62話 起きたぜ
「こっ、コテツ姉っ……、起きたっ、起きたぁぁぁあああ!!」
薄目を開けるなり、どんっ、って衝撃で、俺は胸に大泣きのレムネアが飛び込んで来たのが解って。
両手で抱きしめようとして……、左手のあるはずの場所に何もなくて。
「アァ、そうだった……。アイツに取られたんだった」
「状況説明が必要か?」
なんかものすごく久しぶりに聞くようなハインの声が聞こえて、そっちに顔を巡らせたら。
相変わらずのハーブティ中毒って言ってもいいレベルでまた、ずるずるハーブティすすってたハインが、そのティーカップをテーブルに置きながら、どうやら奥に寝かされてた俺に向かって言ってた。
「――つか、ここ、どこだ?」
「盗賊ギルド本部の隠し部屋……、前にも来ているだろう? 結界部屋だ。生憎とレイメリアが不在だが、妻を救ってくれたこと、夫として御礼申し上げる」
なんつって、深々と頭を下げるもんで、俺は一本しかねえ腕を上げてそれを制した。
「仮にもギルドマスターだろ? 軽々しく頭下げんな」
「最愛の妻を救われたことに対し感謝せぬ夫があるものか。……『一年前』のことに、やっと直接の礼が言えた。しかし……、言っては何だが、もう少し早く起きて欲しかったものだな」
「一年? あれから一年経った、ってのか?」
右腕しかない状態で強く抱きついて来てるレムネアを支えながら起き上がるのはちょっと骨が折れたが、それでも上等なふかふかベッドから起き上がって立ち上がろうとして……、床に下ろした両足に、力が入らねえ。
「無理しない方がいい。インシェルドの言だが、コテツの体力は、今は通常の人間並みまで落ち込んでいるそうだ」
「アァ、そう……、みたいだな。立てねえ」
もう一度両足に力を込めようとしたけど、腰から下が他人の身体みたいに違和感あって、足先まで力が届かねえ感じだ。
「――左腕を失って、恐らく……、本体として繋がっているシンディの身体に影響が出たからだろう、と聞いている」
「……そうか。アイツと俺は一心同体で、俺の損傷はアイツにも影響がでかい、つってたっけ」
前にヒドラに脇腹抉られたときゃ、シンディも外見はそのまんまだけど体内でごっそり神の血を失って貧血全開だったらしいし。
「てーか、……なんで俺、ここに居るんだ?」
「閉じ込められた氷柱の発見に手間取ったのと、『敵』の目から隠す目的もあってな。――『敵』の手回しが早く、虎徹は帝国を侵略する邪神、ということになっている。そして」
「シンディさんが、帰って、来ないの。――タケミカヅチだけ、戻ってきて」
至近距離から涙目全開で見上げて来るレムネアが、途切れ途切れに言うけど、そうか、一年経ってる、っつってたか。
「なんつーか……、綺麗になったなあ? さすが、俺の妹」
きょとん? と目を見開いた、白地に金糸の装飾をあしらった薄布の衣装で、真っ赤な帯を巻いたチャイナ風だか和装だかが入り混じったみたいな不思議な衣装のレムネアが、めっちゃくちゃ綺麗な美少女になってて、な。
「じゃあ、今14歳か?」
「……うん! 14歳、なったよ! それでね、お姉ちゃんに、報告っ!」
袖で涙を拭きながら――それでもぽろぽろ涙が溢れるのが止まってねえけど――、少し俺から身を離して、腰に両手当てて、全開で泣き笑いして見せて。
「結婚しましたー! 子供も、ここに居るのっ!」
「……なに?」
「あっ、あっ、ほら、驚いた! ぜったい驚くだろうと思ったの、やったぁ!」
お腹に障るからか、前みたいに飛び跳ねて喜ぶ、なんて反応はしなかったけど、それも含めて――、全体的に、大人になった、って感じるのはそんなとこからか。
「そりゃ、めでてえ、が……、相手、どんな奴だ?」
ようやく『身体に血が巡って来た感触』があって、右手を握ったり開いたりして、手のひらの感触を確かめながら、レムネアに訊いてみる。
――変な男だったら、ぶちのめしてやらねえと、な?
