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「ねぇ聞いた?マーヤ嬢のこと…」
「聞いたわ、というか嫌でも聞こえてくるわ。…王女殿下とお会いして、しかも図々しいことに王子殿下とのお目通りを願ったって…」
「ほんと、最低。恥知らずだわ」
「マーヤ?いないの?」
マーヤの家は珍しく空だった。神殿騎士は週に一度必ず休暇がある。マーヤは今日、その日のはずだった。
「…やっぱり、巷で流れてる噂のせいか…?」
巷というより、貴族の間で流れている噂のせいだろう。
その噂というのは、マーヤが王子殿下とのお目通りを、なんと王女殿下に頼んだというものだ。
この噂を自分は端から信じていないが、貴族の間では本当に起きたことのように囁かれている。
マーヤは自分が王子殿下に会えるなんて考えたこともないだろうし、きっとこれからも思わないだろう。彼女は賢いから、彼女の言葉や行動が全て男爵家に繋がることはきちんと理解している。この間も、男爵家と家格の釣り合う男性の話を聞くのだと言っていた。
それが何をどうしたら王子殿下の話になるのかが分からない。
「ただいまー…あ、来てたのね…ごめんなさい、ちょっと団長に呼び出されてて…」
「マーヤ!…珍しいね、そんなに君が疲れ果ててくるなんて…」
「うーん…ルヴァスのやつに執拗に絡まれて手合わせしまくり…聖女様関係で腹の立つことがあったらしいわ。何度も『あの女が聖女様のお心を利用するなど!』なんて言ってたし」
ところで、あの女って誰かしら。マーヤはグラスに水を注ぎながらそう呟く。…彼女が噂とかに疎くてよかったと、心から思う。不必要に傷ついて欲しくない。
「…とにかくお疲れ様。それで聞いてもいい?この間のお茶会のこと」
「!そうね!待ってて、今お茶の準備をするから」
マーヤが嬉々としてお茶の用意をするのを見守りながら、そう言えば彼女の淹れるお茶は独特過ぎて自分の常識を超えてくるんだったなと、微笑みながら思っていた。
「…それで、男爵家くらいの方でお嫁さんを募集してる方はいないらしいの…はぁ……」
「なるほど、それで話のネタくらいに『高位貴族はどうか』なんて話を、聖女様からされたと」
「そうそう。それでイリアーナ様が『弟はどう?』っておっしゃって…流石に恐れ多すぎるから、『いつかお会いはしてみたいけれど、私に王妃なんて務まりませんから』ってやんわりとお断りしておいたわ。まぁ向こうも冗談だったみたいだから、お咎めはなかったけど」
「確かに、君に王妃は無理だろうね。騎士団長ならともかく」
「ぐぬぬ…否定できないのがまた痛いわね…。実際、団長に『騎士団に入られてはどうでしょう』なんて誘われちゃったし。ルヴァスを倒したほどの男を投げ飛ばしたってこと、まだ覚えているみたいだったわ」
「いいんじゃないか?白銀の騎士は騎士団をやめて、マーヤが騎士団に入る。騎士団なら男も多いし、たとえ貴族がいたとしても次男や三男…家を継がずに実力で生きていく者達ばかりだ。君の結婚相手としてはそれなりに理想的だと思うけど」
「だめよ。騎士仲間は飽くまで仲間。互いに庇って支えて時には拳を合わせて友情を深めて来たのに、今更そういう目で見るなんて無理だわ」
「随分男らしい友情の築き方だね」
「それに、女が男より強いって、きっと男の方が嫌がるし。…はぁ、誰か私を貰ってくれないかしら」
マーヤは気付いているだろうか。その理論では、彼女と結婚できる人間はこの世にいないようなものだということを。
「君より強い騎士なんているの?」
「いるわよ。まず団長でしょ、あとは………」
他には、どうやらいないらしい。
「…それで婚活に進展はありそう?」
「そうそう、それなんだけどね。今日団長に呼ばれてたこともその関係で…」
マーヤが取り出したのは一枚の紙だった。『神殿主催 交流会のお知らせ』という文字が静々と書かれている。
「…交流会?」
「えぇ、一部の貴族が騎士との出会いの場が欲しいと前々から言っていたんだけど。騎士の結婚離れが進んでるのは、確かに出会いが少ないからだっていうことで、今回初めての試みとして…ま、簡単に言えば騎士との合コンが行われることになったの」
「…仮にも騎士の君の言葉にしては身もふたもなさすぎるんじゃないか…」
「いいのよ。それなりに騎士団に貢献してるんだから、この程度の軽口は許してもらわなきゃ。…それで、白銀の騎士はその日はお休みだから参加する気は無いんだけど。…でも、私は出られるのよね」
「どうするの?君はさっき、騎士団の仲間達はただの同僚でしかないと宣言したばかりだけど」
「えぇ、確かにあいつらは同僚。背中を預ける仲間に過ぎないけど、そこから得られる伝手や縁を考えたら、私は参加しようと思うの」
マーヤは真面目な顔でそう言った。…婚活に真面目に取り組んでくれているらしい。初めの頃を思えばだいぶ進歩したのではないだろうか。
「そうだね。聖女様たちとのお茶会を乗り越えた君なら、どんな場でも乗り切れるだろう。応援してる、マーヤ」
「えぇ、頑張るわ!…それにしても、ルヴァスはなんであんなに白銀の騎士に絡んでくるのかしら」
「そのルヴァスっていう騎士は白銀の騎士より強いの?」
「え、ううん、全然弱いわ。殴っても蹴っても軽く背中を叩いても吹っ飛ぶし」
「……他の騎士と比べたら、強いんだよね、ルヴァスは」
「えぇ、そりゃあもちろん!白銀の騎士の終生の好敵手だもの!」
好敵手かどうかはさて置き、マーヤが自信満々にそう言うが、新たな疑問が湧き上がる。
白銀の騎士の方が強いのに、何故彼女に聖女護衛の任務が回ってこなかったのかと言うことだ。
その疑問を口にすれば、
「聖女様が、是非ルヴァスに!って強く言っていたらしいの。昔の知り合いだったとか、そんな感じじゃない?」
「…そうかもね」
口ではそう言いながら、全く信用していない自分が確かにいる。
もしかするとマーヤは面倒な問題に巻き込まれているのではないだろうか。そんな不穏な考えを振り払うように、手元のお茶を一気に呷る。
むせて死ぬかと思った。