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君が笑ってくれるなら

作者: 八神綾人

これは、若き男と鬼の少女が織りなす、千年の時を超えた真実の愛の物語――。

 時は平安。

 京が都となって幾百年。人は未だ争いを続けていた。

 だが、争うのは何も人同士と限ったわけでは無い。


其方(そち)をここに呼びつけた意味は分かっておるな?」


 貴族の一人が細い声で問う。

 廉の向こうには主上も控えておられ、部屋の中は異様な空気に包まれていた。


「御意に」


 振り絞る様にやっと声を出す。

 俺のような主人も持たぬ武士では、ご尊顔を拝むことさえ叶わない。

 ただ平伏し、言葉に従うのみ。


「良かろう。では、首を持って参れ」


 廉の向こうから人の気配が消えていく。


――俺は、鬼退治を命じられた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 都を出て幾日が過ぎただろうか。

 数年前には肥州の方で争いがあったと聞く。


「人同士と言うのも嫌なものだが、まさか妖退治を命じられるとはな」


 俺は主人を持たぬが、京では少し名の知れた武士だった。

 腕っぷしだけで賊を成敗し続けた結果、その功績を認められ、先日、主上のお屋敷にお招きに与かった。


「だが、その最初の仕事が鬼退治と来たもんだ」


 勅命と言うこともあり、断るという選択肢は無かった。

 ましてや、ここで功績を上げれば俺も晴れて侍になることが出来るやもしれん。

 決して悪い話では無いだろう。


「――あれか」


 一人乗りの小船で波に揺られること数時間。鬼の住むとされている孤島が見えて来た。

 小船だったこともあり多少波に流されたが、何とか無事に辿り着いた。


「島の裏側に回ってしまったが、到着したのであれば万事良い!」


 俺は細かいことは気にしない性分なのだ。

 小船が流されぬよう縄で岩に縛り付け、孤島に上陸する。


「さて、鬼とやらは何処に居るかのう」


 腰に一本の刀を携え、俺は島の中ほどへと足を延ばす。

 この島に居る鬼というのは()()()()()らしい。かつて京の都で暴れた鬼共の残党だと聞いた。


「例え鬼であろうとも、この刀さえあれば真っ二つよ」


 俺は主上より賜った腰の刀を握り締め不敵に笑う。

 何故ならこの刀は、あの伯耆国(ほうきのくに)の刀工『安綱(やすつな)』が鍛えたものらしい。

 これほどの業物を携えて、負けることなど万に一つもない。


――この時の俺は、そう信じて疑わなかった。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 数時間は歩いただろうか。喉も渇いてきたので川辺を探すことにした。


