その10 魔法釣りのネコー
屋台のラーメン堪能後に仕入れた長いお鼻の塔の新情報を確かめるべく、次の日。
にゃんごろーは朝食を食べ終わると、ワクワクと胸を高鳴らせながら卵船に乗り込み、塔へと向かった。
そうして、あらためて気づいたことがある。
長鼻タンポポの塔は、ドーナツ島の輪の中に広がる湖の中心から、そのままドーンと空に向かって伸びているものだとばかり思っていたのだが、湖の中央には、もう一つ小さな島があったのだ。塔は、その島の真ん中から天へとそびえ立っていた。
「ふーみゅぅ。ドーナツは、二つあったのか。こんなに重要なことを、今まで、見逃していたなんて……。にゃんごろーは、おとうふネコーとして、失格かもしれにゃい……っ」
内側のドーナツ上をふよふよ飛びながら、にゃんごろーは卵の中でクッと目を閉じた。
にゃんごろーは、不思議ハンターとしての初動調査不足ではなく、おとうふ慧眼の足りなさを悔やんでいるようだ。
内側の島も、ドーナツの輪と同じサイズの塔が輪をみっちり埋めるように生えているのだと捉えれば、二重のドーナツ島と言えないこともなかった。
「でも、だからこそ! おとうふをバンザイするために、気合を入れねばぁー!」
にゃんごろーは、両手を上げ、カカーッと目を見開いて誓いを立てた。
確かに万歳をしているが、おそらくは「おとうふを挽回する」と言いたかったのだろう。
にゃんごろーは、手を降ろすと、もふりと腕を組み、卵船前面に映し出されたドーナツ映像のおとうふ調査を始めた。
「ふーみゅみゅう……。外側の大きいドーナツは、桜ドーナツだけれど、内側の小さいドーナツは、お抹茶ドーナツ……? いや、違う。お抹茶よりも緑が鮮やかな感じがする。つまり、これは、爽やかな清々しさが香り立つ新茶ドーナツ!?」
ネコーの言う通り、小ドーナツには桜の木がなかった。瑞々しくも鮮やかな新緑の木々がドーナツの上を覆っている。ネコーは大小の植生の違いについて、おとうふに思いを巡らせた。
「桜ドーナツと新茶ドーナツ。どっちも、美味しそうー。これは、どちらから、いただくべきぃ……? これは、難しい問題だ! それに、合わせるお茶を何にしようか問題も、ある! 桜ドーナツだけなら、お抹茶ミルク一択だけど、新茶ドーナツもあるとなると、うぅーん、悩むぅ……。ほうじ茶ミルク? いや、いっそ、新茶ドーナツをお茶の代わりに……? いやいや、ドーナツは、ドーナツとして食べる、べき! お茶の代わりなんて、お茶にもドーナツにも、失礼! おとうふネコーとして、そんなことは、ダメダメダーメェ! となるとぉ、うぅーん…………は!? お茶にこだわるから、難しいんじゃない? 冷たいミルクという手がある! それだ!」
解決策を導き出したネコーは「にゃはっ」と笑顔になり、片方の肉球を突き上げた。
それが、たとえ食べられないドーナツだとしても、おとうふネコーとして決着をつけねばならない問題だったのだろう。結局、飲み物が決まっただけで、どっちから食べるのか問題は解決していないのだが、その辺りは忘れてしまったのか、ネコーは満足そうだ。
上機嫌なネコーを乗せて、卵は新茶ドーナツの上をふよふよふよーんと飛んでいく。
まずは一周回ってみて、それから降り立つつもり…………だったのだが。
「ほわ? あれは、ボート? 誰かいるのかな? どこ? どこ? どこー?」
湖岸に一艘のボートが停泊していた。
鮮やかなピンクのボートに白い曲線が軽やかに描かれている。波のようにも、風のようにも見える。ボートの近くの岸辺では、ピンクグレーのシュッとしたネコーが、ひとりで釣り糸を垂らしていた。
「ネコーの釣り人ぉー! 釣りネコーだぁー! 行ってみよーっと!」
にゃんごろーは、ふいんと卵船を操り、ボートから少し離れた岸辺に停めた。
着地と同時に、卵はパカッと口を開き、待ちきれないネコーが飛び出してくる。
卵は上手に着地を決めたが、ネコーの方は足を滑らせ転びそうになった。しかし、持ち前のバランス感覚で微妙なポーズにはなりつつも、転倒だけは免れる。
