はじまりの挨拶
「なんとか間に合ったな」
「うん。海中から魔物が床板を突き抜けてきた時はどうしようかと思ったけどね」
俺達は今、グレイル島北端から海に浮かぶ人工島を眺めていた。
イベント当日。時刻は19時55分。
もうすぐイベント開始の時間だ。
人工島には建設に携わった人を中心に大勢のプレイヤーで賑わっている。
逆にグレイル島には俺達竜宮王国の住人しかいない。
「今回はグレイル島を戦場になんてさせないんだから」
むんっ、と握りこぶしを作って気合いを入れているリースは可愛い……じゃなくて頼もしい限りだ。
「今回はあっちの島が落ちるまでは大丈夫なはずだ。
まぁ流れ弾的に多少は抜けてくるかもしれないけど」
「うん。って、あれ?
前回と変わらず今回も海中に魔物は来るんでしょ?
カイリ君はここにいて大丈夫なの?」
「あぁ、なんか開始時は地上にいて欲しいって運営が」
今回のイベントの事で何度か連絡を取り合っていたら、何故かそんな要請をされた。
『今回のイベントの興廃はカイリ様の腕に賭けることになりました。
神になられた記念に盛大にやっちゃってください』
具体的に何が起きるかはネタバレになるからと教えてもらえなかったけど、そもそも普通の1プレイヤーにそんな重大な事を託さないで欲しいんだが。
っと、時間だ。
……あれ?
1分経っても何も起きないんだけど、また何かトラブったのか?
人工島の方でもざわめきが起きる中、ようやくそれは姿を現した。
黒龍……。
北の空から暗雲と共に悠然とやってくる威容は確かに空の覇者と呼ぶに相応しいのかもしれない。
その後ろにはワイバーンを始めとした飛行系の魔物を数多く従えている。
あ、そう言えば、俺が黒龍を直接見るのはこれが初めてか。
それにしてもどうして遅れてくるかな。あ、そっか。
『龍は惰眠を貪るとはよく言うけど、黒龍も例に漏れず時間にルーズなのか』
っておいおい。
ぼそっと呟いた言葉が拡声されてイベント会場の空に響き渡った。
え、もしかしてこれから俺の声が生放送で全国配信でオンエアされるのか?
自分でも変な日本語だと思うけどそう言うことらしい。
『ふっ、小さき者がほざきよるわ。
我は天空の神にして光と影、そして試練を司る龍神。
他の神と比べても一線を画する存在だ。
その我がなぜ貴様ら矮小なる異界の者達に気を遣う必要がある』
神様らしい実に傲慢な発言だ。
まぁあれに限っては口先だけって事は無いだろう。
でもな。
『ゲストを持て成すのはホストの器だ』
『貴様らに歓待するだけの価値があるとは思えんがな。
先日も小手調べに放ったブレスの一撃で壊滅寸前だったではないか』
『あれは急だったからな。だけど今回は出来る準備はしたから安心しろ。
退屈はさせずに済むだろう。
この世界ではお前がホストかもしれないが、ことこの戦場は俺達がホストだ。
むしろお前こそ、まな板の上の鯉のように歓待してやるから楽しみにしていろ』
俺がそう言うとプレイヤー達からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
そして隣にいるリースからも。
「カイリ君もあれを食べる気満々なの?」
食べる発想はどちらかと言うとリースの影響なんだけど。
下手なことを言うと全部拾われそうで恐いな。
『そこまで大口を叩くなら先ずは確かめさせてもらおうか。
その島を2つに割った我がブレス、見事防いでみせるが良い!』
そう言って溜めの態勢を取る黒龍。
ってこれ、防げなかったらイベントと一緒にグレイル島も跡形もなく吹き飛ぶんじゃないのか!?
龍のブレスって神様になったくらいでどうこう出来るものではない気がするんだけど。
そんな不安を吹き飛ばす、落ち着いた声が俺の元に届いた。
「カイリ君。私はここで観てるね」
「ははっ、それなら格好良いところ見せないとな」
これは負けられないって奴だ。
俺はリースの信頼しきった視線を背中に受けていつもの【はじまりの鍬】を構えた。
神様になったとは言っても俺は農家だからな。
やることなんて大して変わらない。
「【開墾】」
スキルを発動させると鍬が淡い光に包まれる。
農家として最初から持っていたスキルで、今もずっとお世話になっている基礎の基礎スキルだ。
スキルレベルも随分前にマックスになっていたところに神様になった影響で天元突破してよく分からないことになっている。
派生スキルは幾つもあるけど、ここ一番で最も信頼できるスキルはこれだ。
『いくぞ!』
カッッッッッ!
短い掛け声と共に黒龍から漆黒のブレスが放たれる。
それはコウくんの魔法でさえ児戯に思える程の高密度の魔力が籠められていた。
これなら確かに島を真っ二つにしたっていうのも頷けるな。
俺は鍬を大きく振りかぶると、ブレスに向かって力の限り振り下ろした。
『【瞬間堆肥精製】!!』
ザクッ!