「――水の流れる音。もう少しだな」


 草木を掻き分け川辺へと出た俺は、咄嗟(とっさ)に腕で目を(おお)った。


「す、すまん! 決して(のぞ)くつもりなど無かったんだ!」


 そこには齢十四、五ほどの童女が水浴びをしておったのだ。

 だが童女は臆することなくそのまま話し掛けてきた。


「人間がかようなところで何をしておるのじゃ?」


 俺のことを人間と呼ぶその声は。


「まさかお前が、鬼か?」


 俺は腕をゆっくりと降ろし、童女に目をやる。

 美しい。まるでこの世のものとは思えぬほどに。


「いかにも。お主は(わし)の首を取りに参ったのかえ?」


 頭に生える二本の角が、童女の言葉が(たわむ)れではないことを意味している。


「まさか鬼がかような童女とは……。だが主上の勅命。許されよ」


 俺は腰の刀を握り姿勢を低くすると、地を蹴り水浴びをしていた童女へと一気に詰め寄る。

 切っ先が届くほどの間合いで素早く刀を引き抜く、が――。


「……なぜ逃げぬ?」


 童女は身一つで立ち尽くし、逃げるも争うもしなかった。


「儂の父様(ちちさま)母様(ははさま)は人の都で殺された。いつかこうなることは分かっておったのじゃ」


 その瞳は真っ直ぐに俺を見据えていた。

 まるで俺の心を見透かしているみたいに。


「ええい、やめだ! お前のような童女に刀を振るっては武士の名折れだ!」


 俺は刀を鞘に戻し、土の上で胡坐(あぐら)()いた。


「……殺さぬのか?」


「俺は一度決めたことは曲げぬ!」


「――左様か。まだまだ子供じゃな」


「な!?」


 俺は齢十八の大人だ。かような童女に子供扱いされるのは――。


「儂はこれでも数百年を生きておるのじゃ。童女扱いされるのはちと(しゃく)(さわ)るのう」


 (あやかし)とはよく言ったものだ。かような姿で既に数百の時を過ごしておるとは。


「共に参られよ。今宵は良き魚が手に入ったでのう」


 童女は小袖を羽織ると、魚籠(びく)を抱えて川辺沿いを歩き始めた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「儂は花姫(はなひめ)と申す。お主、名前は何と?」


