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その18 春になったネコー

 オイル漬けか炙りキノコかの選択を迫られた時には、リサーチ不足だったかもしれないと、なんとなく察していた。

 ガラス瓶の中のキノコとザルの上のキノコ以外に食材らしきものは見当たらなかった。調理器具らしきものも。調味料らしきものすら。どこかに収納されているわけでもないし、調理する場所が別にあるわけでもなさそうだった。

 はっきりと説明されたわけではない。けれど。


 この店で提供される料理は、オイル漬けキノコか炙りキノコの内、どちらか一品だけなのだ。


 つまり、ここは舌と腹の両方を満たすための食事処ではなく、舌だけを満たすための特別な一品料理を供するための店なのだ。

 キノコ料理を夕ごはんにするもつもりでお腹を空かせてきたことを、にゃんごろーは後悔した。そうと知っていれば、軽く食事を済ませて来たのに、と思った。

 満腹でも空腹でもない、ほど良い加減の腹具合の時に至高の一口を味わい、余韻に包まれながら帰路につき、スケッチブックに想いをぶつけ、浸りながら眠りにつく。

 それこそがおとうふ最適解であると、おとうふ頭脳が導き出したのだ。

 お腹は今、ペコペコにペコッていた。

 それもまた、最高の調味料にはなってくれるだろう。しかし、問題はその後だ。空腹を抱えたまま至高の余韻に浸れるかと聞かれたら、答えは否だ。問答無用で否だ。否としか答えられない。といって、空腹を満たすために別のお店で食事をしたら、せっかくの至高が上書きされてしまう。それは、大変にもったいないことだ。

