39話 エルガーが旅立っちまったんだ
「えーと、生水飲むなよ? 落ちてるもん拾い食いすんな?」
「いや、解ってるから。子供じゃないんだから」
「子供だろうが! ったく、なんでド新人の軍人になったばっかのオマエが行くことになんだよ」
街の北門で馬を引いてるエルガーが、すげえ笑い堪えた顔で俺のこと見下ろしてんだけど、なんでそんなオマエいっつも余裕なんだっつの。
それに。
「なんで、俺はダメで、……エルフ姉妹はいいんだよ」
ちらっ、ってエルガーの後ろに目線をやると、大人しく姉妹二人してもう一頭の馬に相乗りしてるシルフィンとシフォンが居てさ。
「コテツはこの間式典やったばっかりで、街の住民に受け入れられたばかりじゃない? それに、北東で支援要請したのは僕の父さんと母さんなんだから、軍属になった僕が行っても不思議でもなんでもないし」
「軍属になったっつっても、お飾りみたいなもんで……」
そこまで言って、俺はさすがに不味い、と思って口をつぐんだ。
エルガーが卓越した戦士技量持ってるっつってもナリは14の子供で、そこんとこは本人もすげえ気にしてるとこだったのに。……俺が考えなしすぎた。
「『姉さん』にそれを言われると耳が痛いな」
「うるせえ。……俺が悪かった。オマエだからきっと大した苦労しないと思うけど。なんかあったらすぐに俺を呼べよ?」
事実婚してから、今まで以上に一緒の時間が増えて、エルガーに合わせて寝食共にするようになって判ったこと。
コイツ、――たぶん自分で気づいてねえんだろうけど――俺に劣等感抱いてるときに俺の呼び方が変わる。
「それと、ひとつだけ忠告がある」
相変わらず、なんかいつもだったらきっと初めての乗馬ではしゃぎまくるんだろうエルフ姉妹が、なんか心ここにあらずって感じでぼーっと虚ろになってるのをもう一度見やって。
エルガーの両肩を掴まえて、いつものようにぐいっ、と無理やり引き下ろして、囁くように、耳元で、一言。
「……同じ奴に何度も『魅了眼』を使うな」
苦笑を浮かべてたエルガーの両目が、驚きに一瞬見開かれて、それからすぐにいつもの余裕めいた表情に変わるのを俺は見逃さなかったし。
「どうして、僕が『魅了眼』を使ったと思ったの」
「ごまかしてんじゃねえ、俺も魅了眼持ちだ。……しかも俺の方が使ってる時間が長ェ」
「歳なんか半年と違わないのに?」
「忘れてんじゃねェよ、俺に嘘は通用しない」
俺の場合はエルガーの<祝福>と違って種族固有能力で、吸血衝動とセットなんであんまし使いたかねぇんだが。
それでも、思い出させるために、エルガーがそれを使うときと一緒のはずの、目の色を青白く変えて魅了眼効果を数秒だけ発現させて見せて。
「……そうだった。姉さんも魅了眼持ちだ、って前も言ってたよね。使ってるのを見たのは今が初めてだけど」
「魅了眼持ち同士でこりゃ効かねえからな。――知らねえみたいだから教えといてやる。この能力は『強い常習性』があるんだよ、掛けられた側にな」
小声で喋り合ってる間も、待ちぼうけ食らわされてるエルフ姉妹は身じろぎもせずにずっと前方を見つめてて。
「……何回あいつらに使ったのかは知らねえが、10回や20回じゃ、ああはならねぇ。あいつらにせがまれて使ってんだと思うが、もうやめとけ?」
「――もしかして、嫉妬?」
ふっ、一瞬で破顔したエルガーの笑顔が間近に迫って、そのまま、逆に全身を抱き竦められて、避ける間もなく深いキスされちまって。
慌ててエルガーの両肩を叩いたり押しのけたりしたけど、エルガーは拘束を解いてくれなくて。
「大丈夫だよ? 僕が愛してるのはコテツ一人だから」
「そういうこと言ってんじゃねえ、本気で不味いことになんだよ……んぅっ……、やめろ莫迦、往来だっつの!」
「こんな明け方に街を出るなんて僕らだけだよ」
「上から見張りの兵士に見られまくりだよ莫迦野郎!!」
ほんの数時間前まで、しばらく会えなくなるから、つってさんざん愛し合ってたってのに、こんなことされたらまた火照って来ちまうだろ!