「俺は千歳丸(ちとせまる)だ」


「千歳丸か。良き名じゃ」


 花姫は川で取れた魚を馳走してくれた。

 魚に木の実。米は無いがなかなかに良き味だ。

 鬼の作った飯は、人の作ったものと変わらぬ温もりを感じた。


「しかしあれだ。お前は全然笑わないのだな」


 何の気無しに聞いてしまったが、花姫の寂しそうな顔を見て思わず後悔をした。


「仕方あるまい。儂は幼子の時より一人じゃ。父様も母様もおらぬのに、どうして笑うことが出来ようか」


「すまぬ……」


「良い。笑うことなど、とうの昔に置いて来た」


 そう言って花姫は魚の身をほぐした。


「……よし、俺は決めたぞ花姫よ!」


「何じゃ、藪から棒に?」


「俺はお前を笑わせることにした!」


「変な奴じゃのう。明日には都へ帰るのじゃ。この島には鬼など居らんかったと言ってな」


「いや、俺は一度決めたことは曲げぬ!」


「……本当に変な奴じゃ」


 花姫はため息交じりに、空に浮かぶ満月を見つめていた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


「今宵は風が強いのう」


 花姫の家は山の頂にあった。ここからなら島全体が見渡せるほどの良き場所だ。

 だが、木を組み上げたものを草木の紐で縛り付けただけの簡素な小屋だった故、雨風の晩は眠れない時もあった。


「よしよし、お前も落ち着くまでここにおるのじゃ」


 花姫は部屋の隅で野うさぎを撫でながらそう言った。

 妖と言えど、見た目はか弱き童女。動物と心を通わせるのも安らぎだ。


「……何をしておるのじゃ、お主は」


 花姫が怪訝(けげん)な顔で俺を見た。

 野うさぎが増えれば笑うかと両手を頭の上に立て、真似事をしてみたのだが。


「むぅ、これもダメか。笑っておるとこが見たいだけなんだがのう」


「こういう性分じゃ。気にするでない。それより小袖くらいちゃんと着ぬか」


 そう言いながら、花姫はいつも俺の面倒を見てくれた。

 その日は花姫に出会ってから二度目の満月だった。


「俺がここに来てからひと月ほど経つか」


 俺は野うさぎの真似事をやめ、胡坐を組む。

 そして花姫にこう言った。


「なぁ花姫よ。ここを離れ、人里近い山で一緒に暮らさぬか?」


 野うさぎを撫でていた花姫の手が止まる。


「……お主、自分が何を言っておるか分かっておるのか?」


「勿論だとも。まさか主上も鬼がこんな童女だとは夢にも思っておらぬだろう。鬼は退治したことにすれば良い!」


「首も持たずに帰って、信じてもらえるかのう?」


「ぬぅ……」


 花姫は賢い奴だ。うつけ者の俺に沢山の事を教えてくれた。


「それに、鬼は千年でも二千年でも生きるのじゃ。人と一緒に暮らせるわけが無かろう」


「それなら安心せい! 千年掛かろうとも、万年掛かろうとも、必ずお前を幸せにして見せよう!」


 花姫が口元を隠し、少し顔を背けた。


「どうした?」


「いや、何でもない。戯れも程々にせんか。人はそんなに長く生きられぬじゃろう?」


 こちらを向き直した花姫は、いつも通りの仏頂面で俺を見た。


「根性で何とかするさ!」


 俺には自信があった。

 何せ京の都の主上に認められた腕だ。何処の田舎へ行っても、武士として食っていけるだろう。

 寿命だけはどうしようもないがな。


「……なぜそこまで儂に構うのじゃ?」


 花姫は呆れた顔でそう言った。

 俺がこの童女と出会ってまだひと月ほど。だが、俺の心は既に決まっていた。


「それは俺がお前のことを――」


 花姫の膝の上で静かにしていた野うさぎが一目散に小屋の外へと駆け出した。


「……山が騒がしい」


 花姫も野うさぎを追いかけるように小屋の外へと駆け出す。


「何だというのだ。俺がせっかく――」


 小屋の外に出ると愕然(がくぜん)とした。

 山の頂から麓を見渡すと、そこには火を灯した松明が列を成していた。

 そしてその列の先は帝の旗を掲げ、山頂を目指し山を登っている。


「あれは!!」


「どうやら、儂もここまでのようじゃな」


 花姫は本当に賢い奴だ。俺が言うまでもなく事態を察したらしい。


「お主は人の元へ帰るのじゃ。悪鬼にひと月も捕まっていた哀れな人としてな」


 花姫はそう言って松明の列を目指して一歩踏み出した。


「ならぬ!」


 俺は無心で花姫の手を握っていた。


「お主も殺されるぞ?」


「安心せい! 俺に良き考えがある!」


 俺は花姫の手を握ったまま、山頂を目指す列と反対に向かって山を下り始めた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 山の麓まで来ると浜辺が見えた。

 俺がこの島に来た時に見た光景だ。


「よし、流されてはおらんかったな!」


 俺は岩に縛り付けてあった小船の縄を解きながらそう言った。


「この小船は俺が来た時に乗っていたものだ。島の裏側から逃げれば見つかることは無い!」


 そう言って俺は花姫を小船に乗せた。

 風の強い晩だけあって海に浸かった足元が冷たい。だが一刻の猶予も無い故、ただひたすらに小船を沖に向かって押し進める。

 腰ほどまで海に浸かったところで、花姫が後ろの山を見て顔を(しか)める。


「ここまで押せばもう良かろう! 早くお主も乗るのじゃ!!」


 俺は山の方に背を向けたまま、振り返ることは無かった。

 ただ、花姫を見つめてこう言った。


「良いか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 花姫の顔が見る見るうちに強張こわばっていく。

 普段は仏頂面しか見せなんだから、こういった顔も出来るのかと少し嬉しかった。


「お主まさか……。たわけ! 左様なことを考えるでない! この小舟に乗って二人で逃げるのじゃ!!」

 

 賢過かしこすぎるのも考えものだぞ? 花姫よ。

 花姫は俺の袖を掴もうとするが、俺はその手が届かぬように小船を沖に向かって押し出した。


「すまんのう。その小船は一人用でな。二人で乗っては沈んでしまうのだ」


 これから自分の身に何が起きるのか分かっておるのに、何故か俺は清々しい気持ちだった。

 だが、相反するように花姫は大粒の涙を流し、顔を歪(ゆが)める。


「嫌じゃ! 儂をもう一人にしないでくれ!」


 表情を変えない俺と泣きじゃくる花姫。

 これではいつもと立場が逆ではないか。


「父様も母様も居らんようになって、儂の時はもうずっと止まったままなのじゃ! この上お主まで居らんようになったら、儂は……」


 小船は風に押されるように段々と沖の方へと流れていく。

 ここからなら大声でも上げぬ限り、もう花姫に声が届くこともあるまい。


「短い時であったが、愛しておったぞ。花姫」


 俺の声をかき消すように、ひと際強い風が吹いた。

 小舟は鬼の少女の泣き声と共に夜の海へとさらわれた。


 ◆◇◆◇◆◇◆


 時は流れ、幾星霜(いくせいそう)

 妖は身を潜める時代になった。


「少し、背が伸びた気がするのう」


 儂は窓に映る姿を見てそう呟いた。

 決して角を隠している帽子のお陰で高く見えているわけでは無いぞ?

