幕間12 ロナとインダルト
「おにーちゃん、おっそーい!」
開口一番の不満げな幼女の叫びに、肩で息をしているインダルトは苦笑を返すしかない。
「これ、でも、精一杯、急いだ、んだぜ?」
「というか、よく戻って来られたな?」
鉢巻姿で薙刀を片手にふんぞり返るロナを軽く肩の上に担ぎ上げつつ、やや驚きの表情を含む苦笑を向けた中年男性――、迷宮探索隊のメンバーのひとり、カッシュが、そんな感想を漏らした。
「そりゃ、もう、<インダールの目>まで、使って、裏道、全力。……んぐっ、ふうぅぅぅ」
相変わらずの青息吐息ながら、テーブルの上に置いてあった盗賊ギルド御用達のよく冷えたハーブティを一息で飲み干し、インダルトはようやく深い溜息をついた。
しかし。
「ロナの、ハーブティ……」
「えっ?! あっ、これロナのか!? 悪い、すぐ新しいの入れて来るから!」
「いや、訓練が終わってから飲む予定だったから、後でいい。それより、『向こう』はどんな感じだ?」
皿ごとティーカップを両手に慌てるインダルトに再び苦笑を向けつつ、カッシュは尋ねる。
今にも厨房に向けて駆け出しそうにしていたインダルトは、やっと落ち着いたように、いつものはにかんだ笑みをカッシュに向けて、答えた。
「いつも通りっす。オヤジ……、ハダト隊長以下、『探索班』は順調っすよ。最初はいつも通り、上層の探索で食料採集するそうです」
「そうか、そりゃ何よりだな。こっちの『護衛班』も特に変わりなし、だ。――まあ、お前の帰還が予定より遅れたからな、レディが少々ご立腹、といったところだが」
「そ、そうっ。おにーちゃん、ロナは怒ってるのー!」
自称レディのロナは、自身を肩に担ぐカッシュにそのように呼ばれたことに照れたものか、やや頬を赤らめつつ、右手に持った薙刀の先端をびしぃっ! とインダルトに突きつけたが。
「だーかーらー、悪かった、って。――っていうかな? 俺だから二日で帰って来れるんだぞ? 普通は一週間以上掛かるんだぜ、密林と山越えるんだからな」
すいっ、と片手で布覆いに覆われた薙刀の先端を顔の前から避けつつ、インダルトはカッシュのそばに歩み寄って、ロナに両手を差し伸べた。
「ほんとに?」
「ああ、ほんとだよ。インダルトの移動速度は全軍最速じゃないかな? 知らない場所でも、<インダールの目>で空から先を見て走るからね」
カッシュの肩からインダールの胸に移りながら尋ねるロナに、カッシュは笑って答えた。
「しかし、ここ、アントスの街から《虫の迷宮》まで兵士の足でも一週間の道のりを、二日とはな? どこまで速くなるんだ、お前の足は」
「上司の要求がどんどん無茶になるんすよね……」
ずうん、と青線をバックに黄昏れたインダルトが、心底嫌そうに言う。
「ここから《虫の迷宮》までの最短、最速距離を結ぶルートを見つけたんだから、それでいいじゃないか、って思うんすけど」
「そのルートを更に短縮移動するために、極限まで往復を繰り返す訓練だったか? ……思うんだが、インダルト、お前」
腰に両手を当てて、ロナを胸に抱くインダルトを見据えて、カッシュは言葉を続けた。
「それ、イジられてるだけなんじゃないか?」
「その可能性大、っすけど……、下っ端の辛いとこっす」
自嘲気味に口の端を曲げて、軽くロナの頬に口づけたインダルトは、ゆっくりと屈んでロナを地面に降ろした。
「さて? ロナ、悪いけど、お兄ちゃんそんなに長くここに居られないからな?」
「むぅー。おにーちゃん、忙しすぎだと思う。夜は、帰って来るの?」
「あー、努力はするけどなあ……。この後、商会にも回らなきゃいけないし、盗賊ギルド支部にも顔を出さなきゃだし」
「報告だけだろう? 俺たち護衛班に任せておけ。ここでロナに訓練がてら、俺に報告内容を伝えればいい。後で、手分けして行っておくよ」
「え? いいんすか、カッシュさん? オヤジに怒られたりしないっすかね?」
カッシュの言葉を聞くなり、不満げな顔から急速に満面の笑みを浮かべつつあるロナの頭を軽く撫でて、カッシュはインダルトの問いに頷いて見せた。
「レディがこれだけ喜んでるのを無下にするなど、紳士のやることじゃないだろ?」
「えっとね、ロナ、おにーちゃんと買い物行きたいー!」
「ははっ、んじゃ、カッシュさんのお言葉に甘えてみようかな。いいすか?」
「いいと言ってるだろう? 館には最低限を残して、残りはロナ嬢とお前に同行しよう。適当に報告内容をまとめて、同行する護衛班の誰かに伝言しておけばいい」
インダルトに答えながら、カッシュは周囲の各担当場所に散っている迷宮探索隊護衛班の各員に、ハンドサインで合図した。