にゃんごろーは、「ふー」と安堵……というよりは、一仕事を終えたかのような満足の息を吐き出した。吐き出し切ると、今度はパッと笑顔になる。
「こーんにーちはぁー!…………はっ!?」
それから、大声で挨拶しながら、手を振ってピンクグレーの釣りネコーの元へと駆け寄ろうとしたが、「はっ!?」と口に両手を当てて、大股を広げたポーズで立ち止まった。
大声を出しては、釣りの邪魔をしてしまう……と、叫んでから気づいたのだ。
釣りネコーは、湖に釣り糸を垂らしたまま、にゃんごろーへ顔を向けていたが、騒がしいネコーの登場を怒ってはいないようだ。穏やかに微笑みながら挨拶を返してくれた。
「こんにちは。素敵な卵のお船ですね」
「ありがとうございます。これは、あなたのボートですか?」
「はい。そうです」
「このボートも、とっても素敵です! 特に、この白い線! 波のようにもぉ♪ 風の道筋のようにも見えてぇ♪ 素晴らしいーん♪」
丁寧な口調の釣りネコーに合わせて、にゃんごろーも少し畏まった……が、長くは続かなかった。釣りネコーのボートを誉めている内に興が乗って、波のように手をくねらせて踊り出したのだ。
釣りネコーは、突然踊り出したネコーに驚いて目を見開いたが、それを咎めたりはしなかった。むしろ、嬉しそうだ。
「ありがとう。このボートは、ボクが色を塗ったんです」
「えー? そうなのーお? にゃんごろーも、お絵かき大好きぃ!」
「そう……なんだ。お絵描き、いいよね」
「うん! にゃふふー」
「ふふ」
にゃんごろーは踊りを止め、ほわっと笑った。口調は完全に素に戻っている。釣られたように、釣りネコーの言葉も砕けたものになった。同好の士を見つけた喜びに、ふたりは笑い合う。
「ここは、何が釣れるの?」
「えっと…………お魚だよ」
「ん? うん。えっと、何のお魚?」
「んー、うん。お魚」
「ええー?」
「お魚は、お魚じゃない? 今日食べる分が釣れて、それが美味しければ、それだけでよくない?」
「はっ!? それは、確かにぃ!」
ピンクグレーの釣りネコーは、穏やかで落ち着いていて、なんでも知っていそうな雰囲気を醸し出していたが、意外とそうでもないようだ。
ここでは、どんな魚が釣れるのかを知りたかったにゃんごろーは、釣りネコーのふわっとざっくりした答えに食い下がったが、最後は“ざっくり理論”に納得させられていた。
もふっと腕組みをして、何やら「うん、うん」と頷いている。
「そうか、そうだよね。そういう、おとうふの道もあるよね。にゃんごろーは、どんな種類のお魚なのかなー、とかも知りたいタイプのおとうふだけど。でも、それがお魚であれば、種類とか名前とか気にしないで、丸ごとおとうふに愛する。そういうおとうふの愛もあるよね。うん、うん。いろんなおとうふが、あっていい!」
どうやら、そういうことのようらしい。
釣りネコーは、「おとうふとは何ぞや?」の顔で不思議そうに首を傾げはしたが、特に追及はしてこなかった。おとうふには、興味がないのだろう。
その代わり、釣り話の続きをしてくれた。
「お魚と、それからね? ここでは、魔法が釣れるんだ」
「ほわ⁉ ほわわわわ!? ま、魔法が、釣れる……?」
不思議ハンターは、垂らされた話のエサに食いついた。
釣りネコーを見つめる瞳は、キランキランに輝き、鼻息はフガフガと荒い。
「ネコー相手じゃなければ、こんな話はしないんだけどね?」
「ほ、ほうほうほうほうほう?」
わざとか、わざとじゃないのか。
焦らしてくる釣りネコーに、にゃんごろーは高速で相槌を打った。
釣りネコーは、ネコー釣りを存分に楽しむことにしたようだ。
「この島の名前を知ってる?」
「ずっと春の島! でも、見た目は二重ドーナツの島! 桜ドーナツと、新茶ドーナツ! 美味しそう! 飲み物は、冷たいミルクを所望します!」
「そう。常春島。その名の通り、この島はずっと春なんだ」
