66話 新術式を開発したぜ
「アァ……、やっと会えたな。隠れてでも、ついて来てると、思ってたぜ」
「こっ、コテツ……!? どうやって?! 魔力の痕跡は消してあったはず」
驚くサーティエが立ち上がって逃げようとするのを素早く至近距離から右腕一本で外套を引っ掴んで引き止めて、俺は荒い呼吸の下で、深い森の中にもう一度座るように促した。
「………………済まなかった。酷いことを、した」
「いや、謝るのは、こっちだ。勇者……、エルガーが、あんな風になっちまった原因のひとつは、俺だろうし」
周囲を警戒してたらしい寡黙なアドンが暗闇の中で頭を下げるのを止めて、月明かりの下で、俺も同じように頭を下げて返す。
「ごめんな、ふたりとも。アイツが持ってる<魅了眼>は俺も持ってたのに……、なんとなく言いづらくって、俺たちだけの秘密にしてたから」
「……コテツが謝ることじゃないよ。あたしらの育て方が不味かった、ってだけさ」
逃げるのは諦めてくれたらしくって、俯いてそんな言葉を漏らすサーティエの前に、俺はあぐらをかいて座り込んだ。
「またあんたは、そんな女の子らしくない座り方を……、コテツ? あんた、汗だくじゃないかい? 具合悪いんじゃないのかい?」
「いや、まだ身体の使い方に、慣れてないだけだ、大丈夫」
サーティエの言う通り、肩で息をしてる俺は、軽く深呼吸して呼吸を整えた。
「『身体が普通の人間並みの耐久力に落ちた』ってのを頭じゃ理解してんだが、つい『以前のように負荷を無視して行動しちまう』もんで、限界が来やすいってだけなんだよ」
「それじゃ、魔法も、使いづらいんじゃないのかい? 普段からたくさん使ってただろ?」
「そうなんだよな。無意識レベルで神刀から魔力引いていろんな魔法を常時使ってたのが出来なくなって、余計不便でさ」
ぐしゃっ、と鬱陶しい前髪を掻き上げて、俺は照れ笑いしちまう。
アイツらに神刀を奪われたことで、普通に生活することですら出来なくなっちまう、なんて、どれだけ魔法に依存してたんだよ俺、って感じでな。
「それで……、そりゃ、サーティエたちが俺に会いたくないのは解ってんだけど、無理を承知で頼みに来たんだ。――父さん、母さん」
最後の呼びかけで、アドンとサーティエが揃って、息を呑んで言葉に詰まるのが解って。
「俺はシンディが連れて来たアイツの乳兄弟で、二人と血の繋がりなんかねえ、っつーか、俺は死ねない化物だから、今の呼び方をする資格がねえ、ってのは解ってる。けど」
なんでか目を潤ませてるサーティエの方に少しだけにじり寄って、叩きつけるように地面に右拳を打ち付けて、あぐらのまんま、ぐっ、って頭を下げて見せて。
「二人は俺の育ての親だからな。俺の意識上の父母は、アドンとサーティエなんだ。――シンディの奴は、なんつーか、『契約』の絡みもあって、産みの親とか母っつーより、姉でな?」
「……莫迦だね、この子は。今更気づいたのかい? あたしらにとっちゃ、ずっと一人娘だったよ、あんたは」
「あー、いや、泣かせるつもりはなかった、っつか、あれ、どうしたら泣き止んでくれるんだ??」
堰を切ったように両目から涙を溢れさせてる口元を押さえたサーティエと、どうやら真っ赤に目を潤ませながら座ってるサーティエの背を支えるアドンがそこに居て、お願いした俺の方が狼狽しちまう。
――そのまましばらく二人が嗚咽にむせぶのをどうしようもなく眺めてたんだが、俺が野営陣地を抜け出せる時間もそんなに長くないもんで、悪い、とは思いつつ。
「いや、それでな? シンディが居ねえもんで、『新魔術式』の開発が進まなくってさ? サー……いや、母さんに協力して欲しいと思ってさ」
「……あたしやアドンが使ってる魔法は、古い魔法陣タイプだよ? 新術式の詠唱魔術を使いこなすシンディさんや、あんたみたいに物品に魔力と術式を込める短呪術式より、何十年も」
