06話 妖精に出会ったんだぜ
妖精を見た、と思った。――いや、マジで。
いつも通りの川のそばから少し上流に遡ったとこで、景気良くぽんぽーんと服を岸に放り投げて、ざっぱーん! と水面に飛び込んで冷たい水流に身体を預けてたんだけど。
俺の超鋭敏な聴覚に、ごそり、ばさり、なんて足音と葉擦れの音が聞こえたんで、野生動物でも来たか? なんて思って、水面に頭を出してそっちを見たらさ?
「……お?」
「……ひぇ?」
お互いに、初対面の第一声はそんなクソ間抜けな声で。
何ていうんだっけ、白子?
血管すら透き通って見えそうな真っ白な肌に、同じく真っ白な髪と真っ白な眉の、それでいて燃え上がるくらいの真紅の大きな瞳の、俺と同い年か少し年下程度? な美少女が。
……俺の脱いだ服を丸めて胸に抱えて、森の奥へ後ずさりして逃げよう、としてるとこだった。
「……何やってんだテメエ?」
「……あっ、いやっ、えっと……、お、お構いなく?」
ざああああ。
川の流れる音だけが響く。いや、俺が全力でじっと耳を澄ませば風で木々がそよいだり虫が鳴いたり動物が動いてたり、ってすんげえうるせえんだけどさ。
時間が止まったみたいにお互いに見つめ合ったままでしばらく経って。
――俺が水面から水を跳ね飛ばしながら美少女を追いかけるのと、くるりと向きを変えた美少女が全力で森の奥に逃げ去るのはほぼ同時のタイミングだった。
「いやぁっ、化物ー!!」
「どっちが化物だっつの、っつーか服返せあほんだらぁ!」
くっそ、なんっつー間抜けな! 全裸で盗人追いかけるとか何の罰ゲームだっつの!
見たこと無い女だからシャトー村の住人じゃないだろうし、この近辺に人里つったらシンディが出稼ぎに行ってる南のシスの街だけだ、それに――。
明らかにシャトー村の住人って判ってるだろう俺から手慣れた様子で服を盗むんだから、外から来た盗人だろう、それなら手加減は要らねえな?!
「くっそボケ、止まれっての! 大地の魔力、あのガキを止めろ! 我が名は虎徹、女神シンディの神器!!」
俺の詠唱で、美少女の前方に盛り上がった土が、その足を掴んで……、弾いた?!
うっそだろ、走りながらだからそりゃ正確さとか確実性にゃ欠けるけど、女神シンディ直伝の詠唱魔術だぞ!?
って、魔力で魔術抵抗で弾いたんじゃねえ!
いつの間にかアイツ、左手に短剣握ってやがる、足を取られた瞬間に土の腕を斬りやがった!
なんっつー早業だよ、魔法に慣れきってやがる、エルガーとは違った意味でアイツも達人だわ!
だ、け、ど、な!
相手が悪かったな、俺は<神器>、不死身で疲れ知らずの身体を持ってる神の使徒だ!
ちょっと痛がりで、素足でときどき木の枝や石を踏んでるもんでかなり涙目になりつつあるけどよ、単純に追いかけっこして俺が追いつけない相手なんざそうそう居るもんじゃねーぞ!?
