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2 二十日前 〜過去は過去、されど過去〜

 高級レストランが脇を固める通りを抜けると、大量の水を噴きあげる噴水が目にも寒そうな公園に出た。

 煉瓦で囲まれた花壇に色はない。しかし、噴水を囲むように置かれたベンチの所々には人の姿がある。

 ユリエラは王都の地図を頭に広げた。

 芝生広場の先に見える雑木林は土手に繋がっているはずだ。噴水の水はその川から引いている。

 結構な距離を歩いたものである。


「ユリ、こっちだよ」


 ちょっとだけ待っていてと、姿を消したセーラスは時間を置かずに戻ってきた。

 席があるか、目当てのカフェまで確認に走ってくれたのだ。

 その心遣いは嬉しいけれど、素直に喜べないのは、セーラスが寒風吹き抜けるオープンテラスを背にしているからだ。


「そんな顔をしなくても中の席が空いてるよ。ほら、おいでよ」


 季節的に外はない。

 思ったことは、言葉にせずとも伝わっていた。


 ―――『おいでよ』か。そうやって手招くのはいつも私だったのに。


 セーラス少年は刷り込みされた雛だったのだ。

 雛はやがて必ず巣立つ。親鳥は、その成長を祝福してあげなければ。

 だから寂しくないと、ユリエラは自分に言い聞かせる。




 ・・・




 お好きなお席にどうぞと案内された店内は、絶品のキッシュが運ばれてくる頃には満席となった。

 安息日だけに家族連れも見られるが、やはり、カップルの姿が多い。

 隣のテーブルに通されたカップルは初デートらしく、席に着くなり「あの!」とか「その!」と距離を探り合っている。

 単純に微笑ましく思うのは、ユリエラ自身に懐かしむような過去がないからだ。


 窓の向こうは広々としたオープンテラス。

 冬でも出しっ放しのテーブルセットに客はいない。

 兄と違って優しい弟が過酷なランチタイムを強いるはずもないのに、とんだ言いがかりをつけるところだった。


「―――先月発表した魔信機は偶然の産物なんだ。本当に作りたい魔道具の方はなかなか進まなくてね」


 連れの意見も聞かず、思いつきで行動するのはユージンの悪い癖だ。


「魔信機の軍用化の話もあったりして、遠水鏡(えんすいきょう)はまた先延ばしになりそうだよ」

「へえ、そうなの」

「軍用化するくらいなら、精度を上げてコストを下げる方に時間と予算を費やしたいと思わない?」

「セーラスは頑張っているのね」

「……ユリ。今、何を考えてる?」


 柔らかな声は、その柔らかさを失わぬまま、上の空のユリエラを現実に連れ戻す。


「もしかして、ユージンのこと?」

「……ごめんなさい」

「謝るのは僕の方だ。ロックバーン家の人間として、ユージンの所業を心より謝罪します。償えるものなら、僕はなんだってする」


 カトラリーを置いて姿勢を伸ばすと、セーラスはわずかに上半身を折った。

 社交界に出回る評判はともかく、ユリエラ自身には傷ひとつないと既に何度も言っているのに。


「もうやめてよ。ユージンが他の女性を求めたのは当然の成り行きで、不貞なんかじゃないって説明したでしょ。だから、あなたもユージンを責めたりしないでね」


 ユージン曰く、真実の恋に落ちた胸はキュンと切なく震えるらしい。


 ―――私、ユージンに対してそんな風に思ったことはないわ。


 胸がキュンとするトキメキなんて、全くもって未知の世界だ。

 ということは、最初から、ユージンに何をされようと傷付く要素がなかったのである。


「待って、他の女性って?」

「そもそも、私たちは付き合ってさえいなかったのよ。確か、俺の側にいろって命令されたのが始まりだった。私をどう思っているのかも聞いたことがないわ」

「待って、アイツは、ユリという人がいながら別の女性とも付き合ってたの?」


 アイザーたちを見ていれば考えを改める機会などいくらでもあった。

 手を繋ぐことも、熱のこもった眼差しを向けられることもなく、何かが違うと気付きながら自分の気持ちにさえ向き合わず。


 ―――そんな状態で十年近くも、だなんて。


 ああ、恥ずかしい。


「自業自得なの。私だって、都合の悪いことを都合良く忘れていたんだから」


 端的に言って、ユージンは優しくない。

 昔からガキ大将的な存在で、長じても俺様な性格が抜けず、スマートな王子様に憧れる女生徒からは遠巻きにされていた。

 ユージンの振る舞いはユリエラを前にしても一向に変わらず、つまりそれは、特別扱いすべき相手ではないとユージンなりに意思表示し続けていたのだ。


「……よく分からないけど、話は見えた。ユージンがとんでもなく馬鹿なことをしたという話だね」

「ユージンだけが悪者じゃないと―――」

