音を探す冒険
カノンは八歳。
カノンの今年の年末は、まったくもってついていませんでした。クリスマスを迎えるちょっと前に、インフルエンザにかかってしまったのです。
クリスマスは高熱のまっただなか。いつのまにか大きな白いくまのぬいぐるみが枕もとにあったけど、サンタさんがきてくれた実感がぜんぜんわきません。それよりも、サンタさんにインフルエンザをうつしてしまわなかったかしらと気が気ではありませんでした。
それに、クリスマスケーキも鳥の丸焼きも食べられませんでした。前に絵本で見たことのある、鳥の丸焼きを食べてみたいっておかあさんに言ったら、じゃあ今年はカノンのためにチャレンジしよう!っておかあさんもはりきっていたのです。だけどカノンが熱をだしていたから、病院へ行ったり、つきっきりでカノンについていてくれたので、鳥の丸焼きどころではなかったでしょう。
今日は一年の終わりの大晦日です。でも、カノンの家は大変なことになっていました。あろうことか、インフルエンザをおかあさんにうつしてしまったようなのです。
いつも元気なおかあさんは、ベッドの中で熱いと言ったり寒いと言ったりしています。カノンはおかあさんが心配でたまりませんでした。
おとうさんは朝からたくさんの電話をかけていて、病院やってた?ってカノンが聞くと、おとうさんはむずかしい顔をして首を振りました。
「病院、やってないの?」
「やってはいるんだけどね……ものすごく待たされるらしいんだ。」
「待つってどれくらい?」
「わからないって。」
「わからない!?」
「最低でも三時間。今病院にいる患者さんが重症だったら、夜になるかもって……。」
「夜ですって……!?」
カノンは気が遠くなりました。カノンが病気になった時は、おとうさんかおかあさんがすぐに病院へ連れて行ってくれます。だけど、そんなに時間がかかることなんて一度もありませんでした。
「そんなに待たされるんじゃ、今以上に症状が悪化してしまう。」
「あっか……?」
カノンにはよくわかりませんでしたが、おかあさんにとってよくない状況なのは確かなようです。そんな中、おとうさんは真剣なまなざしをカノンに向けました。
「カノン。おとうさんはこれから、おかあさんに必要なお薬や飲み物なんかを大急ぎで買ってくる。カノンはそのあいだ、おかあさんの看病をしていてくれるかい?」
「うん!!」
おとうさんがいないのはものすごく心細かったのですが、カノンは元気に返事をしました。だっておかあさんが病院へ行けないのなら、今必要な物を用意しておかないと大変です。
「汗をかいていたらタオルでふいて、お水って言われたらお水をあげて、寒いって言ったらおふとんを肩までしっかりおおってあげるんだぞ。」
「わかったわ!!」
「じゃ、たのんだよ。」
おとうさんは急いで立ち上がり、庭の方でブルルン、という音がしたかと思ったらあっという間に遠ざかっていきました。
★★★
カノンは静かにおかあさんのもとへ寄りました。その時丁度おかあさんの目があいて、うつろな目をカノンにむけました。車のエンジンの音で気がついたのでしょう。カノンはちょっとだけほっとしました。おかあさんは、もうこのまま目を覚まさないんじゃないかと思っていたのです。
「おかあさん、具合どう?」
「お水……お水ちょうだい。」
「うん。」
カノンはおかあさんの半身を起こして、枕元にあったペットボトルをおかあさんの口にあてがいました。
「ふう……ありがと。おとうさん、出かけたの?」
「うん。」
「病院?」
「ううん。病院はいっぱいだから、お薬と飲み物を買ってくるって。」
「そりゃそうだ。って、カノン!!」
「なに!?」
「あ、あんた、はなれなさい!!うつるじゃないの!!」
「うつんないよ。」
「うつんない?……そうよね、うつんないよね……それはよかった……うお、さむっ!!」
「おかあさん、さむいの!?」
「な、なんか、いきなり強烈に…………。」
「わかるわ。」
