6 十五日前 〜お世辞は結構です〜
「そ、そう? メイがね、王宮の被服室から在庫を融通してくれたの」
説明しながら、納得いかない気持ちを抱えてユリエラは自身のドレスを見下ろした。
色は黒に近い深緑で、フリルやレースといった飾りは一切ない。メイベルが届けてくれた三着とも、仄かに色味が異なるだけの全て同じデザインだ。
―――今のは、褒めた?
生地と仕立ては間違いなく一級品。しかも、冬用なのに着ると軽い。
だがしかし。
褒め言葉のつもりなら、残念ながら減点対象である。
「大人っぽくていいと思うよ」
職業婦人然としたこのドレス。機能性重視のユリエラは気に入っているが、普通のお嬢様方が好んで着るかといえば答えは否。
―――しかも、『大人っぽい』と言われて十八の女が喜ぶと思ってる……。
研究漬けの弊害か。
そもそも、そんな台詞を突然言い出したところから不自然だ。
「私に何か用事?」
「あー……うん、そう。お願いがあるんだ」
「だと思ったわ。頼みごとなら遠慮せず言ってね。お世辞なんて、らしくないことは言わなくていいのよ」
「や、そんな、お世辞のつもりはないんだけど……」
不可解な言動に得心して肩の力を抜く。
セーラスの方は、自分でも決まりが悪いと見えて眉を困らせた。
「改まってなあに?」
安心させようと優しく水を向けても、しばらく視線を彷徨わせていたのだが。
「……ユージンに関すること?」
ズバリと投げた予想は的中し、顔付きが変わった。
「―――こんなこと、お願いできる立場じゃないと分かってる。無神経に過ぎるし、侮辱と取られても仕方ない。ユリが嫌なら断っていいから」
「心配しなくても嫌なものを我慢してまで協力はしないから、まずは言ってみて?」
「うん……明後日なんだけどね、もし可能なら僕に付き合ってくれないかな。同じ顔の僕だけじゃ見つかってしまいそうだし、そうなったときに偶然で済ませるのは難しそうで。女性と一緒の方が自然かなって考えると、頼めるのはユリしかいない」
まず、明後日は安息日だから、『僕に付き合う』とはセーラスと出かけるという意味に違いない。
ここまでは分かった。
「いいわよ」
「えっ⁉︎ 次の安息日はいつものお茶会だよねっ⁉︎ 名前は忘れたけどナントカ伯爵夫人が主催の……」
「下手に話題を振り撒くのはどうかと思って、今月は遠慮させてもらったの。だから、ね? ユージンに何をするつもりか詳しく教えてくれる?」
理解できたのは、ユリエラ以上に親しい女性がいないという点だけである。
「私を巻き込んで構わないからちゃんと教えて。前に言ったとおり、抉られるような傷はないから大丈夫よ」
「ユリ自身が気付いてないだけで本当は大丈夫じゃないかもしれないだろ。こんなお願いをする時点で真実味に欠けるけど、僕は、ユリを傷付けたくない」
心意気は結構だがそれでは話が見えない。ユリエラは少しだけ語調を強めた。
「ちゃんと、分かるように、いいから言う!」
「……明後日、ユージンと彼女が会うときに、こっそり様子を窺って策を練りたいんだ。それで、僕と一緒にあの二人を追ってくれないか」
「だから一体どんな策を―――」
問い返しながらピンときた。これは、ユージンにとって悪い話だ。
ロックバーン子爵家は二人の交際に反対らしいと、眉間の皺を見て確信する。
―――身分が違いすぎるとか? 先日見かけた限りじゃ、あのお嬢さんは平民に見えなかったけれど?
着ていたものはちゃんとしていたし、何より外出用の帽子を被っていた。
帽子なんて、すぐ風に飛ばされて面倒な代物を大多数の平民は使わないし持っていない。大きな声では言えないが、貴族のお嬢さま枠に含まれるユリエラも持っていなかった。
とすれば、大貴族のお姫さまだろうか。
それならそれで、二人の出会いが気になるところである。
「……でも、やっと運命の恋に出会えたのよ。ユージンの性格的に、無理矢理別れさせようものなら駆け落ちくらいするんじゃないの?」
「駆け落ちか……」
ユージンと同じ深草色の瞳が一段と翳る。
「相手はまだ十歳だよ」
もたらされた情報に、ユリエラの新緑の瞳からも光が消えた。
この国に生きる民の常識として、十歳といえば立派な子供である。
子供を連れ去るのは犯罪だ。
当人たちがなんと言っても犯罪なのだ。
「可哀想だけど、あの二人を認めることはできないんだ。かと言って、本来は二人の間の話だからね。説得にかかる前にそれぞれの温度感とか確認しておきたくて」
「別れろって、あなたが言うの?」
「言うよ。事を大きくできない理由があって、とりあえずは僕が」
「……あなたばかり、いつも嫌な役回りね」
あと六年粘れば相手は成人する。その後の駆け落ちなら、少なくとも未成年誘拐の罪は問われない―――不謹慎にもそんなことを考えていると、深刻の一途を辿っていたセーラスの表情がフワリと緩んだ。
「僕は、大丈夫だから」
「それこそ……あなたが気付いてないだけで、本当は大丈夫じゃなかったら私が嫌よ」
「心配性だな。僕はもう、ユリに庇われていた子供じゃないよ。今ならユリを守ることだってきっとできる。何しろ僕は、ここでは大先輩だからね」
反論を封じられ、ユリエラは口を噤んだ。
―――そういうことじゃないのよ。
伝わらないもどかしさに、冷えた指先をぎゅっと握り込む。