開墾スキルを纏った俺の鍬が黒龍のブレスに突き刺さる。
その瞬間、鍬が触れた部分からブレスが緑色に塗り替えられていく。
そして変化はそれだけではなかった。
緑色になった先から光の粒子となって弾けると風に吹かれた粉雪のように舞い上がりイベント空間全体へと降り注いだ。
プレイヤー達からは驚きとも歓声ともとれる声が響き渡る。
そして、この光景を見て一番驚いていたのは黒龍だ。
『……なんだ今のは。
我のブレスを受け止めたのでもなければ跳ね返した訳でもない。
いったい何をしたというのだ!!』
『簡単な話だ。耕したんだよ』
『た、耕しただと!? 至高の魔法と呼ばれた我がブレスをか!!』
『ああ。実に濃密な魔力だったからな。畑に撒いたらいい肥料になりそうじゃないか』
それを聞いた黒龍は口をあんぐりと開けた。
その次の瞬間、大きな声で笑いだす。
『がっははは。まさかそんな方法で防がれるとはな。
新たに誕生した神がどれほどの者かと思ったが口だけではないようだな。面白い。
良いだろう。貴様を我が敵と認めよう。
であれば、貴様が用意した持て成しじっくりと受けるのも礼儀というもの。
だがそちらは流石に我が直接乗り込むにはまだまだ力不足。
なので今回は我が影と眷属がお相手しよう』
そう言うと上空に5つの巨大な魔法陣が生み出され、そこから黒龍を一回り小さくした黒い龍が飛び出してきた。
それらは各戦場に1体ずつ降り立っていった。
『ではな。我は北の地で貴様らが来るのを待つとしよう。
力を付け、見事我の元まで来た時に今度こそ直接相手をしてやろう。
あ、そうそう。我が影はそこから動くことはないから安心するがいい』
黒龍は最後にフッと笑うと北の空に去っていった。
うーん、ラスボス感全開だな。
後ろからリースの舌打ちが聞こえる。そんなに食べたかったんだろうか。
ただ影が動かないっていうのは良い事を聞いた。
つまり影以外の魔物を倒せればこちらの勝ちで、影はチャレンジミッションみたいなものなのだろう。
【それではただ今よりイベントを開始致します。
なお、各戦場においてプレイヤー側が壊滅した場合、残った魔物は南部の島々を襲撃することになりますのでご注意ください】
「GYAOOOッ」
「やるぞーーッ」
「「おおっ!!」」
アナウンスが流れると共に黒龍の影が叫び、プレイヤー達も武器を持つ手に力を籠める。
そして各戦場での戦いの火蓋は切られた。
後書き日記 ダンデ編
10月25日 19:55
もうすぐイベント開始の時間だ。
俺が今いるのはグレイル島北に造った5つの戦場の内の真ん中。
今回の作戦の声かけ役として一番いい場所を取らせてもらった。
俺の周りにはクランメンバーの他にも『大草原』を始め多くのトッププレイヤー達がイベントの開始を今か今かと待ち構えている。
「10、9、8……」
誰かが時計を見ながらカウントダウンを始めた。
「……2、1…………あれ?」
まさかの時間になっても何も起きない。
これはあれか?
前哨イベントに引き続きメインイベントでも何かトラブったのか?
気の早い奴は既に運営に問い合わせを始めている。
と、思っていたところで北の空に暗雲が立ち込めた。
この演出は、まさか最初っから黒龍の登場か。
暗雲を抜けて出てきた黒龍は他の眷属達を残して悠然と俺達の頭上を通り過ぎてグレイル島の方へと向かってしまった。
どうやらまた何かやらかす気らしいな。
そう思ったところに聞き覚えのある声が響いた。
『龍は惰眠を貪るとはよく言うけど、黒龍も例に漏れず時間にルーズなのか』
それと同時にスクリーンが表示され黒龍とカイリの姿が映し出される。
ぶふっ。
カイリの奴、神様になったとか言ってたけどいきなり黒龍に喧嘩売るとか流石過ぎるだろう。
そして短い言葉の応酬の後、黒龍がブレスを放つ構えを見せた。
対するカイリは何の変哲もない鍬を構えるのみ。
「まさかあいつ、あの鍬で黒龍のブレスに立ち向かうつもりか?」
「死んだな」
「ああ。どうやら今回のイベントは最初に絶望させるパターンなのかもな」
「え、ということはこの戦場も完全負けイベント?」
「予告でも防衛に失敗するとって言ってたしなぁ」
「おい、黒龍が動くぞ!」
誰かが指差した先で遂に黒龍がブレスを放った。
島を真っ二つに切り裂く漆黒の光線。
それがグレイル島に居るカイリ1人に向けて放たれた。
それに対しカイリは鍬を振り上げて、振り下ろした。
「「!!!」」
ただそれだけだったのに変化は劇的だった。
世界を塗り潰すような黒龍のブレスが新緑に塗り替えられていく。
誰もが息を呑む中、新緑の光は弾けるように淡雪にその姿を変え、戦場に居る俺達に降り注いだ。
「きれい……」
「ああ。ただこういう演出はエンディングにやってほしい」
「そうだな。これから激戦が待ち受けてる筈なのにそんな気分じゃなくなる」
「!いや待て。これバフだ」
「あ、マジだ。
え、なんだこれ。全ステータスが5割増しになってるんだけど」
「これなら今回のイベント楽勝じゃね?」
「だなっ」
みんなが浮かれる中、俺は別の可能性を考えていた。
隣にいるフラフに視線を向けると彼女も同じ考えだったのか険しい顔で頷いた。
「多分これ、このバフが付いてようやく5分なんじゃないか」
「ええ。元々どれだけ防げるかってイベントだものね」
「お前ら、気を抜くなよ。ボチボチ来るぞ」
オープニングが終わり魔物たちが動き出す。
そうして俺達の予想は悪い意味で当たった。
これバフが無かったら完全無理ゲーじゃねぇか。
そう思えるほど敵は1ランクも2ランクも強い奴らばかりだった。