カノンはおかあさんを寝かせ、ふとんですっかりくるみました。それでもまだ小刻みにふるえていたので、自分のおふとんと客間にあるお客さん用のものを全部かけました。そうしたらようやく、おかあさんはすうすうと眠りについたようでした。
★★★
コンコン、という小さなノックのような音がして、カノンは窓を振り返りました。カノンはそっと窓辺に寄りましたが、もちろん窓をノックしている人などおりません。ここは裏庭に面しているため、用事があったら玄関をピンポンした方が早いでしょう。その時また、カサコソ、という音がして、カノンが目をこらしてみると、鉛色の空から雪が降り始めたようでした。
カノンが住んでいるところは、雪が当たり前のように降る場所ではありませんでしたが、この冬はとてもよく降ります。カノンは急におとうさんが心配になりました。おとうさんは、雪が降ると運転が大変だと言っていたのを思い出したのです。その時カノンの耳に、コンコンというノックのような音がまた聞こえました。
カノンはそっと玄関を出て裏庭へ回りました。おそらく降り出した雪による何かの音だとは思いましたが、誰もいないということを確かめたかったのです。ゆっくりと足を運んで、息を殺して辺りを見渡します。それを何度か繰り返して、ようやく戻ろうとしたところで、
「お待ちよ。」
という声が聞こえました。カノンが恐る恐る振り返ると、そこにはとても変ないきものがいました。
背の高さはちょうどカノンの膝丈くらい。真冬だというのに裸足で、ゾロッとした白いネグリジェのようなものを着ています。しかもその背中からは、蝶のような透明な羽が生えているのです。一見天使のように見えなくもないのですが、なんとその顔はおばあちゃん。
カノンは驚きのあまり、変ないきものを見つめたまま口がきけませんでした。変ないきものは、ギスギスした金属のような声でカノンに話しかけてきました。
「なんてまぬけづらしてるんだね?」
「お……おばあちゃん?」
「おばあちゃん!?失礼な!!」
「ああ、ごめんなさい!!ひいおばあちゃん!!」
「ムッキー!!」
「うわ、飛んだ!!」
「飛ぶさ、羽があるんだから!」
「ご、ごめんなさい!!よく覚えてないのだけれど、ひいおばあちゃんがそんなお顔だったような気がして。」
「ふうん、そうかい。」
カノンが素直に謝ったので、変ないきものはちょっと気をよくしたようでした。
「アタシは音の妖精オトハ。」
「音の妖精?」
「そう。お前は?」
「私はカノン。」
「カノンか。お前がアタシを呼んだのかえ?」
「私があなたを呼んだ?」
「アタシは音の妖精だから、困っている子供のところへ呼ばれる。だけどお前は困っていないみたいだね、間違いじゃな、ではさらばじゃ。」
「待って――!!」
カノンは必死でオトハをつかまえました。だけど去ってゆくオトハの片足をつかんだため、オトハは何度もブルンブルンと宙がえりをするはめになってしまいました。
「ウギャ――!!目が回る、目が回る――!!」
「ごめんなさい!!でも私、本当に困っているの!!」
「分かった、分かったから!!」
「逃げない?」
「なんでお前から逃げる必要があるんだね!?とにかくアタシを、あのサザンカの木の下におきなさい!!」
「サザンカ……?」
カノンが言われたとおりにオトハをサザンカの木の下へおくと、彼女はよたよたと木に抱きついて、スーハーと深呼吸をしました。
「オトハ……?」
「なんじゃ?」
「大丈夫……?」
「大丈夫に決まっとるがな!うーん、それにしてもサザンカの音、いい音じゃな……。」
「サザンカの音……?」
そのとたん、オトハはくるりとこちらに振り返りました。
「アタシは音の妖精、オトハ!オトハはいい音が大好きじゃ!」
「はあ。」
「で?お前はなんに困っとるんじゃ?」
「あの、おかあさんがインフルエンザにかかってしまって!とっても苦しそうだから早くよくなってほしいの!!」
「ふうん、そうかえ。」
「助けてくれる?」
カノンがそうたずねると、オトハは大きな目でギョロリとカノンを見ました。
「助けてやってやらなくもなくもなくもなくもない。ただしそれには条件がある。」