懐から取り出したハンカチで涙を拭うサーティエが答えるのを遮って、俺は周囲から魔力を集めて、簡単な呪文を詠唱し始める。
「水の魔力、我が求めに応じ、この者を癒せ、治癒! ……ってのが、詠唱魔術の<治癒>で」
俺が右手の手のひらから放った水魔法の<治癒>は、まあ、俺の体内魔力がゼロで周囲に薄く漂ってる水分から魔力を引き出すしかねえもんで。
俺以外のこの世界の住人たちが必ず体内に持ってる、自前の魔力で術式展開する<治癒>とは威力が段違いに劣る、ってのは解ってんだよな。
「相変わらず、体内魔力、ないんだね? これじゃ、傷の出血を止めるのすら出来ないかもしれないね」
「そりゃ仕方ねえ、俺は本来、魔力を持たない身だから、魔術師の才能がねえからな。……でも問題はそこじゃなくって、『魔力ゼロでも術式の発動は可能』ってとこでさ」
相変わらず魔術に関しちゃ情け容赦ない、俺の魔術の師匠の一人なサーティエの鋭い指摘に苦笑しながら。
俺は、右の片袖から、四つ折りに畳んだ<治癒>の術式が刻まれた魔法陣を取り出して、サーティエと俺の間に広げて見せて。
「ふう。自分の魔力使ってねえ、つっても術式維持だけで疲れるんだよな。――<治癒>!」
魔法陣のキーワードを唱えたら、こりゃレムネアに魔力込めて貰った魔法陣なんで、それなりの威力で魔法陣から治癒の魔力が発動されて……。
一回限りのキーワード発動で、魔法陣は空中に拡散するみたいに、力を発動しながら薄くなって消えてく。
「……普段使いしてる父さんや母さんなら分かると思うけど、どっちにも利点と難点があるんだよな」
「………………詠唱魔術は詠唱時間が長いので、事前に効果時間の長いものを使用しておく。魔法陣は発動が早いが多くの魔力を込めるためには大きな陣が必要になるので、効果時間も短い」
「そうなんだよ。それでさ」
アドンの説明に頷いて、俺は言葉を続ける。
傭兵戦士のアドンと魔法陣術士のサーティエはワンセットで『魔法戦士』で、その、サポート役に徹してるサーティエが持ち歩いてる魔法陣は基本的にはすげえ効果時間が短い、小さい紙束が多いんだよな。
「母さんが使ってるその魔法陣……、それ、いくつか見せて欲しいんだが」
「傍若無人が服着て歩いてたあんたみたいな放蕩娘がしおらしく『母さん』なんて呼ぶのを聞くと、背筋が痒くなっちまうね……、これくらいでいいかい?」
苦笑い浮かべながら俺に魔法陣を手渡してくれるサーティエに、俺も照れ笑い浮かべるしかねえ。
15年もこの世界で過ごして、誰かをこんな風に呼ぶなんて思ってなかったからな。
一瞬だけ、俺とシィを逃がすために家に火を放って炎の向こうに消えちまった元の世界の親父とお袋のことを思い出して、胸の奥にずきんっ、って痛みが走ったけど……。
大丈夫だ、俺は、あんたらのことは死ぬまで忘れない。
「悪いな、魔法陣一枚作るのにも時間食うのに。――アァ、これとこれでいいや、あとは返す」
サーティエに渡された不揃いな大きさの魔法陣のうち、使いやすいもんを二枚選んで、残りをサーティエに戻して、俺はその二枚を木陰から差し込む月明かりに照らしながら、右腕だけで地面に並べて見せた。
「左に置いたのが粘糸、右が治癒加速で、同じ水系統魔術、ってのは分かるよな?」
「自分が作った陣の内容が解らなくなったら、あたしゃ魔術師を引退するよ」
「そりゃそうだ。で、このふたつは別々で、重ねられねえんだよな?」
「時間差で複合させられるものもあるけど、これだけ術式が異なると……、複合陣を一枚の紙の上に描くには相当な計算と時間と魔力が必要で、あまりやりたかないねえ?」
難色を示すサーティエに俺も頷いておいて、右腕一本なんでちょっとやりづれえんだけど、指の間に二枚の魔法陣を挟んで重ねて、月明かりに透かして見せて。
