幕間8 ムギリとアユカ
「なんとまあ……、確かに、犬猫は人よりも成長が早い、とは聞くが」
「なんか、人間、たくさん、アユカ、じろじろ、見る。不思議」
「それは見るじゃろうよ、『その容姿』ではのう?」
カスパーン家付きの白と紺色のメイド衣装に、シスの街で唯一の獣人であり、それに言葉遣いは以前と同じくたどたどしい共通語じゃからアユカ本人であると分かるが……。
どうやら自費での製作依頼でワシの鍛冶屋兼工房に訪れたアユカの容姿の変化に、ワシ、ムギリは思わず驚きの声を上げてしまったわい。
「衣装はいつものメイド服のようじゃが、少々、サイズが大きめのようじゃの?」
「成長、早いから、前の衣装、すぐに着れなくなって」
困ったように耳を伏せて俯き加減に表情を曇らせるアユカの様子は、どうやら何度も衣装を交換する手間を申し訳なく思っているのかのう?
「成長期の子供に少し大きめの衣装を着せておくことはよくあることじゃ、着せられる方の子が気にすることはない」
ぱたぱたと忙しなく尻尾を振る様子がどうやら街の住人の興味を引くのか、遠慮がちながらも大通りを通行する住人たちの視線を感じたので、ワシはアユカを工房内に招き入れた。
「事前に来ると知っておればもう少し片付けておいたのじゃが。散らかってて済まんの?」
「大丈夫、コテツさまが、散らかってる、言ってるの、前に、聞いてた」
ワシらドワーフ族はエルフ族と同じく、種族固有技能で暗視能力があるので明かりもなく常に屋内は暗いのじゃが……、同じく暗視能力を持つコボルト族と人間のハイブリッド獣人であるアユカにも問題ないか。
「どれ、久々の客人じゃて、茶を入れて……、はて? アユカはお茶を飲めるんかの?」
「飲める、ようになった。けど、出来れば、水」
「なるほど、鼻も舌も敏感じゃから、茶の渋みは苦手か。少し待ってなさい」
苦笑して、ワシは与えられたメイド服を汚さぬように気を遣ってか、周囲に無数に転がる鉄材と数多の原材料に衣服が触れないように工房の中央付近に所在無げに佇むアユカに言い置いて、清廉水の用意のある奥へ引っ込んだ。
「ふむ? 人間で言えば16~18歳程度かの? 背丈はレムネア嬢ちゃんとコテツ嬢ちゃんより少し高い程度、160センチ程度か。元は犬面族と言うし、それ以上は伸びぬであろうが」
独り身の常で、ぶつぶつと呟くワシの癖じゃが。常人を超えて遥かに耳の良い元コボルトのアユカには筒抜けじゃったようじゃ。
「背丈、手足、痛かった。今は、もう、痛くない。――でも、胸、張って、ずっと、痛い」
「――コテツ嬢ちゃんも似たようなことを言っておったのう? それは男のワシには解らぬ苦しみじゃて、誰か同じ境遇を知る大人の女性を頼ると良かろう」
アユカに答えつつ、二階から根を伸ばし放題になっておる大樹の、その太く枝分かれした根の間を少し苦労して通り抜けながら、ワシは更に奥の水源となっておる室内井戸まで辿り着いた。
「大人とは言っても、ここのエルフ姉妹はサイズ的に参考にならんし……、サーティエは出張中じゃし、レイメリアくらいかの」
二階に住み着いた、今は長期出張で不在となっておるエルフ姉妹が家賃代わりに家に導いた水源はこの、大樹の浄化作用で常に環境的にも魔法的にも清廉な状態を常に保っておるのじゃが。
鍛冶に水と木……、炭素は硬い鋼鉄を作るのに必須の材料であるし、それは鍛冶師たるワシにも嬉しい申し出でもあったから、それはまあ、いいんじゃがの。
