幕間5 カスパーンと誰か
「儂は隠居した身、なのですが……」
「そう苦々しく、かつ残念そうな顔をあからさまにするものでないぞ、カスパーン卿よ? 余はこれでも仕事で来ているのだからな?」
儂の表情は然程変えてはいないはずなのじゃが、微細な表情筋の変化すらも感じ取って心情を図るとは、やはりこの皇子、侮り難し、じゃ。
隠居した儂の屋敷に訪れたその人物は、皇子という立場に有りながらも単身で飄々とした振る舞いで通常の面会客に紛れてやって来おった。
大方、普段の公務の様子を観察するつもりでもあったのじゃろうが、儂の側近たちは全て、カーン帝国皇都カームの本邸から連れて来た皇都出身者じゃ。
現地雇用の下働きのメイドは誤魔化せても、側近とこの儂の目は誤魔化せぬわ。
「なあ、カスパーン卿? 余は皇族とは言っても末席に近い五男坊、故に行動にある程度の自由は約束されておるし、親父殿も余に帝国を任せようなどとは思ってはおらんだろう」
「滅多なことを申されますな! 確かに皇子は五男とは言えども、王位継承権を持ち、近衛師団をも持つ立派な皇子ではございませんか」
先日エルガーと楽しく歓談した食堂が、皇子を迎えたことで悪い思い出に塗り替えられるようで何やら胃が重くなって来る気持ちになってしもうた。
人払いを命じられ、今この場に居るのはテーブルに差し向かいあった儂と皇子だけ、というのも気が重い。
表では『昼行灯』と評される、道楽皇子と名高い妾腹の五男坊ではあるのじゃが……。
「ああ、アレな。――面倒になって解散した」
「解散した、ですと!? 各皇子の率いる近衛師団は帝国軍の各翼を担う重要組織でありましょう、なぜそのような暴挙を!」
「では逆に訊くが、『帝国の三本槍』、黒槍のカスパーン卿よ? 卿は、ぼんくら皇子と名高い余に率いられた近衛師団に所属して敵地に行きたいか?」
「――ご自分を卑下しすぎでございますぞ。……皇子ご自身に実戦経験がなくとも、既に隠居した身とはいえ、このクルマルスの子カスパーン、皇子がお望みであれば、再度招集した皇族近衛師団に所属し、帝国全土に響き渡る練度を持つ強兵を作って見せましょうぞ?」
しかし、そのように答えた儂に返された皇子の返答は、帝国の皇子としての回答としては模範的とは言えぬまでも、戦場を駆ける軍人としては一定の納得をしてしまう内容であり。
「別に卑下などしとらんわ。『情報から判る確定的な事実であり現実』だ。――親父殿や兄上たちは、やれ『精神を鍛えれば』だの『帝国民としての強い忠誠心があれば』などとのたまうが」
ひとつ言葉を切って、冷めきってしまったハーブティを一口啜り、皇子は更に言葉を続けた。
「余の知るところでは、戦いの勝敗は動員した兵数の大小で決まるし、忠誠心なぞ関係なく兵単体の強弱はその兵士の心身の強度で決まる」
「――兵法でございますな」
「そう、それよ。それらは既に書物に記されており帝国に限らず諸国に在ってもそれら兵法書を読んだ誰でもが明らかな数多の過去事例から判る事実で」
再び言葉を切り、ハーブティを二口、三口。……お気に召されたのであろうか?
こちらに移り住んだサーティエが、村から持ち込んで自身の屋敷の中庭で栽培しておるハーブを茶に煎じたものを貰った中でも、最も上質な葉なのだが。
「――このハーブティ、旨いな? 帰りに葉を分けて貰えぬだろうか?」
「お気に召されましたか。生憎と、それは当方にも買い置きがなく、食客とした客人から頂いたもので、個人の家庭菜園で栽培しておる葉でしてな?」
「ほう? それは残念。いや、この清涼感のある味わいは売れるぞ? 是非、その客人と会って話したいものだが。カスパーン卿よ、どうか?」
「それは、会う機会を作る程度なら構いませんのじゃが……、当家でも客人として扱っておる相手ですから、皇子と言えども無理強いはなりけませんぞ?」
かつて戦場で失った息子の親友で、儂としても実の息子のように扱っておるアドンと、その妻で娘のように思っておるサーティエに無理強いしたとあっては、先に向こうに行った親不孝者のあの息子に言い訳が立たぬからのう。
そのように少々強めに釘を差しておくと、その意図すら見抜いたように、皇子は失笑して見せた。
「そのように警戒せずとも良い、カスパーン卿よ。余は皇子を辞めるからな? ……最近では鼻水を吹き出すのが流行りなのか? この話を余の侍従に話したときも、同様の反応をしておったのだが」
「ぐほえっ、げふぉっ、ごほっ、ごほっ! いや、そのような戯言などよろしい! 皇子、今なんと申されましたか?!」
驚愕に鼻から飲みかけの口に含んだハーブを噴出してしまい、清々しい清涼感を感じさせる薬湯にも似た全力の清涼成分が鼻孔全体に行き渡って鼻水が止まらなくなったのじゃが!