「ちょっと紙が厚いんで上手く透けねえが……、こんな感じで、単純に重ねてやっても、原理的にゃ発動するよな?」
「そりゃ、その通りだけど……、やめときな? 魔法陣の線や模様が重なったりズレたりしちまうから、これで術式発動したら間違いなく制御不能で暴走しちまうよ、危ないったらありゃしない」
「いや、俺もそりゃ解ってる、っつか、ガキの頃に何度か暴走させてっからな」
「……ああ、思い出したよ。シャトー村で、火の気もないのに不審火が相次いだことがあったね。――ありゃ、あんたの仕業だね?」
「そんな昔の水辺でなんでか突然火事が発生して停泊させてた船が大炎上したみたいな話なんか知らねえな。……いや、今はそうじゃなくてよ」
全力でしらばっくれておいて、俺は、もう一度その魔法陣の二枚に周囲から集めた魔力をゆっくりと込めて……。
さっきの詠唱魔術の要領で、『術式そのものに封入されてる魔力を、別の場所に移してやる』方法を。
「……?! コテツ、あんた、これ」
サーティエとアドンが驚く気配が分かるけど、俺もこのやり方はいま初めてやってるもんで、答える余裕がねえ。
そして、ぶるぶると全身を震わせながらも俺の右腕に二枚掴んだ魔法陣の紙から、魔法陣が『空中に転移して、白紙になる』のを確認して。
「ふぅぅぅ……ッッ、治癒加速・粘糸!!」
呪文発動自体はどっちが先でも構わねえ、はずだ。
そりゃ当たりだったみたいで、『空中に重なって浮かび上がった魔力で蒼く光る二つの魔法陣』は、『自前の魔力を使わずに、詠唱も不必要で、キーワードに反応して、同時に解放』された。
――結果、『治癒加速の効力を持った糸』っていう、『新術式』が誕生したわけだ。
……いやたぶん何をどう頑張ったってこんな特殊すぎるレベルの重合魔術、使い道なんかねえと思うけど、こういうことも出来る、ってテストだからいいんだよ。
「魔法陣を、魔力ごと空中に移し替えて重ねたんだね? ……全くこの子は、ほんとに突拍子もないことを考えつくもんだよ」
「正解。シンディの詠唱術は魔法陣を呪文化したもんだけど、そりゃ根本の原理で考えたら、紙や地面って固形物に描く魔法陣って形に拘らなくても、どこに描いても、『魔力と術式』の二つさえあれば。――術式そのものに魔力が徹りさえすりゃ、術は発動するんだ」
「確かにね。魔法陣は魔力ごと封入出来る代わりに効果が単純にならざるを得ないって欠点を持ってたけど」
声を震わせながら何度も頷いて、体内魔力ゼロの俺が発動した魔法の糸がまだ消えないのを、触って何度も確かめるサーティエを見ながら。
「これなら、適当な大きさの魔法陣を束で持ち歩けば効果も範囲も自由自在に調整出来るだろ? 同じもんを数枚重ねて強化してもいいし、効果中に術式重ねて時間を延長させたりも」
「初めから複数発動する前提でキーワードを変えることも出来るし――詠唱術の補助としても使えるね、こりゃ。よく思いついたもんだよ」
どうやら自分でも試す気になったみたいで、懐や袖に大量に隠し持ってたらしい魔法陣をたくさん地面に取り出し始めたサーティエが、興奮気味に俺にまくし立てて来るし。
「まったく……解ってるのかい? あんたは、今、魔術の歴史を書き換えたんだよ?」
「いや、こりゃ俺の魔術の師匠な母さんとシンディのふたりのやり方を足して二で割ったみたいなもんで、俺は特に何もしてねえし……。だから、詠唱術と魔法陣術の掛け合わせってことで、『呪符術式』、『呪符魔術』って俺は呼んでる」
「ふん? その、大元になる『呪符』の魔力封入規格はたぶん揃えた方がいいだろうね。こりゃ、組み合わせの種類以外にも、重ねる枚数や魔力の込める量でも無限の組み合わせがあるよ?」
呆れと感嘆が混じった目線で俺の方をまっすぐ見つめてくるサーティエの言葉がこそばゆい。
……けど。
「…………回復系、強化系、防御系が優先」
「――さっすが父さんだ、もう欠点を見抜いちまってんな」