……以前は虎徹やレムネア、タケミカヅチも滞在していたこの元は最高級宿だった建物は、現在は盗賊ギルドが雇用人員ごと買い取り、ロナとインダルト、それに迷宮探索隊の宿舎となっている。
「今回は定時報告だけだろう? 他言出来ない内容の報告はあるか?」
「いや、そういうのは……、『これ』で直通、なんで」
ようやくサイズが合って来た、胸全体を覆う胸甲の中央に片手を当てて人好きのする笑みを浮かべたインダルトに、そうだった、とかッシュはひとりごちた。
「ああ、そうだったな……。すまんな、あまりにも特殊すぎて、つい存在を忘れてしまう。『神核』、だったか?」
「そうっす。俺が見聞した内容と伝えたい内容は全部、心の中で伝えたら盗賊王に直通で届くんで、最重要な報告は逆に報告要らないんすよね」
ロナのご要望でお出かけということで、シスの街のレムネアの館から同行してくれている男性の執事が、ロナの着替えを手に歩み寄るのが見える。
その、当のロナはうきうきとその場で稽古着を脱衣し始めているが、まずは恥じらいというものを教えることから始めないと、レディへの道は遠そうだ、などと内心苦笑しつつ、インダルトは言葉を続けた。
「ほんとはこれ、なんか別のことをやるための試作だったらしいんすけど……、作ったシンディさんが不在なんで、よく解らないんすよね」
「……まあ、そこら辺は『再会してから』改めて尋ねるしかないだろうな。――国境の外、カルデラ湖のある火山付近で消息不明、ということだが」
ロナのよそ行き衣装への着替えはもう少し時間が掛かるようで、手早く稽古着をすっぽんぽんまで脱ぎ捨てたロナが、未だに着慣れない様子の幼児用の下着を頭上に?マークを浮かべながら執事の指示に従って身に付けて行く様子を微笑ましく見下ろしつつ、カッシュとインダルトは互いに歩み寄った。
「川の向こうから国境までは国境方面軍の管轄で、立ち入れないから……、その向こうに出る、なんてのは皇都の方でも許可、降りないっすよねー」
「だろうな。俺たちはそれなりにオヤジ配下で鍛えているとは言っても迷宮探索専門だから、地上戦で獣人相手の集団戦では分が悪い」
「知ってます? コテツの体調がもう少し良くなったら、エメリアス要塞の近辺の迷宮に潜るそうですよ」
「……それは、俺に伝えていい情報だったのか?」
いけねっ! などと言いながら盛大に苦笑するインダルトの頭を、思わずカッシュは撫で回した。
「な、なんすかカッシュさん?」
「お前を見てると、郷里に残して来た弟を思い出してどうにもな。俺の故郷は皇都の南東、漁港の街なんだが」
「えっ、でも、俺、17歳っすよ? カッシュさんの弟さんとは、歳、違いすぎませんか?」
「こいつめ。……思い出すだけだ。別にお前が俺の弟そっくり、などとは言っていない」
ぺちん、とインダルトの後頭部を叩いて、インダルトが大げさにその叩かれた後頭部を撫でるのを見やりつつ、カッシュはふと思い出したように続けた。
「しかし……、コテツさまの体調が良くなったら、だと? 迷宮探索に同行するおつもりなのかな?」
「そこんとこは、よく解らねえっすけど。アイツ、俺には肝心なこと何も伝えやがらねえもんで。……って、なんだよロナ? わがまま言うなって」
ぼやくインダルトがロナに呼びつけられて顔を顰めつつそちらへ歩み寄る後ろ姿をちらり、と見て、カッシュは内心苦笑するしかない。
虎徹を始めとして、ロナは言わずもがな、ハダト、レムネア、ハイン、レイメリアなど、迷宮探索隊を取り巻く重要人物全てがインダルトを特別に思っているのは、全員がインダルトにそれぞれ役割を申し付けていることでも明らかだ。
それを至極当然と受け止めて、それぞれ立場の違う彼らの要望を口では嫌がりつつも全てこなしている働き者のインダルトは同じ迷宮探索隊の各班からも信頼度が高く、現在は護衛班の班長をカッシュが務めているが、元々は隊内でもインダルトを推す声は非常に高かった。
無論、カッシュもインダルトを推したひとりで……、インダルトの代わりに護衛班長の座に就いたのは、迷宮探索隊隊長であるハダトから『役職に付けると逆に行動範囲が制限され、任務に支障が出る』という理由を聞かされたからだった。
「お前がどこまで高みに昇るのか、楽しみになって来てるんだぜ、仲間みんな」
「……えっ? なんか言ったっすか、カッシュさん?」
靴はおにーちゃんに穿かせて貰わないと穿かない! などと、急に幼児特有のわがままを言い出したロナに恭しく跪いて幼児用の靴を穿かせていたインダルトが、カッシュの方を振り返って聞き返したが、なんでもない、と手を振って答えて。
カッシュはインダルトとロナのやり取りを、優しい目で見つめ続けた。




