幕間6 虎徹とメイドさんたち
「なあ、……これ、いつ取ってくれるんだよ?」
そう言って、コテツさまは可愛らしいお口をへの字に曲げて、私達が綺麗に(コテツさまがお眠りになられている隙を突いて)真っ赤に塗って差し上げた両手の爪を私達三人に見せて、少しだけ困り顔をされましたけど……。
それを取るなんて、とんでもないですよ?
――起きていらっしゃる間は以上に感覚が鋭く、それに神族であらせられるので本来睡眠すら必要のないコテツさまが唯一無防備になる、うたた寝していらっしゃった隙を突いて、私達三人が完璧に仕上げた真っ赤な爪ですもの。
「さあ、いつでしょう?」
「そのままでもお可愛らしいですよ?」
「お綺麗なんですから、爪先も容姿に合わせませんとね?」
「……解っててやってんだろ、アウレリア、イファンカ、ウィルペディ?」
相変わらず不満げなご様子で、私、アウレリアの名前を筆頭に、今この場でコテツさまの髪を手分けして編んでいるメイド筆頭の三人をお呼びになりましたけど。
お館様、カスパーンさまに家事全般をそれぞれ任されている筆頭代表の三人とはいえ、ただのメイドがコテツさまに名前を直接呼ばれる栄誉なんてそうそう頂けるものではありませんから、私達は思わず顔を見合わせて、微笑んでしまいました。
ちなみに、私、アウレリアが屋内管理担当、イファンカが屋外管理担当、ウィルペディが資材と資金の運用管理担当となっています。
「あまり動かれますと」
「梳かしづらいですから」
「大人しくなさってて下さいね?」
「だから、大人しく座ってんじゃんよ。……ったく、サーティエの言いつけだから守ってっけど」
そう言って、大人しく椅子に座って下さっている様子が、ほんとうにお可愛らしくていらっしゃって。
やろうと思えば全員に気づかれないようにそっと逃亡することなど容易でしょうに、迂闊に力を振るって私達が怪我をしないように気を遣っていらっしゃるのだと、妹さまでいらっしゃるレムネアさまが仰ってましたっけ。
「ほんとは俺、ばっさり切りたいんだぜ、これ。――正直言うと、マジで、すんげえ重いんだよ」
「ああ、そうでしょうねえ? これだけの長さの御髪の方って、皇都の貴族令嬢でも滅多に居りませんし?」
「でも、これだけの長さで全く傷んでいない髪というのも、普通はまず居りませんよね」
「さすが神族の神器さま、この世に顕現された現人神の女神コテツさま、ですね。――ですから、身嗜みの方もそれなりにいつも整えておきませんと、私達メイドの仕事ぶりの評価にも関わりますし」
唐突にぴたっ、と動きを止めたコテツさまが、どうやら本日のメインイベントに気づいたご様子ですが……。
『コテツ(さま)をどこに出しても恥ずかしくない立派な令嬢に育て上げること!』
……というのは、現在北東方面に出張されていらっしゃるエルガーさまのご母堂、サーティエさまと約束したことですから、私達もさり気なく常に本気なのですよね。
コテツさまはどうやら、ご自身を取るに足らないありふれた標準以下の容姿、と勘違いしていらっしゃる様子が伺えるのですが。
それが殿方のような態度や粗野に見える行動となって現れていらっしゃるのだと思います。
でも、女神、と言っても年頃の女性と同じようで、妹さまのレムネアさまとそのご母堂のレイメリアさまがこのお屋敷から離れておしまいになった後に残されたお二人のロマンスが、目下メイドたちの密かな楽しみとなっておりまして。
異母姉弟のエルガーさまとの毎朝の秘密の逢瀬のときは、非常に勘の鋭いコテツさまに気づかれないように、屋敷でいちばん高い位置の角部屋から、お館様が仕事で使用される遠眼鏡を駆使してまで私達三人がメイド衆を代表して交代で見守っておりますし。
あの到底14歳とは思えない素晴らしい肉体美のエルガーさまの裸身を観察するだけでもうっとりとしてしまうのですが、そのエルガーさまとコテツさまの接吻の瞬間を初めて見たときは、悲鳴を抑えるのに苦労しましたね。
「……なにうっとりしてんだ、アウレリア? オィ?」
「あっ、失礼しました。少し思い出に浸ってしまいました」
はっ。そう、今はその、接吻のお相手であったコテツさまのお世話をしている時間でした。
エルガーさまがサーティエさまのご出張の手伝いに出かけられて、目に見えて落ち込んでいらっしゃるコテツさまを元気づけようというメイドたちの気持ちも込めているのですから、メイド筆頭のひとりである私がぼうっとしているわけには行きませんでしたね!
