ラジオ『いやじゃ、いやじゃ、人の子など孕みトゥナイト!』
ヒマだ……。
そうこぼしながらため息をもらす。
今いるのはベッドの上。シーツだけじゃなく壁も天井も真っ白で何の面白みもない部屋だった。
まったくついてない話だった。
学校からの帰り。早く帰ってソシャゲのデイリー消化とプラモを組み立てようとわくわくしながら家に向かって歩いていた。
いや、ちょっとだけ駆け足になってたかも。
曲がり角から出てきた車に気づいたときには遅く、気がつけば地面に倒れていた。
さいわい相手の車はほとんどスピードを出してなかったようで、跳ね飛ばされるほどの衝撃は感じなかった。
だけど偶然近くでみていたご近所さんが警察を呼んでからが大騒ぎ。血相を変えた親がかけつけ、救急車のサイレン音がうるさかった。特に痛いところはない。相手のおっさんのほうが顔が真っ青で、すぐに病院にいったほうがいいと思ったぐらいだった。
「だから大丈夫だって」
すりむいた膝がじんじんと熱を持っているぐらいで大人たちは大げさである。
「ちょっと頭をごちんとぶつけたぐらいだから」
その一言で親の顔が豹変する。こちらの抗議など無視して病院に連れて行かれた。
そんな感じで、あれこれと医者にきかれたり、よくわからない検査を受けた後、経過観察のために一週間の入院となった。
「あれ? ゲーム機は?」
着替えや歯ブラシなど日用品を持ってきた母に聞く。どうせ持ってきたら夜中までやってるだろうから置いてきた、という返事。なんということだ。せっかく学校も休めて、親もいない環境で好き放題ゲームができると思っていたのに。
代わりに置いていかれたのは教科書とノート。
無慈悲な母からきちんと休んでいるようにといいつけられて、退屈な一週間が始まった。
病室にテレビが置いてあるが気になる番組はなく。貸し出し自由の本もあったが、小学生男子の興味を引くものはなかった。
そうなるとあとはベッドでぼーっとしているぐらいしかやることがなく、気がつけば眠っていた。
「……あれ?」
目を開くと見慣れない部屋にいることに戸惑う。少し考えて、自分が入院中だと思い出した。
すでに消灯時間らしく真っ暗だった。ぼんやりとついた常夜灯の明りの中で目をこらす。時計を見ると深夜二時だった。
たっぷり昼寝をしたせいかまったく眠気はない。だからといって、何かすることもない。家だったら間違いなくゲームを始めているところだろう。
「ヒマだ……」
じっとしていると今まで気にならなかった周囲の音が耳に入ってくる。
時計の針の音、時折聞こえるナースコールの音。ぼんやりとそれらを聞いているうちに、廊下から聞こえる音に気がつく。誰かの足音だった。
看護師さんかそれとも他の入院患者かと思っていると、それはまったく別の音に消された。
『―――いやじゃ、いやじゃ、人の子など孕みトゥナイト!』
は? なんだこれはと思った。
たぶん、ラジオなのだろう。
自分とそう年の変わらない女の子の声が深夜の院内に響く。
『えー、この番組は、千年のときを生きる妖狐のタマモがぱーそなりてぃーをつとめるぞ!』
ラジオの声ははっきりと聞こえてくる。もしかしたら隣の部屋からもしれない。こんなに静かな院内なのだから他の入院患者から苦情はないのかと思ったが、ラジオの声は途切れなかった。
まるで素人のようなたどたどしい口調。もしかしたら新人のアイドルとか声優なのかもしれない。
ラジオなんて車にのっているときに聞くぐらいだった。田舎の祖父の家にいったとき、納屋でふるぼけたラジオを見つけて、ラジオごっこをして遊んだこともあった。
そのままなんとなく聞いていると、気がつけば朝になっていた。
朝の病院は意外といそがしいらしい。パタパタと行き来するスリッパの音がひっきりなしに廊下から聞こえる。
昨晩のラジオのことを考えているとドアが開く。朝食をのせたワゴンと一緒に看護師さんが入ってきた。
てなれた手つきで体温計や血圧計を取り出す。
問診を受けた後、気になっていた隣室について聞いてみることにした。
