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「ね、またあの方が勝負で勝ったって!」
「本当に?!もう何人目だったかしら、連勝し続けてるわよね」
「もう、素敵!あの方の腕に抱かれたいわ」
…広場にいるきらきらした女の子たちが話しているのは、とある騎士のことだ。
何年か前に突然騎士団に入団し、そして今の今まで他の騎士や傭兵からの挑戦に勝ち続け、今や騎士団長に最も近いとまで言われている白銀の騎士。
常に兜をかぶり、その顔を見たものは誰一人いないとされる。唯一見たことのある人物とすれば、それはきっと本人だけだろう。
いや、本人と、自分だけだ。
「…また……」
酒場の隣にある家に入る。薄暗い部屋の奥から女の声が聞こえた。めそめそと、カビでも生えるのではないかと思うほどじめじめと泣いているらしい。もう見慣れてしまったそれに対して、慰めの言葉も出なくなった。
「……またっ、…勝っちゃったよお…!」
その女が勢いよく机を叩けば、メキャ、なんて愉快な音を立てて机は崩れた。幸いにも机には割れ物は載っていなかったらしい。この間は悲惨だった。水差しもグラスも割れて破片が飛び散り、結局片付けをしたのは自分だったのだ。
「…マーヤ、えーと…挑戦者との戦い、お疲れ様。あと、おめでとう。通算でそろそろ…千くらいの勝利だっけ?」
「おめでたくないっ!どうしよう、このまま、本当に私、勝ち続けちゃったら…」
「誰も、そんなゴリラ女と結婚してくれないよーー!!」
完全防音の部屋に、白銀の騎士の中の人、ことマーヤ・ラットリンの悲痛な叫びだけが響いた。
これは、ある国の超絶強い騎士にして一応男爵令嬢である彼女が、結婚相手を探すお話。
「…まぁほら、勝ててよかったじゃない。団長からまた褒められたんでしょう?」
「そうね…団長は『お前のような男が俺の次の団長なんて、騎士団は安泰だな』と、そうおっしゃったわ」
「……ま、まあ、よかったんじゃ、ない…?」
「どこがよ!かんっぜんに、絶対に!男だと思われてる!町の女の子もそうよ!みんな、みんな、あの白銀の騎士がまさか女なんて思ってないわよ!!」
マーヤが勢いよくジョッキをテーブルに叩きつけた。その勢いで中に注がれたビールが飛び散る。そのテーブルとジョッキは幸いにも金属製だ。壊れる心配はない。…幸いにも、というか自分が用意したんだけど。
「というか、自分は止めたよね。マーヤが何をトチ狂ったのか『騎士になる』って宣言する直前に。絶対にお嫁の貰い手がなくなって後から泣くことになるから騎士だけはやめておきなさい、って」
「だって…だって、流行ってたんだもの…」
「そうだね。騎士になった女の子が紆余曲折あって王妃になるとか、そういう話が流行だった。ちなみに今は高位貴族のお姫様向きの内容が流行ってるらしいよ。不遇のお嬢様が魔法だとか奇跡だとか、そういうもののおかげで王子様に出会ってめでたくお嫁さんに、みたいな」
「わ、私がまだ夢見ていた頃にそんな物語が流行っていたら、私だって騎士になろうとはしなかったわ!」
「どうかな。今度は他の子女との差をつけようと、やっぱり騎士を目指してたかもよ?」
というか、マーヤはまだ夢の中だろう。
「そ、そうかも…」
「やっぱり。…大体、マーヤは可愛いんだから兜くらいは取ったら?」
そうだ、マーヤは可愛い。そこらへんにいる女の子と比べたら、それはもう天と地ほどの差があるくらい。
肌は(常に甲冑を着ているから)白く透明で、(常に甲冑を着ているから)傷ひとつない。
美しいこげ茶の髪は手入れを怠ったことがないらしく、手触りもいい。ずっと触れていても飽きがこない。
大きな瞳は黒に見えるけれど、よく見るととても濃い緑色で、この世界に一つしかない宝石のよう。