「相手は、コテツもよく知る男性だ」
苦笑なんだか微笑なんだかよく解らない、でもなんか諦めの色がかなり濃いような疲れた顔で笑ってるハインが口を挟んで来て。
「俺がよく知ってる? ……まさか、インダルトか? あの野郎、手出ししたら八つ裂きにしてやるっつったのに。出来婚じゃねーだろうな?」
「出来婚? ってよくわかんないけど、結婚披露宴はもうやったよ? 新婦のボクより新郎の夫がすーっごい緊張してて、笑っちゃったんだけど」
「オマエの口から自然に『夫』なんて単語が出て来る辺りが、やっぱ、すんげえ違和感あるわ。インダルト、どこだ? 約束通り、切り刻んでやらねえと。あと、俺の小太刀」
ようやく身体に力が戻ってきたみたいで、ゆっくりとベッドから床に体重を移して立ち上がったが……。
やっぱ一年も寝たきりだったせいと、左腕が失くなったせいか、バランスを崩してベッドに倒れ込みそうになるのを、レムネアが左側を両手で支えてくれた。
「おっと、悪いな。妊婦に力仕事させちまって」
「ううん? ていうか、コテツ姉、軽いよ? あと」
口の端を歪めて笑う笑い方は、前のまんまだな。こりゃ、なんかいたずら考えてるときの悪い顔だ。
「インダルトお兄ちゃんは、いつも『ボクたち』のことお世話してくれるんだから、八つ裂きとか、禁止だよー?」
「インダルトは今は密偵の任から外れて、レムネアの身辺警護をやっている。――この一年で更に腕を上げたぞ?」
「……オマエら、俺の反応で楽しんでんだろ? 誰だよ、レムネアの夫って?」
自分の両足じゃなくなったみたいに、めっちゃくちゃ違和感のある両足を動かして一歩ずつ、テーブルに座るハインの方へ向かう俺が降参、って感じでため息混じりに訊いたら。
してやったり! って表情で目を合わせて笑うレムネアとハインが、やっぱほんとに血縁の親子なんだな、って感想だ。
「「タケミカヅチ」だ!」
「……なに??」
「あとね、それとね?」
驚きの発言に耳を疑いつつ聞き返した俺に、更に、爆弾を投下したのが、レムネアの続けた言葉で。
「ボクも、『神器』になっちゃった? 雷神タケミカヅチの神器にして妻、レムネア・タケミカ・レイメリアでっす!! 改めてよろしくね、コテツ姉?」
「………………なんだって?」
さすがに力がごっそり持ってかれたみたいになって、俺はその場にへなへなと座り込んだ。
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「全く、起きたならすぐに呼べと言ってあったというのに」
「すぐでしょー? 久しぶりのお姉ちゃんとの会話は、インシェルドさんなんかに邪魔されたくないもーん」
「盗賊王ハイン以下、ギルド全体で丸一日秘匿しておっただろうが。虎徹のメイドたちの慌ただしい動きで私が気づいたのだ、他にも気づいた者は居るぞ、この分では」
「問題ないもーん、お姉ちゃんとこのお屋敷とボクのこの屋敷のメイドさんたちは雇用元が一緒で、それに」
言葉を切ったレムネアが、大威張りっ! てな感じの腰に手を当てたポーズを取る辺りは以前と変わってねえんだけど、なんか。
――絶世の美少女、って感じに成長してんのにそんな子供っぽい仕草すんのがすげえ違和感で、中身と外面がちぐはぐな印象を受けちまう。
「メイドさんたちと執事さんたち、何人か結婚してるんだから、多少往復が続いても何か大きなイベントの手伝いかなって思う程度だろうし……、そもそも、情報元締めの盗賊ギルドはそんなヘマしないもーんっ」
一応、隠し通路の構築も進めてるとこだけどね、って纏めたレムネアの言葉から察するに、レムネアも盗賊ギルドの主、盗賊王ハインの娘として、ギルドの重役みたいな役どころに収まってるっぽい。
その盗賊王ハインも、ほんとは恩義あるから最後まで面倒見たかったんだが、って何度も言い募りながら仕事に出るために名残惜しそうに退出しちまって。
