25話 血に狂っちまったんだ
「コテツ姉ごめん、そっち行ったー!」
「ハハッ、ご愁傷様、だ!」
遠くから洞窟の壁に反響しつつ聞こえて来るレムネアの叫びを聞いて、俺はそんな風に叫び返して。
いびつな螺旋状に曲がった、岩盤をくり抜いた通路の下から現れた、犬面に筋肉隆々の獣人たち……、犬面族の先頭を走ってた奴の鼻っ面にカウンター気味に、天井にぶら下がって反動をつけての蹴りをぶち込んでやる。
「ギャウゥゥワン!?」
「オォ、鳴き声は犬そのものなんだな? すげえな亜人って」
獣と人間が混じった獣人、って種族を見たのは初めてだったんでそんな感想が浮かんだが、生憎と今日は、コイツらの討伐で森まで出向いて来てるんだよな。
そんで、討伐計画で、コイツらは住んでた洞窟を煙で燻し出されて、慌てて脱出しようと入り口に殺到したら、そこで待ち構えてたエルガーとレムネアたちを始めとする討伐隊に捕まえられて。
で、逆方向に逃げて来た少数が、俺が張ってたここ、裏口になってた洞窟の通気口に出て来た、ってわけだ。
「手は出すなよ? ちょっとしたテストも兼ねるんだからな」
「承知している。前世と同じ吸血鬼の能力が使えるかどうか、だったな」
「『吸血衝動』とワンセットになってなきゃ、使い勝手のいい特殊能力なんだがな」
裏口からかなり離れた位置に控えているシンディに肩越しに振り向いて言い置いて、俺はまず、両手の指先に血の力を集めて――。
「よぉし、出来た! 身体に血は流れてねェのに血の力が使えるってのは不思議だが、細けェこた気にしねェ!」
「そう不思議でもない。私の身体に流れる血の魔力を使用しているだけだ。――私と虎徹の魂と身体は別の次元で接続されているからな」
そんな淡々としたシンディの説明を背に聞きながら、改めて俺は今、『吸血鬼の血の権能』で両手に生やした、魔力を帯びた真っ赤な爪を構えて、下から続々と集結してるコボルトどもを睨みつけた。
……目に滲みるんだろう熱気を含んだ煙に巻かれて咳き込んだりしながらも、出口に陣取ってる俺に向かって襲って来ねェコボルトどもは、やっぱ獣人だからか人間よりも個体の強弱に敏感なのかね?
「来ねェのか? んじゃ、こっちから行くぜ?」
「グルルアアァァァァァ!!」
そうでもねェか。一歩歩み寄ったら、そんな叫びを上げて一斉に俺に向かって、コボルトどもも爪や牙を使って襲いかかって来た。
「臭ェんだよオメエらは! 最後に風呂入ったのいつだっつの!」
先頭に飛び出して来たコボルトの一匹を爪で引き裂いて、俺は全身を返り血で真っ赤に濡らしながら高揚感全開でそんな言葉を叩きつけた。
瞬時に周囲に蔓延する、芳しい真っ赤な鮮血の匂いで犬の闘争本能に火がついたのか、それを契機に次から次へと俺の方へコボルトたちが飛び掛かって来るけど、――オマエらなんざ、俺の爪の敵じゃねェ!
