その4 常春の島
イチゴミルクのドーナツだった。
おやつの話ではない、ドーナツ状の島のお話だ。
空から見下ろすドーナツ島は、美味しそうなイチゴミルクドーナツだった。
ドーナツ島の全域にイチゴミルクの衣がかかっているわけではないが、かなりのピンク率だ。
遠くから見たときは、ドーナツの中心から伸びている長い鼻……タンポポの塔に気を取られていたが、その調査を終え……たつもりで、地上に向かってキュオンと下降してみれば、塔の中ほどくらいの高さまで来たところで、美味しそうなピンクが見えたのだ。
にゃんごろーは、ふおっと急ブレーキをかけた。
イチゴミルク味の砂糖衣をかけたドーナツ。
そう思ったら、もう、そうとしか見えない。
卵の船の中で、おとうふなネコーはゴクリと喉を鳴らした。
ちょいとばかし前にお昼を食べたばかりで、お腹は空いていないのだが、それとこれとは別問題なのだ。
卵の船に、窓はない。
ピッタリと口を閉じた卵船は、遠くを眺める青い猫の横姿が描かれた浮遊する卵にしか見えない。
けれど、こう見えてこの卵は、なかなかに高性能な魔法の空船なのだ。
卵の中にいるにゃんごろーからは、島の様子も空の様子もバッチリ見えていた。
卵の殻の内側全面が、外の景色を映し出すスクリーンになっているからだ。
卵の中には、操縦席があるだけで、操作パネルやスイッチやボタンやレバーのようなものは一切見当たらない。操縦席の他には、操縦者であるにゃんごろーと、にゃんごろーが持ち込んだわずかな荷物があるだけだ。
この卵船は、魔法生物であるネコー用にカスタマイズされたものだった。
ネコーであるにゃんごろーは、魔法を用いて、手足を使うよりも自由自在に魔法の卵を操ることができるのだ。
殻のスクリーンも、意識一つで、ただの殻に切り替えることができた。今は、内側全面がスクリーンになっているけれど、この辺だけをスクリーンに……といったことも可能だ。卵船の設計上の境界線というものは特になく、どこをスクリーンにして、どこを殻のままにしておくかは、操縦者であるネコーの気持ち一つなのだ。もちろん、操縦ネコーの技量にもよる。けれど、ネコーというのは、興味がある分野においては、最大限の魔法効果を発揮できる生き物だ。好んで卵船を乗りこなそうと思うようなネコーは、まず間違いなく、どこまでも自由に船の能力を引き出せるはずだった。
その反面、興味のないことに対してはサッパリパリで、ただの猫がじゃれついてるだけのような結果になることが多いのが欠点ではあるが、それはそれとして。
にゃんごろーは、なかなかに優秀な卵船の乗り手だった。
薄桃色をまとって、おとうふ心を誘惑してくるドーナツを見下ろしながら、にゃんごろーはポツリと呟いた。
「教えてー! ここは、何て名前の島なのー?」
すると、にゃんごろーの目の前に、『常春島』という文字がデカデカと現れ、にゃんごろーがそれを認識すると、すぐに消えていった。
「ほぅほぅ。ずっと春の島か……。春のお料理が好きな人やネコーが集まって出来た島なのかもしれないねぇ。一年中、春のお料理を食べ続けても飽きないくらいの春料理好きとは……。なかなかにこだわりなおとうふぶり」
おそらく、そういうことではないと思われるが、卵船からは特に反応はなかった。スクリーンに間違いを指摘するメッセージが流れてくることはない。
聞かれたことだけを答える仕様……というけではない。
あまり便利すぎても面白くないからと、にゃんごろーが自分でそのように設定したのだ。聞かれたことだけを簡潔に答え、補足説明が一切ないのも、にゃんごろーの好みに合わせたものだ。あまりつらつらと説明が流れてくると読むのが大変というのが、その理由だった。音声によるアナウンスに切り替えることも可能なのだが、外の風景を映し出したところにポンと大きく文字が表示されるのが面白いのだ……とは、にゃんごろーの弁である。
