01話 どうやら異世界転生ってやつだぜ
……がぶり。そんな擬音が相応しいだろう。
だめだ、ってのは解ってるんだが、俺のこの体には全然抑制が効かない、ってか、生まれ変わったんだから吸血しなくてもいいんだ、ってのは理解してんだが、どうにも身体の方が止まってくれねえ。
「あーっ! コテツ、あんたはまた噛んでる!!」
入り口から入って来た10代か20代前半くらいの若い女――サーティエって名前らしい――が、俺の名前を叫びながら、隣に並べられた赤ん坊の、特有のぷよぷよした腕に噛み付いてた俺の頭を軽くべしっ、なんて音を立てて叩いて。
俺の口から赤ん坊の腕を取り上げて、俺たち兄弟を引き離すようにして宝物でも抱くように、俺のことを胸に抱いた。
そこに、少し遅れてシンディが入って来る。相変わらず俺の妹そっくりの端正な美貌ながら、無表情のその姿が、どこかの国の民族衣装っぽい、黒を基調にした衣類を身に着けて、サーティエと早口で会話してるのが聞こえるんだが。
ときどきその世間話の合間に、サーティエの胸に抱かれてる俺にじっと目線を向けてるところからして、『赤ん坊の身体に生前の俺の精神がそのまま宿ってる』ってのは知ってやがるな、コイツ。
……ここが、生前のあの独房でシンディが言ってた『異世界』だ、ってのは、かなり早くに理解した。なんでかって?
この、どうやら母乳が出ない、って言い訳をしてるらしいシンディが赤ん坊の俺を預けたっぽいサーティエが、『水を生み出す魔法』を使ってるところを目撃したからだ。
『施設』に居た仲間たちの中にも少しの水を出せる念動力の持ち主は居たが、あいつは掌に数滴の水滴を集めるだけで全身の力を集中して鼻血だらだら流してやっと成功するかどうか、なんて能力だったが。
――アイツも最後は暴走して、体中から血を吹き出して殺してくれ、って懇願しながら死んでったっけ。
だから、俺はアイツの願い通り、首根っこに噛み付いて……、いや、そんなことは今はいいんだ。
俺が目撃した、サーティエの使った<魔法>は、俺を抱いたままで二重円の魔法陣? っぽいものが描かれた石の上に木製のバケツを置いて、何か耳慣れない、呪文? のようなものを唱えたら、空中に突然現れた水の塊がばしゃあっ! って感じでバケツの中に落下して水が出て来た、ってタイプだった。
他にもある。たぶんサーティエの夫なのだろう、サーティエよりは少し歳かさの中年の男――アドンって名前らしい――が暖炉の薪の中に魔法陣が書かれた紙を混ぜ込んで、手をかざして呪文を唱えたら、その魔法陣が発火して点火するのも見た。
『施設』でさんざん仲間たちの能力を見てきた俺だから判る、あれは絶対に超能力や遺伝的な能力の発現じゃねえ。
安っぽい言葉でしか表現出来ねえけど、ありゃ、確かに<魔法>ってやつだ。
それに、こいつらが喋ってる言葉。どういうわけだか、俺の耳には日本語として聞こえてるその言葉が、実は全く別の言葉を喋ってることに、気づいたんだよな。
『水』って単語がいい例だ。俺の耳には「みず」と聞こえてるのに、こいつらやシンディの口の動きをよく見てると――、俺は読唇術なんてものにゃ全然無縁だが、そんな俺でも判るくらいに全然別の言葉を発音してる。
そこからは違和感探しと確信の連続だ。
まず、サーティエはよく書物を読むようだが、そこに描かれてる文字や図形は全く地球の文字と違ってて、見たこともない文字が書かれてる。
それに、本は日本でよく見慣れた白い紙に接着剤で閉じられた装丁、なんて出来のいいもんじゃなくて、明らかに手書きで複写されてる質の悪いもんだし、紙も触った感じごわごわで固くて、再生紙どころかわら半紙以下の恐ろしく低質なやつだ。
服だって民族衣装っぽいとは言っても明らかに手縫いっぽいツギハギだらけのもので。
アドンの方は仕事の都合なのかよく服の端を破いて帰宅することが多いんだが、それを怒りながら一晩掛けて修繕するサーティエの姿をよく見てたが、ランプの中に入れてるのは油じゃなくて電球みたいにいつまでも不思議な光を放つ宝石っぽい石だったし、それでいてサーティエが裁縫に使ってるのはミシンじゃなくて針と糸だけ。……文明のバランスがめちゃくちゃだ。
極めつけは――、夜空に、『大きな月と少し欠けた月』の、ふたつの月が輝いてた。
この赤ん坊の身体に宿ってかれこれ数ヶ月だが、これだけ『地球では絶対に見れないだろう光景』を見せられ続けちゃ、俺だって納得もするさ。
――俺は地球で死んで、この世界で生まれ変わって赤ん坊からやり直してんだ、ってな。
どうやら、吸血鬼の肉体を捨てたおかげで血に渇きと飢えを覚える、って状態からは開放されたみたいだが、たまに無意識に噛み付いちまうのは身に染み付いた癖みたいなもんなんだろうな。
……そうだ、悪いことしちまったな、あんまし泣かない奴だから大丈夫だとは思うが。
さっきまで俺が並んで寝かされてた赤ん坊を入れてたかごの中で無邪気にケタケタと笑ってる俺の弟、エルガーの方を見て、なんとなくほっと息をつく。
弟、つっても、俺のこの身体はシンディがこっちの世界で俺の魂の受け皿、として作った特性の肉体で、こっちの世界での両親なんてものは存在しないらしいけどな?
