幕間1 虎徹とレムネア
「異母姉弟同士って結婚出来るんだよね?」
とかなんとか唐突にレムネアが言い出したもんで、俺は鼻水噴出しちまったわ。
――もろに至近距離で顔面に俺の唾を浴びたレムネアが慌てて顔面を袖で拭い始めたんで、俺は組手を中断して、袖の袂からサーティエに持たされた手拭いを取り出して。
「<水球>」
「……うー、それほんと便利だなあー。ボクも覚えたいのに」
「エルフたちに水と風の精霊魔法を習ってるんじゃなかったか?」
俺が神刀経由でキーワード発動した<水球>の魔法で手拭いを濡らして固絞りするのを見ながら、レムネアがそんな風に呟く。
「精霊魔法は習いたてだけど、呪文は縮められても省略までは出来ない、ってシフォンが」
「へえ? しかし、エルフ姉妹は無詠唱で使ってたみたいだったけどな?」
「あれは召喚した精霊を直接使ってるから、命令の代わりになる呪文は要らないんだって。でもそれ、高級精霊術だから今のボクじゃ全然無理なの」
「へー。精霊魔法も神刀に焼き付けてェもんだな、そのうち。――ほれ、顔出せ」
絞った手拭いを軽く広げて手招きしたら、ちょこちょこと小走りで走り寄って来るのが可愛いもんだ。
「んーっ。……むむーぷぷぷぅ。――やぁん、身体はいいよぉ」
「うるせぇ、ほっといたら着たきり雀で風呂嫌いの癖に。だいたい、袖で顔拭くのもダメだろ、オマエは女の子なんだからな?」
「……コテツってなんかお母さんみたい。すごい女子力高いし」
俺のなすがままに、俺が顔から手拭いを動かして服から見えてる首筋、鎖骨や脇の下まで汗を拭いてる最中にそんな一言をレムネアがポロッと漏らすもんだから、俺はびしぃっ! と硬直しちまった。
「……今、なんつった?」
「女子力高いなぁー、って」
「俺が、か?」
「えーっ、自覚ないの??」
手を止めて間近に迫る俺の顔を怪訝そうに見上げて来たレムネアが、おもむろに指折り数え始める。
「だって、そもそも『稀代の美少女』だし?
それで、食べられないのにお料理上手でしょ?
魔術覚えるのに必須だから文字の読み書きも出来るし。
カスパーンお爺ちゃんが褒めてたし、教養もあるんだよね?
食事マナーや礼儀作法が教える必要ないって褒められてたし。
持ち物だって手拭い取り出したっていうか持ち歩いてるし。
髪も毎朝梳かしてるっていうか、香水も持ってるよね?
服の着こなしやファッションセンスもいいし。
あっそうだ、サーティエ叔母さんと夜会に出たときのドレスってもう着ないの?」
「――そうか。それって女子力の範疇だったのか……」
立て板に水のようにレムネアが両手の指を折った数を呆然と見ながら、俺はそれでもとりあえずレムネアの身体を拭き終えた手拭いをもう一度空中に浮かびっぱなしだった<水球>に突っ込んで濡らすと、絞って畳んで袂にしまった。
――もしかして、こういう整理整頓術も女子力に入るんじゃねェのか?
こっちに来てもう13年、女子として育てられるなんざ初めての経験だったもんで、おしとやかに育てる気満々のサーティエに反抗してるっつっても毎日の生活習慣に関しちゃ、言われてみりゃ……、生前の男性だった俺がやらないことばっかだよな。
「まあ、料理は昔から好きだったし、魔術っつか知らない知識と経験が増えるのは何でも楽しいもんだし」
「礼儀作法とかは?」
「ありゃ礼儀作法っつか、ここに来る前の前世じゃ当たり前の知識だったんだよ」
作法っつか剣道習ってたときの剣士の礼や学校で習った敬語や目上に対する礼みたいなもんでしかないが、軍人貴族っつーのは貴族でも最下級だし、アドンとサーティエがすげえ遠方からここまで渡って来たのは周知だから、ボロを出さない程度だけどそれなりに統一された作法がありゃ十分らしい。
つか、言い訳がましくぶつぶつと理由を述べてる俺のことを弱点見つけたみたいにニヤニヤしながら間近に迫って来やがって、この野郎、いや、この小娘。
「ふーん? ボクも生まれ変わってからも記憶残せるのかなあ……。香水はなんで持ち歩いてるの? なんか蜜柑みたいな匂いで、ボクも好みだなあ」
「お、レムネアも好きか? こりゃドレス着たときにカスパーン爺さんのとこのメイドさんに付けて貰ったんだけど、割りと俺も気に入ったんで瓶ごと貰った」
レムネアの興味が香水に移ったと思ったんで、手拭いとは逆の袖口から香水の詰まった半透明の青い小瓶を取り出して、カシュッ! とレムネアの首筋に噴霧してやる。
地球じゃ香水なんて高尚な趣味はなかったけど、くれるっつーから貰ってしばらく使ってたら邪魔にならない匂いなんで割りとハマっちまって、毎朝つけるのが癖になっちまったんだよな。
「んー、いい匂いっ♪ でも、狩りのときは邪魔だよね?」
「アァ、実はそうでもなくてな。ほら、俺って気配がないから」
「んん? あっ、逆に発見されやすくなるから?」