にゃんごろーは景色を楽しむために、ゆっくり、ふおふおと下降しながらイチゴミルクドーナツを一周してみることにした。
緑よりもピンクが豊かな島だった。
とはいえ、ドーナツの全体が衣でコーティングされているわけではない。
ピンク衣多めの場所もあれば、まばらな場所もあり、見当たらない場所だってあった。
ピンクの切れ間には、田畑や住宅があった。
ちゃんと町や村があるようだ。
町や村の中にも、ピンクは点在していた。
にゃんごろーは、ググっと高度を下げた。
ピンクの正体を確かめるためではない。
立ち並ぶ住宅の中に、料理屋が混じっていないかを探すためだ。
食欲をそそりはするが実際には食べられないドーナツよりも、現実ににゃんごろーの心と腹を満たしてくれるお店を探す方向へ、にゃんごろーの興味はシフトしていった。
町らしきところの上空を飛んでいると、広場で遊んでいる子供たちの一人が、ふよんと空をさまよう卵に気づいたようだ。こちらを指さして、何か叫んでいる。すると、ほかの子供たちも頭上を見上げた。空飛ぶ卵を見つけると、卵に向かって大きく手を振り始める。どの子の目も輝いていた。
にゃんごろーも、笑顔で子供たちに手を振り返した。向こうからは、にゃんごろーの姿が見えていないことは、すっからかんと忘れている。
通りを行き交う大人たちも、「あら?」もしくは「おや?」と上を見上げ、目を細めていた。
空を飛ぶ卵を極端に怖がったり、警戒している素振りはない。
卵船を見るのは、これが初めてではないのだろう。
個人で卵船を所有しているものは少ないが、空を往く船として、卵船は世界に広く普及している。旅客用の卵もあれば、貨物用の卵もある。大きさも様々だ。
常春の島は、島外ともそれなりに交流があるようだ。
これならば、おとうふ探求も不思議調査もうまくいくに違いない。
にゃんごろーは「にゃふーん」と笑みを浮かべた後、「ほわっ!?」と身を乗り出した。
郊外の小高い丘に、気になりすぎる建物を発見したのだ。
乳白色の丸い建物だった。
円錐型の屋根は鮮やかな赤。その天辺だけが、ヘタのように、緑に塗られている。
「ト、トマトのお色ぉー! あれは、トマトの館に違いない! トマト博物館かも! 普通のおうちだったとしても、住んでいる人は、きっとトマト好きに違いない! ぜひ、お伺いせねば!」
にゃんごろーはトマトの館へキュインと急行した。
トマトと、ついでにお昼のサンドイッチにも入っていたキュウリは、子ネコーのころからの大好物なのだ。
トマト館に住むほどのトマト好きとトマト語りができるかと思うと、最高に胸が高鳴った。
敷地の手前で、にゃんごろーは、ふよんと卵を止める。
卵は、ふよふよと上空待機だ。
丘の下からトマトの館までは、舗装された道が通っていた。一本道だ。
館の奥には、赤と緑の模様が描かれた四角い建物と菜園らしきものが見えた。残念ながら、トマト畑ではないようだ。
白く塗られた木の柵が、館の周りをぐるりと取り囲んでいた。四角い建物と菜園も敷地に含まれている。
館の正面玄関から通りへ繋がる門の間には、石畳が敷かれていた。門と玄関を繋ぐ道となっている。玄関に向かって、石畳の右には花壇が、左手には砂利が敷き詰められていた。花壇の傍には、大きなパラソルがあり、その下にはテーブルと椅子があった。花壇を眺めながらお茶を楽しむために用意されたものなのだろう。
花壇では、人間の男性がジョウロで水やりをしている最中だった。麦わら帽子をかぶり、紺色のエプロンをしている。やや小太りだ。
あの人がトマトの館の主だろうか?