「じょうけん?約束みたいなことかしら?」
「そのとおりじゃ。」
「なにかしら?」
オトハはえっへんとせきばらいをしました。
「オトハは音の妖精じゃ。願いをかなえるために、アタシに好きな音をたくさん聞かせる必要がある。」
「うん、オトハはどんな音が好きなの?」
「一つ、お前の笑い声
二つ、雪がふりつもる音
三つ、星がひかる音
四つ、やかんの水がわくちょっと前の音
五つ、犬のいびき
六つ、赤ん坊の大きな泣き声
七つ、時がうごく音
これをぜんぶ聞かせてくれたら、いや、お前が聞くことが出来たら、願いを叶えてやらなくもなくもなくもない。」
「わかったわ!!」
カノンはすぐに返事をしました。本当はあんまりよくわかっていなかったのですが、迷っている時間はありません。カノンは、いっこくも早くおかあさんによくなってほしいのですから。
「一つ目は簡単ね、私の笑い声。あは、あはははは!!」
「笑っとらん!!」
「そうね、むずしいわね。おかあさんがこんななのに、とても笑う気持ちになれないわ。」
「聞けそうなやつから聞いておけ。」
「ええ。二つ目の、雪がふりつもる音、これは聞けそうだわ。」
カノンは口をつぐんで空を見上げました。鳩の内側にはえている毛のような雪が、あとからあとからふってきます。あんまり綺麗なので、カノンは自分の立場を忘れて思わず手を伸ばしました。雪の結晶がセーターの上にふりつもり、その形のままこぼれていきます。
……サ……サ……サク………………サン♪
なんていい音なのでしょう!!
カノンがオトハを振り返ると、彼女も気持ちよさそうに耳を傾けているようでした。
「一つクリアじゃな。」
オトハはにっこりと笑いました。カノンも嬉しくなって笑いましたが、急に不安になりました。雪がふりつもる音以外は、なんだかむずかしそうです。
「さあ、次はどれじゃ?」
オトハがわくわくした様子でたずねましたが、カノンは考えこんでしまいました。
「星がひかる音……は、今は無理ね。夜じゃないし厚い雲があるもの。」
「やかんの水がわくちょっと前の音なんかはどうじゃ?」
「やかんは見たことがあるけどうちにはないの。電気ケトルだもの。」
「つまらん家じゃなあ!」
「………………。」
「犬か赤子は?」
「うーん、おともだちのレナちゃんちには犬も赤ちゃんもいるけど、私が行ったらいやがられるかもしれないわ。インフルエンザでずっと学校を休んでいたんだもの。」
「姿が見えなきゃいいだろう?」
「姿が見えない?そんなことできるの?」
「えっへん!アタシは音の大妖精オトハ!!カノン、アタシの羽にそっとおさわり。」
カノンはそうっとオトハの透明な羽にさわりました。
「よし!これでお前は透明になった!誰からも見えない。」
「そうなの!?」
「では、レナちゃんちとやらへ行こうではないか!!」
「わかったわ!レナちゃんちは大通りの向こう側だからちょっと遠いのだけど――。」
「ううむ、まどろっこしい!!」
オトハはカノンの手をとって飛び上がりました。
「キャ――!!何これ!?飛んでる――!?」
カノンは空を飛んでいました。カノンの家がみるみるうちに小さくなっていきます。
「キャ――!!キャ――!!キャ――!!すごぉ――い!!」
「気に入ったか?」
「うん!!キャ――!!あはは!!楽しーい!!」
「お前、もう一つクリアしたな。」
「え?」
カノンは空の上で、オトハと顔を見合わせました。
「お前の笑い声、オッケーじゃ。」
★★★
二人はレナちゃんの家の前に降り立ちました。カノンは、姿が見えないのはいいけれど、どうやって中に入ればいいのかしらとなやんでいました。すると、
「ここでいいんじゃな?」
オトハが振り返って念をおしました。カノンがうなずくと、オトハはずんずんドアに向かって歩いていきます。そしてそのまま見えなくなってしまいました。ああ、そうか。透明ってことはドアも通り抜けられるのか。カノンは感心しながらオトハのあとに続きました。
ギャ――――!!
