船塚村の人食い鬼
懐中電灯の白色の光が,山道を照らしている。
以前は,人が通っていたのだろうが,往来がなくなって久しいのか,道には雑草が生い茂り,数多の蜘蛛の巣がいく手を遮るように張り巡らされていた。
荒れ果てた山道を,悪戦苦闘しながら若い女が歩みを進めていた。
「オカルトチャンネルYouTuberのゆきりんです。今日は,ネットで噂になっている都市伝説の『船塚村』に向かっています。
見てください,この荒れ果てた山道,公文書からも消えたと言われる廃村『船塚村』そこには何が待ち受けているのか・・・・・・
ゆきりんが暴いて見せますよー」
女は後ろを振り返りながら,撮影する男のカメラに愛想のいい笑みを浮かべる。
「OK,一旦カメラ止めるね」
男は、ゆきりんと名乗った女にそう告げると,撮影を止め,ビデオカメラの電池残量等のチェックを始める。
「・・・・・・てか,本当に気味が悪いわぁ,歩きにくいし,虫は多いし,マジ最悪なんですけどー」
カメラが止まると,さきほどまで愛想よく笑っていたとは思えないほどの変わりようで,女が悪態をつき始める。
「しゃあねぇべ,今じゃ芸能人とかもYouTuberになり始め,これくらいしなきゃ再生数稼げねぇし……
だいたい,再生数伸びないから,本格的なオカルト撮影したいっていったのは雪のほうだろう? 大変だったんだぞ,都内から車で行ける都市伝説探すの」
男は,ゆきりんこと雪という女の愚痴に,ため息をついた。
「……そうだけどさぁ,あとどれくらいなの? その廃村ってやつ」
「あと2,3分ってとこかな? 昼間ロケハンに来たんだけど,この先にボロボロの小屋がいくつか建ってるんだけど、その奥に壊れた神社みたいな建物があるんだよ。
そこの建物がしめ縄でぐるっと囲まれてたから,切ってきた。
あそこで雪がしめ縄千切れてることに気付いて,物音がしてビビるって流れがあれば良い画になりそうだろう?」
雪に答えながら,ビデオカメラの電池やメモリの交換を終えた男は,立ち上がり雪にビデオカメラを向ける。
「よし,ビデオチェックOK,ちゃっちゃと撮影を終わらせて,酒でも飲みにいこうぜ。
山を降りた町に,海鮮の美味しい店があるらしいんだよ」
「そうね,愚痴ってたところで仕方ないもんね。切り替えてお仕事,お仕事。
こんだけ苦労するんだから,高評価取れるようにしっかり撮ってよね」
雪は,撮影する男にそう言うと,山道を再び歩き始める。
蜘蛛の巣や虫などに驚く素振りを演じながら,山野の奥へと足を進めていく。
男の言葉どおり,数分進んだところに,朽ち果てた廃屋が無数に立ち並んだ,廃村が見えてきた。
「――あった! あったよ!! 都市伝説にあったように確かに廃村らしき場所がありました。
ここが,ネットで噂される『船塚村』なのでしょうか? 正直すっごく怖いけどゆきりん頑張って探索するので,応援よろしくね!!」
雪は,カメラに向かって可愛く微笑むと,男から聞いていた神社跡の方に歩いて行く。
男の言葉どおり,廃村の奥には,朽ち果て,屋根や壁などに穴の開いた社のような建物があった。
「神社のような建物が見えてきたよ!! あれが『船塚村』の鬼を祀っているといわれる神社なのかもしれない!?
