91話 開戦した
「えらく不機嫌だな、コテツよ」
「不機嫌にならねえ訳ねえだろ」
全身を真紅の鎧に包んだアーリ――、アーリュオス・カーン皇帝の馬の前側に抱かれるように座らされた俺は、頭ひとつ分以上高い上から落とされる声に、アーリの言う通り不機嫌に頷いた。
船上の航海も残すところ数時間の予定で、もう目的地のシャハブ王国南の海岸線は遠くに薄っすらと見えてる。
旗艦は双胴船のカーフェリータイプな牽引輸送艦で総勢8,000の人馬騎兵軍団のうち三分の二近い6,000を収容してて、収容し切れなかった残りの兵力を木造輸送艦として牽引してる状態だ。
つっても、上陸時に火炎魔法や火矢なんかの攻撃が予想されるから、接岸するのは旗艦だけで、前後にある乗降口を開いて後続の輸送艦は旗艦の内部をトンネルみたいに使って間接上陸する予定なんだがな。
って、まあ、俺が不機嫌になってるのは、その上陸侵攻作戦のことじゃなくて、その前にあった全軍訓示の内容でさ。
「……何が『先帝マイネの生まれ変わり、女神コテツに皇帝の剣を捧げる』だよ。どこまでシンディの筋書きなんだっつの」
全軍訓示でアーリの横に立たされてた俺が突然、居並ぶ将兵たちから剣を捧げられたときの驚きっつったらよ?
皇城でやたら先帝マイネさんの遺品な衣装着せられたりとか、マイネの面影云々~、ってアーリの話を真剣に聞いてた軍団長たちとか、全部これの伏線だったのかよ!! って思わずに居られなかったわ。
言われてみりゃ……、俺達の結婚式のときに全軍こぞって列席したがった、って話を大げさな笑い話だと思って聞いてたけど。
兵士たちに絶大な人気があった、っていう先帝マイネのことを覚えてる古参兵たちからしたらマジな話だったんだろうな。
「シンディというのか、あの女魔術師は。――かれこれ50年も前からの知り合いだぞ、我らは。先帝と共に帝国の版図拡大に同行した、力ある魔術師だったからな」
含み笑いを漏らしたアーリに、ぽんっ、って頭撫でられたけど、手のひらまでがっちり金属手甲で覆ってるからちょっと痛かった。
「なんか変だとは思ってたんだよ。<絶対魔法防御圏>の固有魔法や先帝マイネ云々も、シンディの差し金だろ?」
「このような局面が訪れるとは当時は思ってもいなかったがな。――彼女が真実『女神』というのなら、50年後のこの情勢を描いていたことも納得出来るというもの」
感服したように頷き続けるアーリの顔を上を見上げて見つめて、軽くため息をついて、俺はアーリの胸に背を預ける。
「どうだかな? 消息不明になったのは多分想定外だぜ。居なくなっても大丈夫なようにいろいろ準備してたのはアイツらしいけど」
「それこそ神の叡智だろう。コテツをオレのところに寄越してくれた、それだけでオレは満足だがな」
いいや、絶対予定通りじゃなくて場当たり対処だぜ?
本来のアイツの最大の目的な『迷宮探索に同行すること』が果たされてないからな。
監視網でモニターしては居たかもしれねえけど。
「……こら。俺はこれでも『人妻』なんだからな? 馴れ馴れしく腰を抱くんじゃねえよ」
左手で俺の腰を抱こうとしたアーリの手を軽くぺしっ、と叩いて、俺はアーリを睨みつける。
「それだけが残念というか、夫君となったあの鳥使いが羨ましいところだな」
「何が残念だよ、先帝との間に子供三人作ったんだから、浮気するんじゃねえ、っつの。――俺はマイネさんの生まれ変わりじゃねえよ」
「――それも残念だ。シンディは『マイネの生き写しの女性がいつか現れる』と言い残し、その通りにコテツが現れた。生まれ変わりを信じる古参兵は多いからな、内緒で頼むぞ。士気に響く」
「だから公言してねえだろ。……くっそ、俺が馬に乗れたら一人で出るのに」
ぶっ、とか吹き出してんじゃねえよ、俺だってかっこ悪いと思ってんだよ、子供みたいに前抱きにされてるとか!