 かといって、出直してきますとも言いづらい。

 にゃんごろーは、己のリサーチ不足を深く反省しつつ、腹をくくった。

 今回は、空腹を調味料にして、至高の一口を味わうこの一時をとことんまで堪能し、余韻はまたの機会に楽しもうと腹をくくったのだ。


 余韻を捨て、今を楽しみ尽くす。


 おとうふ方針を大胆に転換したのだ。

 そうと決まれば、この一口をどこまでも味わい尽くす所存だった。

 期待は高まりに高まっていた。

 この一口の中に、春キノコの美味しさのすべてが詰まっているのだ。

 食事であることを捨て、たった一口の中に春の美味しさのすべてを詰め込んだ。

 こだわりにこだわり抜いた一品。

 究極にして至高の一品にして一口なのだ。

 食事ではなく、娯楽としての美味しさに振り切った一品。

 なんとも潔い。

 その店主の心意気すら、調味料のようだ。


 にゃんごろーは大きく口を開け、「あむん」と炙りキノコを頬張った。

 むっむっむっ……と口が動き…………なぜか眉間に皺が寄っていく。

 ゴクリと喉が動き、そして。


 ぽわぽわぱわぁ――――っと、もふ顔に春が咲いた。


 目を見開き、もふ毛を震わせるおとうふネコー。

 もふ身の中で、春が生まれていた。

 キノコが喉を滑り落ちるのと同時に、春が生まれていた。

 にゃんごろーは、ふるふると震えながら、春に身を任せる。心を任せる。


 春の放流に呑み込まれていた。

 体のあちらこちらで、何かが芽吹くような気配を感じた。

 もふ身から芽が出て花が咲いていくような、そんな感覚。

 陽だまりにいる時のようにホカホカと体が暖まり、清々しい青臭さを含んだ心地よい波動が風のように吹き抜けて、それから甘い鼻の香りが、ほわっと香った。

 鮮やかな緑の中にいた。

 輝くような緑。

 白い光の線が走る。

 白い光の線がいくつも走って、時に交差する。

 淡い黄色やピンクの水玉が生まれた。

 海の中の泡のように踊る黄色やピンク。

 やがて色が弾けると、また新しい黄色やピンクが生まれて、育っていく。

 生まれては、弾け。

 弾けては、生まれ。

 鮮やかに輝く緑を彩っていく。

 これが、春なのだ。

 にゃんごろーの中で、生まれた春。

 にゃんごろーは、春になったのだ。

 にゃんごろーは、春を飲み込み、春に呑まれ、春になったのだ。


 ああ――――と溺れそうになった時、パチンっと何かが弾けた。

 春の魔法が弾けて消えたのだ。


 にゃんごろーは、パチパチと瞬く。

 魔法の春は消えて、現実の春がそこにはあった。

 鮮やかな緑の葉っぱで作ったドームとカウンター。

 そして、シュガーピンクの春色もふぁネコー。


「す、素晴らしい春の魔法だっ……」

 ぐるぐるきゅるぅうううん……。


 がさりと立ち上がって叫んだ感想に腹の音色が被った。

 感激のもふ顔は、「ハッ!」と何かに気づいたもふ顔になった後、愕然のもふ顔になった。

 にゃんごろーは、猛烈に襲い掛かって来た空腹感と共に己のリサーチ不足を痛感していた。

 心とお腹の両方で痛感していた。

 愕然のおとうふネコーは、震えながら春色ネコーに尋ねる。


「も、もしかして、このお店は、キノコ料理を楽しむためのお店じゃなくて、春キノコの春魔法を体で感じるためのお店…………?」

「ん? そうだよん? 何を今さらなのよん?」

「あ、やっぱりぃん……」


 にゃんごろーは、がっくり項垂れた。

 素晴らしい体験ではあった。

 体中に満ちる春の魔法は、素晴らしく心地よかった。

 けれど、お腹は満ち足りない。いや、それは、食べるちょい前に何となく察していたから、まあいい。覚悟の上だ。

 にゃんごろーをがっかりさせたのは、そこではない。

 がっかりさを加速せてはいるが、そこではないのだ。


「春キノコって、ぜんぜん美味しくないんだね……」

「ああ、そうなのよん。美味しさの代わりに、この島の春の魔法が、みっちり詰まっているキノコなのよん」

「うん。甘くて香ばしい、とってもいい匂いがしてたのに、スカスカでモサモサで、何にも味がしなかった……」

「オイル漬けとか炙りとか、一応ひと手間かけてはいるけど、全部、春の魔法を味わうためのものなのよん」

「うう…………」


 にゃんごろーは思い出してペショペショに萎れた。

 期待外れもいいところだった。

 味も量も、おとうふ的には大外れだった。

 おとうふネコーとして大失敗だった。

 だが、仕方がない。

 すべては己のリサーチ不足が招いたことだ。

 切なくも騒がしい腹の音色が、ペショペショ気分に拍車をかける。


「まあ、何か行き違いがあったみたいだから、お代の方はいいのよん。趣味でやってるお店だから、気持ち程度しかもらってないし、何にも困らないのよん」

「ううん。思ってたのとは違うけど、お店で一品いただいた以上は、ちゃんとお支払いはするのん。どうやって払えばいいのん?」

「現金でも物でも魔法でも、なんでもいいのよん。これくらいだなって思った量でいいのよん」

「分かったのん。それじゃあ、えーと……」


 微妙に口癖感染しながら、にゃんごろーはお代をどうしようか考える。

 春色ネコーは払わなくてもいいと言ってくれたが、そういうわけにはいかなかった。味の方は残念以外の何物でもなかったが、春キノコによる春魔法体験は素晴らしいものだった。いずれにせよ、提供を受けた以上はちゃんと対価を支払うつもりだった。

 けれど、春色ネコーはお金に困っているというか、お金を必要とする生活はしていなさそうだ。

 ならば…………。


「ねえ、春キノコを一本、もらってもいい?」

「いいわよん。一本くらいならあげるわよん」

「ありがとう! じゃあ、もらうね! それじゃあ…………んーにゃ!」


 にゃんごろーは、春色ネコーに断って春キノコを一本譲り受けた。

 黄色と黄緑のストライプ柄のジクと水色に白い三日月柄のカサを持つキノコだ。

 にゃんごろーは、譲り受けたキノコを葉っぱカウンターの上に置いた。そして、葉っぱの上で横たわるキノコにもふ手を翳し、にゃごにゃごと呪文のようなものを唱える。

 キノコの周りで、ぐるりと魔力が渦を巻いた。

 