「ほんとに意外とコテツは嫉妬深くて甘えっ子だよね? ――ちょっと遠いから時間掛かるかもだけど、手紙書くし、終わったら一直線で帰って来るから……、待ってて?」
「だから、そんなんじゃなくて……、ああ、クソ! もういい、勝手にしろ!」
なんで伝わらねえんだ! って思ったけど、……でも。
そもそも、コイツの魅了眼と俺の魅了眼は能力は同じでも力の源が違うんだし、俺が体験した『酷い結末』には行き着かねえのかもしれねえし。
「オマエは俺と違って、頭もいいし立ち回りも巧いからな、きっと大丈夫だと思ってる。――でも、身体はただの人間なんだから、身体に注意して、生水は沸かして」
「コテツ、コテツ。さっき言ったの繰り返してる」
強く抱き締められてるまんま腕の中でそんなこと言い募ってたら、上からそんな言葉が笑い声と共に降って来て。
――きっと俺、人形の身体じゃなかったら赤面しまくりだったんだろうな。認めたくねえもんで、きっ、って感じで強くエルガーの顔見上げて、両目閉じて。
「コテツ?」
「足りねえ。もっと満たしとかねえと、浮気するかもしれねえぞ?」
「……うわあ、そりゃ大変だ。困ったな?」
まるで困ってなさそうな口調が近づいて来た、と思う間もなく、また熱くて柔らかい接触と、口の中で暴れ回るそれが、熱い呼気の漏れる音と同時に、ずるずる、って恥ずかしい音立てて、余計興奮を煽っちまう。
「……っとっとっと、朝日昇って来ちゃったよ? ほんとのほんとに、これが最後ね」
ちゅっ、なんて音で俺の額に軽いキス落として、全身の抱擁が解かれたんで、俺はフル装備のまんまの癖に、装備の重さも感じさせずに颯爽と馬に跨るエルガーの背中を見送ってさ。
「朝日を浴びると吸血鬼は滅びるんだぜ、伝説じゃ」
「異世界の伝説かな? 初耳だけど。この街の吸血『姫』は、僕の腕の中で果てるのが日課だったみたいだよ」
軽口叩きながらも、俺たちどっちも離れがたいのは一緒みたいで。……でも、それじゃ話が進みやしねえ。
「……それじゃ、行って来るよ、コテツ。手紙書くし、お土産買って来るし?」
「田舎の村でお土産って何買う気なんだ? まあいい、旅の無事を祈ってる。ほんとに困ったら呼べよ、道中無事に、だ。……どんだけ強く掛けたんだ魅了眼? コイツら正気に戻らねえじゃねーか……」
とうとう馬の歩を進め始めたエルガーに続く様子もなく、相変わらずぼーっとしてるシルフィンとシフォンの様子を見てたら、エルガーがその馬の手綱を取って、引っ張り始めて。
それで、先を行くエルガーの後に続いて、シルフィンとシフォンもくっついて、門から遠ざかってった。
「精霊力の影響も考えられるので連れて行ったそうだな」
「……びびらせんな、オメエは気配がなさすぎだ」
エルガーが触れた最後の場所な額をなんとなく撫でてたら、そんな風に突然背後からシンディが声を掛けて来て、驚愕するとまでは行かねえが、少し語気を強めに言っちまった。
「今まで盗賊ギルドに詰めてたんだったら、そういう情報も耳に届いてたのか? 興味ねえのかよオメエ?」
そういや、好奇心の塊みたいなコイツが、ああいう、オカルトっつか不思議現象に興味沸かないのは珍しいかも、って思ったけど。
「見当はついているが、不確定要素が多すぎるので断定しかねる。調査結果報告書を待つフェーズにあるのは私も同じだ」
「どこの事故調査官だよオメエは……。まあいい、何しに来た?」
「魅了眼に落ちたエルフの観察を。――前の世界では、虎徹の妹御がそうだったな」
意外な言葉を口から出しやがったもんで、俺は驚いて身体ごとシンディの方を振り返った。
「なんで知ってる? 俺と『契約』したとき、妹はもうとっくに死んでたはずだ」
「『死んだ後の本人の魂から直接聞いている』、と言えば分かるだろうか?」
いつもの無表情の顔から吐かれた言葉は、俺を驚愕と混乱に陥らせるには十分すぎるインパクトで。
……っ、そうだ。コイツは人間じゃない、正真正銘の神だった。
『俺の魂をこの世界に移動させてる事実』があるんだから、――『妹の魂を同じように、この世界に持ち込んでても何の不思議もない』。