「マイネも乗馬が苦手でな、騎兵を指揮するときはいつ落馬するかとヒヤヒヤしていたものだ。――ベルトで繋がっているから、オレが落馬するときはコテツも道連れだぞ?」
「俺が片腕でベルトねえと身体を馬上に固定出来ねえんだもん、仕方ねえじゃん」
ぶるるる、と鼻を鳴らすアーリの愛馬の立髪を軽く撫で付けて、それから耳に顔を寄せて話しかける。
「ごめんな、俺まで乗っけて貰って。重いだろ? 悪いけど、最後まで頼むぜ?」
「この程度で帝国最大最強の皇帝馬が音を上げるものか」
含み笑いで足りなくなったのか、豪快に笑い始めたアーリにちらり、と目をやって。
「いいんだよ、気持ち伝えただけなんだから。――お荷物にはならねえからよ、きっちり守ってやらあ」
「期待している」
全然期待してないような素振りで言われても、発言が信用出来ねえよ、くそ。
「正直なところ、コテツは象徴であり勝利の女神の役割だけして貰えば良いのだから、夫君と共に旗艦に残っても良いのだがな?」
「俺の発案で遠征軍になってんだから、俺の命令で死人が出るってことで。……そんなときに俺だけのほほんと後ろから戦場眺めてられるほど、俺はまだ人間出来てねえよ」
「あまり指揮官向きの性格ではないな」
「皇帝御自ら先頭に立つってのもどうなんだよ」
「オレは強いからいいのだ。お前の師匠のひとりでもあるのだぞ?」
「それ言ったら俺は不死身だからいいんだよ。……こないだ一本取ったの、まだ根に持ってんじゃねえのか?」
ふんっ、とか鼻鳴らしただろ、今?
何度かアーリと練習対戦するうちに要訣っつか身体の動かし方のコツが掴めてきた感じで。
結論から言えば、『タケミカヅチの教えは一つにして全』なんだよな。
全ての剣技が一の太刀に集約する、っつか、そこから無数に派生するけど、根本はひとつ、っつか。
まあ、実際にアーリがタケミカヅチ自身の太刀筋を見て、自分の持ってる剣技に似せて振って実演してくれなかったら全然理解出来なかっただろうけど。
だから、俺は『剣速』って一点を見出して、それを伸ばす感じで修行を進めてくれたけど……、アーリみたいに変幻自在の無数の剣技も、タケミカヅチの一の太刀に通じるんだ、ってのは目鱗だった。
目的の違いとかそんな話なんじゃねえのかな?
剣は手の延長だと思えとかそんな小手先の話じゃなくて、『剣で何をするか』に集約してる、っつか。
タケミカヅチの得意技は一撃必殺だけど、俺は手数で押すタイプ、アーリは予測不能な多彩な技を使うタイプ。
で、全部に共通してんのは『全身くまなく徹底的に利用する』ってところで。
そこが理解出来たのは大きいよな。
でもまあ、アーリにもタケミカヅチにも言われてることだけど、俺は『目に頼りすぎ』だから、せっかく五感万倍の固有スキルあるんだし、もっともっと他の感覚まで動員しろ、って怒られてる。
……アーリを倒すのはまだまだ先の話で、気が遠くなりそうだぜ。なんて、本人には絶対言わねえけどな、悔しいから!
