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幕間7 カスパーンとレイメリア

「あらぁ、わたし、お館様にはとっても感謝してるんですよー?」


 などとのたまうレイメリアに、儂は苦笑しつつ頷いて、隣で不満げに表情を曇らせたまま皿に山盛りの甘菓子を突付くレムネアを見やった。


「その割には、随分と娘の方が不満げのようじゃが」


「ああ、この子? 従兄弟のエルガーとコテツから引き離されたので怒ってるんですよ」


 くすくすと笑うレイメリアの言葉を肯定するように、食事の手を止めて、ぎろり、と母親を睨みつける娘……、レムネアが居た。


「お母さんの馬鹿っ。ボクはずっと一緒に暮らしてたかったのにっ」


「タケミカヅチも一緒に新居に来てるんだから寂しくないでしょ? まあ、あなたが子供の頃から一緒に育った、歳の離れたお兄さんみたいなものだし」


「お父さんみたいなもの、だよ。――だから、『新しいパパだよっ』なんて軽く言って来る、『あの人』……、ハインさん、嫌いっ」


 やれやれ、ハイン様の前途は多難なようじゃ。昔の恋人に出来ていたことが判明した実の娘に、こうまで嫌われるとは。


 思春期真っ盛りの年頃であることも関係するのじゃろうが、この子の場合、母親が職を隠していたことも不信感を煽るのに関係しておるのじゃろう。


 その点、既に嫁に出て久しいが、儂の四人の娘たちはこの親子に比べれば素直なものじゃったのう。


 そういえば長く皇都の実家にも帰っておらぬことだし、そのうち暇を見て家族を集め団欒の機会でも作ろうか。




 ……などと、目の前の親子の会話を、儂は微笑みを浮かべて見やった。


 怒り顔ながら、その実は母親と仲睦まじくじゃれ合うようにして不平不満を吐露する娘と、飄々とそれをいなしながら、決して本気で怒るような様子がない母親のやり取りはとても微笑ましい。


「しかし、儂に感謝しておるとは、何故にじゃ?」


「お館様はお気づきでないかもしれませんけれども。この子を身籠ったときから、陰日向に『カスパーン卿』の名の威光が役立っておりますので」


「名の、威光?」


「本当は直接礼を言いに来るべきだったのかもしれませんけれども、職業的に、あまりおおっぴらには、ねえ?」


「確かに、レイメリアが突然傭兵隊を辞すると聞いた際、『神弓』の技量を惜しんで、いつでも再入軍可能なように、紹介状を書いたのは儂じゃが……」


「今も役に立ってますよ?」


 そう言って、レイメリアが懐から取り出したのは、黄ばみ、汚れてはいるものの、確かに15年近くも前に最前線の傭兵詰所で、儂が手渡した紹介状であり。


「なんとまあ……、『写しを作った』のかの?」


「正印の複製になかなか苦労しましたよ? まあ、シスの街にドワーフが住んでいることを知ってからは楽になりましたけど」


 しれっと澄まし顔で上品に口元を隠しつつ、よく冷やした氷菓子を摘むレイメリアに、親子揃っての白磁のような美貌ながら、その腹心はかなり黒いものを感じ取り、儂は苦笑してしまった。


 通常ならまず複製不能な貴族家特有の正印も、被造物全般の達人であり人間を上回る寿命を持つドワーフの手に掛かればお手の物、ということか。


 シスの街に住むドワーフと言えばムギリ一人しか居らぬし、儂の預かり知らぬところで貴族印の複製に手を染めて居たとなれば、犯罪構成要件であることだし、問い詰める必要があるが……。