「まさか。……いや、じゃあ、なんで今の今まで、黙ってた? 『その身体に、妹の魂が入ってる』んだろ?」
「そういう結論にもなるが……、私という神の意志を押し退けて自我を存在させられるほど、妹御の魂は強くはない。それに、『契約』もある」
「契約? いや、契約なら、ちゃんと俺は、契約通りに迷宮を探索してるし」
「それは『私と虎徹の契約』だ。今は『私とシンディの契約』のことを話している」
今度こそ、愕然として、俺は目の前に佇んでる漆黒の魔女を見た。
「そうだな。説明というほどでもないが、分かりやすく言えば」
そんな言葉を発した瞬間、シンディの全身を覆ってる気配が瞬時に変化して、懐かしいどころじゃねえ、同族の気配と匂いが急速に広まって。
「コテ兄、ええっと、今はコテ姉? ずっと、ずぅーっと見てたよ、私? んー、凄い可愛くなっちゃって? ふふっ、良かったね、コテ兄は幸せになったんだね、良かった! 私、大満足!」
「……シンディ?」
俺のことをそんな、変に縮めた呼び方するのは、実の妹の方の、死んだシンディだけで。
「満足も満足、なんだけど、それ以上を願っちゃダメ、なのかなあ? この世界でも差別があって、あっちの世界で私達兄妹は、それに負けて死んじゃったわけだからぁ。……こっちの世界でも、このまま放置してたら、きっと、同じことになっちゃうよねえ?」
そんなの許されなくなーい? なんて続けてるその喋り方は、確かに、俺が噛み殺した妹のシンディと全く同じで。
「ずっと、……その身体の中で、生きてたのか?」
「コテ兄に噛み殺されたとき、私が何を思ってたか分かる? 嬉しかった、大好きなコテ兄が私の最後を看取ってくれて」
俺の両腕の中で、頸動脈を喰いちぎられて、急速に顔色が真っ白になって、それでも笑顔を浮かべたまま命を消費してくシンディの血にまみれた姿を、俺は忘れずに覚えてる。
「――そして、悔しかった。憎かった、人間ども全てが。私が大好きなコテ兄を、人間よりも優れた種族のコテ兄を、寄ってたかってめちゃくちゃに蹂躙したあいつら全てが死ねばいい、と思ってた」
「オマエ……、まだ、呪縛が」
「私はコテ兄の最初の使徒! 魅了眼の虜、永久にコテ兄の隣に並ぶ者! あっちでは失敗したけど、こっちでもう一度やり直そう?」
「何、を」
「コテ兄、王になろうよ! 王になって、差別される同族を纏めて、王国を作ろうよ!! 誰も差別されない、特別な土地で、同族だけの王国を!!!」
「……っ、失敗したんだよそりゃ!! だから、俺は、同族を全員噛み殺すハメに!! 兄弟たちみんな、魅了眼中毒で正気を失っちまったから!!!」
周囲に響き渡る勢いで叩きつけるように怒鳴ったとき、ようやく、俺は周囲が隔絶された異空間になってることに気づいて。
神の方のシンディお得意の、異空間接続か。
「……説明はこれくらいでいいか? 妹御の魂に負荷がありすぎるからな? 『彼女』は私と契約を結んだ上で、私の中にこうして『死の直後』のままで保存されている」
「……契約の条件にしちゃ、おかしな繋がりだと思ってた。迷宮探索と、王になれ、ってのが理由が繋がってなかったからな」
「繋がりはあるとも。私にとっても合理的でもある。――迷宮を探索するにも、それなりに資金が必要となって来る、何しろ、大陸全土を旅しなければ制覇出来ないからな?」
時間の止まった異空間の中で、妹の方のシンディが最後に見せた表情そっくりに恍惚とした顔を固定したまま、神のシンディは指折り数える様子を見せて。
「無論、第一は迷宮探索だ。私の興味はそこにある。その次が、王になるための人脈と資金力を培うことにある。これは私が代行している。――アドンとサーティエの名声と人脈を元にカスパーンを村に呼び寄せ、カスパーンの繋がりから盗賊ギルドに繋がった」
「オメエが糸引いてたのかよ……」
「私が黒幕というわけではない。『最終的にそのような結果に落ち着く最善の道筋』を選んでいるだけだ」
「だから、そりゃ失敗したんだっつの! だから、前の世界で俺は死んで!」