「で? シャハブ国王との交渉結果は?」
「……知らなかったのか?」
「決裂させる前提の宣戦布告だもんよ、軍行動に影響ねえだろ?」
呆れた、って目で見んなよ。
「ただ、どんな返答だったのかなって思っただけだよ」
「……シャハブ王国、北側のディシオ王国共に、点在する村落を一都市でとりあえず纏めているだけの田舎の辺境だ」
淡々と状況説明をしながら、アーリは皇帝馬の手綱を操って、旗艦中央甲板の下、前方出口に移動させ始めた。
「亜人圏に近いことから住民と軍勢に獣人が多いことが特徴だが、帝国のように正規軍ではなく半農半軍で歩兵中心だから、弱兵も弱兵だな」
「そりゃ、ハインの報告で知ってるよ。俺が訊いてんのは、シャハブ王の返答内容だよ。昨日、使者が帰って来たんだろ?」
海上遠征自体は秘密作戦だから、ジェリト南でイヒワンが率いてる海賊と交渉して海賊経由で西部国境付近から宣戦布告の使者を出したのが二日前なんだよな。
だから、シャハブ王国は西部国境南部から帝国軍が討って出て来る、って思い込んでるはずだ。
「『我が軍の精鋭に相対し無傷で帰れると思うな』などと息巻いておったぞ」
「アァ、じゃあ予想通りか。――ジェリト駐在軍だけで行くとか思い込んでんだな」
また表情を凶悪に歪めて、ふっ、とか笑う気配が背中に当たる全身鎧から伝わって来るもんで、俺も同じように唇を歪めた。
「シャハブ王国の南の森、シェファイーン村からコテツの手駒がジェリト方面へ攻め入るのが合図だな?」
「アァ、先に国境を吹っ飛ばすんだけどな。……めれんげおじさんが超張り切ってたからな、見ものだぜ?」
最終手順を確認して来るアーリに、俺は頷いてみせる。
「ジェリト西の国境を『神の鉄槌』の一撃で吹き飛ばすなど、伝説に残る戦いとなろうな」
「敵も味方も大興奮だろうよ、雷神タケミカヅチ降臨なんだからな?」
ごろごろごろ、ががあん! とかド派手な稲光を光らせてる、俺達の船団の上空を黒雲と共に移動してるタケミカヅチを、船底最下層、輸送甲板だから見えるわけねえんだけど、なんとなく天井に目線を移して。
「コテツの手駒、白虎隊だったか? それと、シャハブ王国軍の合同軍が動くのだったな」
「ジェリトの領主、勇者はたぶんシャハブ軍に呼応してイヒワンの海賊団と一緒に反乱を起こすはずだ。こりゃイヒワンから聞いたから間違いねえ。――でも、アントス南とジェリト金山南で防衛線敷いてるから、弱兵のシャハブ軍はそこから進めっこねえ」
「そして、黒雲と霧に紛れた我ら騎兵隊が、シャハブ王国王都シャハブに攻め上がる流れか」
ごごん、って重厚な金属音が響いて、ミルクみたいに濃厚な霧が、前方船首に開いた切れ目、上陸用の通路から船内に入って来る。
同時に、船尾の方でも同じように割れるように壁が開いて、後続の輸送艦と馬が駆け抜けられる通路が繋げられて行く。
「コテツは商会主でもあったな? この戦で商会が得る儲けは、何だ?」
馬の横に居る侍従たち数人が抱える巨大な真紅の槍、アーリの代名詞、赤槍を左腕に受け取り、手綱を右手に巻くようにして緊張感を高めるアーリが、全身に漲っているんだろう気迫とは裏腹に、俺に対してのんびりと声を掛けてくる。
「軍艦持ってて商売人って俺は坂本龍馬かよ。って話だが……、戦争終結後はシャハブ『領』の復興支援になるだろ? 安くしときますぜ、便利な商会の商品を仕入れて生活レベルを向上させませんか、ってな!」
和装の腰の後ろに収めてた蒼銀の小太刀を右腕で一気に引き抜いて、顔の前に一文字に構える。
「商売繁盛で良いことだ」
アーリの呟きは、世界が壊れるんじゃねえか、ってレベルの強烈な爆音に掻き消された。
何万トンってレベルの巨大な旗艦が揺れるほどの、耳が壊れそうな落雷の爆音が周辺一帯に響き渡り、衝撃波で全身が吹き飛んだか、って錯覚したくらいだ。
「……べ! ……テツ!」
アーリが何か言ってるけど、耳がバカになっちまったのか全然聞き取れねえ。
後ろに目をやったら、赤塗りで揃えた皇帝近衛師団の騎兵たちが一斉に騎兵槍を突き上げてた。
「叫べ、コテツ! 鬨の声だ!!」
「――行くぜえええぇぇぇぇぇ!!!!」
耳元で怒鳴りつけるようにして言われたアーリの言葉に応えて、俺が思い切り腹の底から叫んだのを合図に、船内から岸の上陸地点に向かって、俺達は一斉に通路を駆け下り始めた。