「ユリもユリだけど、ユリを止めなかったあの頃の僕も僕だからそこは言及しない」


 濃い緑色の瞳を眇めてセーラスが言い渡す。

 いつになく不機嫌な様子に、不利を悟ってユリエラは黙った。


「確認しておきたいんだけど、ユージンを好きだったわけじゃないんだね?」

「幼馴染みとしては今も好きよ」

「そんな答えはいらないから。で、二人が付き合ったのは恋愛感情からじゃないんだね?」

「だと思うわ」

「ユージンが別の女性を選んだ今も、未練はない?」

「ないわよ。今までだってユージンには何人も相手がいたもの。それがようやく、運命の相手に出会えたってことでしょ?」


 良かったわよねと、能天気に続けなくて本当に良かった。

 飲みかけのレモン水がグラスの中で波打ち始める。

 完璧に制御されたセーラスの魔力が、本人のあずかり知らぬところで理性を超えたのだ。


「―――僕は、二人が結婚するものだと思っていた」

「わ、私を含めみんな思っていたわ。でもほら、そうなると家の問題があるでしょ。ユージンが婿に入るなら、ロックバーン子爵家はセーラスが継がなきゃいけないのよ」


 研究棟から出るのは嫌だろうと水を向ければ、セーラスは首を横に振った。


「それがユリの幸せに繋がって、他に手段がなければ、僕は受け入れるつもりだったよ」

「え……?」

「僕にはそれだけの……恩、がある」


『ユリちゃんの夢を、僕は忘れない。いつかユリちゃん自身が忘れても、その夢は僕が叶える』


 頬を真っ赤に染めたセーラス少年の真っ白な誓いを、なぜか今、ユリエラは唐突に思い出した。


 ―――魔道具開発の第一線で活躍するセーラスは……私が手放した夢を叶えてくれたということよね。


 ユリエラにも、研究棟に属する未来を思い描いた時期があった。

 あれは、王立学園の基礎科を修了し、最高学府である専攻科の魔術コースに進んだばかりの頃。

 教師陣のお世辞に浮かれ、ほんの一瞬だけ分不相応な夢を見てしまったのだ。


『新しい魔道具の開発って面白そうじゃない? あれほしいなぁ、あると便利だなぁって思ったものが手に入るのよ』

『手に入るっていう言い方は違うと思うけど、それって研究棟の話? 研究棟に行きたいの?』

『行けるものなら行ってみたいわ。セーラスは興味なぁい? あなたなら先生方の推薦を受けられるでしょ?』

『うーん……じゃあ、ユリちゃんが行くなら僕も行こうかな』


 ―――この程度の魔力しかなくて、私ときたら大それたことを喋ったわね。


 ユリエラは跡取り娘だ。

 養子になってくれそうな親戚がいない以上、婿を取り、子を為し、家のために生きると決まっている。

 その義務を捨てられるほどの強い思いも勇気も可能性もなかったくせに、なんと無謀な夢を抱いたものか。


 セーラスが周囲の期待に応え、魔道具の研究にのめり込んだのは、ユリエラが夢を語った後のこと。

 必然的に、二人が疎遠になったのもその頃である。

 今となっては懐かしさだけを覚える良い思い出だ。おかげで、穏やかに言葉を返すことができた。


「あなたを研究棟から奪うなんて、申し訳なくて私にはできないわ。それにね、仮にユージンが私を好きだったとしても、その選択肢はなかったと思うの。あなたが子爵様なのに自分は男爵なんて絶対に認めないでしょ?」


 だからもう気にしないでと、眉間に寄せられた深い皺を見ながら祈るように伝える。

 チャプリと、レモン水の雫がテーブルクロスに染みを作った。

 それきり、水面を荒立てるセーラスの魔力はなりを潜めた。


「……差し支えなければ聞いていいかな」

「なあに?」

「ユージンは、別れの理由をどう言い訳したの?」


 落ち着きはしたが、怒りは消えていない。声からしてそんな感じがする。

 これは、炎を煽らないよう慎重に返さなければ。


「そうね、なんだったかしら。ええっと……真実の恋でトキメキたいとか? 言っていたような気がするわ」


 結果として、実際の台詞からは遠ざかったものの、内容的には誤差の範囲内に収まった。

 聞き返されもしないから納得したのだろう。

 ユリエラは、たっぷり落ちた沈黙の意味をそう理解した。


 やがて、目元を覆ったセーラスが小さく呻く。


「―――僕のせいじゃないか」


 その言葉はユリエラまで届かなかった。

 わずかに早く、意識が窓の外に奪われてしまったからだ。

 一点を見つめたまま、音もなく唇が動く。


「ユリ?」


 異変に気付いて視線を追ったセーラスも、瞬時に顔を強張らせた。


「……最低だ」


 オープンテラスの先、噴水前のベンチで。

 ユージン=ロックバーン―――今まさに話題の彼が、連れの女性に笑いかけている。

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