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その25 大きな卵と毒のぶー

 お空の上のタンポポ野原。

 その地面の上に、小さなカーテンが生まれた。

 そのカーテンをバサァッと掻き分けるようにして。

 のぺっと、白が混じった明るい茶色のもふもふが吐き出された。


「にょ、にょふぅー…………!」


 赤黒マーブルキノコの危機から緊急回避を遂げたネコー、にゃんごろーである。

 お帽子乱舞は終わっていたし、空はまだ暗かったが、タンポポ野原は明るかった。

 異変に気付いたにゃんごろーは油断なく身を起こし、光源へと目を向け、そして。

 パパアーっと顔に大輪の花を咲かせた。


「み、みんなぁー! 来てくれたんだぁ!」


 赤黒マーブルの姿は見当たらなかった。

 代わりに。少うし離れた場所に。

 マーブルの巨体よりもずっとずっと大きな卵が転がっていた。

 にゃんごろーが所属している組織『青猫号』の卵船だ。

 傍には、にゃんごろーが乗ってきた小さな卵も転がっている。

 光の源は、大きな卵船だった。

 卵船の明かりが、辺りを広く照らしてくれているのだ。

 船の傍には、いくつかの人影があった。

 みな、背中に青い猫が描かれた水色のジャケットを着ている。

 青猫号のクルーたちだ。

 にゃんごろーに気づいたクルーたちは、にゃんごろーに向かって手を振り、それからその手をピタリと止めた後、なにやらまじまじとにゃんごろーの背後を見つめだした。


「ん? んん?」


 大きく手を振り返していたにゃんごろーは、耳上でもふっと手を止めた後、「一体何が?」と後ろを振り返り、そして。


「にょ!? にょ――――!」


 もふっと毛を逆立て、奇抜なポーズで飛び上がった。

 撒いたはずの赤黒マーブルがズドーンと背後に迫っていたのだ。


「にゃーははははははぁー! よーくもお帽子乱舞の邪魔をしたなぁー! 許さないぞーおう!」

「ひょえ――――! みんなぁー! 助けてぇー!」


 にゃんごろーは、クルーたちに助けを求め、走り出した。

 時刻はまだ、夜明け前。

 こんな時間にこんなところへやってくるなんて、にゃんごろーのピンチを察し、助けに来てくれたに違いないのだ。

 きっと、みんなにゃんごろーに駆け寄り、背後に迫る赤黒マーブルをやっつけてくれるはずだ!――――とにゃんごろーは信じていた…………が、しかし。

 誰一人、にゃんごろーに駆け寄ろうとはしなかった。

 みんな、笑ってこっちを見ている。どこか微笑ましげだ。

 背後に魔獣が迫っているというのに、緊張感というものがまるで感じられない。


「な、なんでぇ――――!?」


 にゃんごろーのもふ顔は、涙と絶望でとんでもないことになった。

 それでも、足は止めず、みんなに向かって走り続ける。

 笑っているばかりのクルーたちだが、見捨てるつもりはないようで、みんなその場から逃げ出したりはせず、立ち止まってにゃんごろーの到着を待ってくれてはいる。

 にゃんごろーは、ピカンと閃いた。


「しょ、しょうか! きっと、チャンスを狙ってるんだ! にゃんごろーが魔獣を引き付けたところで、一気に肩を漬けるつもりなんだ! 名付けて、お漬物作戦! そ、そいういうことなら、にゃんごろーだって、クルーなんだから、協力しないと!」


 にゃんごろーは、誤った知識を交えながらも、にゃごにゃごと決意を固めた。

 魔獣への恐怖よりも、仲間への信頼が勝ったのだ。

 笑っているだけのみんなを見た時は多大すぎるショックを受けたけれど、みんなが本当ににゃんごろーを見捨てることはないと、にゃんごろーは信じているのだ。知っている……と言い換えてもいいかもしれない。