 シュパア――――っと光が走った。


 そして、光が消えると、キノコも消えていた。

 代わりに、葉っぱカウンターの上には、まあるい球が転がっていた。

 ネコーのもふ手よりも、ちょっと大きい球だ。

 透明なガラスのような球の中には、春が閉じ込められていた。


「ほよん? これは、魔法石(まほうせき)なのよん?」

「そうだよん。これは観賞用で、魔法の道具には使えないけどねん」

「いやいやいや、これを道具にするなんてもったいないのよん」

「そ、そーおん?」


 春色ネコーに褒められて、にゃんごろーは照れりと笑った。

 魔法石とは、ネコーだけが作れる、文字通り魔法の石のことだ。その辺にある適当な材料を魔法で加工し、魔力を帯びた石に変えるのだ。材料に何を使うのか、そして出来上がった魔法石の魔法力の強さや魔法効果は、作り手のネコーの力量だけでなく気分による。なので、安定供給は難しく、だからこそ質の良い魔法石は、人間の魔法使いが高値で買い取ってくれる人気の品だ。

 にゃんごろーが所属している青猫号には、クルーの要望通りの魔法石を作ってくれる魔法石専門のネコーがいるが、そういうネコーは極めて稀で、大変に重宝されている。

 しかし、残念ながら、にゃんごろーが作った魔法石は、魔法の触媒には向かない、どちらかといえば観賞用の石だった。魔力を帯びてはいるが、その魔力は石の芸術性を高めるために使われていて、他の用途への応用が難しいのだ。

 単純に、観賞用として一級品過ぎて、触媒にしてしまうのがもったいない、という理由もある。

 まあ、とにかく。


 春キノコを材料にして作った石の中には、春が詰まっていた。


 材料にしたキノコではなく、さきほどにゃんごろーが体感した春だ。

 鮮やかな緑色をした透明なガラス玉の中で、春が芽吹いている。

 白い光の筋が走り、時に交差する。

 黄色とピンクの水玉が泳ぎ、踊り、弾け、新しい水玉が生まれる。

 弾ける瞬間は、花が散るようでもあった。

 球が帯びる魔力は、この春のショーを開催するために使われているのだ。


「あ、でも、お店の春キノコを材料にしちゃったから、お代にはならないよね。となると、やっぱり現金でお支払いを…………」

「いやいやいやん! 十分なのよん! これ、とんでもなく素晴らしいのよん! これが、あなたが感じた春なのよん? それを見せてもらえて嬉しいのよん! それに、これ、お店のインテリアにちょうどいいのよん! 春の魔法のインテリア、最高なのよん!」

「ほんと? なら、よかったのよん♪」


 どうやら、満足してもらえたようだ。思っていたよりも喜んでもらえて、にゃんごろーも嬉しくなる。

 出来れば、春色ネコーが体感した春がどんなものだったのか聞いてみたかった。

 さきほどの口ぶりからすると、春色ネコーが感じた春は違う春だったのではないかと思えるのだ。

 しかし、腹の虫が盛大に抗議をしていた。

 お題についての交渉をしている間からずっと、「早く食べ物をよこせ!」と騒いでいるのだ。大変に騒々しい。

 春色ネコーも苦笑していた。

 早く腹の虫を満足させねばとお暇を告げるにゃんごろーを春色ネコーは快く見送ろうとドアを開け…………たところで、慌てたように引き留めた。


「あ、ちょっと待つのよん! 言い忘れてたのよん!」

「え?」

 

 腹の虫を黙らせるため、外に向けて大きな一歩を踏み出したにゃんごろーは、焦った声に何事かと振り向いた。

 足と手を大きく開いたまま、くにょんと顔だけを後ろに向けているネコーに向かって、春色ネコーは大焦りの早口でまくし立てた。


「春キノコは、魔法の毒キノコなのよん!」

「う、うん?」


 それはキノコを食べる前にも聞いたし、覚悟の上だと伝えたはずなのだが?

