4 十八日前 〜友の心は友知らず〜
ロックバーン子爵家が嫡男の中途半端な交際を黙認した最大の理由。
それは、ユリエラが、第二王女を愛称で呼ぶことが許された唯一の友という点にある。
第二王女が王立学園に入学する―――その報せは、当時、幼い子供を持つ貴族の間に激震を走らせた。
何しろ、王家の子供は王宮で教育されるのが習わしである。入学するだけで縁が結べるなら安いものだ。
それに、件の第二王女は亡き王妃の忘れ形見。確たる後ろ盾がない王女に、王がかける愛情はことのほか深いとか。
降って湧いた絶好の機会とあって、入学が許される年齢の者は次々と王都に居を移し、その年の新入生の数は当初の予定の倍にまで膨れ上がったのだった。
ところがこの王女、ただのお姫さまではなかった。
五歳にして舌鋒鋭く、小さな紳士淑女たちを泣かせたことは数知れず。何かにつけて癇癪を起こし、権力におもねる取り巻きが根を上げるまで当たり散らす。
入学して一年が経つ頃には、王女に侍る同級生はいなくなった。
それなのに、最小限の護衛だけを従えて、本人は満足そうに笑っていたという。
二人の付き合いは、理想の王女像をメイベル自身が叩き壊した後から始まった。
年迎えの宴とは、今年最後の夜から新たな日が昇るまで王宮で開かれる夜会のことだ。
―――か、考えただけで恐ろしい。ダンスの先生に下された評価を知ってるくせに。
王家主催とはいえ、この時期は領地で過ごす貴族も多く、さほど大きな規模の宴ではない。
しかし、上級貴族でもなければ家族まで招かれることはなく、ポツンと混ざった末端の男爵令嬢は必然的に注目を浴びるだろう。
「夜会なんて絶対に無理!」
「踊れとまでは言っておらぬ。そなたに踊られては宴の品位がダダ下がりじゃ」
抗議をさらっと受け流したメイベルは、壁際に残るもう一人の侍女を振り返る。
「フラン夫人、そなたはユリと顔馴染みであったな?」
「はい、幼い頃から親しくしております」
フラン伯爵夫人は元スカイナル子爵令嬢、つまりアイザー=スカイナルの姉に当たる女性である。
向けられた華やかな笑みに、しかしユリエラは怯えながら小さく頭を下げた。
「ならば、ユリの身支度をそなたに頼みたい。とびきりの淑女に仕立てて宴に放り込んでくれ」
「仰せのままに。微力ながら、どこに出しても恥ずかしくない淑女にしてご覧に入れますわ」
似た背格好のユリエラなら自分の娘時代のドレスが入るだろう。念入りに手入れを施して、髪も肌もピカピカに磨き上げなければ。どのような雰囲気でまとめるか、エスコート役との調和を考慮する必要がある。
フラン夫人は、ユリエラの顔が曇れば曇るほどに嬉々として変身計画を練る。
「エスコートは妾の近衛を貸し出そう。あれらは顔も家柄も申し分ないからな、ユージンなんぞ足元にも及ばぬわ。廊下に突っ立っておるゆえ適当に選んでまいれ」
「まあ、素敵ですわね! 近衛の皆さまは乙女の憧れ、羨ましい限りですわ!」
「フラン夫人。ユリエラは男を見る目がないゆえ、これもそなたの力を貸してやってくれ。ただし、今の発言は新妻として失格じゃ」
「かしこまりました! 自分のパートナーを選ぶつもりで、しかと選定してまいります!」
さあ行くわよと、結婚してもなりを潜めない強引さでフラン夫人がユリエラの腕を引く。
アイザーが恐れる偉大なお姉さまにはユリエラも頭が上がらない。
わざわざフラン夫人を連れてきたのはこのためか。メイベルの手際に完敗だ。
「見たか、これが妾の本気じゃ」
およそ王女らしからぬ高笑いを背に、ユリエラは部屋を連れ出された。
・・・
第二王女専用の研究室は、日当たりと警備の問題を全てクリアする研究棟の最上階にある。
質実剛健な家財と数多の研究素材が共存する我が城で、ソファの背にグッタリもたれたメイベルは物憂げにため息をついた。
「疲れたの……」
心なしか、黄金の巻き毛も消沈ぎみだ。
壁と同化し、沈黙を貫いたセーラスは、ここにきてようやく進み出た。
「お茶をお淹れしましょうか?」
「今日はせっかく侍女を連れておるのじゃ。あれらが戻ったら淹れさせるゆえ、そなたの激マズ茶は必要ない」
「あ、そうですか」
さりげない悪口は意に介さず、先ほどまでユリエラが座っていた席に腰を下ろす。
「いつの間にこのような完全犯罪を?」
「昨日の間しかあるまい。そなたから聞いてすぐ動いた。多少、腰の重い年寄り共を脅しつけはしたが、総じて穏便に運んだぞ」
専攻科中途退学の最終学歴はネックになったが、王女が認める人材を拒むほど研究棟にも余裕はない。
それに、ユリエラは、退学を惜しまれる程度には十分な魔力を持っていた。
誰もが二つ返事で判を押したと、メイベルは経緯を語る。