「知っているとも。『やり直し』が妹御と結んだ契約だ。――より正確に言えば、『迷宮探索の担い手』となる資質を最初から十分に備えた虎徹を鍛え上げて『王国を作り上げるための国民』を集めつつ探索を進める方が、双方の契約を同時に進められて合理的だ」
「合理、合理、合理ってよぉ! 俺の意志は無視なのかよ!!」
「女性の身体となったことで、随分人間との接し方も変わっただろう? 愛し合う伴侶も見つけたようであるし。――以前と同じように、簡単に人間を絶滅させようとは思うまい?」
それが最大の失敗理由だったな、なんて続けやがる、以前と同じに神気を放ち始めて、徐々に表情が無表情になってく神のシンディを俺は怒気を含んで見つめ続けたけど……、そんなことで、コイツが堪えるはずがねえのは解り切ってる。
「全ての人間を敵に回しても神の器たる神器の虎徹は不老不死で探査は可能だが、横槍が多すぎることは容易に予測可能で、非合理的だ」
「……手始めに、俺は何やりゃいいんだ?」
「既に始められているとも。死んではならない、これは神器の肉体を与えたことで達成されている。最初の国民となる者たちの信頼を集めなくてはならない、これは既にエルガーの真摯な愛を一身に受けているし、レムネア、アユカたちも懐いている」
「それだけじゃ、ダメだろ。……それじゃ、『前回』と一緒で、いつかは孤立しちまって……、追い詰められて、自滅する。二の舞だ」
「あちらの世界での失敗は、人間を軽んじ、否定したことだ。こちらでは、最初から盗賊ギルドという後ろ盾を得て、迷宮で得る財宝の魅力と資金で影響力を強めていく」
「――ハインとの取引に含まれてんだな?」
「無論だ。あれは非常に交渉しやすい人物だ。常に合理的に、損得勘定が厳密で、そして人心の把握術に長けている」
こないだの、俺らの存在のお披露目式典を思い出して、俺は深くため息をついた。
父無し子でいじめられてたっていうレムネアは、たった一日で盗賊王の一人娘って立場に変わっていじめてた奴らはどこか遠くの街に移転させられたし。
それでレイメリアも私生児作った不貞の元傭兵って汚名を返上して、盗賊王の正妻として手始めに、戦争中毒って忌み嫌われてる傭兵たちの救済で、そいつらを冒険者にする話を進めてるそうだし。
それが全部盗賊ギルドの功績になって、名声を稼いでくんだろうな。
「別に、それが悪いわけじゃねえが……、成功する当てはあるのかよ?」
「致命的な失敗を侵さなければ、何度でも挑戦出来る。何しろ、私たち神族は不老不死だ。この程度の文明レベルなら、前の世界よりもより国造りは成功しやすい。政治が単純だからな」
何を言ったって、コイツの計画が止まらねえのは、ほんとは解ってる。
コイツの執着心は半端ねえし、躊躇ってるのも俺は前の世界で大失敗したトラウマがあるからで、そこんとこをコイツが補うんだったら、もしかしたら、って思いもありはする。
それに。
「成功したら、『あいつら』は、祝福してくれっかな……?」
「少なくとも、『この中の一人』が喜ぶことは確実だろう」
あくまで無表情のまま、胸を片手で押さえて見せるシンディに、俺は曖昧な表情のままで、ひとつ深く頷いて。
「やるんだったら、失敗はもうごめんだ。絶対に一人も失わないんだったら、協力する」
「勘違いしている。虎徹に拒否権などない、君の契約主は私だ。拒否権を行使するなら、代償に『貸し与えている』その神器の身体を取り上げるが?」
「……そうだったな。完璧に、忘れてたぜ」
エルガーやレムネアと出会ってなかったら、反抗して暴れまくってたに違いない。
でも。俺はもう、あの暖かさを、あの宝物を失う選択は出来ねえ。
コイツの中に、妹のシンディがあのときと同じに、そっくりそのまま居る、っていうんだったら。
……逆らったら、また、前回と一緒で、コイツは俺の周りの全員を狂気で掻き回してめちゃくちゃに壊しちまう。
もう、この世界じゃ、繰り返させない。
――ダメなら、俺はコイツをなんとしてでも……、必ず、殺す。