ドカ――――!!
キュィ――――ン!!
ビュィ――――ン!!
レナちゃんの家に入った途端、あまりの音の多さにカノンはたちくらみがしました。そこには三十人くらいの人がいて、てんでばらばらな音を立てていたのです。
「おれ、株で大儲け!!」
「わたしは競馬ですっからかんよ!!」
「おじさん、あの土地買わなくて本当に正解でしたわ。」
「びっくりしちゃったわよ!お嫁さんがおとこなんだもの!」
「ガラは水から煮たてていいんでしたよね?」
「マロンはどこだー!!」
「あなた飲みすぎよ!!」
「あたし子供生まれた。お祝儀ちょうだい。」
「ぼくは人間ドックで一回休みだって。」
「この辺のものはみんな知っとる。」
「それがすごい綺麗なの!」
「おかあさん、お茶が十個、焼酎が十個でいいんですよね?」
「テキトー、テキトー、その前にお湯を沸かしておくれ。」
「新しい保険に入る?そんな余裕ないのに。」
「白い着物を着て立っててさ。」
「美容法とか教えてくれないかしら。」
こんなにたくさんの音を聞いたことがないカノンは、クラクラしながらオトハを探しました。だけど彼女は楽しそうに飛び回っていて、声をかけていいものかためらわれます。カノンは反射的にレナちゃんを探しました。
「わたし、副業が大当たりだって!!ギャハハ!!」
なんだか声を掛けられる雰囲気ではありません。
カノンは冷静に、犬と赤ちゃんを探すことにしました。
いました、いました!!
犬どころか猫もいます。石油ストーブの前で、黒猫は柴犬によりかかり、柴犬はラブラドールに寄りかかり、この騒音の中で三匹は気持ちよさそうに寝ています。
カノンがゆっくりと近付こうとした途端、肩に気配がありました。
「カノン、もう少しでお湯がわくぞえ!」
「まあ、本当!?」
二人は大急ぎでやかんの前に立ちました。
……シュ……シュシュ……シュルル………………シュン♪
なんていい音なのでしょう!!
からだを温めるための、優しい予感にみちています。
二人は笑いながらハイタッチをしました。
「オトハ!わんことにゃんこがねているの!!」
「そうかえ!!赤子は!?」
「ああ……赤ちゃんはわからないわ。とりあえずわんこよ!ねているんだもの!!」
「そうじゃな!」
二人は静かに石油ストーブへ近付きました。
……ニャ……ニャグ……ニャニャニャ………………ニャン♪
……ブゥ……ブブ……ブウブウブウ………………ブン♪
……ブゥ……ブヒ……ブヒブヒブヒ………………ブヒン♪
「かわいー。」
三匹の前で、カノンは思わず笑顔になりました。オトハも嬉しそうに聞き耳をたてています。
「でもオトハ、これでいいのかしら?」」
カノンは急に心配になりました。
「にゃんこはわかるの。でも私、犬のいびきって初めて聞いて……。」
「初めて聞いて?」
「これではまるでブタだわ!!」
「ヒャッヒャッヒャッ!!」
「犬なのにブウブウでいいの!?」
「いいんじゃよ!!犬のいびきにはかわりないじゃろ?ヒャッヒャッ!!」
オトハがあまりにも大笑いをしたせいで、ラブラドールは何かに気付いたように急に立ち上がりました。ラブラドールをまくらにしていた柴犬も俊敏に立ち上がります。その上に乗っていた黒猫は、安眠を妨害されて猛烈に怒っていました。シャーッとおたけびをあげながら、しっぽに火がついたような勢いで部屋の中を駆け回りました。
黒猫が走り回って若い男の人の肩を蹴り、ぐらりと体勢が傾いた腕の中で、耳をつんざくような泣き声が響き渡りました。
……ア……アア……アアア………………ア――――――!!
オトハが大急ぎで近づくかたわらで、赤ん坊が元気に泣き叫んでいます。
ア――――!!ア――――!!ア――――!!
