5 十五日前 〜人生は不思議に満ちている〜
大人になると、家と商業組合を往復するだけで毎日は過ぎていった。
月に一度は世間体を保つための茶会へ出る。ただしこの茶会、高確率で招待状が届かないユージンには良い顔をされず、分かりやすい嫌味を言われもした。
そんなユージンとのデートは、茶会の頻度より少なかったけれど。
―――良くも悪くも、平和だった。
日々の出来事を思い出そうにも、何ひとつとして輪郭が掴めないのである。
―――人生って不思議ね……。
デート中のユージンを見かけたのは今月の最初の日。
一日置いて、第二王女の呼び出しで王立学園を訪ねたのは三日の日。
そして、辞職を願い出た商業組合で、既に王女から断りの連絡を受けていると知らされ驚いたのが四日。
フラン伯爵夫人に誘われてスカイナル子爵家にお邪魔し、重い足取りで帰宅するや否やメイベルからの愛情あふれる贈り物を押し付けられたのが五日。
今日は六日だ。
あれからまだ一週間も経っていない―――にもかかわらず、引きずられるように関係各所への顔通しを済ませたユリエラは、すっかり研究棟の一員に加わっていた。
本来ならば夢が叶ったと喜ぶべきであって、疲労困憊で現実逃避を図るような状況ではない。
「あああ、重いものを持とうとするな! 力仕事は男共に任せれば良いのじゃ!」
「え、でも、荷物運びで呼ばれたんでしょ?」
「妾はそんな鬼畜ではない!」
積み上げた書物はそのままでいいと、三日前とは打って変わって地味な出で立ちのメイベルが一角を指差す。
ちなみに、あのとき見せた威圧感バリバリの王女さまスタイルは、ユリエラに諾と言わせるための演出だそうだ。
「奥から二番目の棚の、下から三段目の引き出しにクズ魔石が入っておる。あれを何とかしてくれ。移動の最中に傷でも付けたら事務局から大目玉じゃ」
「はいはい、畏まりました」
言われたとおりの引き出しに手をかけ、これは無理だなともう片方の手も添え、勢いを付けて引っ張り出すと―――なぜか、石同士が擦れる耳障りな音が派手に響いた。
「大事に、大事に扱えぇぇっ! 売却益はそのまま研究予算に跳ね返る! 頼むから丁寧に!」
「だって重いんだもの」
クズ魔石とは元は宝石であったものだ。
優れた宝石は魔力との相性が良く、陣を仕込んだり術の起爆剤にしたりと様々な用途に用いられるが、耐久性の限界を超えたら砕けて砂になる。
研究棟では、そうなる前の少しばかり輝きが曇った段階で使用を中止し、庶民向けの宝石として市中に流していた。
「……言うほど丁寧な保管の仕方とは思えませんけど。文句があるなら、引っ越しの前に売り払っておかなかったご自分にどうぞ?」
扱いが雑だとか、大切な商品を無造作に放り込んだだけの人から言われたくない。
ことさら冷ややかに、明後日を向いたメイベルを睥睨する。
「これにはふかーい事情があるのじゃ」
「あ、そうですか」
「……その反応、セーラスにそっくりよの。そなたの相手はユージンだったはずだが」
「下手すればユージンより長く一緒にいた幼馴染みだもの、似ていて不思議はないでしょ」
赤、黄、緑、透明にピンク。手元が暗いせいでクズ魔石特有の濁りを潜める石たちは、こうしていると使用前の在庫にも見えなくはない。
「いい石ね。魔力の受け皿としてはまだまだ余裕がある。最近は一、二回使っただけでも流してしまうの?」
「相変わらず良い目をしておるな。今はの、昔のようにギリギリまで使った石には買い手が付かぬ。景気が良くなったと言えば聞こえは良いが……まあ、高級志向になったということじゃ」
「王女さまとしては喜ぶべきところじゃない?」
「研究員としては泣きたいわ」
研究室には次なる魔道具を生み出すための器具や材料が所狭しと並んでいる。
その混沌とした雰囲気が、ユリエラの心をいとも簡単に王立学園時代へと巻き戻した。
・・・
「殿下、前回の―――あれ?」
午後三時を知らせる鐘が鳴ろうかという頃、メイベルの研究室を訪れたセーラスは扉を開けた状態で固まった。
「あ、そうか、ユリが……いるんだっけ」
珍獣に遭遇したわけでもなし、そんなに驚かないでほしい―――という不満は儀礼的な笑顔で覆い隠す。
「メイは王宮に連れて帰られたわよ。今夜は隣国の大使を招いて晩餐会なんですって。いつまでそんな格好でいるおつもりかって、迎えにいらした方、すごい剣幕だったわ」
「そう、それなら仕方ないね。明日の予定については何か聞いてる?」
「特には……でも、今度から聞いておくことにするわね、ごめんなさい」
王女さま業と研究員業を両立するメイベルは多忙だ。
本人としては研究に主軸を置きたいようだが、いかんせん第一王女が既に嫁いでおり、他にも難しい事情があって、公式行事に華を添える役目は必然的に第二王女に回ってくる。
―――この様子じゃ、メイ専属っていうのもあながち大袈裟じゃないわね。
セーラスの表情から、自らの仕事内容に秘書業を書き加えた。
そんなときだ。
不在と聞いても立ち去らず、空いた椅子に腰を下ろしたセーラスが、脈絡もなく口を開いたのは。
「ユリ! その……そう、そのドレス、似合ってるね!」
驚いて、思わず背が仰け反った。
「すごく、似合ってる」
なおも言い募るセーラスは、最後に唇をへの字に曲げた。
まるで、後ろ暗いことを勢いで誤魔化そうと企む子供のように。