幕間2 エルガーとカスパーン
「いえ、姉さんと僕とじゃ釣り合いませんよ」
なんて、軽く答えたら、大きな邸宅の大食堂で、テーブルの上座に座ってるカスパーン卿は肯定も否定もせずに、軽く含み笑いを漏らしただけだった。
一応軍人待遇で形式上は貴族、ってことになった父さんと母さんの息子である僕、エルガーもこれからは貴族の礼儀作法が必要になる、という話で、毎週の決まった曜日に僕はカスパーン卿と夕食をご一緒することになっている。
どうして僕だけなのか、っていうと、父さんや母さんはそれなりに傭兵時代の中で失礼がない程度の軍人作法は習得済で、そして。
「コテツ姉さんが『神族』という、人間ではない別の存在だ、ということは以前説明を受けて知っていましたけど……」
僕の言葉に、ナプキンで軽く口元を拭いたカスパーン卿も僕と同じく、苦笑を浮かべて同意してくれた。
「……テーブルマナーなどという、人間の礼儀に属するものを、神であるコテツが誰にも教わらずに最初から知っている、という事実には流石に驚いたというか、呆れたというか、のう?」
「多少カーン帝国のテーブルマナーとは違う部分もありましたけど、むしろ、より洗練された動作などもあって驚きましたね。……ナイフとフォークの扱いなんか、かなり手慣れてましたし」
「村ではそのような食べ方をしたことはないのじゃろう?」
蒸した芋のペーストをフォークで掬いながら優雅に口に運ぶカスパーン卿の言葉に、僕もそれを真似て同じメニューを食べながら、同意する。
「ええ。今食べているこの芋のペーストも、村ではせいぜいスプーンを使う程度ですし、どうかしたら冷まして野菜に包んで手づかみで食べることも」
そんな、僕が言った、シャトー村での僕たちの食べ方に興味を持ったのかな?
カスパーン卿は傍らに直立不動で控えてた、この分厚いのに片手ナイフで軽々と柔らかく切り裂ける肉料理を作った料理長に、その「芋ペーストの野菜巻き」を作るように指示してるみたいだ。
「なるほど? 興味深いのう。見た目からして絶世の美少女、と言っても過言ではないくらいに見目麗しい少女であるのに、立ち居振る舞いは粗野で粗暴」
「……否定出来ませんね」
軽く苦笑して、それでも実の姉として13年を一緒に育ったコテツのことを悪く言われるのは我慢ならないので、少し眉間にシワが寄るのを意識しながら、強い目線でカスパーン卿のことを睨みつける。
でも、僕みたいな子供に睨まれるのなんて彼には何の抑止力にもならないんだろう、僕の目線を真正面から受け止めながら、そのまま言葉を続けた。
「言動は凶悪、眼差しから伺い知れる過去としては――、恐らく、数十人単位で人を殺害しているのか、殺人に慣れ切っており、人間の命というものにあまり重きを持たんじゃろう」
「姉さんは殺人などしたことはありませんよ? 僕や村の仲間たちと一緒に森で野生動物を狩る程度で」
「では、エルガーの預かり知らぬ場所での行動によるもの――、事によると、人の子としてこの世に生まれ落ちる以前の出来事なのかもしれんのう。あの眼は、『人間を全く恐れない、野生動物のような眼』じゃ。……なるほど、『神』か。興味深いにも程がある」
そう言われると、こちらも反論は出来ない。
姉さんが『神』としてこの世に生まれたことは教えて貰ったけど、『では、神として生まれる以前はどうして過ごしていたのか』については、ものすごく辛い記憶と一緒になってるみたいで、いつもはぐらかされてたし。
……僕の従姉妹で妹として扱ってるレムネアとは別に、過去に僕らが知らないところで妹さんを亡くしてるみたいで、泣きそうな顔で――姉さんは泣けないんだ――虚空に向かって謝ってたのを見て以来、そのことについては訊かないようにしてた。
「ところで」
慣れないナイフとフォークを使って、食べ慣れない分厚い肉を切り分ける作業に夢中になりつつ頭の中でそんなことを考えてたら、ふと思いついたような調子のカスパーン卿から、そんな風に話を切り出された。
「えっ、あっ? はい、なんでしょうか?」
「コテツにはもう呼んで貰っているのじゃが。……エルガーはいつ、私を『お爺ちゃん』と親しみを込めて呼んでくれるのかな?」
「あー、えっと」
唐突な『お願い』に、答えに困ってしまう。
村にも何人かお爺ちゃんと呼べる年齢の人はいたけど、傭兵村だったせいか、面と向かって『お爺ちゃん』と呼びかけると「ワシゃまだ老いとらん!」とか怒り出す方が多くて、僕は正直、あまりお爺ちゃん呼びすることに慣れてない。
肉親では祖父や祖母たちはもう亡くなってるそうで、会ったこともないし、そもそも、シャトー村から何万キロも離れたずっと遠くから渡って来たのが父さんと母さんだから、僕は父さんと母さんたちが生まれた土地に行ったこともないし。
「姉さんにお爺ちゃん呼びして貰ったというのは、たぶん……、何か交換条件を持ちかけましたね?」
「とっておきの蒸留酒を一樽進呈すると約束したら、好きなときに心を込めて呼んでくれる権利と交換してくれたのじゃ」
「……それで、いいんですかカスパーン卿? 仮にも『帝国の三本槍』とまで呼ばれた豪傑の将軍だったお方が」
「のう、少し想像して見るが良い、エルガーよ」
多少呆れを含んだ口調になった僕に、夢見るように至福の笑みを浮かべたカスパーン卿が顎の下で手を組み、軽く中空を見つめながら答えたんだけど。
「……神の名に違わぬほど圧倒的な美を誇る、紛うことなき現世に舞い降りた現人神、かつ女神のコテツが、儂のことを『お爺ちゃんっ♪』と呼んでくれるのじゃぞ? 酒樽くらい安い供物であろうよ」
「……『笑顔で』と条件に付けるべきでしたね」
「……そこは確かに、少し後悔しておる」
言われて想像した脳裏のコテツは、心底嫌そうな顔に表情を歪ませながら、これでもかというくらいに下衆な生き物を見下すような目で、その単語を述べていた。
――恐らく、現実もさほど離れていないだろう、という確信に近い自信があるし、カスパーン卿の口ぶりから察するに、より酷い行動とセットになっていたかもしれない予想もつく。
「まあ、何にせよ」
やれやれ、とため息をついて、先に食事を終えたカスパーン卿が傍らの料理長に命じて食器を下げさせているのに気づいて、話に夢中になってしまってまだ半分も食べていない僕は少し慌てて肉を口に運び始めたんだけど。
「神であれ人であれ、儂がアドンとサーティエを我が子のように思って居たのは変わらん。――であれば、アドンとサーティエの娘と息子であるお前たちのことは、儂の孫同然じゃ。……じゃから、今後も遠慮なく頼りなさい」
笑顔で先に席を立つカスパーン卿の言葉に、食事中で無礼かな、とは思ったけど、テーブルに頭がくっつくレベルで深く頭を下げて、僕はカスパーン卿の温情に感謝しつつ、でも、やっぱり。
「そんな大恩ある人物を気軽にお爺ちゃん呼びは、ちょっと難しいかなあ……」
カスパーン卿が先に退室した食堂で、僕は誰にともなく呟いたら、近くで後片付けのために待機してたメイドさんたちにくすくす笑われてしまった。恥ずかしい。