「なるほど? 地球の環境とは魔力の有無が違うのだな。それに、随分と虎徹の高揚感に違いがあるようだ」
「ッルッセェンダヨ、黙ッテヤガレ!」
俺を観察してるらしいシンディが背後からそんな感想を述べて来やがるけど、俺はもうそんな言葉を聴くのも煩わしくて――、後から考えたら、たぶん、このときの俺は、血の味と匂いに酔ってた。
後で集団で報復されてたら面倒だから、なるべく殺すな、って言われてたのによ。
生前の俺だと、せいぜい血の力を活性化させて筋力が上がって、爪が強化される程度、の能力だったんだが。
……今は、シンディ特製の『神の人形』、神器の肉体に、シンディと異次元的に接続されてシンディの血液の力――、極大な神力の籠もった神の血を利用して吸血鬼の固有能力を発動してる状態、だからな。
生前の俺とはケタ違いに強化された俺の爪は、ものの数分で15体程度のコボルト全員を木っ端微塵に引き裂いて、壁のシミに変えてた。
そして――。
「虎徹。そろそろエルガーたちがこちらに到着する頃合いだ。……その『食事』は中断した方がいい」
「……アァ。――――?!」
シンディに答えてしばらくして、俺は、自分が今、何をやっていたのかに気がついて……、戦慄しちまった。
「――やっべぇ。能力は上がってるけど、その分だけ血の支配力も上がってやがる。……本能に呑まれてた」
俺は。今しがた、五体バラバラに粉砕したコボルトたちの血溜まりの中で、もうどこの部分だったか分からなくなってる肉片を手に取って。
――ずるずると大きな音を立てて、肉片から両手に溜り落ちる新鮮で甘くて美味しい、芳しく俺を惹き付ける真っ赤な液体……、血液を貪るように飲んでた。
シンディの声で一瞬で我に返って、慌ててそいつを地面に投げ捨てて、血溜まりの中から立ち上がる。
……けど、俺の全身を濡らす赤黒い血液がぼたぼたと地面に滴り落ちて、そこから漂ってくる甘い香りが、俺の超絶に敏感で、吸血鬼化で更に鋭敏化して脳髄に直結してるレベルで脳みそに突き刺さって。
本能が叫ぶ『吸血』の誘惑から身体を引き剥がすのに酷く苦労した。
「なるほど。私の血の力が強すぎたのか、元々の本能が環境変化してより強化されたのか。……検証のために、更に同様の実験を繰り返す必要性が高いな。そちらの方が合理的だ」
そんな俺の苦労も知らずに、出口にほど近い岩場に腰掛けて、預けた神刀を両手に杖のように地面に突きながら、そんなことを気軽に抜かすシンディに腹が立っちまって。
どかっ!
「後学のために教えて欲しいのだが、虎徹。――いま、私は何故蹴られたのだろうか?」
「ひとつ言っとく、俺は吸血が嫌いだ!」
クソ間抜けに岩の上から地面に蹴り落とされたシンディが相変わらずの無表情のまんまで俺のことを見上げて来やがるが、知ったことか! ……だが。
「クソが、村に居たときゃ、狩りで血を見ても暴走するなんてこたなかったってのによ。――確かに、どんな条件で発動するのか確かめとかなきゃ危険だ、ってのには同意だ」
「村の狩りとは比較にならない量の血液を、嗅覚、視覚、触覚など五感で感じたからだろう」
いつもの漆黒にほんの少しだけ申し訳程度に金糸の刺繍が入った全身を覆う黒ローブに付着した、地面の草や土を軽く手で払い除けながら立ち上がったシンディが、のんびりとした口調でそんなことを言いながら言葉を続ける。
「その神器の肉体は、虎徹のDNAから成る体をそのまま強化したものだ。……神界に在る私の使用する肉体をベースに混ぜたものだからして、『ただの吸血鬼』だった前世とは比較にならない強度の肉体と五感を持つ」
「……だから、『吸血衝動』も比較にならねえレベルで強い、ってか。まァ、やっぱエルガーたちと離れといて正解だったぜ。暴走して、あいつらを喰っちまってたかもしれねえからな」
「食べると言えば」
俺の独り言みたいな言葉にシンディが食いついて来たが。なんか思い当たる節でもあったか? なんて思ってたら。
「人間の男性と女性の生殖行為のことを『食う』と表現することがあるらしいのだが。――虎徹もいずれエルガーと婚姻した際には『食う』ことになるのだろうが、その場合、どちらがどちらを食すのだろうか?」
「変な知識仕入れて来てんじゃねーよ、この耳年増!」
一瞬で具体的な情景がありありと脳内で再生されちまったじゃねーかクソボケ!
ごつん! とかなりいい音で、再び岩場に座り直したシンディの頭をぶん殴ってやったが、やっぱりなんで殴られたのかコイツ、よく解ってないっぽいんだよな。
コイツの当初の目的通り『世界を見る冒険者』をやる前に、まずコイツ自身に一般常識をみっちり教え込まないと、いろいろ不味いんじゃねーのか?
……そんな風に思ってたら、両手に生やした爪を収納していつも通りの姿に戻りつつある俺の鋭敏な聴覚に、軽やかなレムネアの駆け足と、普通の鎧よりは静かっつっても俺の耳からすりゃ騒々しい全身鎧なエルガーの足音が近づいて来るのが判った。




