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1 二十日前 〜安息日のお約束〜

 鏡に映る自分に向け、ユリエラは呆れ半分に言ってやった。


「確かに、これはマズイでしょ」


 ユリエラの髪は実りの季節を迎えた麦の色だ。それ自体に文句はないが、長さがあり、毛先にいくほど奔放に波打つものだから、一つに結わえて邪魔にならないようにしている。

 今日も今日とて労働階級の平民と同じ姿でウロウロしていたら、物言いたげなメイドの視線に自室へ追い返されてしまった。


 ―――見栄え良く結うって苦手なのよね。触れば触るほど悲惨になるんだもの。


 手先は不器用だ。

 世間一般が女性に求める資質は、ユリエラの中に存在しない。

 だから、グラス男爵家の懐事情を鑑みて働きに出る必要性を悟ったとき、女官や侍女仕事の口を早々に諦めたのである。


 ―――私がどんな格好をしていようと、セーラスが気にするとは思えないし。


 王立学園で勉学に励み、貴族の子女の働き口としてはギリギリ面目が立つ商業組合―――社会的信用と安全性が確かな上に魔術とは無縁の民間組織で、得意の計算を活かせてそこそこ給金がもらえる仕事を得て、結果として不足は補えた。

 だがせめて、高望みはしないから、身だしなみに関する最低限の技術を同級生のお嬢さま方から習得しておくべきだった。

 男爵家のおばあちゃんメイドは家事をこなすだけで精一杯だ。母を早くに亡くしたユリエラは、そういう意味で気軽に頼れる者が少ない。

 父が再婚してくれたら良かったのだが、王城で働く父の給金は慎ましやかなもので、他に収入源となる領地もないものだから、生活苦を覚悟してまで嫁いでくれる奇特な女性はついぞ現れなかった。