 現在はそのような案件は警察機構となる守備隊と合わせて、複数の高い能力を持つ密偵を駆使する、ハイン様率いる盗賊ギルドが裏の面を合わせて治安維持しておるからして。


 ――儂が副官のハダトに捕縛を下命しても、密偵経由で漏れ出た情報からハイン様に伝わり、疾くムギリを保護してしまう、じゃろうな。


『何でも複製可能な技術と経験を持つ職人の利用価値は、法を厳守することよりも遥かに高い』と、ハイン様ならお考えになるであろうし。


 まあ、儂の方も法を厳守する意志などないので、実行に移すことはないのじゃが。


「なるほどのう? 儂の紹介状を複製して、複数の雇用主を得た、ということかの」


「密偵という職業柄、雇用主の方に後ろ暗いところがありますから、なかなか上の方にわたしの存在を明らかにしませんので……、お館様の方に報告も上がりませんでしたでしょう?」


「確かに、紹介状についての報告がなかったので、使わずじまいだったかと思っていたわ」


「とんでもない、とても有効にあちこちで役立っておりますよ? さすが、『帝国の三本槍』の名は伊達ではありませんね。――敵対し合うお互いで同時にわたしを雇用しているような方々もいらっしゃいますし」


 ころころと笑う美貌に騙されたクチも居るのであろう、この分では。


 和やかな親子の新居の食事会でありながら、背筋に何やら冷たいものを感じて、儂は少々強張った笑みを返したのかも知れぬ。


「ということは……、盗賊ギルド以外にも、未だに複数の雇用主が居る、ということかの?」


「わたし個人で帝国全土に散らばる全部の雇用主の用件を済ませるにはそろそろ手が足りなくなっていたところでしたから、『盗賊王』ハインとの再婚は渡りに船でしたね」


「では?」


「ご推察の通り。――今は、盗賊ギルドが請け負ってるんですよ」


「やはりな。皇都にも他の都市にも、儂直属の『目』が居るが、盗賊ギルドからもたらされる情報の質の方が上、ということは」


「まだまだひよっこたちですけど、そのように『配下』を評されるのは密偵冥利に尽きますわね」


 相変わらず上流貴族の娘のように口元を隠したまま自然に笑う眼の前のレイメリアに、儂は心底薄ら寒いものを感じてしまっておる。


 軽く言っておるが、盗賊ギルドからの情報に貴族、皇族に関するものも多く含まれるということは、軍直属の密偵の目を欺き、難攻不落の皇城深くまで侵入出来る技量を持つ密偵――、盗賊を多く抱える、ということでもある。


「なるほど、『盗賊ギルド』の名は伊達ではない、ということかの」


「わたしもこの歳になって、新しく部下を抱えて、密偵の教育を体系化するなんて思いませんでしたね。最近では、森の妖精、エルフの姉妹までが密偵に加わりまして」


「ボクは弓の名手になりたくてお母さんに憧れてたのに」


 ぽつり、と不満をこぼしたレムネアに儂とレイメリアの視線が向き、寒々しくなりつつあった場の雰囲気が、少しだけ温まった気がした。


「レムネア嬢ちゃんは、母親が密偵であったことに不満なのかの?」


「とっても不満ー。だって、どこに行っても、傭兵のレイメリア、って言えば『神弓』の二つ名で有名で、ボクはそれが自慢だったのに」


「武芸で生涯食べて行けるのなんて、上流貴族のごく一部だけですよ。――戦場に出る義務を負う限り、いつか落命してしまうのですから」


「そんなの怖がるなんて、お母さんらしくないっ」


 女神コテツと並んでシスの街の妖精、などと評されておる白髪紅瞳の美少女が、ぷぅっ、と頬を膨らませておる姿は非常に可愛らしく、儂とレイメリアは声を合わせて笑ってしまった。


「独り身のときであれば、それでも良かったのですけれども」


 ハイン様のお好きな銘柄となった、このシスの街でも盗賊ギルドと軍民の共同で増産を開始しておる上質のハーブティーを軽く口にしつつ、レイメリアは相変わらずの柔らかい眼差しで我が子レムネアを見つめ、言葉を続けた。