それと入れ替わりに入って来たのが、今、難しい顔して俺とレムネアに文句つけてるインシェルドで。
擦り切れた灰色のローブを純白の上等そうなローブに着替えて、あの謎の杖も宝石ごてごての立派な装飾を追加して相変わらず右手に持ってる。
「着替えて人心地ついたかな? 虎徹よ」
「アンタが優しいなんて人が変わったみたいに思えるぜ? 状況説明しに来たんだろ、言えよ?」
シンディに気づかれるからって理由で、俺はこの結界部屋から出られないらしくって。
さっきまでハインが座ってたテーブルの椅子に座って、アユカが腕によりかけて作ったっていう病人食、ゼリー状のとうもろこしっぽい穀物スープを『食べてる』とこだ。
「――自分の体質が変化したことに、気づいているか?」
「気づかねえわけねえだろ。身体はすげえ重たいし、腹は減るし汗は出まくり、左腕の根っこは痛すぎで、正直言えば発狂しそうだ」
一日経てばさすがに俺も『自分の身体が以前と全く異なる』ってのは理解出来てて、こりゃ……、まるっきり、普通の人間並みになってる、って思っていいみたいだ。
「そうだ。恐らく、左腕と神刀を取られたことが原因で、身体の耐久力が著しく落ちている、と思われる。気づいているか? 顔色も悪いままだ。つまり」
「気づいてる、つったろ? 俺の身体……、前と違って『血が通ってる』」
からん、と乱暴にスプーンを皿に投げ入れて、左腕の付け根に力を込めたら……、鋭利な刃物で切り裂かれたからか、綺麗な断面になって固まってるそこから、じわり、って感じで『真っ赤な血が少しずつ湧き出して来る』。
「人形から生身になっちまった。……でも、まだ、神器だ」
言うなり、その血に意識を集中してやると……、血が意志を持った粘体みたいに、長い糸を引くようにして左腕の付け根から空中に、何筋もぐねぐねと触手のように自由に動かせる。
「吸血鬼の固有スキル、血液操作だ。――つまり、神器の権能としての状態固定された身体じゃなくなったが、固有スキルは全部生きてる。……まだ、シンディの手の内、ってことだ」
「だろうな。というか、シンディの手の内から外れる手段はただ一つ、消滅するしかないだろう。『契約』があるからな」
「『契約』まで知ってんのか。マジで何者なんだよ、オマエ。……もう消滅してもいい、とも思ったんだが、後のことが心配でな。――どうなった?」
って、言った途端に、ばしぃっ! なんて勢いで、俺は頬を引っ叩かれてた。
「ボクたちがどれだけ心配したと思ってんの!? 簡単に、消滅とか言わないで!」
「お……おぅ?」
正直、レムネアに叩かれるのは生まれて初めてだったもんで、俺は思わず、隣ですんげえ勢いで怒り狂ってるレムネアの、成長したっつってもまだ幼さが残る綺麗な顔が、怒りに歪むのをじっと見てた。
「ムギリさんだって、シルフィンに、シフォンに、アドンさんに、サーティエさん……、ヒトツメさん、ボクの夫、タケミカヅチ! みんな、お姉ちゃんを起こすためにって、この一年、すごい頑張ったんだよ!!」
もう一回、片手を振り上げようとするもんで、流石に俺も生身に戻ったらそういう痛みが新鮮すぎてビビるもんだから、身体を竦めたら。
苦笑してるインシェルドが歩み寄って、そのレムネアの左手を後ろから掴んで止めてくれてた。
「起き抜けの病人相手に姉妹喧嘩はいかんだろう。やるならせめて、互角に戦える程度までに回復してからだな」
「それ、煽ってんじゃねえのか?」
なんか緊迫感が和んだ気がして、俺は力を抜いて、またスープを口に運んで。
「ああ。俺、ほんとに生身なんだな。――味があるわ。美味しい」
それに、もうひとつ、前とは違う変化。
「えっ、あっ?! あ、ごめん、コテツ姉……。ごめんなさい。ごめんね」
「いや、俺が悪かった。ごめんな、レムネア。――ただいま」
怒りを急速に鎮めて、わたわたと手を動かしながら、驚きと困惑に表情変化させるレムネアに向かって、俺は謝って。
――ぼたぼたと、両目から滝のような涙を流してた。




