04話 すくすくと育ってるんだぜ
「メーン!」
「……うえぇぇぇん! コテツお姉ちゃんがぶったぁ!!」
「――いやおい、ちょっと待てエルガー。オメエが稽古つけてくれ、つったんだぞ?」
丘の上で木の棒を荒く削っただけの木刀で打ち合って遊ぶ俺たち兄弟を、下の畑で畑仕事をしているエルガーの母親のサーティエが眉をひそめつつも苦笑している気配が俺にだけは判る。
他に同じように畑仕事をしている村の女から話しかけられて何か受け答えをしているようだが、その声はさすがに風向きの関係で聞こえては来ないが、とりあえず怒っている様子はない、と判断して俺は内心胸を撫で下ろした。
吸血後に全身に神の血の力が漲ってる俺の力でならいつでもバラバラに裂ける程度にはごく普通の20代の女なサーティエだが、ここまで育てて貰ってる恩義ってもんはある、それを投げ出すほど俺も悪人じゃねえ。
シンディと一緒の家で暮らすようになって、シンディがどこかで稼いで来る結構な金額の生活費を几帳面に折半するもんだから金銭的余裕が出来て、エルガーと俺の家はそれなりに大きな農地を得て裕福に暮らせるようになって来てた。
俺とシンディが初めてこの村に来てからもう10年も経ってるが、子供の頃から付き合ってる住人たちの顔ぶれは変わらず、俺たちが今遊んでる岬に続く丘の上で子どもたちが集まって遊ぶ光景もずっと変わらず。
年長者が年少者を引っ張って、年少者が怪我しないように見張りながら、遊びの中で生活に役立つことを少しずつ教えていくこの遊び教育も、俺が小さい頃からずっと続く村の慣習だ。
俺とエルガーにそれを教えてくれてた年長の兄貴たちは11の誕生日から森や川や畑で収穫の仕事を手伝うようになってる決まりだから、10歳になった俺と、半年違いの弟のエルガー、それに同い年で幼馴染の村の少年たちが今はここの遊びの最年長、ってわけだ。
わけ、なんだが。
「エルガー……、言いたかねえがよォ? オマエにゃ魔術の才能がねェんだから、剣術くらいはまともに覚えねェと、村から一歩も出られないまんま、畑を手伝うしかなくなっちまうんだぜ?」
「うー……。僕だって努力してるもん! っていうか、コテツお姉ちゃんはどこでその剣術を覚えたの?
両手で剣を握る剣術なんて、僕、絵本の中でだって見たことないのに?」
幼い言葉遣いながら、本質を見抜くエルガーの観察力に、内心ぎくり。ほんとにコイツ、こういうとこばっか鋭いんだからな?
どうやらこの世界じゃ、片手に剣を持ってもう片方に盾を持つタイプの片手剣術が主流みたいで、たまに村に立ち寄る傭兵風の男たちや旅人風の男女も例外なく、頼めばそういう剣術を披露してくれて、エルガーはそれに強く憧れを抱いているみたいだった。
血は繋がってないっつっても、俺の方もコイツに剣術を教え込んでも損はねえ、ってくらいの長い付き合いだし、この先コイツに命を救われることだってあるかもしれねえんだから『俺が』教えることにも別に問題はねえんだが……。
俺は、実は、吸血衝動が起こる18の冬までは、全国大会出場経験もある剣道の有段者だった。
だから、両手で剣を振る剣術はお手の物、肉体や感覚が元の世界でスポーツマンやってた頃とは比較にならない強化されてる現在じゃ、当時よりも圧倒的に強くなってる自負はある。
だけど、この世界じゃ、その、「盾なし、両手剣のみで攻撃と防御を切り替えて行う剣術」ってのはポピュラーじゃないみたいなんだよな?
転生して10年も経つまで気づかなかったなんて笑うしかねえが、俺は――、身体が普通の人間じゃねえことを隠すのは安全のために絶対だが、その、『転生に関する秘密』をどこら辺まで秘密にしとくべきなのか、ってことだ。
シンディはここんとこ村の外に出稼ぎに行って戻るまでの期間がどんどん長くなってるし、次に戻ったときにきちんと確認しとくべきだな。
それと、今更、って気もするが。俺をこの世界に転生させた目的についても、確認しとくべきだよな?