手足はすらりと長く、騎士なのだから当然無駄なお肉も付いていない。やや胸がないのが難点だけれど、そんなこと大した問題にもならない。
猪突猛進すぎる性格や、家事が苦手、などの能力的な部分を除くなら、彼女は完璧だった。
「…だって、昔言われたんだもの。ゴリラ女って……。だから女であることは隠したくって…」
「それでお嫁の貰い手がなくなっちゃったんじゃ、本末転倒だけどね」
マーヤの家のすぐ隣にある酒場の喧騒が聞こえてくる。完全防音を売りにしていたこの家に聞こえてくるほどだ、さぞ楽しいことがあったのだろう。
「…はぁ……ねぇ、どうやったら私、結婚できると思う?お見合いは全滅、男の子と手を繋ごうものなら緊張してその手を握りつぶしちゃうような、家事が一切できない私なんて…」
「どこかの戦闘民族なら君を欲しがるんじゃないか?」
「もうっ、真面目に答えてよっ」
心外だ。心の底から真面目に考えての返答だと言うのに。
「……なら、あれは?ほら、神殿で囲ってる聖女様の噂」
「…あぁ、未来が見通せるっていう?何度か聖女様にお会いしたけれど、ごく普通の方に見えたけどな」
マーヤは神殿騎士の一人だ。神殿騎士というのは、その名の通り神殿を守護する騎士である。
神殿、と言っても城の一角にあるそこには、なんでも先見の聖女様が住んでいるとかなんとか。
「聖女様って占いも得意なんでしょう?占ってもらったら?恋愛運とか結婚運とか」
「そこでもし、無理です、なんて言われたら泣くわよ」
盛大なため息を吐く彼女は、さながら酒場にたむろするくたびれたオヤジのようである。
「それに、聖女様も私のことを男だと思ってる。占いなんて、とてもお願いできないわ…」
「…君は結婚したいという割には、あまりに消極的だ。マーヤ、そんなようでは、結婚できないまま老婆になってしまうよ」
自分の言葉は彼女に突き刺さったらしい。
息を飲むのが聞こえて、それから彼女は何もかもを飲み込むように酒を呷った。
「っじゃあ!どうしたらいいのよ…!」
「とにかく、まずは出会いを見つけなきゃ。今度の夜会、君は確か珍しく非番なんだろう?」
そう、彼女が言っていたのだ。「今度の夜会は非番なの!あぁ、私もいつか、令嬢として参加してみたいわ」と。
ラットリン家は一応貴族だ。貴族といっても下級の男爵家だけれど。
仮にも貴族のマーヤが世間に知られていないなんておかしいと、普通は考えるだろう。自分も初めこそそう思ったが、彼女の両親に会えばなんとなくわかってしまった。
彼女の両親はあんまりにも、貴族らしくないのである。そう、貴族は大体が自分を取り立ててもらおうだとか、漁夫の利を狙うような輩ばかりだというのに、彼女の両親、ラットリン男爵夫妻は農業や町の運営の方面を、ひたすら楽しみながら頑張っていたのだ。むしろマーヤの存在を知っているのは、そんなラットリン男爵領に住む人々くらいで、貴族の話にはマーヤのマの字も出てこないくらいに。
「あ、夜会、ね……そっか、その手があったわ…!そうよ、ラットリン家は仮にも貴族だわね?!」
「いや、今更…?」
今更すぎるだろう。そう言おうとしてやめた。確かにあの環境で育ったら、例えどんな鋼の精神を持っていても自分が貴族だということをいつか忘れそうだ。
「ラットリン家のマーヤ嬢として、君は夜会に行くべきだ。今回の夜会は確か招待状がいらないんだろう?その代わりに家紋のついた何かが必要になるけど」
「家紋のついたハンカチならある。…どうしよう。初めて私の婚活が上手くいきそうだわ…!」
「…これまでどんなことをしていたのかは、あえて聞かないでおくよ」
斯して、マーヤは急遽王家主催の夜会に参加することになったのであった。
自分?いや、貴族でもないし参加しないけど?
『自分』は飽くまで語り手としての存在なので、名前を付ける気は特にありません。性別も決めていません。
聖女の能力を、『願いを叶える』から『未来を見通す』に変更しました。