コイツ、このエルガーはサーティエの息子で、この家もサーティエとアドンの家で、俺はシンディが村で出稼ぎに出ている間はこの家に預けられて、サーティエたちの実子なエルガーと一緒に仲良く乳飲み子同士、乳兄弟として過ごしてる、ってわけだ。
まあ、シンディが帰村してる間は、俺はシンディと一緒に村の中でシンディの住居ってことになってるらしい、この世界じゃ一般的な木造の家に帰ってるわけだが。
シンディも人間の肉体をゼロから作るのは初めて、ってことで、赤ん坊として育てるのは最初から予定のうちだったそうで。
……俺の声帯とかが全然未発達でうまく言葉が出せないんで、そりゃシンディが俺の額に掌を当てた状態で<念話>で意思疎通したんだけどな。
まあ、あのどうしようもねえクソッタレな世界からこっちに移してくれたことにゃ礼は言ったし、あの世界から唯一持ち込んだもの――妹のシンディの姿を完全に再現して、この世界のシンディの、生きて動いてる姿を見るだけで救われる思いがあるのはマジな話で、正直な話、俺はコイツに感謝すらしてるくらいだ。
――だけど、コイツにはコイツの思惑ってもんがあって。
この赤ん坊の肉体だってそうだ。
意識は完全に死んだはずの俺そのもの、それに、こりゃこの世界のシンディが、『神』と名乗った割には意外と粗忽者で、抱いてる俺を割りとよく落っことしたりするんで気づいたんだが。
この身体、異様に頑丈だ。この村に来る途中、馬から崖下に放り落とされたときでも傷一つつかなかった。
――うっかりどころか殺人未遂ものだろう、家族以外の他人のことなんざ本気でどうでもいい、って思ってる俺ですら『落としたのが俺で良かったな』なんて思ったくらいだが。
まあ死んでないんだから文句言う筋合いもないが、不平不満くらいは許されると思う。……まだあうあう、なんて赤ん坊語しか喋れないけどな。
そう、それと。知覚過敏症つったらいいのか、この身体、異様に感度が鋭敏だ。今、この屋内に居てさえ、窓の外、庭で恐らく薪割りをしているアドンの荒い呼吸音すら聞こえてる。
地球で吸血鬼の肉体だったときでも、吸血して能力が最大限になったとき、全身の毛穴が開くほどに感覚が超鋭敏になることはあったが、それが常時意識がある間中、ずっと続いてる状態、ってのは正直参った。
意識して感覚をある程度カット出来るようなるまでは、毎日が騒音の嵐で頭が変になりそうなくらいで泣き叫んでたもんだ。
それに。感覚鋭敏も限度ってもんがあるだろ、ってレベルで、痛覚が鋭すぎる。
さっきの崖からの落下体験のときは、あまりの痛みに発狂寸前で、途中で気絶しちまったくらいだ。身体中どこにも傷なんかなかったのにな? 痛みが後を引かないのが唯一の救いだけどよ。
それなのに俺は、気を抜いてるとなんか近くにあるもん、特によく一緒に寝かされてる弟のエルガーにすぐ噛み付いちまうんだから、この『噛み癖』は自分で矯正しなきゃな、って思ってる。
今のところはエルガーが『気のいい野郎』で噛み付いても仕返しして来ねえからいいようなものの、もし同じように噛み付かれたら、きっと俺はまた、発狂寸前の痛みを味わうことになる。
エルガーにゃ悪いが、俺は俺のこと以外にゃかなりどうでもいいタチだ、せいぜい俺の噛み癖矯正の役に立ってもらうことになるだろう。
赤ん坊の利用価値なんざそんなもんだろ? 噛み殺されないだけ感謝して欲しいくらいだ。
――ただ、唯一、申し立てたいことがあるんだけどな、ほんとに、ひとつにして最大の。
エルガーがサーティエに為すがままにされておしめを交換されてる俺の下半身をじっと見つめてるみたいなんだが。
「こらっ、エルガー! お姉ちゃんのおしめ交換をそんなにじっと見つめてんじゃないよ、助平な子だね?」
……ない、んだよな。地球で19年見慣れた、生涯の友にして息子だった奴が。
そう、あまり、気づきたくなかったんだが。
俺、橘虎徹は、どうやら。
この世界じゃ女として生きる運命らしい。
――どうしてこうなったし。