「最高の音じゃな!!」
「そ、そうなの?」
泣き叫んでいる赤ちゃんを見ると、少しかわいそうな気もします。
「そりゃあそうさ。お前、これだけ泣けるか?」
「泣けない。」
「そうだろうよ。これは命をもやす音なのじゃ。」
オトハにそう言われると、カノンもそんな気がしてきました。赤ちゃんにとっては、泣くことでしか気持ちを伝える手段がないのですから。
「ほれ泣け!!もっと泣けーい!!」
オトハの音頭に合わせて、カノンも手拍子します。
「ア――――!!ア――――!!ア――――!!」
「ヒャッヒャッヒャッ!!素晴らしい音じゃな!!」
「あ、おばさんが来た。」
赤ちゃんとレナちゃんのおかあさんがこっちへ来て、男の人の腕からひょいと赤ちゃんを抱き上げました。おばさんは優しく笑いながら赤ちゃんに話しかけます。
「どうしたのかなあ?元気ないいお声ですねー。」
「アウアウ……。」
「元気、元気。元気でえらいですねー。」
「アア……アウ……ウウウ………………ウン♪」
おばさんが赤ちゃんをゆらゆらさせると、赤ちゃんはふたたびすやすやと眠ってしまったようでした。
「さてと。」
赤ちゃんが眠る様子をにこにこして見ていたオトハは、ピョンッといきおいよく立ち上がりました。
「さてと、ここで聞くことができる音はこれくらいのようじゃな。」
「そうね。」
「あと何が残っておる?」
「えっと、星がひかる音と時がうごく音。」
「ならば、外へ出た方がいいじゃろう。」
カノンは、すたすたと歩き始めるオトハに続いて、レナちゃんの家をあとにしました。
★★★
「もうこんなに遅いの!?」
カノンとオトハが外へ出ると、辺りは夕闇がせまっていました。ふっていた雪はすっかりやんで、澄んだ空気にみちています。
カノンは急に心配になりました。カノンが家にいないことを知って、おとうさんとおかあさんはどんなに心配していることでしょう。それに、おかあさんの看病をするっておとうさんと約束したのに、カノンは守れていません。カノンは急に家に帰りたくなりました。オトハにそう言おうとすると、
「あせるんじゃないよ。」
オトハはぎょろりとした目をカノンに向けてそう言いました。
「あと二つだ。あと二つの音を聞けたら、お前のおかあさんはよくなるんだ。」
オトハの目を見て、カノンは覚悟を決めました。どんなに心配されようと、今おかあさんのそばにいられなくても、あと少しでおかあさんの病気はよくなるのです。
「そうね。……星がでてるわ。」
カノンは青闇に目をむけました。
「いちばんぼし、にばんぼし、さんばんぼし……ううん、もっといっぱいあるわ!」
「そうじゃの!どれ、音を聞こうじゃないか。」
「ええ!」
二人は輝きがましてゆく星々を見つめました。闇がこくなるにつれて、さえざえと光る星の音が聞こえてきます。
……♪……♪♪……♪♪♪………………♪
なんていい音なのでしょう!!
カノンはいままで、星の音を聞いたことがありませんでした。見てはいたのですが、聞いたことはなかったのです。
「星がひかる音ってこんなに素敵なのね。」
「そうじゃろ、そうじゃろ。」
オトハはとてもうれしそうです。
「あとは、時がうごく音だけじゃな。」
「時がうごく音……いったいどんな音なのかしら。」
カノンは頭をかかえこみました。時がうごく音なんて、どうやって聞けばいいのでしょう。
「カノン、下をむくでない。上を見るのじゃ。」
「上?」
カノンが上をむくと、そこには美しい夕焼けがありました。
太陽が一年の最後の光を投げかけ、それを受けた雲はさまざまな色にそまっています。だいだいいろ、ももいろ、うすむらさき、あいいろ。あおい絵の具を少しずつ溶かしていくかのような夕闇はさらに濃さをまして、光る星々はさっきよりもいっそう力強い音をかなでています。
西側の空を見ると、太陽がゆっくり、本当にゆっくりと沈んでいきます。夜と交代する直前の、鮮烈な光が真横から大地を照らしています。
カノンはぎゅっと手をにぎりました。
「私、時がうごく音を聞けると思うわ。」
「ならば聞け。」
カノンは、こくいっこくと沈んでゆく太陽を見つめて、耳を傾けました。
……♪……♪♪……♪♪♪………………♪
なんていい音なのでしょう!!