 にゃんごろーは、きょとりともふぁもふぁの春色ネコーを見つめる。


「普通の毒キノコと違う、魔法の毒なのよん! 魔法が強すぎて、人間が食べると魔法中毒で死んじゃうこともあるのよん。ネコーでも、あんまり魔法の処理が上手じゃないネコーだと、パーンってなって、気を失っちゃったりするのよん」

「そ、そういう毒なんだ。でも、にゃんごろーは、大丈夫だったよ?」

「問題は、その後なのよん!」

「ほえ?」


 お腹の虫は鳴きっぱなしだったが、にゃんごろーは次なるお店を探しに行きたい気持ちを宥めすかしてカウンターに向き直り、カウンターの向こうにいる春色ネコーと対面する。


「体の中に吸収された春魔法はね、どういう理屈でそうなるのかは分からないのだけど、毒のおならになってお尻から出ちゃうのよん」

「ほ、ほえ? ど、毒のぶー!?」

「そうなのよん! でも、安心してなのよん。この毒のおならは、ネコーにとっては、ただただ臭いだけで、体に害はないのよん。でも、人間が嗅いだらまずいのよん。死んじゃうこともあるのよん。だから、おならが出るまでは、人間がいるところには行ったらダメなのよん」

「…………え? そ、それで、その毒のぶーは、いつ頃、にゃんごろーのお尻から……?」


 にゃんごろーは、顔を引きつらせた。

 すぐに出るのなら、森の中で一発放ってから、ごはんを食べに行けばいい。けれど……。

 

「個ネコー差があるから、はっきりしたことは言えないのよん。まあ、でも、たぶん、今夜から明日の午前中にかけてだと思うのよん。ちなみに、大きいのが一発出たらおしまいなのよん」

「ひょ……しょ、しょんにゃ。こんなにお腹が空いてるのに、にゃんごろーは、お店に入れない……? 宿にも帰れない? 今夜中に出なかったら、明日の朝ごはんも、抜き……? しょ、しょんにゃ、しょんにゃ……。う、うう。ひどい……ひどいよう! こんな大事なこと、どうして食べる前に教えてくれなかったのー! もー! これだから、ネコーはぁ!」

「ええー? 自分だってネコーのくせになのよん」


 夕ごはんどころか明日の朝ごはんも抜きかもしれないと判明し、にゃんごろーは半泣きでわちゃもちゃと両手を振り回し、春色ネコーに苦情を申し立てた。しかし、春色ネコーは取り合わない。そんなことを言われても困るのである。

 にゃんごろーは、絶望して本格的に泣き出した。

 腹の虫も盛大に鳴いて、大合唱が始まった。

 さすがに気の毒になった春色ネコーが夜食を分けてあげようかと言おうとしたのだが、その前に。


「うわーん! ばかあー! お腹空いたよーう! うええ――――ん!」


 にゃんごろーは、捨て台詞とお腹の叫びを喚き散らしながら店を飛び出してしまった。

 

「…………行っちゃったのよん。今日のお夜食は、山菜の炊き込みご飯で握った自慢のおにぎりと絶品卵焼きだったんだけど…………ま、仕方がないのよん」


 春色ネコーは、サッと手を振り、騒々しいネコーが出て行った入り口を葉っぱで塞いで壁にした。

 捨て台詞と共に飛び出したりせず、礼儀正しくお暇を告げてから退出しようとしていれば、間に合った春色ネコーの好意で美味しさのご相伴にあずかれたかもしれないのに、大変座年な結果となってしまった。


 おとうふネコー、大敗北の巻――――なのだった。


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