「あのとき、ですか?」
「あのとき、ですね?」
「はい、あのとき、です。この話は後ほど、メイド衆の皆さんで盛り上がりましょうね」
平静を装いながらも目だけは笑みを浮かべて私にそのように尋ねて来る同僚のイファンカとウィルペディにぼかした返事をしておきました。
……私達メイド衆はお館様以下のご主人様方と食事を共にするわけには参りませんし、職務の都合上食事の時間がそれぞれでズレますので、地下に用意されているメイド衆専用の食事部屋でそれぞれが交代しながら食事をすることになっているのですが。
……話題はもちろんご主人様方のお世話に関する内容と、そのご主人様に関する噂話で盛り上がるのが常で、特にコテツさまたちがこの屋敷に来られてからは、もっぱらコテツさまとエルガーさまの『仲睦まじいご様子』に関する話題が中心でして。
特に夜も昼も関係なく、二人っきりのお部屋の中で行われる……、こほん。いけません、これはメイド衆たちだけの秘密でした。
それで、私たちは用意していた大きな衣装箱を開いて、折り目がつかないように内部に格子状に張られた梁にゆったりと三つ折りで吊り下げられていたその衣装を取り出して、コテツさまに提示して見せました。
「……またドレスかよ……、今度は何の用事だよ?」
「お館様とハインさまの要請で」
「皇都からいらっしゃる視察の軍の幹部さまを歓待する夜会の際に」
「コテツさまが着る衣装ですね」
私達がコテツさまの両手を取って立ち上がって頂き、身体の各所に衣装を合わせる間にそんな風に三人でお答えしましたら、見るからにうんざりとした表情を作ったのがまた、伝説に残るほどにお可愛らしくて。
私はその場で150センチにも満たない女神のコテツさまを抱き締めたい衝動を抑えるのに少々苦労してしまいました。
「もう、いつも屋敷で着てるこの夜着でいいじゃねえかよ。なんで毎回毎回、衣装変えるんだっつの。――なんかだんだん、露出の度合いが派手になってる気がするし」
「それは一応、コテツさまはお館様預かりの貴族令嬢という立場となっておりますし」
「神の国から帝国にやって来られた女神というお立場ですから」
「帝国皇族と比較して遜色ない権威を持つことを衣装でも説明しませんと」
それに、コテツさまがお屋敷に居られる間に部屋着とされていらっしゃる漆黒の装飾のない夜着では、正直申しましてコテツさまのお美しさを飾るには少々物足りませんし、ね?
「うえぇぇ。なんだよこれ、スカートんとことか、あちこち透けてんじゃん。……エロすぎだろ」
「大丈夫ですよ、大事な部分はしっかりと見えないように調整しておりますから」
「見えそうで見えない、というのがとても殿方に評判が良いのですよ」
「妹のレムネアさまも同じ衣装で、そちらはコテツさまと同じという部分で喜んでおられましたよ?」
ウィルペディの言葉で、何か更に文句を続けそうに口を開いておられたコテツさまが、何か逡巡して、そして諦めたように黙り込んでしまわれました。
そうです、こういう、他人のことを第一に考える人となりが、コテツさまをお慕いする民衆が日々増えている要因でもある、と私達は思っています。
そして。
『誰か他人が喜んでいるのなら、自分は不満に思っていても我慢するので、そこが付け込み所』
とは、育ての親であるサーティエさまの直言でもあります。そう、私達はその隙を逃すことなく。
ぱきん! と小気味よい音を立てて、イファンカが指を鳴らすと同時に――。
扉の向こうに控えていたお屋敷所属メイド衆お針子部隊とお化粧部隊の十数人のメイドたちが、待ってました、と言わんばかりに、衣装合わせでお召し物を脱いでいる最中だったコテツさまの自室になだれ込んで来ました。
「うぉっ?! なっ、ちょっ、待てよオマエら、化粧もするとか聞いてねえぞ!?」
「衣装を合わせるのですから、当然衣装に最も映える化粧も合わせてみて、リハーサルしておきませんと?」
「私達メイド衆は凡人ですから、一度の化粧で常に万全、というわけには参りませんし、実益……、こほん、いえ、テストを兼ねて何度か試しておきませんと?」
「美の結晶なその裸身を私達三人のみで鑑賞するなんてもったいない……、こほん、いえ、三人のみで衣装チェックでは見落としがあるかもしれませんから、大勢でないと」
こらこら、イファンカ、ウィルペディ。本音がちょっと漏れてますよ? 後でお仕置きですね?
「ふっざけんなっつの、騙してんじゃねーよ、っつか、いつ爪の色取ってくれるんだよ!!」
「「「「「コテツさま……、私達、困るんですよ?」」」」」
――合計20対ほどの嘆願の視線には耐えられませんでしたようで、その後、コテツさまは世界の王族全てが平服する勢いの美の女神のように全身を着飾らせて頂きまして。
ついでなので、兎耳網タイツ衣装その他のたくさんの着せ替えも楽しませて頂きました。
こういう『暇つぶし』が出来ますから、このお屋敷のメイドはやめられませんね。




