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その20 春の魚と野生の粗塩レモン

 ふわん、といい香りが漂ってきた。

 皮が焼ける、香ばしい匂い。

 ついに、魚が焼き上がったのだ。


 ジュルン――――と何かを啜り上げる音が響いた。


 魔法釣りネコーは、「くふん」と笑いを零すと、木の枝で作った串を一本ずつ両手に構える。

 すると、焼き上がった魚は、くるんと炎の海の中を一回転してから魔法の炎から飛び出して、串の先にパクリと食らいついた。そのまま串を飲み込みながら、前進していく。串は魚のお尻側から飛び出して、魚の串焼きスタイルが完成した。


「ほ、ほおおおおおう! これは、新しい、焼き魚の、スタイルぅー! 焼いてから、串に刺す! 斬新! 初めて、見たぁー! ネコーっぽぉーい!」

「ふふ、そう? 最初は、ボクも串を刺してから焼く人間スタイルだったんだけど、それだと串が熱くなっちゃうし。炭にしちゃったこともあったし。だから、焼いてから串を刺す方針にしたんだ。串がない方が、炎の中に住んでいる魚がユラユラ泳いでいるみたいで、見ていて楽しいしね。こっちの方が、焼き上がるのを待っている間、退屈しなくていいんだよね」

「なるほどー。うぅーん、炎の水槽の中をユラユラしながら、じっくりと焼き上げられていくお魚ぁ。これぞ、ネコー流って感じぃーん♪ す・て・きぃん♪」


 にゃんごろーは、つい先ほど春色ネコーに「これだからネコーはぁ!」と騒ぎ立てたことを忘れ、ネコーの流儀を褒めちぎりながら、差し出された魚串をもふりと受け取った。


「ありがとーお! それでは、さっそくぅ♪ いっただっきみゃっ♪」

「ふふ。どうぞ、召し上がれ?」


 にゃんごろーは、魔法釣りネコーにお礼を言うと、串を両手に持ち、さっそく焼き魚にかぶりついた。カロリーバーを腹に収めたとはいえ、魚の焼けるいい匂いに煽られて、食欲の炎は、いい感じに燃え上がっていたのだ。

 にゃんごろーは「くわっ」と大口を開け、魚の腹へ大胆に歯を突き立てる。いい感じに焦げた皮を突き破る、パリッと心地よい感触。身は、しっとりしつつもふわふわと柔らかい。ほど良く脂がのっていて、旨味が強い。塩加減もちょうどよかった。

 これが、春の魚か!――――と、にゃんごろーは感動した。

 焼き加減と塩加減も素晴らしかった。春の湖で暮らす魚の持ち味を引き立てている。

 一度、絶望の底の底まで叩き落された後だけに、喜びもまたひとしおだった。

 にゃんごろーは、歓喜し、感涙した。


「春の湖には、春の恵みがいっぱいぱいなんだねぇ。春の恵みを頂いて、このお魚も、こんなに丸々と美味しく育った。このお魚の中には、春の恵みが詰まっているぅ! 春の美味しさが詰まっているぅ! 春のお味! 恵みのお味! お口の中で、美味しさが芽吹いていくぅーん♪ お魚は死んじゃったけど、その美味しさが、にゃんごろーのお口の中で生きているぅー♪ 春の恵みよぉー、ありがとぉーん♪ お魚さんも、生まれてきてくれて、ありがとう! にゃんごろーは、今、お魚さんのおかげで、幸せです! 春の喜びがお口とお腹に染み渡るぅ♪」


 二口、三口と焼き魚の腹にむしゃぶりつき、涙を流しながら味わったにゃんごろーは、もふ顔を夜空に向け、「はふはふ」しながら感謝を述べた。

 いつものおとうふ語りと一味違うのは、いくつものおとうふ的苦難をくぐり抜けて来た末に辿り着いたおとうふ的幸福だからなのだろう。


「ん、んふっ、ふっ……。あ、そうそう、これ。これも、よかったら、使ってみて?」

「ほにょ?」


 にゃんごろーの感激ぶりがツボにハマり、食べるよりも笑いを堪えるのに忙しかった魔法釣りネコーが、「はい」と何かを差し出した。同じものが、魔法釣りネコーのお尻の脇にいくつも転がっていた。魔法釣りネコーは、その内の一つを魔法で半分に割って、片割れをにゃんごろーに差し出してきたのだ。にゃんごろーは、頭側の串から手を離し、それを受け取った。

 それは、半分に割られたネコーの手のひらサイズの果物のようだった。濃いオレンジ色をしている。小ぶりのミカンだろうか?――――と、にゃんごろーは手を鼻に近づけ、ふんふんと匂いを嗅いでみる。


「ほわっ!?」


 匂いはレモンに似ていた。にゃんごろーが知らない柑橘系の果物ではあるのだろう。見た目は小さなミカンだが、ミカンのような甘さは感じられない。そして、レモンに似てはいるが、レモンともまた一味も二味も違うようだ。なんというか、匂いが濃いのだ。にゃんごろーが普段食べているレモンよりも野性味が強い。ガツンと鼻を通じて脳髄を揺さぶるような刺激的な匂い、夏の盛りを思わせる匂いだ。それは、爽やかな紳士ではなく、野性味溢れる雄の匂いだった。そして、なぜかそこに混じる潮の匂い。その果物からは、塩の匂いが感じられた。香りではなく、匂いだ。冬の荒波を思わせる力強い潮の匂いが、微かに……ではなく、確かに混じっているのだ。

 にゃんごろーは、「はわわぁ~」と震えた。

 この春の焼き魚に、夏と冬を思わせる果汁を振りかけたら、一体どんなおとうふ反応が起こるのか?