――唯一の難点は、二階の大半を専有する、鍛冶屋工房の外観を斜めに貫くようにシルフィンとシフォンが共同で生やした大樹の根幹枝葉が、どうやら多少の意志を持ってそれらを動かせるようであり。
ワシが工房で火を使うとそれを怖がってか、枝葉を動かして火から遠ざかろうとするもんじゃから、エルフ姉妹たちが二階に住み着いた後に火を使った際は、貫通している石材の崩壊を招いて、危うく工房全体が崩壊するところじゃった。
おかげで今は神力ゲートで繋がっておるヒトツメさまの工房を使わせて頂かねば日常作業も滞るとは、何とも弟子の身でありながら申し訳ないことじゃ。
ヒトツメさまはあの容姿を気にしてか、あまり人の里に行かれぬ様子であるからして、来客が増えることを喜んでおいでじゃったようじゃが……、と、話が逸れたの。
「さすがに上級貴族の屋敷に勤める料理長にただの水を出したとあっては、ワシも不遜に過ぎるじゃろう。エルフ姉妹からの貰い物じゃが、これなら飲めるじゃろ?」
そう言って、ワシが差し出した水滴を大量に外側に付けたガラスのコップに注がれた薄緑の液体をくぴり、と一口含んだアユカは、すぐに目を丸くして驚いておった。
「ハーブ水? 苦味と渋味の一切がなく、清涼感と後味のすっきりさが申し分ない。それでいて、味が薄すぎることがなく、ハーブ本来の薬効も殺していない」
「味の評論をするときは饒舌になるんじゃの? 普段からその話し方は出来んのかのう?」
「あっ。……恥ずかしい」
ことん、とまだ残るハーブ水のコップをテーブルに置いて、両手で頬を包んでいやいやするように尻尾を振る様子は、確かにコテツ嬢ちゃんを始め、あの屋敷の関係者がこぞってアユカのために世話を焼きたがる気持ちがよく分かる可愛らしさじゃった。
「エルフ御用達のハーブ水じゃ。配合はシルフィンとシフォンが戻ったら訊くと良かろう」
「解った。ありがとう」
「して、用向きは何かの? と言ってもワシは鍛冶師じゃからして、鍛冶に関すること以外は力になれぬが」
メイドの待機姿勢なのか、ぴんと伸ばした全身で、下腹部の辺りに両手を重ねて軽く両肘を曲げた姿勢で身じろぎもせずに佇む姿はさすが、上級貴族のメイド、と思わせるには十分な説得力を持っておるのう。
「調理器具、新調したい」
「ほっ? 既に上級貴族用の上級料理を作るに十分な器具は揃っておるじゃろうに、なんぞ不具合でも出たかの?」
「蒼銀製で、魔力、通りやすいように。それと」
言いながら、アユカが裾の袂から取り出した四つ折りの紙片をテーブルに広げたのでそちらに目を移し……、その内容に、ワシは少々目を瞬かせてしまったわい。
「鍋蓋の密閉率を高めて開かないようにする、のかの、これは?」
「コテツさま、『圧力鍋』、言ってた。密閉で、温めると、料理、早く終るって」
「ふむ? ……なるほど、内部の水分が蒸発しても蓋で閉じ込められて逃げ場がないからして、内部の気圧を上げる役割を果たすのじゃな」
図面は恐らくコテツ嬢ちゃんがアユカに説明するために引いたものじゃろう、大雑把かつ乱雑な走り書きを交えた簡易図じゃったが、その意図は分かる。
「恐らく……、高山の空気の薄い環境で似た料理が半煮えになる理屈の逆を行くもの、じゃの」
「よく解らない。とにかく、これ、あれば、もっと、煮込み料理、美味しくなる、言ってた」
「なるほどのう? しかし、ミスリル製というのは?」
「火、使う、間接的。鍋、直接、魔法で、温める、そっち、直接的」