 ぺしょったもふ顔をキリッと引き締め、走り続けるにゃんごろーだったが、しかし。

 そのもふ身の中で、とある異変が起こった。

 我が身に起きた異変を察知したにゃんごろーは、顔をこわばらせた。


「ま、まずい……! こ、このままじゃ…………」


 にゃんごろーは、笑っているクルーたちに向かって大声で呼びかけた。


「み、みんなぁー! 逃げてぇー! すっごい毒の、ぶーがでるぅううううううっ!」


 逃げてと叫びながら、駆け寄ってくるネコー。

 のほほんと笑っていたクルーたちの笑顔が瞬時に凍り付いた。

 けれど、それもほんの一瞬のこと。

 歴戦のクルーたちは、ただちに自らを解凍し、にゃんごろーとは逆の方向へ走り出す。

 各自、てんでばらばらに逃げ出したが、誰一人として、卵船の中に逃げ込む者はいなかった。


「あ、ああー! ぶーからは逃げてほしいけどぉー! にゃんごろーのことは、助けてほしいぃいー! にゃんごろーは、どうしたらぁー!?」


 仲間であるクルーたちが、にゃんごろーの毒のおならの被害にあうのは、もちろん嫌だ。だって、下手をしたら、命を落とす可能性だってあるのだ。逃げてほしいというのは、心からの願いであり、叫びだった。

 けれど、いざみんなが蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ出すと、その現実はものすごく鋭く胸に刺さり、えぐりこんできた。

 涙がドバっと溢れてきて視界が曇り、つらい現実はすぐに滲んでよく分からなくなったけれど、足元もおぼつかなくなった。


「あうっ!」


 にゃんごろーはタンポポに足を滑らせて転んだ。

 にゃんごろーに怪我はなかった。

 にゃんごろーよりもタンポポの方が甚大な被害を被っている。

 にゃんごろーに、怪我はない。

 けれど、にゃんごろーは立ち上がれなかった。

 にゃんごろーのお尻に、差し迫っているものがあったからだ。


「あ、ああー! 出るぅー! 3・2・1…………」


 ぷぃぃいいいいぃぃぃぃいいいいいいぃぃいぃいぃいいいいいん…………ぶぱっ!