「あなたを身籠ってしまってから、なるべく長く生きられて、長く安定して稼げる方法を選択しなければなりませんでしたからね。――幼子の頃から弓以外に能のなかった、女のわたしが」


「女子の身で一人で子を産み育てるのは、それは苦労したであろうな……」


「幸いにして、姉のサーティエが手伝ってくれましたので、安心して家を離れることが出来ました。それに、タケミカヅチに出会って、彼が家を完璧に守ってくれておりましたし」


 儂の感想に、事も無げに話すレイメリアが居たが、それでも子を育むというのは簡単ではなかろう。


 恐らく、レムネアが盗賊ギルドに所属するように仕向けたのも、組織に所属することで、大きな力で子を守るため、か。


「そういえば。『神弓』と呼ばれて久しいが、弓はもう放たぬのかの? 武芸者のひとりとして、惜しい、という気持ちもあるがの?」


「あれは……、というか、ただの人が『神弓』などと、勘違いもおこがましい、という事例を目の当たりにしまして」


 これは本性かの? 頬を染めて恥ずかしげに苦笑して見せている眼の前のレイメリアの様子に……、儂は今までの、表面上からは内面を伺えぬ、底知れぬ何かを隠したギルド密偵の長ではなく、『元』傭兵の素顔を見た気がした。


「既に何度か話に出ておりますけど……、タケミカヅチをご存知で?」


「む? 魔道士でコテツ嬢の保護者、シンディどのの配下で、コテツ嬢、シンディどのと同じく神族、と聞いておるが」


「タケミカヅチがねえ、すっごく強いんだよ! そして、武芸全部の達人なの!!」


 勢い込んでテーブルに両手を着いてまで、儂の方に向かって身を乗り出してそのように宣言したレムネア嬢ちゃんじゃったが。


 ……その、まだ幼く、育ちきって居らぬ成長期の薄い胸で、胸元の開いた衣装の際に前屈みになると、のう。


 ――中身の先端まで確認可能なほど、衣服と胸の間の空間が開いて、のう?


 「武芸、全部とはにわかに信じられぬが……、確認したのかの?」


 とうの昔に枯れた儂の目には毒じゃて、努めて目線を逸した儂の目に、再び口元を隠して苦笑するレイメリアの姿が映った。


「放った矢で、千メートル先の並べた銀貨を貫くことが出来ます」


「それは……、途方もないな」


 レイメリアの答えに、レムネアは満足しきりの様子でにこにこと満面の笑顔を浮かべておったが、儂はそう答えるのがやっとというほど、驚きを隠せずにいた。


 なるほど、神族か。――ハイン様が、封印を考えるのも納得出来る。


「普通の人間ではそもそも千メートルの飛距離が出せませんし、山頂から麓に撃ち下ろしたとしても、銀貨を貫くほどの威力を維持出来ませんし……、何より、それを昼夜変わらずやってのけるのですから」


 あれこそが本当の神の弓、と続けたレイメリアに、儂も深く頷いた。人智の及ぶところではない、神の武芸者――、武神、か。


 不老不死の神族なれば千年、万年の期間を武芸に費やしたのであろう、そのような輩に人が挑むなど、おこがましいにも程がある。


「でも、まあ。武芸以外にはからっきしのようで、レムネアの養育に手を焼かされたようですし……、そうそう、最近は『めれんげ』が禁句のようですね」


「めれんげ? そのような名の菓子を、コテツとアユカが共同で作成していたようじゃったが」


「そのお話はだめーっ!」


 レムネアが慌てて止めるのを気にせず話し始めた内容は、武神と言えども人の世では様々な辛苦があるのか、と笑みを浮かべずには居られぬ内容で。




 ――常々、コテツ嬢やシンディどのにこき使われておる様子を見ておったが、そのうち同じ武芸者として、旨い酒でも贈ってやろうかと儂に思わせるには十分な話じゃった。



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