「……ははあ。調理の火力調整も魔法で直接やりたい、ということじゃの? 確かに、<火炎>を常時使い続けるよりは、<火熱>の方が範囲が狭いながら、温度を上げる効果は大きいの。しかし……」
ワシは呆れとも賞賛とも付かぬ表情を浮かべておった、と思う。
「調理に賭ける本気さの加減が、常人の理解の範疇を超えておる、の? 言ってはなんじゃが、鍋からフライパンから、全ての器具を総ミスリル製に代替するとなれば……、城のひとつやふたつ、軽く建つぞい?」
「お金、困ってない。コテツさま、ムギリさん、知ってる、言ってた」
「――そうじゃった」
ワシの問いに即答したアユカの言葉で、ワシはそのことに思い至った。
最初の、《水と炎の迷宮》で得た財宝の取り分だけでも領地を得るに十分すぎるほどの金額換算となる量じゃったのじゃが。
急にそのように大量の高価な品々を金銭に替えて市場に流通させると貨幣経済の混乱を招き民衆が困る、ということから。
一時的に国家と盗賊ギルドの預かりとした上で、小出しに流通に影響を与えない範囲で換金などを行う、と言っておったの。
その代替報酬として、軍や盗賊ギルドなどから、そちらに店舗請求を送ることを保証する売買無償保証の軍票や金券をそれぞれが得ているのじゃった。
「ワシも同じものを得たというのに、使う機会がないもので、すっかり忘れておったわい」
「アユカも、同じの、貰った。――アユカ、探索、役に立ってない、申し訳ない」
「そりゃワシも同じじゃわい。ワシの場合、道案内に役立ったアユカと違って、ほんとにただ一緒に居ただけじゃからの? 申し訳なさで言えばワシの方が上じゃわい」
尻尾を丸めて再び俯くアユカの頭を軽く撫でて、ワシは盛大に苦笑した。
「コテツ嬢ちゃんたちは既に二つ目の迷宮探索も開始したようじゃし、この報酬の形態は広まるかもしれんのう。――というか、考えて見れば皆、同じくステータスカードを持つ『冒険者』仲間じゃ。仲間内じゃて、無償でも良かったの」
「それは、逆に、申し訳ない。材料費、ちゃんと、払う」
「ふむ? それも仲間内の仁義かのう。アユカもきちんと成長しておるのじゃな」
「……胸、これ以上、成長、困る。重い、肩痛い、辛い、仕事、しづらい」
そういう意味ではなかったのじゃが。
目線をその巨大に成長しつつある大きな質量の脂肪の塊に落として、真剣に邪魔に思っているらしい巨乳獣人美少女のアユカに目を向けて、ワシは再び苦笑を浮かべるしかなかった。
……後日譚となるが、獣人美少女の料理長が総ミスリル製の調理器具で作る夢のような味わいの深い上級貴族料理群、というのは雇い主であるカスパーン卿の名声を上げるのに相当に役立ったらしくてな?
王侯貴族の中にあった獣人差別の雰囲気が、――まあ長年の差別意識を改善するとまではいかんじゃろうが――若年の貴族を中心に、実際に調理を食した者からなくなりつつあるそうじゃ。
色眼鏡を掛けずに見れば、何事にも真面目かつ真剣に全力で取り組むアユカを嫌う要素なぞ、どこにもないのじゃからな。
百年もの長きに渡って続く帝国西方国境の獣人たちとの小競り合いも、これを機に、解消和解の方向に進んでくれれば平和になるのじゃが……、まだ若すぎるアユカにその運命を背負わせるのも酷な話か。
……ありゃ? アユカって、確かまだ二歳だったのではなかったかの?
なんぼなんでも成長早すぎじゃないのかのう。この分じゃと、四年も経ったら色気を匂わせる熟年の美女となりそうではあるが。
――ワシからしたら、そちらの方が好みじゃの。
後代 縁さんのリクエストで「アユカちゃんの現在」でしたっ。