重々しく頷くアドンに、あぐらをかいたまんま右腕一本で後ろに手をついて反り返って、俺は呆れたため息をついた。
「…………発動が単数の魔法陣発動より格段に遅い。故に、攻撃に使えば発動する自分の方が危険」
「そりゃそうだ。詠唱呪文よりは早いっつっても、術式を空中に移すのにそれなりに時間を食うからな。そこんとこも、おいおい改良予定だよ」
アドンに答えつつ、身体を捻って立ち上がって、いつもの黒い夜着のケツについた土や葉っぱを軽く右手で叩いて払う。
魔術の天才なシンディなら、今俺がやったみたいに、魔法陣を紙に書いて空中に転写するやり方じゃなくて、魔力を込めながら直接術式陣を複数同時に描くくらいのこた出来るだろうし……。
シンディの知識の分身、俺と一心同体なシィなら、そりゃ出来て当然、だ。
「でも、『夜は別の用事でシィが不在』で、俺も昼間の移動中に安全に実験出来るほど自由が効かねえからさ」
そろそろ陣に戻らねえと、インダルトやレムネアに怒られちまう。
空中から周囲警戒してるインダールとは野ネズミ二匹で手を打ったから、見逃してくれてるはずなんだがな。
「まあ、そんな感じで俺の方じゃ実験出来ねえもんで。――こうして、父さんと母さんに頼みに来た、って感じ」
「……エルガーのせいで、不自由させちまって。腕も……、ほんとに、済まなかったね」
右腕で軽く手を振って立ち去ろうとするその俺の背に、俺と同じくらいのサーティエが後ろから抱きついて来て、欠損した左腕の根っこを優しくさすってくれて。
「やめろって、もう。アイツは俺の弟なんだから、別に……、まあ、会ったら姉として半殺しにしてやらなきゃな、程度にゃ思ってるが、だからって憎んでるわけじゃねえ。――むしろ」
「あの子はある時期から、姉のあんたに対して複雑な感情を抱いてたんだよ」
「…………あの白い子供――、フヴィトルは、それを……、劣等感を増幅させてしまった」
「アァ、知ってる。解ってる。洗脳なんて一言で済ませりゃ簡単なんだが……、ああいう催眠は、自分が心底イヤなことは実行出来ねえんだよ。俺もアイツと同じ<魅了眼>の使い手だ、よーく知ってる」
アドンとサーティエの二人に頷いておいて、俺は森の奥の闇を見つめながら。
本気でその催眠に掛ける相手が嫌なことを実行させるにゃ、いくつか方法があって……、認識力を極端に低下させたり、殺害するような方法でしか救えない、なんて暗示を掛けたりするしかねえ。
でもそれやっちまうと、虐殺した村人や操られてたときのシルフィンたちみたいに、現状認識能力が極度に下がって、行動力も思考力もマトモじゃなくなっちまう。
だから。
エルガーの現状は、『俺という存在は人外の化物=どんなことでもやらなきゃ勝てない』って認識が増幅されてる状態だろう。
だから、解ってる。表面上はアイツが俺のことを愛してるなんて言ってたって、態度でそういう風に示してくれてたって。
潜在意識レベルじゃ、俺が人間とは違う化物だって事実を恐れてたんだ、って。
それに、自分の方が優位に立ちたかった、ずっと勝ちたかったんだろう。――俺より優位に立つ、一人前の男として。
アイツの姉さん呼びは、自分が一生かかっても絶対勝てない化物、って思ってる劣等感の裏返しだったんだ。――そんなこた、ねえのに。
俺の方が、アイツにたくさん、劣等感を持ってたってのにな。
「約束しとくよ。俺は、エルガーを殺さない。アイツが俺のことをどう思ってても」
サーティエの泣き声が大きくなったけど、これだけは言っとかねえと。
「――アイツに殺されることがあっても、絶対だ。俺は、アイツの姉だからな、永久に」
姉の努めってな、オイタした弟をぶん殴って性根を叩き直すことで、殺すこた含まれてねえ。
アイツは俺のいちばん身近な身内だからな?
俺は、身内にだけには優しい女なんだぜ?