「オゥ。鼻が敏感な猛獣ほどすぐに襲って来るから、わざわざこっちから探す手間が省けるからな。……どうしても匂いが邪魔なら、すぐに魔法で消しゃいいし」
シャトー村に居たときゃ村の狩りで月に一度程度、森で狩りしてたもんだが。
俺が『呼吸してない人形の身体』なもんで黙って立ってると体臭もないし生物特有の気配もなくて、待ち伏せには最適っつっても、それじゃ楽すぎて俺の訓練にならねえんだよな。
「あっ、それより、あの真っ黒なドレスがすっごい綺麗だった! 真っ白な背中がばっくり開いてたのが、清楚ってか妖艶っていうか!!」
「――忘れろ。一応軍人で貴族階級に入ったアドンとサーティエが貴族の夜会に一度は出とかないと後がめんどくさすぎてそれにあちこちでうるせェ、っつーから一度きりで着て出ただけだし」
そう。アドンとサーティエだって出たくねェんだけど、後々の面倒事と引き換えに、っつーからエルガーと二人して貴族の子息の正装、をやるハメになっちまって。
それで、さすがに貴族の夜会に出るのにいつもの紋付袴じゃ不味いだろ、っつーことでとりあえず色の希望だけ訊かれたからいつも通りの黒一色、って答えたら。
アドンとサーティエの親代わり、俺とエルガーの爺さん代わりって立場に収まったカスパーン爺さん付きの執事さんとメイドさんたちのセレクトで、今レムネアが言った通りのドレス着るハメになったんだよな。
まあ、ああいう固っ苦しい場が苦手だ、っつーのは一応主催ってことになってるカスパーン爺さんも同じみたいで、想像してたよりは現役や引退した軍人貴族の数が多くて、やたら踊りに誘われたりたくさんの貴族の挨拶を長々と聞かされる、なんて目には遭わずに済んだけど。
――どっちかってーと爺さんたちの過去の戦場の思い出話がかなり面白かったんで、ああいう場じゃないならまた会ってもいいな、なんて感触だった。
爺さん貴族たちも俺たちにモノを教えるのに乗り気だったみたいだし、あれはあれで知り合いを作る楽しい場にはなったのかもな、俺もエルガーも。
「あ、そうだ。それで思い出した」
「着ないのかー、ざんねんー。……ほえ?」
「レムネア。オマエもそのうち着るらしいぞ、ドレス」
「……ええええええ?! 無理無理むりっ、ボクそんなの着たことないし、っていうか、持ってないし!?!?」
「それが、レイメリアの意向で『一度は晴れ舞台を経験させときたい』っつって、オマエのドレスも作って貰えるらしいぞ? 良かったな」
「うえぇぇー……。コテツ、目が笑ってるよー」
「妹の晴れ舞台を喜ばない姉が居ないわけねェだろ?」
俺の言葉に、全力で首を振ったレムネアは、キッ! と俺を薮睨みして。
「ううん、なんか今の笑い方はすごーく邪悪入ってた。……ボクが苦労しそうなことでなんか思い当たる節があるんでしょー?」
「っあー、まあ、ねェこともねェな?」
「夜会の先輩っ、教えて教えてっ、ボクに稽古つけてー??」
「稽古ってなんだよ、組手の稽古はいま中断してんじゃねーか。……あー、分かった分かった、教えてやっから、その脇腹を突く体勢を取るのをやめろ莫迦」
まあ、思い当たるつっても大したことじゃねェ。俺は痛覚遮断でハイヒールとか履き慣れねえし歩きづらい靴や衣装着てもあんまし影響なかったんだが。
生まれてこの方、女物の服が俺がやったワンピースのみ、ってコイツは普通の12歳の女の子なんだから、着飾るにしてもあのメイドさんたち割りと手加減してくれなかったし、……生きてない人形な俺と違っていろいろ苦労するんだろうなー、って感じでな。
「むぅぅ、コテツ、ずるい、ずるーい!」
「ずるいって何だよ? まあ、まだ着るまでに日はあるだろうし、レイメリアのお願いなんだから観念して頑張るんだな?
……心配すんな、オマエが着飾ったら俺なんざメじゃねぇくらいの美少女になるぜ、俺が保証すっからよ?」
「ぷうぅぅ。妹が恥かくの目に見えてるのに、ひどーい。……あ、それで話戻すけど」
「んあ?」
頬を膨らませても可愛いんだよなー、コイツ。変な男に引っかかるんじゃねェぞ?
なんて、ぽかぽかと軽く俺の肩を軽く握った両拳で叩いて来るのを軽くいなしながら相手してたら、そんなことを言い始めて。
「コテツ姉とエルガー兄って異母姉弟だよね?」
「……その話はやめとけ」
「結婚の約束してるってサーティエ叔母さんが嬉しそうに話してたんだけど?」
「……アァ、確かにそういうことになってっけどよ、そりゃ本人同士の話し合いって順序があっただな」
「エルガー兄も楽しみにしてるって」
「いつ言ってた?! どこで、どんな話だ!?」
途端に吹き出すように笑い始めたレムネアの態度で、俺はカマ掛けられたことに気づいて。
……放置するのも癪なんで、その後疲労困憊で悶絶するまで屋敷の中を縦横無尽に追いかけ回してやった。
俺に勝とうなんざ千年早いっつーんだよ、莫迦が!