釣られたネコーはエサに食いついたまま、バシャンバシャンと腕白に跳ねて、話に新たな波紋を呼んだ。しかし、釣りに慣れている釣りネコーは、さすがの釣竿さばきを見せた。釣られたネコーのおとうふ話に惑わされず、マイペースに話の主導権を握っていく。
不思議ハンターとして不思議話に食いついたはずなのに、にゃんごろーは不思議ハンターの仕事を忘れ、ただのお豆腐ネコーになっていた。しかし……。
「この島にはね、春の魔法がかかっているんだよ」
「……………………ほ、ほにょ!?」
にゃんごろーは、不思議ハンターとしての使命を思い出した。
竿をさばいて暴れる魚の力を受け流しているような、はぐらかしているともとられかねない発言だったが、にゃんごろーはそれを聞いて魔法釣りの真相に辿り着いた。
「つまり、あのボートの模様は…………?」
「そう。正解。湖で釣った魔法をイメージして描いたんだよ。やっぱり、ネコーは話が早いね」
にゃんごろーが、ひよひよの髭をフルフルに震わせながらボートへお顔を向けると、釣りネコーは目を細めて頷いた。
「ほぅおおおおおお…………! なりゅほろ、なりゅほろ。ピンクは、春の魔法がぶわぁ!……な感じで、白い線は、魔法の波紋……波動……まだ生きてる魔法ってことか……。だから、このドーナツは、ずっと春のドーナツのままなのか……。ほうほう……ふむふむ……」
にゃんごろーは、ボートに近づき、しげしげと眺めまわす。
あらためて近くで見てみると、全体に塗られているピンクも一色ではなかった。ピンクはピンクなのだが、明度と彩度が多様に展開していた。ぼんやりと滲むように変化してく明と彩。くっきり鮮やかな春もあれば、朧に霞む春もある。そして、空からでは気づかなかったが、ボートにはピンクと白の他にも、若緑が散っていた。
弾ける水滴のような若緑の小さな粒が、パッと散っているのだ。
ピンクも白も若緑も。そのすべてが。
法則があるようでいて、でも、どこか無秩序で。
曖昧で絶妙なバランスだった。
それは、魔法釣りネコーが湖に垂らした釣り糸から感じた、春の魔法だった。
釣り糸の先に感じた魔法を絵に描く。
それが、ネコーの魔法釣りなのだ。
はっきりと言葉にしなくても、にゃんごろーは、それを感覚的に理解した。
「ふふ。やっぱり、こういう話は、ネコーとするに限るよね。勝手に分かってくれるもの。人間だと、どういう意味とか、どういうことか説明しろとか煩くて、面倒くさいんだよねぇ」
魔法釣りネコーは、ボートの周りをウロウロしながら、しゃがんだり立ち上がったりしている不思議ハンターを目の端で追いつつ、小さく笑った。
ネコーにとって魔法とは、小難しく考えるものではなく、感じるものなのだ。
「ふみゅ。不思議は、すべて紐解いたぁ!」
「ふーん?」
やがて、不思議ハンターはウロウロを止めた。自分なりの不思議結論に到達したようだ。
魔法釣りネコーは興味深そうに眼を瞬き、それから、不思議ハンターをしっかり目に捉える。
「つまり、ドーナツの島は、春のお料理好きのための島! 春の素材が、ずっと採れるように、ドーナツには、『ずっと春の魔法』がかけられたのだぁ!」
「…………ふっ」
「これも、また! 一つの、おとうふ! 春のお料理への愛! それが、このドーナツ島の魔法の正体! 春の魔法は、究極の、おとうふ魔法だったのだぁー!」
「お、おとうふ……ふふ……は、よく分からないけど、随分と、食いしん坊な魔法だなぁ…………。ふ、ふふ。おとうふふふぅー、ふふふふふ」
にゃんごろーは、自らのおとうふぶりではなく、不思議ハンターぶりを自画自賛しながら、クルクルと踊り出した。
魔法釣りネコーは、おとうふを不思議がりつつも、サラッと無自覚におとうふ真実に辿り着いていた。
しかし、それよりも。
おとうふの響きが気に入ってしまったようで、というか「おとうふふふぅー」と笑うのがツボに入ってしまったようで、釣竿を揺らしながら、「おとうふふふぅ」と笑い続けた。
本日は、素敵なおとうふ魔法が釣れそうである。