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3 十八日前 〜ようこそ、研究棟へ〜

 シュトッフェル王国の最高学府を擁する王立学園は、厳重な警備が敷かれた王城の一画にある。


 ―――なんだか、大事になってしまったわ。


 この国の民は五歳を迎えると修学の義務を負う。

 学を修めるという文字どおり、全ての子供は五年にわたる学問の基礎課程を必ず修了しなければならない。そのため、教会や領府に併設する形で各地に学校が作られた。

 ここ、王立学園の基礎科は、王都に暮らす貴族の子供たち向けに用意された学術機関である。


 一方、同じ敷地内に建つ専攻科の方は、より高度な教育を受けようと王国全土から人材が集う狭き門だ。

 学術、武術、魔術。どのコースを選んでも、優秀な成績を維持しなければ容赦なく追い出される。

 学問を極める喜びの裏にあるどうしようもない焦燥感は、いまだ思い出すだけで胃に響く。


「お待たせ。立入許可証をもらってきたよ」


 隣に降り立つ柔らかな気配に、ユリエラは記憶の淵から顔を上げた。


「なに、どうかした?」

「いいえ、なんでも。手続きしてくれてありがとう」

「どういたしまして。じゃあ行こうか、首を長くしてお待ちだから」


 そう言って先に歩き出したのはセーラスだ。

 ちなみに、セーラスが住んでいるのは王立学園の敷地内に立つ職員宿舎である。基礎科からこっち、全ての人生をこの場所に捧げた彼の佇まいは、当然ながら堂々としている。


「まさか、もう一度お邪魔する日がくるとは思わなかったわ」

「そう? まあ、ユリは、その覚悟だったんだろうね」


 特殊な魔力を持つがゆえに制御を学ぶ必要があり、基礎科を終えてすぐ、ユリエラも専攻科の魔術コースへと進んだ。

 しかし、二年生を終えた時点で自主退学を選んだ。

 卒業まで残り三年、高い授業料を払いながら伸びしろのない魔術を磨くことは、現実的に色々と限界だったのだ。


 今日は、友人からの呼び出しを受けてやって来た。

 こんなことでもなければ、二度と足を踏み入れなかっただろう。


「研究棟に入るのは初めて? 息苦しさは専攻科ほどじゃないから、そんなに緊張しないで」

「緊張はしてないけれど……」

「じゃあ、いい加減に諦めなよ。僕を迎えにやったのも君を逃がさないためなんだし」

「あなた、私の味方じゃないのね?」

「この件に関しては」


 飄々と言ってのけた幼馴染みをひとつ睨んで、せめてもの気分転換を図る。

 相手の用件が分かるだけにほとほと気が重い。




 ・・・




 一切の甘えを許さない群青色の吊り目は、ユリエラが何か喋るたびに剣呑さを増した。

 手の甲で払いのけられた髪は苛烈な性格そのままの黄金色。未婚女性らしく一部を結い上げ、残りはきっちり縦に巻いて流しているが、何度も胸元に垂れては彼女の苛立ちに拍車をかける。


「―――と、セーラスから報告を受けておる。不足があるなら申せ、聞いてやろう」


 堅苦しい物言いは本気の表れだ。

 王族の深い怒りに当てられ、ユリエラはただただ頭を垂れた。


「ならば、そなたの連絡が遅れた理由を問おう」


 遅れたも何も、連絡する気がなかったことは互いに承知の上である。


「このような些事で、殿下のお耳を汚す必要はないと判断いたしました」

「なるほど、些事とな。これをそなたは些事と申すか」


 言葉選びを間違えた。


「先週、そなたの伝獣が寄越したのは保温庫に仕込んだ術式の改良案だったか。そちらの方がよほど些事に思えるのは妾だけかの?」

「……恐れながら、受け取り方は千差万別。ものの価値は―――」

「教える価値もないと申すか?」

「いえいえ、決して……」

「もう良いわ! そなたの身は妾がもらい受ける。異論は許さぬぞ、このっ、薄情者めぇぇっ!」


 シュトッフェル王国第二王女メイベル=ラナス=シュトッフェルは、顔を真っ赤に染めて仁王立ち、腹の底から咆哮した。




 老朽化した学舎の建て替え工事が終わった。

 年明けの完成披露式典を機に研究棟は再スタートを切る。それに合わせて、ユリエラ=グラスに補助研究員の資格を与える―――第二王女であり研究棟の名誉研究員として、落ち着きを取り戻したメイベルは厳かに告げた。


「安心せよ、グラス男爵は『どうぞ宜しく』と申しておった。学園側も諸手を挙げて賛成じゃ。国王陛下もお認めになった今、そなたに拒否権はない。妾の補佐役としてよく励むように」

「補助研究員とは殿下のお世話係ですの?」

「そなたを誘い続けた妾が最たる利を得て何が悪い」

「私は辞退し続けておりました」


 もう決まったことじゃと、メイベルは再び唾を散らす。

 第二王女の権力乱用はユリエラのためだ。

 メイベルが断行した苦肉の策は、男爵令嬢としてのユリエラを必ず救うだろう。


「……この身に余る幸せ、謹んでお受けいたします」


 多少の恨めしさが滲む口上を、メイベルは苦笑ひとつで見逃した。

 研究棟への勧誘―――ましてや王女の声がかりとくれば栄誉の極みである。

 誘惑に飛びつかない者はいないだろうに、拒み続けたユリエラの真意を、メイベルもまた理解していた。


「そうと決まれば善は急げじゃ! 商業組合の方は明日にでも断りの挨拶に行け。そうじゃ、身分証と一緒に仕事用のドレスを届けてやろう。誰ぞ、事務局からメジャーを借りてまいれ」


 心変わりする隙を与えないよう、メイベルは畳みかける。

 壁際に控えていた侍女も、指示を受けるや否やすぐに部屋を後にした。


「ええ? 来年からなんでしょ?」

「年内に荷物の移動を終えねばならぬ、来年と言わず遠慮なく出てくるが良い。今この時からでも大歓迎じゃ」

「そんな無茶言わないで! 年の瀬も近いこの時期に、急に辞めるなんて言えないわ!」


 王立学園を離れた後も二人は頻繁に伝獣をやり取りしている。

 だから、こんな文句も日常茶飯事。今さら恐れるような相手ではない。


「難しくとも、そなたは動かねばならぬ。妾に請われて研究棟に入る、そのためにユージンを切った。別れて一か月が経つのじゃ、呑気に構えている暇などない!」

「それはそうだけど!」

「それから、妾の名を添えて招待状を送るゆえ、年迎えの宴に出席せよ。噂好きな連中に我らの繋がりを見せつけるのじゃ」

「年迎えの宴ですって⁉︎ 無理に決まってるでしょ!」


 信じられないことを言われたと目を丸くするユリエラを、鞭のような一喝が打った。


「あれも嫌これも嫌と、いい年して我儘を言うなっ!」

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