こんなにいい音が、いつもカノンのまわりを取り巻いていたなんて!今までちっとも気付きませんでした。
「全部クリアじゃな。」
オトハはにっこりと笑いました。
「これで、お前のおかあさんはすっかりよくなる。」
「ありがとう、オトハ!」
「礼にはおよばん。では、アタシはじゅうでんしに帰るかな。」
「じゅうでん?」
「いちばんパワーのある音は、あのおひさまじゃ。」
「おひさまでじゅうでん?」
「そうさ。特に今日は特別な日じゃからの。では行くか。」
「オトハ、また会える?」
「お前がいい音を聞けるならばいつでも会える。」
「よかった。また会おうね、ありがとうオトハ!」
「おう!」
オトハはカノンに手を振って、地平線に半分沈みかけている太陽に向かって飛び立っていきました。
太陽とともに見えなくなっていくオトハを見送ったあと、カノンは急いで帰らなくちゃと足をふみ出しました。その時ふと気付いたのです。
あれ?暗くない?
太陽が沈んだら、夜になるはずです。
カノンは自分の家の庭で、空を見上げていました。
★★★
雪が降っています。
いったい今はいつなのでしょう。夜をとばして翌朝になってしまったのでしょうか。
その時表の方で、おとうさんが車をとめている音が聞こえました。おとうさんはカノンが家にいないことを知って、探し回っていたのかもしれません。カノンは大急ぎで玄関へまわりました。
「おとうさん、ごめんなさい!!」
車のドアが開くと、カノンは泣きそうな声でおとうさんにあやまりました。おとうさんは、そんなカノンの顔を見てびっくりしています。
「どうした、カノン?おかあさん悪いのか!?」
「え……?」
おとうさんをよく見ると、手に買い物袋をいっぱい持っています。どうやら、おとうさんが買い物に出かけたころに、時が巻き戻っているようです。
「え……あ……おかあさん、寒いって。」
「そうか、それは心細かっただろう。さ、中へ入ろう。」
「うん。」
カノンはちょっとうしろを振り返ったあと、おとうさんと家の中へ入りました。
二人が帰ると、おかあさんがちょうどからだを起こしたところでした。カノンはおかあさんに駆け寄ります。
「おかあさん、大丈夫?」
おかあさんはにっこりと笑いながらうなずきました。
「なんか、だいぶいいみたい。心配かけてごめんね。」
カノンはほっと胸をなでおろしました。オトハはちゃんと約束を守ってくれたのです。
「何かほしいのある?」
おとうさんは買い物袋をざっと開きました。
「スポーツドリンク。」
「はい。」
おかあさんは手渡されたスポーツドリンクをごくごくと飲みほしました。そして、ふうっと息をつきました。
「二人とも、本当にごめんね。」
「君のせいじゃないだろ。」
「カノンのせいだよ、カノンがおかあさんにインフルエンザをうつしたから!!」
「カノンのせいでもないよ。」
「そうよ。」
おかあさんは優しい顔で、カノンの頭をなでてくれます。
「カノンのせいじゃないわ。おかあさん、ちょっと頑張りすぎちゃったみたい。」
「そうだよ。」
おとうさんも横でうなずいています。
「君は忙しすぎだよ、仕事だってあるのに予定をいっぱい入れて――。」
「反省してますって。やみあがりなんだから怒らないでよ。」
「…………。」
「来年はもっとゆるやかにいこう。それで、カノンとすごす時間をもっと増やすんだ。」
「本当!?」
カノンは嬉しくて、胸がきゅーんとなりました。
「本当よ。おかあさん、寝込みながらいろいろ考えたんだ。学校を頑張ったり自治会を頑張ったりするのって、カノンのためによいような気がするけどそうでもない。私にとって一番大切なことは、今カノンとすごす時間なんだって。」
「いいじゃないか。カノンの習い事ももう少し減らしたら?」