 ……儂は一体誰に話し掛けておるのじゃ。


「時代は変わったのう」


 儂は人や街の移ろいを見て来た。

 今ではこうやって人里に溶け込む術も身につけた。

 儂も立派な、しちーがーるというやつじゃな。

 都は京から東へ移り、今では山のようにそびえる建物が並んでいた。


「あれがすかいつりーとやらか。せっかく背も伸びたというのに、これでは儂が余計にちっぽけに見えるではないか」


 儂は文句を言いながら、少し昔の面影が残る雷門の前で立ち止まった。


「こやつも何度も再建を繰り返したと聞く。儂も見習わんとな」


 思い返せば酷い人生じゃった。

 父様も母様もおらぬ中、たった一人で数百年。いや、今はもう千年を優に超えておったか。

 世界はこれだけ変わってきたというのに、儂の心はいつまでも止まったままじゃ。


「そういえば、一人ではない時が僅かばかりあったのう」


 だらしのない阿呆面(あほうづら)がふと頭をよぎる。

 じゃが本当は、いつまでも海に立ち尽くし、いつまでも儂を見送っていた優しい男の顔がまぶたの裏に焼き付いて離れんかった。


「年は取りたくないもんじゃな」


 少し湿ってきた鼻をすすり、涙が(こぼ)れぬよう、儂は空を見上げた。

 その時、ふと誰かが儂の肩を叩いた。


「ちょいとお嬢さん。何処かで――」


 儂が振り返ると、そこには何ともだらしのない男の姿があった。

 何故だが(こら)えたはずの涙が頬を伝った。いや、何故だかではない。その理由は儂が一番よく知っておる。


――あぁ……。姿が変わっても儂には分かる。お主は――。


「す、すまん! 泣かせるつもりじゃ――」


 男は涙を流す儂を見て慌てふためいておる。

 何とも良い気味じゃ。


――千年掛かろうとも、万年掛かろうとも、必ずお前を幸せにして見せよう!


 あの日の言葉が蘇る。


「……馬鹿者が。本当に千年も掛ける奴がおるか」


「千年?」


「ふふっ」


 儂は思わず口元を手で押さえた。


「俺、何か変なこと言ったか?」


 男は阿呆面で苦笑いを浮かべておる。


「いや、来年の事ですら可笑(おか)しいというのに、よもや千年も先の話をされるとはのう。刀ではなく、儂を笑い殺す気じゃったのかお主は?」


「笑い殺す? 何の話だ?」


「秘密じゃ♪」


 幾千の時を経て、止まっていた時がゆっくりと動き始めた。




― 君が笑ってくれるなら 完 ―

お読みいただきありがとうございました。

ほんの僅かなお気持ちですが、ここまで読んでくださった方に向けて本作の裏話的な設定を公開します。


―おまけ―


鬼は元来、一匹二匹と数えるそうですが、心を入れ替えた鬼は一人二人と数えるそうです。

そして主人公の千歳丸は島に上陸した際にまだ出会っていない花姫のことを一人と数えています。

これは主上(天皇)の屋敷で花姫がそのように呼ばれていたからです。

つまり、主上たちは鬼の生き残りである花姫が少女であることを知っており、千歳丸が勅命(天皇の命令)に何処まで従うのかを見定めるために花姫殺しを命じました。

そしてひと月戻らなかった千歳丸を鬼側に寝返ったと判断し、あの日、侍たちをけしかけたのです。


ちなみに千歳丸が主上より賜った刀を打った『安綱』とは、平安時代に鬼の腕を切り落としたとされる『鬼切安綱』を鍛刀した刀工です。

鬼滅の刃の日輪刀によく似ているとされている刀でもあります。


そして主人公の名前である千歳丸。

『千歳』には、「千年。また、長い年数」といった意味があります。

千年の歳月を経ても丸く収まる恋愛物語、と言うところで、物語の舞台も丁度千年前に当たる平安時代を選びました。


平安時代には普通に鬼が居たと想像すると、幻想的な世界が広がりますね。

現代に潜んで生きている可愛い鬼が居たら是非幸せになって欲しいものです。


本作以外にも長編ファンタジーなどを執筆しておりますので、ご興味を頂けましたらそちらも読んでくださると嬉しいです。


それではまた。


八神綾人

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