「何をそのように慌てることがあるのだ? 数多の戦場を駆けた爺は身に沁みて知っておるだろう?」
「何を、でございますか!?」
「戦場に皇族や皇子の役職なぞ全く不要、皇子としての役割なれば戦場以外にいくらでもあるのだから、そちらを優先させるべき。――つまり、戦場は専業軍人に一任すべきなのだと」
鼻息と共に、ハーブに侵された影響で鼻汁が垂れそうになるのを先程と同じく再度ナプキンで鼻下を押さえ、飄々と、さも当たり前の事実を述べるが如くそのように仰られた皇子の言葉には、さしもの儂としても唸り声を挙げるしかなく。
――それが、道理であり事実であるが故に。
毎度の皇子の初陣のたびに、勝てば良いが、皇子という後の帝国を担う時代の皇帝候補であるが故に、精鋭を配さずには行かず。
そして、僅かにも敗色が見えれば皇統維持のために皇子を脱出させ、軍を率いる将兵を失った精鋭は戦地にて皇子脱出のための捨て駒とされる。
戦地で幾度となく繰り返されて来た、軍人主義のこのカーン帝国の悪しき慣習でもある。
それもあり、儂はこの皇子の近衛師団に配され将兵を鍛える役割を放棄し、この帝国奥地の田舎に引き篭もって隠居したというのに、この皇子はその理由を知った上で、この地にやって来たと思われ。
「――『もうひとつのお役目』の方に注力なされるおつもりでは?」
「応、さすがカスパーン卿、話が早い。硬直した帝国になぞ既に余の居場所などない。
……よって、親父の命で裏仕事を行う専門として作られた組織だったが、余に所属を移して15年、既に帝国国内のみならず、大陸全土に根を張り巡らせるまでに成長した『盗賊ギルド』を更に盤石とすべく」
皇子にあるまじき、しかしこの皇子には何故かよく似合う、と言う人好きのする、それでいて何故か脱力感も同時に感じてしまう飄々とした笑みを浮かべて、皇子は言葉を続けた。
「単に刑罰予定の犯罪者をカネを掴ませて放免したのみではいつ裏切られ脱走されるか判ったものではない。
――故に、ギルドに所属することで旨味を得られるように社会の仕組みを裏側から変えて行く」
「……表舞台に出しますかな?」
「ふふ、街の暮らしが長くなり悪知恵が回るようになったな、カスパーン卿よ?
その通り、脱税を働く大商人を中心に、それを合法化する見返りとして国税よりも遥かに安い割合でギルドに上納金を納めさせる」
「帝国法に触れますが」
しかし、儂の苦言もどこ吹く風のようで、皇子は更に言い募った。
「確かに法には触れるが、元々は商人が自らの商才で稼いだカネを国が法の名の元に掠め取って盗んでおるだけだ」
「同意できかねますが……、辛辣ですな」
「応よ。――それに、使いみちは貴族の給与と浪費に費やされておるばかりで国民に還元されるわけではない。
……とどのつまり、軍人貴族以上、皇子以下の領主貴族は居ても居なくても大して影響のない奴らばかりだ。」
領主には一応、街と地域の安全を保つ役割があることを告げたものの。
そのような役割でこそ治安維持組織としての守備軍が主体となるべきで、贅を尽くす余裕すらある金満の大貴族など解体されるべきである、とまで言われては返す言葉がない。
「……なれば、盗賊ギルドがそれら無駄銭を取って――多少はギルドが必要経費を取るとはいえ――最後には国ではなく民に還元する施策を採れば。
真に民が潤い、後々に民を率いる国が力をつけるのであるから、国の力を増す百年の計である」
「相変わらずよく回る舌でございますな? して、その計画の中で、爺の担う役割というのはなんでございましょうかな?」
ここまで語るのであれば、決意は硬いのじゃろう。伴も連れずに単身儂の元へ訪れたのだから、まずは人材を固めるつもりじゃろうか?
口にするのはどうかすれば国家反逆罪に問われてもおかしくもないような、夢のような理想論でありながらも。
その内容については生粋の軍人である儂ですらも魅力を感じる内容であり、隠居した身、かつ畑違いの内容であるのは明らかなれど。
どうしてか、手伝おう、という気にさせるのは、やはりこの皇子の生まれ持った人徳ではなかろうか?