「そうね。何に興味を持つかわからないって色々やらせちゃったけど、カノンと話し合いながらもう少ししぼっていこう。それとも、カノンには何かやりたいことがあるのかな?」
「え?」
急に話をふられて、カノンはどぎまぎしました。
「えっと、えっと、私は――。あっ!」
カノンはやりたいことを思いつきました。
「私、お料理したい!」
「お料理!?料理教室にでも通いたいの?」
「そうじゃなくって!私、おかあさんがお料理する音が好きなの。おかあさんのお手伝いがしたいの!」
「そう!」
カノンは、ふわっとおかあさんに抱きしめられていました。いつものおかあさんのいいにおいがします。
「ありがと。いっぱい手伝ってね!」
「うん!」
「じゃあ今年は、いや、来年は、カノンといろんなメニューに挑戦してみよう!」
「おかあさん、あれつくろう!」
「あれ?」
「鳥の丸焼きとくりきんとん!」
「よっしゃ!」
「おいおい、君たち。」
張りきっているカノンとおかあさんを、おとうさんはたしなめました。
「それはおかあさんが完全によくなってからの話だよ。君は今日、四十度まで熱があがっていたんだから。」
「はい。四十キロでも走れそうな気がするけどおとなしくしています。」
おかあさんは素直にうなずきました。
「おとなしくしているけど……今年のお正月は何も用意ができなくて申し訳ないわ。」
おかあさんは肩をおとしました。
「おせちが届いてたよ。」
「そう。でもほんのちょっぴりだもん。」
「おもちは?」
「ないよ。」
「カニとイクラは?」
「ありません。」
おかあさんはしょんぼりしています。おとうさんは、そんなおかあさんの横にすわって、おかあさんの手をとりました。
「だから!そんなに頑張らなくっていいんだよ!」
「頑張っているわけじゃ――。」
「コンビニ祭りしよう!!」
「コンビニ祭り!?」
しんけんな目をして、おとうさんはとうとつに言い出しました。カノンとおかあさんはびっくりして、ポカンと口をあけました。
「おとうさんはこれからコンビニへ行って、にさんにち過ごせそうなご飯を買ってくる!」
「そんなあなた、帰ったばっかりなのに――。」
「おかあさんが元気ならば、おとうさんだって元気ひゃくばいだ!」
「でも、コンビニってけっこう高いわよ?」
「カニとイクラより高い?」
「た、高くない……。」
「だろ?君はらくをして早く元気になるんだ。」
「ありがとう……。」
おかあさんは涙ぐみました。
「買ってきた物は、ゼリーとか野菜ジュースとかチンするおかゆなんかだけど、おかあさんは何が食べたい?」
「き、金銀のハンバーグ……。」
「よし、金銀のハンバーグさんにんまえだな!」
「それから、ホットケースにあるから揚げ。」
「それもさんにんまえ。カノンは?」
「金銀のアイス。」
「他には?」
「ドーナツ。」
「よし、ドーナツね。」
「おとうさんは?」
「おとうさんは……行ってから決めるよ。」
「カノンも行きたーい。」
「行ってらっしゃい。」
おかあさんがにこにこして言いました。
「おかあさん本当に元気なの、ひとりで大丈夫よ。カノンを連れて行ってらっしゃい。あと、にくまんとあんまんとピザまんも買ってきて。」
「りょうかい。じゃ、行ってくるよ。」
おとうさんは、フンフンとはなうたを歌いながら外へ向かいます。カノンもあわてておとうさんのあとに続きました。おとうさんが小さい声で、そばぐらいつくろうかな、とひとりごとを言っているのが聞こえました。
外へ出ると満天の星。厚くおおっていた雲はどこかへいってしまったようです。あしたは綺麗な初日の出が見られることでしょう。
カノンは夜空を見上げて少しだけ星がひかる音を聞き、車にのりこんだあとバタンとドアをしめました。