 にゃんごろーは、齧りかけの焼き魚を、まじまじと見下ろす。

 焼き魚は丸々と太っていて、ネコーの大口を開けても小さな一口では、骨まで到達出来ていなかった。皮には、ちょうどいい塩梅の塩が振ってあった。皮のパリッとした香ばしさと相まって、絶妙にして最高の塩加減だ。けれど、それは塩が効いている皮ごと食べればこその最高なのだ。それが故に、骨に近い部分の身だけの一口は、そのまま食べたら物足りないことになっただろう。

 しかし、にゃんごろーが身をもってそれを知る前に救いの神が現れたのだ。

 至れり尽くせりのおもてなしだった。

 春の焼き魚に夏と冬の果実を合わせることに不安はなかった。

 これだけ美味しく魚を焼ける魔法釣りネコーが差し出したものなのだ。

 間違いなんて、あるはずがなかった。

 ゴクリ、と涎を飲み下し、にゃんごろーは剝き出しの白身にキュッと果実を絞った。

 まずは一滴。

 匂いからして、かけ過ぎたらむしろ大惨事になることは容易に想像できたからだ。

 逸るおとうふ心を抑え、夏と冬を垂らした春にそっと齧りつく。

 期待を滲ませつつも神妙さを取り繕っていたもふ顔に、ビカーッと電流が走った。

 にゃんごろーは、もふっと立ち上がり、お尻を左右に振り出した。尻尾も激しく揺れている。


「んー! んふぅー! んん――――!」


 堪えられない味だった。

 欲張らず、一滴だけ垂らしたのは大正解であり大成果だった。

 見た目も匂いも、あまり春っぽくない夏と冬を思わせる果物なのに、皮つきの一口よりもむしろ春の旨味が感じられた。

 春の湖に住む魚は、夏と冬の野性味をしっかりと受け止めていた。

 白身魚だが、淡白ではない。いい匙加減のくどすぎない脂がのっている。そして、しっかりとした旨味がある。

 だからこそ、なのだろう。

 春の魚は、夏と冬に、まったく負けていなかった。見事に受け止めていた。

 にゃんごろーは実感していた。

 春とは、暖かく優しいだけの季節ではないのだ。

 穏やかに見えても、その実、たくましく力強い。

 生命が芽吹き、育まれる季節なのだ。

 そして、ここ常春の島ではそうではないが、本来、春とは冬と夏の間に挟まれた季節だ。

 過ぎ去りし冬と夏が訪れる予感が、より一層、春を春たらしめるのだ。

 生命の力に溢れた春の一口をもふ身の奥に取り込み終えると、にゃんごろーはお尻フリフリダンスを止めて夜天を仰ぎ、「はわぁぁぁぁあ……」と歓喜の吐息をもらした。そして、完全に息を吐ききってから、ストンと腰を下ろす。


「これ、すっごい果物だねぇ! 小さいミカンみたいなのに、匂いは野生の荒々しいレモンで、その中にしっかりと冬の寒さ厳しい荒波っぽい潮の匂いがして、野生の粗塩レモンって感じぃ! なんかね! 優しい春がふきとばされちゃうんじゃない?――――って思わせておいて、それが! むしろ!」

「うんうん……ふ、ふくっ……」


 はしたなくも食べながらの踊りを披露した挙句、大人しく座ったと思ったら、両手に持った焼き魚串と果物をグワッと夜空に掲げて熱弁を振るうにゃんごろー。魔法釣りネコーは、それに呆れたりせず、優しく…………というか、完全に面白がっていた。笑いを堪えるのに忙しく、自分の焼き魚は、ほぼ手付かずだ。

 食べ慣れた焼き魚よりも、突然のおとうふ乱入者のおとうふ乱痴気ぶりを味わう方が楽しいのだろう。


「外からは穏やかに見えるけれど、激しくて厳しい、肉・肉・お肉ぅ!――――な世界が繰り広げられているはずの湖の中でたくましく生き延びて来た、このお魚の美味しさを引き立てているぅ! てゆーか! この! 野生の酸っぱいのと、荒々しいしょっぱさが、この魚の本当の美味しさを教えてくれた! すごい! ありがとう!」

「…………肉・肉・お肉?……………………あ。弱肉強食のことだね?」

「肉・肉・お肉ぅ!」


 熱弁の途中で、控えめな訂正が入ったが、にゃんごろーは自説を貫いた。単に、魔法釣りネコーの訂正が耳に入っておらず、そのフレーズが気に入ってしまっただけの可能性もあった。

