速くなった。
「ワカメも、おみその海で、すっかりくつろいで……。ふふふ……。油揚げ……。揚げたお豆が、お豆の海で、かつおと出会い、すべてを受け止め、お口の中で、美味しさの洪水を起こす……。涎の海も、喉の奥へ流されていく……」
「おみそ汁で、すっかり落ち着いたわね。ただ、最後の一言は余計だよ」
憮然とした顔で、ババアはみそ汁を啜った。豪快に具ごと口の中に流し込む。
「ほっうれっんそっ♪ はぅーん、上にのってる、ひらひらのかつお節が、イイ! 隠れていない、丸見えのかつおもス・テ・キ♪ おだしもきいているけれど、おしょうゆが、キリッとしていて、甘すぎないのも、イイ♪ 粋な感じが、する。うん。粋! 生き生きと、粋!」
「今まで、あんまり気にしたことなかったけど、言われてみりゃ、確かにそうだね」
ババアは「ふうん」と感心しながらお浸しを味わった。後半の粋な部分については、まるっとスルーした。
「そして、デザートの、イ・チ・ゴ♪ ふ、ふふ。ふふふふ。んー、すっぱぁーい……けど、ちゃんと甘さもある! すっぱいのに、練乳いらずだ! すっぱさの後に、ジワッと残る甘さが、く・せ・に・な・るぅ♪」
「そうそう。でも、このイチゴ、ここのおかみさんが育ててるイチゴで市場には出回ってないから、食べたかったら、この店に来るしかないのよねぇ」
「ええ!? そうなの!? そ、そうか……。この島特有のイチゴじゃなくて、このお店特有のイチゴだったのか……。そういうことなら、また、食べに来なくては……」
「食べるのに夢中でも、こういう話にはちゃんと反応するんかい……」
ババアの呟きは、店主の心の声でもあった。
最後のイチゴを「むきゅうん♪」と頬張り、幸せなおとうふ時間は終わりを告げた。
にゃんごろーは、ババアに今宵出会えたことの喜びを伝え、会計を済ませると、スマートに店を出た。
日はとっぷりと沈んでいた。
空には、三日月が昇っている。
月は次第に満ちていき、やがてまた、欠けていくのだろう。
三日月を見上げ、にゃんごろーは厳かな顔で囁いた。
「世界には、ひも解いてはいけない、不思議もある……」
ふ、と俯いて首を振ると、にゃんごろーは来た道を戻り、卵を置いてきた広場へと向かう。
何やらシリアスを気取ってはいるが――――。
今宵のひと時、あの店で。
不思議はただ、にゃんごろーのもふ頭の中にだけ在った。