「……セーラスが気にしなくても私は気にすべきなのよ、きっと」


 着古したワンピース、手櫛でまとめただけの髪。紅をささない唇は血色が悪く、心なしか肌も青い。


 ―――これにトキメキなんて、ユージンじゃなくても無理でしょうよ。


 少し考えたユリエラは、一週間前の茶会とまったく同じ装いに身を改めることにした。




 暦は今年最後の月を迎えた。

 ユリエラは今、ユージンの双子の弟、セーラス=ロックバーンの訪れを待っている。

 というのも、先週の茶会でアイザー=スカイナルが伝獣を飛ばした数分後、やはり伝獣を使ってセーラスが約束を取り付けてきたからだ。


『次の安息日にランチに行きましょう。十の鐘が鳴る頃に迎えに行きます。ユージンの話はそのときに』


 セーラスの伝獣はそれはもう立派な鷹だった。

 見た目を裏切らない流暢な喋りに、セーラスが抱えた魔力の大きさを改めて実感したものだ。


 この魔力―――魔術の行使に不可欠な燃料は、努力したところで後発的に得られるものではない。

 享受できる者、享受しても一生のうちに使える量は生まれた瞬間から決まっており、しかも近年、それらは減少の一途を辿っている。


 ここ、シュトッフェル王国においても、魔力を持つ子供は今や貴重な存在となった。

 かつての魔術大国は研究棟と呼ばれる専門の施設を作り、魔力の大きさに左右されず誰もが扱える魔術道具―――魔道具の研究開発に国を挙げて取り組んでいる。

 王立学園在籍中から余すところなく才能を発揮していたセーラスは、卒業と同時に研究棟へ連行され、昼も夜もなく身を削るように働かされているそうだ。

 長らく会ってはいないものの、それとなくユージンに探りを入れ、命の無事だけは確認していたユリエラである。


 ―――せっかくの安息日なんだから、無理せず休んでいればいいのに。


 ロックバーン子爵家の双子とは物心ついた頃からの付き合いだ。

 遠い記憶を辿ると、セーラスは、強すぎる魔力に戸惑うばかりでいつもユリエラの陰に隠れていたように思う。

 いじめっ子気質の兄とは正反対で体も弱く、いつか魔力に喰われてしまうのではないかと心配していたくらいだ。


 ―――私たちの破局は、そんなに衝撃的なことかしら。


 終わったことより自分の体を大事にしてほしいと、幼馴染みとして強く思うのだ。




 やがて、午前の十時を報せる鐘が鳴った。

 メイドに呼ばれて玄関ホールに降りると、目に飛び込んだのは光を背負う長身の影だ。

 駆け出そうとした足を止め、思わず眉根を寄せる。


「……ユリ?」


 相手の方もどうやら訝しんでいるらしい。

 髪を撫でるような穏やかな呼びかけには若干の不安が混じっている。


「ユリ、だよね?」


 渋いというほど低くはなく、ユージンのように自己主張の棘もない柔らかな声だが、こんな声の男性に知り合いはいない。

 いない、はず。

 ユリエラの明晰な頭脳は、聞き取れないほどの小さな声で『ユリちゃん』と呼び、スカートの端をギュッと握ってきた可愛いらしい少年の成長を認めなかった。


「あの、どちらさま?」

「……セーラス=ロックバーンですが」


 頼りない問いかけにも返される答えは丁寧で、ここに来てユリエラは警戒心を解く。


「セーラス……様でしたか、これは、お久しぶりでございます」


 こんな風に、感動の再会は何とも他人行儀な距離から始まった。




 ・・・




 緊張感というものはそんなに長く続かない。

 屋敷を出て少し歩き、目と鼻の先に広がる街の中心部で人混みに揉まれているうちに、ユリエラは元の調子を取り戻していた。


 シュトッフェル王国の民は六日働いて一日休む。これを一週間として、四回繰り返せば月が変わる。

 安息日と呼ばれる休日には王城の機能が止まり、公的な施設も閉鎖される。そのため、右に倣えで休みを設定する商売人は多い。

 しかし、客商売にとっては安息日こそが稼ぎどき。

 通りに連なる商店のみならず、路上に所狭しとゴザを並べた露店商も、ひとりでも多くの客を呼ぼうと声を張り上げていた。


「今年も残りひと月になって、買物客が増えたわね。教会のバザーとか広場のマーケットとか、考えただけで肩が凝りそうよ」

「商業組合で帳面仕事してるんだっけ。組合は教会の経理も請け負うの?」

「それとは別口で、忙しい時期だけ個人的にお手伝いに入っているの。でも、奉仕の一環だからお金は貰わないわよ」


 小遣い稼ぎではないと念を押せば、さすがはユリだねと純粋な称賛を浴びた。


 ―――ユリちゃん、じゃないのね。


 寂しがる年でもないのに、大切な友人を失った気分である。

 こうして喋るのはいつ以来だろうか。

 王立学園を離れてからというもの顔を見る機会はなく、わざわざ伝獣を飛ばす用事もなかった。

 男性の成長期は女性のそれより遅いというが、百聞は一見に如かずとはまさにこのことだ。


 ―――そうよね、ユージンだけが成長してセーラスは可愛いままだなんてわけがないもの。別に、今のセーラスが可愛くないと言うつもりはないわ。ユージンと同じ顔なのにやっぱり可愛い。でも、可愛いというより……これはもう……。


 何を話しても興味深そうに聞いてくれるから、商業組合で起きた面白エピソードから茶会で仕入れた知人の近況まで、気持ちを誤魔化すようにユリエラは喋り倒した。

 時折やってくる沈黙は心地良い。が、恥ずかしくもある。

 十年近くをユージンに費やしておいて今さらだが、顔が同じということに何も意味はないと、ようやく理解した。


「ユリ、少し早いけど昼にしよう。店の希望はある?」


 軒を連ねる瀟洒な店構えに、ユリエラは困った風に微笑んだ。


「……この辺りで食べることがないから、あまり詳しくないのよ」


 なぜかと言えば、上流階級向けの、値段も格式もかなりお高いと評判の洒落たレストランしか見当たらないからだ。


「正直に言うと、僕も全く詳しくない……ので、今日は、あらかじめ先輩に聞いてきました。キッシュが絶品の店と煮込み料理が旨い店、どっちがいい?」

「絶品と旨いの違いは味の優劣?」

「方向性の違いだと思うよ。お上品か庶民派か。もしくは、初々しいカップルか気取らない付き合いか」


 たぶん、玄関ホールでのやり取りを暗にからかわれたのだろう。

 どちらにしても少し先だからと、素知らぬ顔で進行方向を示されて、返す言葉を迷いに迷う。


「……お昼から煮込み料理は重たいかもしれないから、お上品なところでキッシュにするわ」

「そうだね」

「さっきのは、驚いただけで他意はないのよ。思った以上にセーラスが……そう、かっこよく? なっていて言葉が出なかったというか」

「疑問形にされると喜びも半減だね」

「ご立派になられましたわね!」


 ヤケクソで言い放つ。

 すると、今日初めて、セーラスが声を上げて笑った。


「ユリもね」

「そんなそんな、見え透いたお世辞は結構ですわ」


 ツンと顎を反らしたせいで、セーラスの眦が細く垂れたことにユリエラは気付かない。


「お世辞じゃないよ。ユリは、キレイになった」

「だから、無理して言わなくてもいいのよ!」


 催促したみたいで嫌だわと、再びユリエラが顔を戻したときには、セーラスは既に歩き出していた。

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