 蚊が飛ぶような音が大音量で響いた後、破裂音が轟いた。


「…………はふう。しゅっきりしたあぁあ……」


 にゃんごろーがムクリともふ身を起こした。

 やり遂げた爽快感で、もふ顔は輝きに満ちている。

 腰に両手をあて、にゃんごろーは「はふう」と大きく息を吐いた。

 背後の脅威のことは忘れていた…………が。


「……ォ……オオオォ……ォ……オオ……」


 断末魔チックな唸り声が聞こえてきて、振り返る。

 そこには、お怒り戦闘モードを解除した赤黒マーブルキノコがいた。

 黄色で描かれていた怒り顔は、今は凪いでいる。

 目も口も、ただの横線だ。

 お休み省エネモードに切り替わっていた。


「…………ほ、ほう? こ、これは、つまり! にゃんごろーのぉ、ぶーの、大・勝・利ぃー!」


 にゃんごろーは、もふもふもふーっとポーズを決めた。


「しまらない勝利だな……」

「にょふふぅ。お尻の穴は、キュッとしめておく!」

「それは、本当に頼む。…………てゆーか、お友達は大丈夫なのか?」

「ん? お友達?」


 毒のおならによる二次被害を恐れ、若干距離を取りつつも、散り散りになっていたクルーたちが集まってきた。

 その内の一人、若手の男性クルーが、にゃんごろーと軽口をたたき合った後、心配そうに尋ねて来た。

 その視線を辿って、にゃんごろーはビシッと固まった。

 赤黒マーブルのカサの上に、すっかり見慣れたピンクグレーがうつ伏せで痙攣しているのが見えたのだ。

 にゃんごろーを助けようとして、ぶー災害に巻き込まれてしまったのだ……とにゃんごろーは思った。

 にゃんごろーは気まずそうに目を逸らしながら言った。


「…………人には毒だけど、ネコーには、ただの臭いおならだから、大丈夫」

「それは……大丈夫だけど、大丈夫じゃないな」


 若いクルーは、気の毒そうな顔で、カサ上のピンクグレーを見上げた。

 にゃんごろーは、気まずさを誤魔化そうと話を逸らした。


「そ、それで。みんなは、どうしてこんな時間に、こんなところへ? まさか、本当ににゃんごろーのピンチをさっちゃんにして?」

「誰だよ、さっちゃん。別に察知したわけじゃ……ないこともないが」

「ん? どっち?」


 錯乱中は都合のいい夢を見たが、落ち着いてみれば「さすがに、そんなわけないか」と思い直したにゃんごろーが、それでも一応尋ねてみると、クルーは微妙に言葉を濁した。


「難攻不落だった太古の塔への侵入ルートを見つけたって報告はこっちにも来てたから、こっちの仕事が終わったら、様子を見に行く予定ではあったんだよ」

「ほうほう」

「ちょうど、今日の夕がた……いや、もう昨日か、仕事が終わって、一晩休んでからの予定だったんだけど、おまえが『毒のキノコを食べた』とか錯乱した連絡入れてくるから、急遽様子を見に行くことにしたんだよ」

「あー。そういえばー、そうだった」


 塔のことは業務の一環として、毒のキノコのことは、この悲しみを誰かに伝えたくて、青猫号本部に報告を入れていたのだ。

 微妙に距離を置いたままのクルーから「で、どういうことだったんだよ?」と詳しい報告を求められ、にゃんごろーはにゃんごろー流に詳しい事情を説明した。クルーは、にゃんごろーの扱いに慣れているようで、適宜訂正を入れつつ、難なく事情をくみ取ってくれた。


「おまえ、ごはんの恩人に、ものすごく臭い屁を……」

「うん。恩をアダダしちゃった。謝らないと…………」


 話を聞き終えたクルーは、にゃんごろーに避難の目を向け、にゃんごろーも反省して項垂れた…………が。

 ほどなくして臭気から回復した魔法釣りネコーの正直な暴露により、立場は逆転した。

 魔法釣りネコーが臭気の暴力の餌食になったのは、にゃんごろーを助けようとしたからではなく、にゃんごろーを揶揄って遊ぼうとしたからだと本ネコーの自己申告により判明したためだ。


「もう! 恩をアダダだと思ったら、自業お得だったんじゃん!」

「うん。ごめん。ものすごく臭かったし、全然お得じゃないけど、ごめん。ちょっと、やり過ぎた」


 魔法釣りネコーによれば、赤黒マーブルの本体が何のためのものなのかは不明だが、にゃんごろーを散々に震え上がらせた仕掛けの数々は、ネコーの魔法によるイタズラとのことだった。

 言われてみれば、直接的な攻撃は何もされていない。

 にゃんごろーがひとりで勝手に震え上がっていただけで、どれもこけおどし的な威嚇ばかりだった。

 それで、キノコ本体には何の脅威もないと知った魔法釣りネコーは、魔法で操って、もうちょっとにゃんごろーで楽しませてもらおうとして、自業自得の憂き目にあってしまったのだ。

 ちなみに、クルーたちがのんびり笑っていたのは、カサの上に寝そべって高笑いを響かせているもふもふに気づいて、ネコー同士がじゃれ合っているだけだと思ったからだった。

 そうして、魔法釣りネコーが仕掛けた最終茶番に片が付くと、チームリーダーらしき年配の女性クルーが、パンと手を叩いて、皆の注目を集めた。


「はい! それじゃ、今日はもう、遅すぎるけど早すぎる微妙な時間だし、一旦休みましょう! しっかり休んでごはんを食べて、英気を養ってから、太古の塔の調査! ですよ! 許可もバッチリ! もぎ取って来ましたしね!」

「はい!」

「はーい!」


 女性クルーがウキウキと「就寝しましょう!」と告げると、不思議ハンターが我先にと威勢のいいお返事をし、なぜか魔法釣りネコーもそれに続いた。調査の一員にちゃっかりと紛れ込むつもりのようだ。

 しかし、反論の声もツッコミの声も上がらなかった。むしろ女性クルーは「逃がさん!」とばかりにキランと目を光らせ、さりげなーく魔法釣りネコーを大きな卵船へと誘導した。

 出会ったばかりの魔法釣りネコーの乱入を歓迎しているようだ。

 賑やかな一行は、卵の先頭部のハッチから卵の中にひとりずつ吸い込まれていった。

 もちろん、ネコーたちも、だ。

 ハッチが閉まると、タンポポ野原に静寂が訪れた。

 ほどなくして、卵の光がフッと陰る。


 ネコーたちの長い夜は、こうしてひとまずの終わりを告げた。


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