・・・・・・ちょっと待って,しめ縄みたいなのがあるんだけど,千切れてるよ? これってヤバくない?」
打ち合わせ通り,怯える演技をする雪だったが,不意にその動きが止まる。
「・・・・・・ちょっとマジでなんか聞こえない? ねぇ,ちょっとカメラ止めて」
迫真の雪の演技に,男は満足そうな笑みを浮かべながら撮影を続ける。
「ちょっと,マジで止めてって!! 演技とかフリじゃなくて,本当に止めてって」
雪が慌てたように男に駆け寄り,カメラに手を伸ばす。
良いところなのに馬鹿なこと言っているんじゃないよと,男の細めた目が苛立つ。
しかし,それも長くは持たなかった。
細めていた目が驚愕に大きく見開かれる。男も聞いてしまったのだ。
ずっ、ずっ
何か重いものを引きづっているような音だった。
示し合わせたわけでもなく,雪と男は音がする方へ同時に目を向けた。
月明かりと雪の懐中電灯の明かりが,朽ち果てた社を照らし出す。
社の中からその音は確実に聞こえていた。
軋んだ音をたてながら,社の扉がゆっくりと開く。
音の正体が,雪らの前に現れたとき,雪も男も信じられずに動きが止まる。
引きづるような音がしたのは,それの脚に枷がつけられていたからだった。
漫画などでしか見たことがない,囚人を繋ぎ止めるための足枷。
黒光りする足枷から千切れた鎖が引きづられている。
2メートル近い背丈に,浅黒い肌,筋骨隆々とした身体には,無数の裂傷痕が色濃く残っている。
頭髪は細かくちぢれ、口元には肉食獣のような鋭い牙があり,血のように赤く染まった瞳。
その姿は雪達に,空想上の存在『鬼』を連想させるものであった。
「・・・・・・人食い鬼」
二人は,撮影前に調べた都市伝説が脳裏に浮かぶ。
――『船塚村の人食い鬼』
明治時代末期,長閑な村に戦慄の凶悪事件が起こる。
船塚村大量殺人事件。
村に住む,一人の青年が村の住民を皆殺しにするという凶悪事件が発生。
山の麓から警察が到着した時には、青年は村人の屍肉を貪り食っており,警察が逮捕しようとするも激しく抵抗し,最期には射殺された。
撃ち込まれた銃弾,35発。
それだけの銃弾をその身に浴びながら,警察官の喉元に噛みつき,警察官も3名殉職した。
それ以後、住民のいなくなった船塚村は廃村となり,住民と青年の供養のために村の中央部に社を建てた。
という都市伝説。
どこにでもあるようなネット発祥の都市伝説の筈であった。
つい先ほどまでは……
最早2人には撮影のことなど頭になかった。
踵を返し,一目散に走り出す。
舗装もされておらず,荒れ放題の獣道。懐中電灯と月明かりしかなく視界も悪い。
そんな悪条件の中の全力疾走。
とうとう雪は,つま先が木の根にとられる。
(――転ぶ)
そう思った瞬間には,もう地面が目の前であった。
顔をぶたれる衝撃があり,視界が回る。
直後,雪の全身に突き刺すような痛みが広がっていく。
痛みを堪えながら、起き上がり走り出そうとした瞬間,雪の右足首に激痛が走った。
痛みの元に目を向けると,雪の右足首は通常なら曲がり得ない方向に曲がっていた。
「――た,助けて。足が……」
雪は男に助けを求め,手を伸ばす。
「何やってんだよ!」
男は雪に引き起こし,肩を貸して歩き始める。
「……あと少しで車を駐めた場所に戻れるから」
雪を励ましながら,車を駐めた場所へ急ぐが,後ろから確実に鬼の近づく音が迫ってきていた。
山道の先に小さく車が見えた。その瞬間,2人の背後から大きな叫び声が聞こえる。
まるで呪詛のような叫び声が,闇にこだまする。
恐る恐る振り返ると,先ほどの鬼が数メートルの距離まで迫っていた。
(――逃げ切れない)
足手まといを連れていては逃げ切れない。
そう理解した男は,雪に向かい
「・・・・・・ごめん」
と呟くと雪を鬼めがけて押し倒した。
「――は!?」
信じていた男からの裏切りに,一瞬思考が止まる
直後,転んだ痛みすらも感じないほどの怒りが雪の思考を埋め尽くした。
「ふ、ふざけんな!!」
男に罵倒を浴びせようと顔を上げるも,その怒りは長く続かなかった。
怒りをかき消すほどの恐怖。
鬼が雪の面前に迫っていたのだ。
「い、いやだ…… 助けて」
後退りながら懇願する雪だったが,無慈悲に鬼は雪の足を掴みとる。
万力で絞められたかのような激痛が走り,雪の悲鳴が山の中に響き割った。
「ごめん,ごめん」
雪の悲鳴に耳を塞ぎたくなるような罪悪感を感じながらも、男は車に走る。
車の鍵を開け乗り込んだ男は,全てのドアに鍵をかけ,震えながらエンジンキーを回す。
しかし,セルモーターが回らずエンジンが始動しない。
「……嘘だろ」
絶望に顔を歪ませながらも,諦めずにエンジンキーを回し続けるが,エンジンが始動する気配はない。
バンッ
突然フロントガラスに物が飛んできた。
いつの間にか雪の悲鳴もしなくなっている。
男がフロントガラスに目をやると、そこには雪の姿があった。
雪が無事だったと安堵した男だったが,おかしなことに気が付く
「……雪?」
絶望と恐怖で顔を歪め,ボンネットの上に横たわる雪。
男の言葉に反応することもなく,動く気配もない。
「雪、お前、足がないよ……」
信じられない状況,非現実的な状況からか思考が止まったのか,男は鬼のことも忘れ,車から降り,ボンネットに横たわる雪の亡骸に声をかけ続ける。
直後,おとこの首に激痛が走り,視界が反転する。
(あれ? なんで逆さま)
男が最期に目にしたのは,天地が逆となり,首のなくなった自分の身体であった。