心のトリセツ②
「まあ、ぶっちゃけてしまえば私達は無理なことを要求されてるんです」
え?
「本来不確実でままならないはずの心をコントロールしようとするという発想自体が心の法則に反してるんですよ。だから、上手く行かないんです」
「いや、でも……」
黒羽が言わんとすることら分かる。というか、目からウロコが落ちた感さえある。だが……
(それって開き直りじゃないか? それでみんなが許してくれたらいいが……)
それに上手く心をコントロールしている人、自分を律している人だっている。その人達は一体どうなってるんだ?
「ええ、だからといってそのままではどうにもなりません。不確実でままならないのが心だからと言って野放しにしていては生きていけないでしょう。さて、ここでそろそろまたお伺いしたいのですが……」
げ……
「あなたは普段自分の心とどう付き合っていますか?」
どう付き合ってる……?
(いや……何も考えてないよな。考えてどうなるもんでもないし)
そんなことをたどたどしい言葉で説明すると黒羽は深く頷いた。
「その通りです。それで良いんです」
なんじゃそりゃ!
口にした訳ではないが、顔に出ていたのだろう。黒羽は“まあまあ”と言いながら言葉を足した。
「しなきゃいけない、でもする気が出ない、でもしなきゃ……と思っている時、あなたの心は時間が経過していくうちにどんどん変わります」
そうなのか? そうかも知れないが、あまり意識はしてないな。
「もう少し具体的に言えば、しなきゃ行けない時間が近づけば近づくほど、”やらなきゃ“という気持ちが強くなりませんか?」
「まあ、それは……」
当たり前だろ?
(まあ、それで出来るかどうかは人によるのかな……)
俺がそんなことを思うのはAのことが頭にあるからだ。多分、一般的には黒羽の言う通り、しなきゃいけない時間が近づけば近づくほど、”やらなきゃ“という気持ちが強くなるんだろう。
「でも、例えば“早くやらなきゃ”とか”したくないとか考えたら駄目だ“などと考えていたらどうなりそうですか?」
……?
(焦る……かな)
だってやらなきゃ行けない時間は刻一刻と近づいてくるだから。
「分かりますか? これがAさんの状態なんです。そして、それはさっき言った“心を思う通りにコントロールしたり、効率的に動かしたり、安定させたり、確実に動かしたり”という考えから来ているんです」
思い通りに心をコントロールしなきゃ
↓
やりたくないとか思っちゃ駄目だ
(早くやれるようにならなきゃ駄目だ)
↓
焦りで余計に出来なくなる
(つまり、焦らず待っていれば気分は変わる。けど、同じことを考えてると変わらないってことか?)
けど、それじゃ確実に出来るとは言い切れな──あ!
(そして、焦りが出てくる。確実さや今すぐ変わることを求めるとかえって上手く行かないってことか)
要はいい加減に構えろってことか。しかし、あまりにもそれは不真面目じゃないか?
「いい加減な話かもしれません。もしかしたらこんなことを聞いたら怒る人もいるかも知れませんね」
そうだな。常識のある人ほどそうかも知れない。
「しかし、あなたはそのいい加減さこそがAさんに足りないと感じていませんか?」
!!!
(確かに……)
黒羽の言う通り、僕はAに対して”もっといい加減に生きれば良いのに“と思っているし、実際一度口にしたことさえある。一度なのは言った時にAから怒られたからだが……
(あの時は漠然とそう思っただけだったけど)
Aに怒られた後、考えたのだ。一体Aは何に対していい加減になったら良いのかと。人の目、成功、普通……色々あるが、それらは普段周りから大事だと言われているものばかりなのだ。
(大事なことでも、そのことを考えすぎたら上手く行かないってことか……?)
だとしたら、何か酷くないか? 極論真面目な人が損をするような気がするぞ。
「あなたは随分カンの良い人のようだ」
考えたこむ僕を見て、黒羽は口元に笑みを浮かべた。一体何がそんなに面白いのだろう?
「世の中の大半の人にはAさんの真面目さが分からないというのに、あなたには分かってるみたいですね。素晴らしい」
何が素晴らしいものか。ただの不公平じゃないか!
(でも、ここに鍵があるのかも)
しかし、なんて言ったらAに伝わるのか……僕はそればかりを考えてしまい、黒羽から心のトリセツのことを聞きそびれてしまった。