 にゃんごろーの熱弁は、まだ続いた。


「春は、優しいだけじゃなくて! いろんな美味しいものが、ぶわわって生まれてくる、強くたくましい季節! お花が綺麗で可愛いだけじゃない! アクの強い、春の山菜が美味しく育つ季節でもある! 優しいだけが、美味しさじゃない! それを、この果物が、教えてくれる! お口とお腹で、春・満喫!」


 口上を終えるとにゃんごろーは、はしたなく振りかざしていた両手を降ろし、春の白身に夏と冬の一滴を絞って「はむっ」と齧りつく。もふ顔が「はぉおお……」とだらしなく緩んだ。

 にゃんごろーは、もはや魔法釣りネコーの存在を忘れ、おとうふをおとうふに楽しみつくした。

 皮にも一滴を絞って、「ほう? これはこれで……」と目を見開いたり、ギュギュギュッと過剰に絞った一口の過激な刺激に「ほわおぅっ!」ともふ毛を逆立てながら伸び上がったりと、とにかく春と、春の夏・冬添えを楽しみまくった。

 そうして、綺麗な骨が出来上がった頃には、すっかり満腹になっていた。

 にゃんごろーは、口の中から串が飛び出た魚の骨を地面に置くと、もふ手をぽふんと合わせて、「ごちそうさま」を告げた。

 おとうふの真っ最中は、時に羽目を外すこともあるが、おとうふの始まりと終わりだけは、常に礼儀正しいのだ。

 魔法釣りネコーの方は、まだ食べている途中だった。焼き魚の身は、半分ほど残っている。

 にゃんごろーは、マイペースに自分の焼き魚を味わっている魔法釣りネコーの改めてお礼を言い、そして気になっていたことを尋ねた。


「ごちそうさま! すっごく美味しい焼き魚だった! お料理、上手なんだねぇ? ところで、この果物は、なんていう果物なの? にゃんごろー、初めて見たし、食べたよ?」

「ん、知らない」

「…………え? 知らないの?」


 にゃんごろーは、目を瞬かせた。

 食べている時は食べることに夢中でそれどころではなかったが、食べ終わったら、初めて食べた野生的に刺激的な果物のことが気になって尋ねてみたのだが、口をもぐむぐさせながらの魔法釣りネコーの答えは、思ってもみないものだった。

 常春ドーナツ島特有の果物なのだろうとは予想していたが、まさか名も知らぬ果物をすすめられたとは思わなかったのだ。しかし、魔法釣りネコーらしいと言えば、らしいかもしれなかった。美味しくて、食べても問題ないのなら、名前などどうでもいいのだろう。

 そう納得して、それ以上知ることを諦めたにゃんごろーだったが、魔法釣りネコーは口の中のものを飲み下すと、知っている情報を教えてくれた。


「塔の近くの森に生えてる野生の果物なんだよ。外周の島には、生えてないみたいだね。てゆーか、ボクも他のネコーに教えてもらったんだよね。ここで魚を釣ってたら、分けてくれて。これだけで食べると『ぐわっ!?』ってなる味だけど、湖の魚にちょっとだけかけるとすごく美味しくなるよって言われて、やってみたらその通りだったんだよ」

「へえー! そうだったんだ。確かに、いっぱいかけっちゃった時は、エグ味もすごくて、体が『にょーん!』って伸び伸びになったもんねぇ。ちょうどいい量だと、春のカーニバルゥって感じで、春が引き立つんだよねぇ。なんか、あの野性味が、春は優しいだけじゃなくて、美味しい命が生まれる力強い季節なんだって思い出させてくれるんだよねぇ。それと!」

「うん?」

「果物から感じる、夏の予感と冬の名残が、過行く春の尊さを教えてくれるっていうか……」

「その夏の予感と冬の名残かぁ。それは、ボクにはよく、分かんなかったな」

「ええ? あ! そうか! ずっと春の島に住んでるから、夏と冬を知らないのか!」

「うーん。知識としては知っているけど、体験したことはないなぁ」


 にゃんごろーは、常春ネコーと旅ネコーの季節感常識の違いに驚愕し、興奮した。

 この相違は、とても興味深いと思い、その思いを叫びにのせる。


「これが、いわゆる、カチカチのぉ胃袋!」

「価値観の相違ってヤツだね」


 カチしか合っていない相違に、魔法釣りネコーは冷静にツッコミを入れた。

 にゃんごろーはそれを耳から耳へとサラリと流し、もふりと腕を組み、もふもふと頷きながら、何やらまた自説を繰り広げ出した。


「なるほど。つまりこれは、常春の実! 春しか知らない島に残された、たった一つの春じゃない味の名残! 夏と冬があるからこそ、春はよりいっそう美味しくなる。それを、春しか知らないみんなに教えるために植えられた果物なんだよ!」

「やー……。昔から四季のある和国との交流はあったし、他の季節の野菜や果物も取り寄せたりはしてたんじゃないかなぁ……?」


 魔法釣りネコーは、控えめに物申した。

 けれど、その言葉もまた、スルスルスルンとおとうふネコーの耳から耳へとすり抜けていくのだった。


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