にゃんごろーは、ふより……と慎重に卵を降ろしていった。
びっくりさせては、いけないからだ。
個人のお宅だったなら、勝手に敷地内に入るわけにはいかないので、門の外に卵を止めて、声をかけてみようと思ったのだが、降りきる前に、主らしき人が浮遊する卵に気づいた。
主らしき人は驚いた顔をしたけれど、すぐにはち切れそうな笑顔を浮かべ、卵を手招き、何か言いながら、砂利の方を指さした。
そこに停めていいということなのだろうと判断したにゃんごろーは、門をくぐらず、直接砂利の上に失礼することにした。
砂利はガラガラに空いていた。にゃんごろーは、水やりをしていた主らしき人が示す人差し指の先に停めることにした。石畳を挟んで、主らしき人の正面にあたる場所だ。
ふよ……とスムーズに着地を決め、パカンと殻を開けると、主らしき人は石畳の上まで進んで出迎えてくれた。ジョウロは花壇の脇へ置いてきたようだ。
「イチゴのお宿へ、ようこそ! 旅のネコーさん! 予約はないようだけれど、宿泊でいいのかな? それとも、喫茶かお食事のご利用かな? あ、ちなみに、うちは現金だけしか取り扱ってないんだけど、大丈夫かな?」
「……………………はい、大丈夫です! 朝食付きで連泊とか、お願いできますか?」
どうやら、ここはトマトの館ではなく、イチゴのお宿だったようだ。
言われてみれば、イチゴも同じカラーリングである。それに、ここは常春島なのだから、夏野菜であるトマトよりもイチゴを模した配色だと連想する方が自然だった。トマト好きが迸りすぎて、まったく思い至らなかった。
にゃんごろーはトマトの館ではなかったことを、内心ちょっぴり残念に思いつつも、すぐに立ち直り、笑顔で挨拶をした。
イチゴも大好きだからだ。
それに、早々にネコーも泊まれる宿が見つかったのは、幸先が良かった。もふ抜け毛や金銭トラブルを嫌がって、ネコーはお断りの宿も結構多いのだ。商いを営んでいたり、人間社会で暮らしたことのあるネコーならば問題ないのだが、ネコーの社会しか知らないネコーは通貨の持ち合わせがないうえに、そもそも通貨という概念すら持ち合わせていなかったりするのだ。そういうネコーは、大体物で支払おうとすることが多かった。それでも、金銭的価値があるものでの支払いならばまだよいのだが、そのネコーにしか価値の分からない子供の宝物的なもので支払いを済ませようとするネコーもいるので、そうしたトラブルを避けるために、ネコーは一律利用お断りにしているところもあるのだ。
お宿の人が、利用を進めつつも、最後に支払いのことを心配したのは、そういうわけだった。
ちなみに、にゃんごろーは、こう見えても人間たちが営むとある組織に所属しているため、支払いについては問題なかった。なんと宿代は経費で落とせてしまうのだ。
その組織については、またおいおい語るとして……。
「ああ、しばらくは大口の予約もないし、連泊も大丈夫だよ。ただ、連泊の場合は、前払いになるよ? 一日ごとにするか、数日分まとめてかは、要相談だけど」
「わかりました! 面倒くさいから、数日分、まとめて支払います!」
「そうかい! ありがとう。それと、ごめんね。これはネコーさんだからじゃなくて、連泊を希望する旅行者のみんなにお願いしていることなんだ。連泊希望の旅行者の中には、予定よりも前にフラッと姿を消して、そのまま踏み倒しちゃう輩がたまーにいるんだよねぇ。この島は、空船も海船も便があるし、島の外に逃げられちゃうとお手上げなんだよ。港をずっと見張ってるわけにもいかないしね」
「それは、大変ですね」
申し訳なさそうな顔で、主っぽい人は言った。
旅の連泊希望者みんなに前払いをお願いしているという話に嘘はないのだろう。
だが、それはそれとして、にゃんごろーが卵船を所有していることが、連泊踏み倒し疑惑に拍車をかけた可能性はあった。
卵船は大変に高価なものだし、それを所有しているということは、それなりの財力を有していると考えられるので、相手が人間ならば、いかにも盗んだ卵ですと言わんばかりのガラの悪いやからでなければ踏み倒される心配は、まずないのだが。
所有しているのがネコーとなると、また話は別なのだ。
卵船は、魔法を動力にした船だ。そして、ネコーは魔法に長けた魔法生物だ。だから、卵船の開発元と、何らかの魔法的な取引をした場合、金銭のやり取りをせずに高価な船を入手した可能性があるのだ。となると、一度人間相手に金銭を介さない取引をした経験があるだけに、今度も大丈夫だろうと無茶な要求をふっかけてくる可能性が高いのだ。
まあ、その辺は知る人ぞ知る話なので、宿の主らしき人が、それを知っているとは限らない。ただ単に、ネコーがネコーらしく気まぐれを起こして、支払いを忘れてフラッと旅立ったりするかもと心配しただけかもしれない。
いずれにせよ、にゃんごろーは気にしなかった。
泊めてもらえるのならば、それでいいのだ。
卵船からリュックサックを取り出すと、卵の殻をパクンと閉めて、主っぽい人の案内の元宿へと向かう。
無事手続きを終え、案内されたのは見晴らしのいい三階の部屋だった。
リュックサックを床に降ろし、窓を開け、外の展望を眺めながら、にゃんごろーは感慨深くこう言った。
「イチゴミルクじゃなくて、桜ドーナツだったのか……」
丘の下に、桜並木が見えたのだ。
思い込み補正によりイチゴミルク砂糖衣だと思っていたピンクは、桜の花の色だったのだ。
ドーナツの島は、常春の名にふさわしい、桜に彩られた島だった。