いくらなんでも10年も待たせてただ母親業をやりたいだけ、なんてのは条件が良すぎる。――娘に夜ごと血を吸わせる母親、なんてのは背徳的すぎるがな。
「コテツお姉ちゃん?」
「お? おう、悪い、考え事してた。――痛むか?」
「んー、ちょっとだけ。撫でてくれたら治る!」
「治るわけねーだろ、莫迦」
無邪気に額を押さえながら笑うエルガーの眼の端に浮かんだ涙を超感覚の俺が見逃すはずもなく、人差し指の甲で軽くその涙を拭っておいて、俺はエルガーが両手でしっかりと押さえた額の上の両手をゆっくりと引き剥がした。
「……あー、マジ悪かったな。まともに脳天に入っちまったな」
「速すぎて避けられなかった! マジお姉ちゃんすごい!」
「やられて喜ぶ奴が居るか、あほんだらぁ。川で冷やすぞ、サーティエに報告して来い。……あ、俺が殴った、っていうのは……」
「内緒にしとくー!」
必然的に川遊びが出来ることを喜んだのか、振り返ることなく畑に続く坂を駆け下りてくエルガーの小さな背中を見送って、俺は少し微笑んだ。
まったく。鈍くさいのに、妙に可愛いやつだぜ。
――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――
「お姉ちゃん、これもないしょ?」
「当たり前だろ、莫迦」
ついでなんで連れてきた年少組を他の同い年の幼馴染たちに任せて、俺は年少組のガキどもたちから少し離れた上流まで進んで、エルガーと一緒に裸で水浴び中で。
エルガーの額に俺が作っちまったたんこぶに両手で掬った川の水を振り掛けて、それから――。
「水の魔力、我が求めに応じ我が弟を癒せ、我が名は虎徹、女神シンディの神器」
呪文を唱え終えた途端に、額に振り掛けた水滴に含まれる魔力が反応して、エルガーの額のたんこぶのてっぺんに出来た傷が癒やされて行く。
俺がまだ世界の魔力の扱いが未熟なんで治癒術つってもこの程度、完全に治すまでにゃ至らないが、出血は止まったからこんなもんでいいだろ。
「どうして、ないしょなのー?」
「あほ、俺が詠唱魔法使えるって知られたらぜってー不味いだろうが?
魔法陣魔法しか使えないサーティエですら近隣で引っ張りだこなのによ? 俺はタダ働きする気はねーんだよ」
たんこぶの上の出血が止まったのを確認して、俺はそのエルガーのたんこぶをぺしっと軽く叩く。
盛大に痛がるエルガーを無視して、手早く水中にかがみ込みながら両手で身体に水を浴びせて。――清流の水面に浮かぶ自分の姿に、見とれるってわけじゃねえけど、なんとなく全身を観察。
……もう10年の付き合いだからいい加減慣れもした身体だけど、ほんっと華奢だよな、俺のこの身体。
あばらが浮いたガリガリの身体、細いくびれ、って言えば聞こえはいいが、単に栄養が足りずに贅肉がつかなくて細くなってるだけの腹と腰に、申し訳程度にほんのり肉が乗ってるだけのケツ。
一応は女の身体なんだから伸ばすのが当然、ってことで伸ばすことになってる真っ黒な髪が濡れた身体のあちこちにぺたぺたと貼り付いて、正直鬱陶しいことこの上ない。
……いっぺんマジクソ我慢ならなくて適当にナイフで切り落としたら、サーティエにマジ泣きされたんだよな。あれにゃ参った。
切り落とした髪を集めてつけ毛にしてくれてしばらく過ごしたけど、実は状態固定の神術が髪の毛にまで及んでて、しばらくしたら元の長さ、腰付近まで伸びた状態に戻っちまったんだけどな。
逆に髪が再生される――つけ毛とくっついちまうのをごまかすのが大変だったんで、もうやらねえけどさ。
まるっきり男みたいな言葉遣いの方は、もう村に女の子が他に居ないから仕方ねえ、ってことで諦めてるみたいだけど、身震いするくらいの恐怖ってなこのことでさ?
サーティエは俺を『おしとやかな女の子』として育てる気満々っぽいんだよなー。
確かに10年も一緒に暮らして、俺の認識としても母親同然――一応実の母ってことになってるシンディよりも一緒に居る時間が長いからな、産みの親と育ての親、って感じだ。
しかし俺自身は19で死んだ地球の意識っつか魂? がそのまま宿ってるらしいし、それで『女になったから全力で女をやれよ?』なんて言われても、マジ、無理。
シンディが俺に何をさせたいのかは相変わらず不明だけど、このまま女で一生を幸せに暮らせ、って話なら、最大の人選ミスじゃねーのか、って感想しか浮かんで来ねえし。
さてさて、俺の異世界ライフ、この先どうなるんだろうなあ?