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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

精進積みに、加護ぞある 

掲載日:2018/02/06

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 おお、スクラッチくじ、当たったぜ!

 3等、マグカップセットね〜。5枚くらいの投資でも、当たる時には当たる。こう、たくさん買っても当たらない人とか見ているとさ、自分が「持っている」と実感できて、きもちよくならないか?

 でも、考えてみれば、俺たちって奇跡的な幸運の上に生きているわけだよな。

 遥か過去から続いてきたご先祖様。彼らの誰かが欠けてもだめ。当然、父と母もだ。それでいて、何十億という同胞の中から、「俺」になる遺伝子が結びつかなきゃなんねえ。

 こう考えると、「俺たち」が産まれる可能性って、天文学的数値じゃあないかい? もはや運がいいを通り越して、天の恵み。何者かの加護すら感じてしまいそうだ。

 つぶらやはどうだ? 物語には非現実的な要素が入ることも多いが、その実、「加護」とやらは信じているか?

 そういう信心についての昔ばなしを聞いたことがあるんだ。お気に召すといいんだがな。

 

 鎌倉時代。武士の世となったものの、それまでに流した血の臭いにひかれてか、疫病や天変地異が、日本各地で起こった。お釈迦様が亡くなられて2000年たつと、仏教が衰え、世が乱れるという「末法思想」も広がり、今一度、信心が試される時がきたわけだな。

 僧侶たちの修行において、大きな課題の一つに、食事があった。「枕草子」にも、「精進料理はめちゃまずい」と書かれていたほど。

 仏教の禁忌の一つに「殺生」がある。ここで詳しく話すつもりはないが、精進料理は殺生の戒めに触れないように、菜食を中心に作られてきたのは、多くの人に知られていることと思う。

 まだこの時期、昔ながらの野菜だけ食生活を続けている寺も、なかなか多かったとか。

 

 ある山の上に位置する、その寺も、供養や布施の品のみで生活をしている貧しい寺だった。

 加えて修行も厳しいものがあり、冷たい水を浴びる修行。一定期間、朝起きて、夜寝るまでの間、座禅を組む修行。険しい山道を練り歩く修行。今も伝わる、厳しい修行に身を委ねる者たちばかりだったらしい。

 ついていけず、脱落する者もいたが、この寺の住職は、あらゆる荒行と質素な食事を経験し、神通力を得たとされ、人々は畏怖の念を持ったのだと。

 

 神通力の最たる例として、住職には放たれた矢や石が、当たらないというものがあった。

 住職はかつて、大きな戦に参加した武士だったが、世をはかなみ、出家したという。その身には大きな刀傷こそあったものの、その頃からすでに、矢傷を負ったことは一度もなかったらしいんだ。

 それが修行を積んだことにより、放たれたり、飛び回ったりする武器やまじないの一切を、退ける力を得た、という話だった。実際、説法をするために、いくつかの町をめぐった時、とある町で住職をこころよく思わない者たちに囲まれ、石を投げつけられたものの、けがどころか、服にかすることすらなく、かえって投げた人々を恐れさせたことがあった。


 これぞ徳高き者の証、とばかりに、貴族などは末子をかの寺で修行させたらしい。得た徳によって、極楽浄土行きを招こうという魂胆もあったかもな。自分がやらないくせに。

 だが、邪な念、中途半端な思いを持って臨む者は、たちまちふるい落とされた。住職の目は広く、些細な戒律破りも逃さず見つけて、厳罰を科したらしい。

 成人され、修行をした者の中で、この荒行についていける奴は、残らなかった。わずかにでも味わった、俗世のうまみ。これを断ち切ることが、どうしてもできず、住職に咎められたからだ。


 耐えられたのは、世間を何も知らぬ頃から、寺に預けられた稚児たち。戒律と修行こそが当たり前の状態であることを疑わず、幾百、幾千の日を積み重ねし者たちだけ。

 やがて彼らは、歳若くして住職と同じく、飛来するものにぶつかることはなくなっていったとのことだ。秋に境内を掃除しながらも、舞い散る木の葉たちは、彼らの身体のどこにも、触れることはなかった。

 彼らの身体は一様に、肉がそがれて骨が浮き、枯れ木のようないでたちだったという。

 住職も満足した様子で、しきりに何度もうなずいていた。


 ところが、冬のある日の真夜中。

 山上の寺から釣り鐘の音が響いてきた。今日は特に行事はないはず。

 不審だ、と人々が思っていると、続けざまに3回の鐘。

 山からじゃない。地面から響いてきて、多くの寝入っていた人々は、背中がしびれるのを感じた。

 思わず彼らが外に飛び出すと、町の大路を、寺のある山へ向かって、一陣の風が肌をなでつつ飛んでいった。

 町中からも悲鳴。人々が駆けつけると、一軒の家の扉が無残に壊されている。その中には住職の姿が。

 いや、厳密には、住職の袈裟を身に着けた何かだった。その青みがかった顔には、二本の角が生え、吊るされた干物にかぶりつく口からは、大きな牙がのぞいていたのだから。

 住職らしきものは、人々を振り返ると、身の毛もよだつような笑みを浮かべていった。


「あやつら、ようく精進積んだ。育ててやった。守ってやった。ほんとにようく精進積んだ。食われるために精進積んだ」


 住職の姿をしたものは、遠巻きに囲む人々の中を突っ切り、あっという間に夜の中へと消えていった。その夜の間、寺からは、叫び声にも似た風の音が、ずっとずっと町に吹きおろし続けていたとか。


 翌日。寺には住職の姿も、僧たちの姿もなかった。

 ただ、境内のあらゆるところに、おびただしい血の池ができているばかりだったという。

 人が野菜を食うため、育て、守るように、あやつらも野菜たり得る人を食うため、あの寺で育て、守り続けたのだろうと、もっぱらのうわさになったそうな。


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