02話 魔法陣に興味津々だぜ
「……全く、不思議な子だね、あんたは」
あたしゃ、そんなことを言いながら、机の上に広げた紙の上に片手サイズの杭を突き立てて、巻きつけられてた紐を解いて、紐の端に木炭を縛り付ける。
村長に頼まれてた<出水の魔法陣>を作るのをころっと忘れてたもんだから、明日の朝までに急ぎで描かなきゃならない。
夫のアドンは昨日から村の周辺警備で朝まで帰って来ないから手伝って貰うわけにも行かないし、ってかこりゃあたしら家族の飯の種な秘密の魔術だからおいそれと他人を頼るわけにもいかないし。
それに、あたしが魔法陣を描いてる間に息子のエルガーと預かり子のコテツをどう世話しようか困ってたんだがねえ?
「コテツ、悪いけどエルガーを見ててくれないかい?」
「……うー」
ほんとにこの子、二歳なのかね? うちのエルガーと半年と歳は変わらない、って親御さんのシンディさんに聞いては居たし、あたしの家で預かるようになって確かに二年は経ってるけど、さすが天才魔術師の息子は親の血を引いてるって感心すりゃいいのか、このコテツって名の赤ん坊、どうやらあたしらの言葉をもう理解してるみたいなのさ。
エルガーと比べて身体の成長がちょいと遅いのが気になるけど、まあ女の子だから仕方ないのかもね?
あたしら夫婦もエルガーが初めての子だから、女の赤ん坊のことはよく解らないからねえ。
そして、あまり見かけない黒髪に黒眼で肌色が少し濃いんだよね、この子。
白磁のような肌に豪奢な金髪を無造作に後ろで一束ねにしてる翠眼のシンディさんと顔立ちは少し似てるみたいだけど、旦那さんがそういう髪に肌色の民族だったのかねえ?
あまり見かけない風貌だけど、シンディさんは物知りで大陸全土を旅したみたいなことを言ってたし、あたしらが知らない、ずっと遠くの民族なのかもねえ。
シンディさんはあまり過去を語りたがらない人だけど、そこで身籠って産んだ子を父親と分かれてこの村の周辺で産んで、女手一人で育てて来た、なんて話じゃないのかねえ? なんて村の女衆で噂してるだけなんだけどさ。
言っちゃなんだが、この村の人間はそんな境遇の女性の子供を粗末に扱うほど冷たい人間なんかじゃない。
この子――コテツ、なんて女の子の名前にしちゃ聞き慣れない名前の子だけど、この名前も遠くの部族の名前で、旦那さんの名付けなのかもしれないけど、とにかく、この子が成長して母親のシンディさんそっくりに育つのを見るまでは隠居出来ないねえ?
大事に大事に村で預かって育てなきゃね! なんて女衆で団結して誓ったんだからね、大切にするさ。
シンディさんはあたしみたいな魔法陣しか使えない下っ端の魔法使いじゃなくて、どうやら凄腕の詠唱魔法の使い手みたいだけど、詠唱魔法は戦争の道具にも使われるから、それが嫌でこんな大陸の端っこまで逃げてきたのかもしれない。あまり、積極的に魔法を使う人じゃないみたいだしね。
いつも森の奥の方に出かけて何かやってるみたいだけど、凄腕の魔術師だから魔法実験でもやってるのかもねえ?
……おっと、考え事してたらコテツが不思議そうにあたしを見上げてたよ。――って、あんた、手伝ってくれるつもり満々だね?
あたしが手を掛けてた木針――コンパスの中心軸を、小さな両手で握って支えてくれてるコテツに、あたしゃ苦笑しちまったよ。
このコンパスも、シンディさんが教えてくれた技で、木軸から伸ばした紐の端に木炭を括り付けて、木軸を動かさずに紐をぴんと張ったまま円を描いたら綺麗な円形がすぐに書ける、って発明でさ?
「まったく、シンディさまさまだよ、あたしら家族はあんたのお母さんに足を向けて寝られないからね?
村の防御結界も作ってくれたから、畑の食害はめっきり少なくなって収穫も右肩上がりだし。じゃ、しっかり押さえてておくれよ、コテツ?」
あたしの言葉に、こっくり頷く姿が可愛い。それに引き換え、エルガーはって言うと、おしゃぶり癖が治らないもんだから、しっかり自分の指を咥えちゃって、よだれだらだらで肌着を汚しまくりだよ。
まあ、そんなところも可愛いんだけどね。結婚して五年目にやっと出来た待望の息子だからね、コテツほど聡明でなくてもいいから、すくすくと元気に育って欲しいよ。
コテツがあれこれ作業を先読みして手伝ってくれるものだから、半日仕事だと思ってた魔法陣の製作は思ったより早く完成しちまったんで、あたしは村長のところに魔法陣の描かれた紙を丸めて持っていくついでに、散歩がてら、コテツとエルガーを抱いてくことにした。
コテツがいくら聡明な赤ん坊だって言っても、やっぱり赤ん坊だけを家に残して行くのも心配だし、だからって村長をこんなあばら家に呼びつけるわけにも行かないしねえ?
出かけるときは、重たいエルガーが背中におんぶ、軽いコテツが前で抱っこ、って決まってるけど、エルガーがよだれを垂らすから背中がいつもよだれまみれになるのが悩みどころだね。
抱っこしてるコテツはほんとに頭の良い子で、身体に抱っこ紐を巻くときでさえ、自分から両手を上げて紐を身体に巻きやすいように気を遣ってくれるんだから、天才児ってのはこの子のことを言うんだねえ、なんて夫のアドンとよく話してたものだ。
そして……、この子はたぶん、魔法を覚えたがってるというか、魔法陣にすごく興味があるみたいなんだけどねえ?
母親のシンディさんが教えてもいないらしい詠唱魔法を差し置いて、あたしみたいな『魔法陣が描けるだけの下級の魔法使い』が、魔法を教えていいものなのかねえ?
シンディさんがきちんと基礎から教えた方がいいんじゃないか、って思いはするんだけど、どうやらコテツの方はあたしがときどきやってる魔法陣作成の仕事を見て、見よう見まねで覚えてるみたいなんだよねえ。
幸いというか不幸にもというか、どうやらコテツは母親のシンディさんと同じで極端に<魔力>を持たない子みたいなんで、うっかり未完成の魔法陣に魔力を通して爆発事故、なんて事態にはなってないんだけどさ。
あたしの息子、エルガーは赤ん坊の身で成人男性数人分の魔力を抱えた凄い子だから、コテツとエルガーでお互いを補って暮せばいいのかもねえ。
――おっと、想像が飛躍しすぎ、だよまったく。まだ三歳にも満たない子どもたちの結婚後の姿を想像してるだなんて、そもそもこの子たちは姉弟同然に育ててんだから、恋愛になるかも解らないのにね。
……村長宅で少々話し込みすぎて夕飯を世話になって、その帰り道に森の方から帰村したシンディさんとばったり一緒になって、帰り道。
コテツとエルガーの様子と許嫁にしてもいいのかもね? なんて冗談のつもりで言ったんだけど、シンディさんの方からも悪い感触は返って来なかったから、エルガー? あんた、美人で聡明なお嫁さんを貰う未来が確定したかもしれないよ?
……でもまずは、おしゃぶり癖もだけど、おねしょ癖も治さなきゃね。
赤ん坊のうちはそりゃ仕方ないけどさ、背中から漂ってくるうんちの匂いに、抱っこしてるコテツが可愛い顔を思いっきりしかめて嫌がる様子を見せて、あたしは苦笑するしかなかったよ。