どうして、そんなことを気にするのかと不思議そうな顔をされた。もちろん何かトラブルがあったわけじゃないとフォローを入れてみるけれど相手の表情は変わらない。そして、返ってきた言葉にオレは目を丸くする。
隣室は誰もつかっていない。
固まるオレを不思議そうにしながら看護師さんはいなくなった。さっき聞いた事実を確認するために隣の部屋にむかった。
たしかにドア横のネームプレートは空白のままだった。ためらいながらドアを開けてみる。やっぱりそこは誰もいない空っぽの部屋。
だったら昨晩のラジオはなんだったのか。隣室ではなくさらに隣の部屋から届いてきたのだろうか。壁を叩くが鉄筋コンクリートの壁はしっかりしたもので、簡単に音が素通りしそうにはない。
首をひねるが答えはでないまま、その日も早めに眠りに着いた。
すっきりしないまま寝たせいか、夜になるとぱちりと目が覚めてしまった。
最初に聞こえたのはまたあの足音。毎晩深夜に徘徊する趣味の誰かがいるかと思っていると、またラジオの声が響きだした。
『梅雨が明けて、なんぞ暑いなと思うていたら急に雨が降って梅雨が戻ってきたりする日々じゃが、まずは落ちつこうぞ。千年も生きていればこの程度のことなどで怒ったりはせぬ』
声がどこから聞こえているかはわからないけれど、自分にとっては退屈をまぎらわせてくれる存在だ。この入院期間における唯一の暇つぶしでもあった。
そんな病院生活になれた頃、クラスメイトが見舞いに来た。
クラスの噂では全身骨折をしただの、腕が吹き飛んだのひどい状態になっているらしい。元気な姿に露骨にがっかりした顔をするので、おまえを入院させてやろうかなどとふざけあった。
「そういえば、この病院の噂って知ってるか?」
怖がらせるためかどこぞの某ナレーターを真似て話し出す。その話の中にラジオが登場するなら、もしかしたら少しは怖いと思ったかもしれない。
しかし、中身はまったく違うもので深夜に徘徊する幽霊の話だった。見つかるとあの世に連れて行かれるだとか。
なんで連れて行かれたやつはこの世にいないのに知ってるんだよ、と聞くとワハハと笑って誤魔化された。
「夜、トイレに行くときは気をつけろよ」
そんなことを言い残して友人は去っていった。
そうして一週間が終わる最後の夜。
『え? 今日は怖い話が聞きたい、とな。そういう話をするのはわたしは得意じゃないのだがな』
偶然か。ラジオでも怖い話をはじめた。
『むかーしむかし、おじいさんは山へ、おばあさんは川へ、そして誰も帰ってきませんでした』
え、終わりなの?
続きを待つが話はそれで終わりらしい。
怖いといえば怖いが、気分がホラーになる前に終わってしまっている。
田舎の納屋でラジオごっこしたとき、一緒に遊んでいた女の子も似たような感じだったのをふと思い出す。
その女の子の顔が思い出そうと頭をひねっていると、『はい、ここで怖がってください』と言い出したので思わず吹き出し、笑い声をあげてしまった。
『――――――ェ……』
ぷつりと音が唐突に途切れた。
今まではこんなことはなかった。いつ終わったのかもわからず、気がつけば眠っていたから。
しばらく待ってもラジオが再開する気配はなかった。こちらの笑い声が聞こえたのだろうか。少し悩んでからどうせならとその正体を探すことにした。向こうにもこちらの存在がばれたようだし。
ドアを開けると、まっすぐに伸びる廊下の先を見つめる。月明りが差し込んでいるおかげで廊下は思ったよりも明るかったが、それでもしんと静まり返っている。
ここに並ぶどこかの部屋にラジオの持ち主がいるはず。足音を殺しながらひとつひとつ部屋の様子を見ていくが、起きている気配のする部屋はなかった。あきらめて自分の部屋に戻ろうとしたときだった。
ペタッ。
背後で足音が聞こえた。
ドアノブに手をかけたまま振り返ると廊下の角から出てくる人影が見えた。そういえば、いつもこの時間になると足音が聞こえていた。
あれが深夜徘徊の正体だとわかったけれど、積極的に関わりあいたいとは思えなかったのでドアノブをひねる。バタリとドアが閉まる音が廊下に響いた。