「その前に」
買い置きがもう殆どない、と知った故か、ちびちびと舐めるように少しずつハーブティの入った器に舌をつけていた皇子が、儂に向かってよく通る声で宣言するように儂に告げた。
「余は……、いや、これもいかんな。私は……、これも硬い。ええと。オレは、皇子を辞めるんだからな? カスパーン卿にも、いやいや、えーっと。いやもうめんどくさい、爺!」
「はいはい、爺は目の前におりますとも」
この受け答えは、皇子が子供の頃に武術指南役として付き合ったこの儂との間で幾度となく繰り返された応答だ。
急に儂は、この皇子との距離が縮んだように、あの当時に戻ったように思えた。
儂は既に齢60に近く、皇子は数年前に30を過ぎ、あの当時より既に20年以上を過ぎたというのに、じゃ。
「オレはこれより庶子として盗賊ギルドを束ねる『統主』の座に就く。だから、爺もオレに敬語を使わぬようにして欲しいのだが?」
「――それは少々難しくございますな? 爺めは、生涯皇子に仕えるとお約束しました故にな?」
「……子供の頃の戯言ではないか、苛めてくれるな、爺よ?
皇子としての立場は捨てられんかもしれんが、少なくとも対外的には皇子としての名で呼ばれては余……ではない、オレも困る」
自称を言い慣れないのか、どもる様子は子供自分を彷彿とさせるのう。
今は矯正されておるが、幼少のみぎりは頭の回転と口の動きが釣り合わぬせいで酷い吃音癖があったからの、この皇子。
「では、爺めは何とお呼びすればよろしいですかの、ハイン・アーリュオス・カーン皇子?」
「庶子はそんな長ったらしい名前でしかも帝国の名を名字に冠することなどないだろう? ただのハインで良い。
――しかし、返す返すも残念だ、本当に取り置きはないのか、この葉?」
宣言するなり、最後の一滴まで飲み尽くすように大きくカップを煽った皇子――いや、ただのハインは、心底残念そうに空になったカップの底を逆さにしてため息をついた。
「取り置きも種も葉もないのですが。――その客人が連れて来た連れ子の親友というか乳姉弟の親御が、農耕の達人でしてな?」
「ほう? ハーブ自体の収穫を増やす方法か?」
「植物に関すること、すぐには増えぬでしょうが。――聞けば、元居た村の農作物の収穫量を10年で15倍に上げた、という腕前。
ハーブの増産計画を持ちかけてみてはいかがでしょうかな、ハーブの提供主も交えて」
「おお! 新生盗賊ギルドの第一歩に相応しい計画でもあるな!」
喜んだハインの笑顔を見るのも久しぶりのような気がする。子供の頃は喜怒哀楽の激しい子じゃったが、儂が皇都を離れる頃には既に疎遠になっておったからのう。
「っと、こういう堅苦しい口調もいかんな? もっと庶子に馴染まなければ、今後の計画にも支障が出る。
――それに、かつてレイメリアにもさんざんに言われたことであったし」
「……はて? レイメリア、と申されましたか?」
「応よ、オレが戦場を体験した折に将来を約束した傭兵の娘だ。――と言っても、あれから既に15年を経過してるから、オレと同じで歳は30を超えているだろうがな。
……ちなみに最後はオレが振られた。だからあまり深く掘り下げてくれるな?」
「掘り下げる気はないのですがのう……。いや、同名の他人ということも」
レイメリア。女傭兵にしては妙に上品で響きの良い名で、その娘が、アドンの子エルガーの従姉妹、レイメリアの子レムネア。
儂が孫のように思っておるエルガーとコテツによく懐いておったアルビノの美少女だった故、よく覚えておる。
「――知っているのか、爺? いや、そういえば確かに、傭兵をやめて北の村落で暮らしている、と聞いたことはあったが」
「同じ女性かどうかは断言出来かねますがの? 先程話した客人たちの縁者に、そのような名の女が居ったように記憶しておりますな」
「……なるほど? それは、会う機会を作ってみたいな。――いや、会いたいな。……会いたいぞ爺、どこに行けば会えるか!?」
「ふふふ、そう急かれますな。会うにしても、ハイン殿の住居や役職を先に設定してしまわねば後々不味いでしょうに」
「そうであった! いや、そうだった! ううむ、待ち遠しい、待ち遠しいぞ爺よ!」
うきうきと席を立ち、周囲をうろうろと歩き回るハインの様子に、儂も少々心が浮足立つ思いじゃった。
ハインの色恋に口を出すつもりなどはないのじゃが、かつて別れた女性とこれほどに逢いたがるというのは、手酷い失恋ではなかったのじゃろうな。
かつて青春時代に別れた女御との再びの出会いが、良い結果に終わると良いがのう?
ここで幕間終了でっす。次回から第二章~。