――しかし、めちゃくちゃ走るの速い奴だったもんで、俺が追いつくまでにそこから更に一時間ほど全力疾走する羽目になった。……どこのマラソン選手だよコイツ。
――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――
「ぶはぁっ、ふえっ、ぐえぇ、ふはああぁっ、ぶふぇえぇっ」
「シンディの知り合いだったのか。っつーか、森の奥にこんな場所があったなんて知らなかったな」
「ふえっ、ぶはぁっ、ふはぁっ、ふえぇっ」
「ああ、まだ未完成だからな。完成の目処が立ってから教えようと思っていた。期待を持たせるよりそちらの方が合理的だ」
「ふええぇ、ほひゅ、ふひゅうぅ、ひぃぃ」
「なるほどな。完璧主義のシンディらしい。……ところで」
「ぐえっ?!」
俺は、足元に倒れ伏して虫の息になってる汗だくの美少女――、レムネアを片足で力いっぱい踏みつけた。
どうやらここはこの世界に来てからシンディが少しずつ開拓したらしい森の中の小屋で、ご丁寧に伐採した木材で作ったらしい、そこそこの大きさのログハウスの周囲に、これまたそこそこの広さの庭園と花壇が広がってる、ちょっとした別荘みたいな空間になってて。
たぶんシンディが村と同じように魔法の結界でも張ってるんだろうな、鳥は上空を飛び越えてくるけど、人間も動物も寄せ付けなくなってるみたいだ。
結界を抜けるときに感電したみたいなビリッとした感触があったもんな。
――普通の人間や動物ならちょいと疲労感や痛みみたいなもんを感じる程度の弱い結界なんだろうけど、超感覚な俺は結構痛くて涙目だった。
「コイツは、殺していいのか?」
「うひぇええぇっ?! そ、そんな、たかが服を盗んだ程度でぇぇ?!」
「舐めたクチ利いてんじゃねーぞ、ガキ?
エルガーやアドンの服なら別にどうってこたねえが、こりゃサーティエが手縫いしたこの世でひとつきりの俺様専用の服だぞ?
首を噛み砕く程度、当然だろうが?」
そのサーティエ特製の服の上を軽く撫でながら、ギシリ、なんて音させて俺が真っ白な歯を噛み締めたもんで、どうやら本気だって判ったのか、仰向けでノビてたレムネアは、まるで子犬みたいに手足を縮こませて涙目になった。
「だいたい、最初に化物とか言ってくれたよな? こんな見目麗しい俺様のどこが化物なんだっつの」
「だ、だって、黒髪に黒い目の人間なんか、見たことなかったし?」
「俺だって白髪紅眼の人間なんか見たの初めてだっつの。俺が化物なら、オメエは邪神かなんかか?」
さすがに自分の容姿と比較されたら反省したみたいだな。コイツも容姿でなんかイジられた思い出くらいはあるだろうよ、何しろ人間は少しでも異端な奴には一切容赦しない種族だからな。
「――しかし虎徹。この娘にはまだ使い道があるのでな、殺すなら使い終わった後にして欲しいのだが」
「殺すの前提なの!?」
「ンァ? めんどくせえ、最初から説明しろよ?」
「ふむ。場所を知られたからには通うことにもなるだろうし、そちらが合理的か」
少し考え込む風に顎に手を当てて俺たちから視線を外したシンディは、その視線をログハウスの方に向けて。
「そうだな、では紹介しなければならない人間と『神』が居る。屋内に入ろう」
「……なんつった? 神?」
「神の鍛冶場で不遜すぎるよ、この女! 神罰、神罰!!」
――どごん! なんて勢いで、レムネアの腹に乗せてた片足を、勢いを付けてレムネアの頭の横に叩きつける。
自分の頭が砕け散る勢いだった、って理解出来たのか、なんだか知らねえが急に生意気なクチ利いてたレムネアが瞬時に顔面蒼白になって黙りこくる。
――自分の足もそこそこに痛いんであんましやらねえけど、『痛くなる』って先に解ってりゃ、俺は痛覚を遮断して強力な肉体攻撃をやることが出来るんだよな。
今の足踏みにはおおざっぱに数トンくらいの力を入れてある、そんだけの力を出すくらいはこの特製の肉体にゃお手の物だ。
先にいろいろ身体の中で準備しねえといけねえから、まあ実戦向きじゃねえけどな。
とりあえず、クソうるせえガキを黙らせておいて、俺はシンディの後に続いてログハウスの中に入った。
閉めた扉の後ろにそっと息を殺してレムネアが張り付くのも確認済だ、コイツ、マジモンでプロの盗人なんじゃねーのか、これ?
――妖精みたいな美少女なのに、行動がまるっきり残念すぎるよな。残念妖精だ、マジで。