ラジオの聞こえない部屋はとても静かだった。
ぺタッ。
今まで聞こえていた足音だったけれど、こんなにはっきりとしているのは初めてだった。その音はだんだんと近づいてきていた。
ぺタッ。
やがてその足音は、この部屋の前で止まった。
もう足音はしない。
たぶん、そこにいる。じっとそこに立ったまま。
何のためか。もしかしたら深夜徘徊の主がラジオの持ち主でオレに文句でも言いに来たのか。
こちらは何か悪いことをしたわけじゃない。むしろ大音量でラジオをかけていたほうが悪いのだ。
だけど、スリッパも履かずに素足で歩くなんてあまりまともな人間には思えない。
寝たふりをして息を殺していると、ゆっくりと静かにドアノブが傾いた。身を硬くして警戒していると、ドアにわずかなすき間が開く。
開くといってもわずかなもので小指一本分ぐらい。じっと見ていなければ気づかなかっただろう。
じっとこちらを見る視線に耐え切れず、助けを求めてナースコールに手を伸ばす。ボタンが立てたカチリという音がやけに響いた。
恐る恐るドアの方に視線を戻す。
それまでこちらの様子を観察するようだったそいつを刺激してしまったらしい。
ソレは暗闇からにじみ出るようにはいってきた。暗がりの中ではっきりとした姿は見えないが、天井まで届く頭をかがめてのっそりと動き出す。
顔もないのっぺりとした巨体。
まさか……。不意に嫌な二文字が頭をよぎる。
すぐに目をそらしてベッドの中にもぐりこむ。目を強くつぶってあっちへ行けと心の中でつぶやくが、足音は近づいてくる。
ぺタッ。
丸めた体の中心でバクバクと脈打つ心臓の音がうるさい。
ぺタッ。
足音が止まる。すぐそばにソレがいる。
もうだめだ―――そう思ったとき、突然頭上から絶叫が響いた。
反射的に目を開けてしまったオレは思いがけないものを見た。
それは手だった。まだ子供の小さい手だった。
それが巨体をつかみベッドの下に引きずり込み、後には何も残らなかった。
今起きた出来事をまったく飲み込めないまま、ソレと手が消えていったベッドの下をじっと見る。
「…………」
部屋から逃げることもベッドの下を確認する勇気もなく、じっとしていることしかできなかった。
それからはラジオの声も足音も聞こえない、静寂が続いた。
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―――――
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気がつけば朝になっていた。
廊下からは複数の足音がぱたぱたと聞こえる。何の変哲も無いいつも通りの朝の病院の風景だった。
昨日の夜のことは夢だったのだろうか。そんなことをぼんやりと考えていると不意にドアがノックされた。昨日のことを思い出して思わずビクリとする。
看護師さんだった。
退院前の簡単な確認。もちろん何も無い。もうすぐ母が迎えにくるだろう。
「それじゃあ、お大事にね」
看護師さんはにこりと笑いかけると部屋を出て行った。
だけど、それがおかしいのだ。
何も言われない。何も聞かれない。
昨日は確かにナースコールを押したはずなのに。
結局、あれは夢だったと思うことにした。
病院を出た後、母の運転する車に乗りながら自分が泊まっていた病室を見上げる。
もう終わったことなのだ。
久しぶりの我が家。そして、ひさしぶりのゲーム。嫌な事なんて全部忘れられる。
だけど明日からは学校だ。さっさと寝ろと怒られる前にベッドに入った。
深夜、ぱちりと目が覚めた。部屋の中は真っ暗だった。一週間の入院生活のせいで生活リズムがおかしくなったままらしい。
このまま寝ないで学校に行って眠そうにしていたら、まだ寝足りないのかとからかわれるだろう。早く寝なきゃと思っていると、その声が聞こえた。
『―――いやじゃ、いやじゃ、人の子など孕みトゥナイト!』
ラジオの声。
それは、ベッドの下から聞こえていた。