「殿下のご温情に感謝いたします」
「よせ、そなたに畏まられると気持ち悪い。今回のことはあくまでユリの名誉回復が目的で、ユージンの尻拭いは二の次じゃ」
魔力はあっても容姿は平凡、淑女の嗜みは絶望的。ついでにいえば、読み書き計算を武器に男に混じって働くなんて問題外。その上ユージンに捨てられたとあっては、もう、ユリエラに未来はない。
だが、平民の娘に懸想して長年の恋人を捨てたことが公になれば、ユージンはもとよりロックバーン子爵家の評判も危うい。
二人の破局に王女が絡んでいると知らしめることは、どちらの家にとっても重要な意味を持っていた。
「身内の前で悪いがの、本当に、愚かな男よ」
「……お恥ずかしい限りです」
あの日、まだ早い時間にユリエラを送り届けたセーラスは、宿舎がある王立学園とは別の方向―――実家へと足を運んだ。
ユージンを待ち伏せ、問い詰めるためだ。
夕方になって帰宅したユージンは、屋敷にいるはずのない弟の姿に驚いたが、すぐに理由を察して全てを喋る。
そして、内緒にしてくれと頭を下げた。
理由を聞けば、反対されると分かっているから、ユリエラを切った事実を含めて誰にも明かしていないという。
あまりの身勝手さに、専攻科で習っただけの黒魔術の陣を描きかけたことは言うまでもない。
「年は十、両親とは死別、魔力はない。とある貴族の屋敷で働いているが、碌に食事も与えられずの長時間労働と陰湿ないじめに苦しむ日々。亡き両親と一度だけ見に行った芝居の感動をよすがに、いつか舞台に立つことを夢見ながら、過酷な運命と戦う強い心の持ち主―――とな?」
「ユージンから聞いた限りでは、そうですね」
「よくもそんな三文芝居が信じられるな、さすがは赤点王と呼ばれた男じゃ」
持ち出された懐かしい呼び名に、少しだけ肩の力が抜けていく。
赤点王。
それは、読んで字のごとく、恥ずべき実績に由来したユージンのあだ名である。ところが当の本人は、『王』の響きに有頂天のままで王立学園を巣立っていった。
『さすがは赤点王、よくもそんな蔑称を喜べるものじゃ。あれが次期当主かと思うと、ロックバーン子爵家の先行きには不安しかないの』
記憶では、当時のメイベルも似たような台詞を吐き捨てていたはずだ。
「何が『魔力はない』じゃ、デート中に魔術の気配を垂れ流しておきながら。あやつの頭はスッカラカンか?」
「ご存じのとおり、ユージンに魔力はほぼありません。ですから、その点についてだけは責めはないと……」
魔力を待たぬ者に魔術の気配は読めない。
他ならぬ事実を述べただけで、肩を持つなと叱責が飛んだ。
魔術とは、魔力がもたらす一定の効果を効率的に導くための行為であり、早くから確立された学問のひとつである。
今や、魔術なくして魔力を振るえる者は少ない。
伝獣に『ユージン別れたなぜ』と暗号を託したアイザー=スカイナルでさえ、総じて見れば魔力がある方に分類されるこの時代。人々の身に宿る魔力の量はそれほどまでに低下していた。
教科書どおりに媒体を揃え、手順をなぞるだけで望む効果を得られる魔術は、もはや人の営みと不可分な存在だ。
しかし、忘れてはいけない。
魔術の本質が、自然界の摂理を歪める暴力であることを。
セーラスが例の娘から感じたのは、魔術が発動した際に生じる独特の気配だった。
恐らく、時間はまだいくらも経っていない。
片や公園、片やカフェの店内という結構な距離と障害物を挟みながら、まだ新しく荒々しい歪みの余韻が不快感を掻き立てた。
曲がりなりにも研究棟に身を置く人間として、これほどの使い手を知らないはずはない。
魔力の特徴に目を凝らし、記憶にある魔術士のものと照合を試みたが、一致する人物はいなかった。
「あの馬鹿に少々の魔力があったところで、どうせ深く考えもせず娘の尻にホイホイ付いて行った挙句に身の破滅じゃ」
「確かに」
「よいかセーラス、今すぐユージンを引き離せ」
「まあ、相手の年齢的にもそうするつもりではありますが……」
十八歳の健全な男が愛を語る相手としては外聞が悪過ぎる。
ひと言で言うなら『変態』だ。
何より、セーラス自身が兄に向けてそう言った。
「娘の素性に心当たりがあるのじゃ。まあ、妾としては、あやつがどこでどうなろうと一向に構わぬがな。そのときになってもロックバーンの名が残っておれば、家はそなたが継いで万事解決よ」
ひどく意味深な眼差しが嫌な笑いを浮かべている。
「……爵位剥奪の可能性が?」
「そうこうしているうちに、どこかの誰かにユリを持っていかれるわけじゃ。困った困った。いつまで指を咥えて見ているつもりかのぅ」
前途多難よの―――言葉の割には晴れ晴れしい笑顔で、ユリエラをこよなく愛する王女様はセーラスを突き放した。