90話 海に出た
コテっちゃん、デレるの巻。
「珍しいな、早起きだ」
「……旦那が夜通し働いてんのに、嫁の俺がぐーすか寝てるわけにも行かないだろ」
旗艦の舳先で見張り兼水先案内をやってるインダルトの背中に話しかけて、俺は和装の袴を折り、振り返りもせずにじっと正面を見つめてるその隣に並んで座る。
――インダルトの視界は自分の両目の他に、ペットで兄妹なフクロウの子、インダールの視界を共有してる。
だから、船の上甲板に上がったときから、インダールが甲板上をうろうろして遊んでるんで、俺の動きは全部把握してたはずだ。
「あのドレスはもう着ないのか? 綺麗だったのに」
「……二人っきりのときなら着てもいい。つか、あんなん、こんな海風の強い場所で着たら盛大にスカートが腰までめくれ上がるっつの」
「それもそうか。――ほら、寒いぞ」
舳先の上甲板で胡座かいてるインダルトが、右に座った俺の腰を抱き寄せて防寒用のマントで包んでくれるもんで、俺は珍しく素直にインダルトの右肩に頭を預けて寄り添った。
「――あの結婚衣装、そんなに気に入ったのか?」
「みんな大絶賛してただろ。この期に及んで服が綺麗で中身は大したことない、なんて言うなよ?」
「言わねえよ。――お前が綺麗だっつーから、それで納得しとく」
「借りてきた猫みたいにしおらしくなってるのもお前らしくないな? 俺が知ってるお前は」
「傲岸不遜で自信満々、不老不死で不死身の女神だっつーんだろ。後でちゃんとするから……、二人っきりのときだけならいいだろ? あなた」
「解ってるよ、おまえ」
そのまま無言で、ふう、と軽くため息ついて、なんとなくぐりぐりとインダルトの右肩に頭を押し付けたら、その頭をインダルトは右腕で撫で付けて額に軽くキスしてくれた。
正直、この一ヶ月間は怒涛の展開だった。
街のどこからでも目に入る監視塔の最上階、なんてあんなくっそ目立つとこでプロポーズしたもんだから、翌日から街で噂になるわ吟遊詩人がこぞって恋歌作って唄いまくるわで。
それに、俺たち的には事実婚でいい、つったのに、レムネアが大張り切りでちゃんと式を挙げなきゃダメ! つって。
自分らの式のときに俺が寝てて祝福してねえから、俺の式は自分が間違いなく祝福するんだっ!! なんて言われたら後ろめたすぎて断れねえし。
でも皇族とか盗賊ギルドや冒険者ギルドの公式とか、そんな感じで大仰にはすんなよ? つったら。
形式的には俺の屋敷の広間で父母のアドンにサーティエ、妹のレムネア、祖父代わりで屋敷の本来の家主なカスパーン爺さんとそのメイドや執事たち、それと、古くからお世話になってるハダトさんやカッシュさんに迷宮探索隊の面々を集めた身内オンリーな小じんまりとした結婚式だったんだけど。
……現皇帝やら皇族長男に三男、現領主やら軍団長やらの大貴族連中が一般人の振りして全員お忍びで大集結して貴賓席に列席してるっつー、めちゃくちゃ異様な式になっちまった。
まあ、旦那が海上遠征な軍事作戦参加するっつーんで、今後のことも考えたら、軍幹部級が出席したい、っつーのを断れなかったんだけどさ。
……親父のアドンや母ちゃんのサーティエが涙浮かべるのは分かるし、カスパーン爺さんは俺のこと孫娘だって思ってるらしいから年寄りで涙脆くなってて大号泣するのは分かるんだけど。
なんで皇帝のアーリやその親友っつーメイティス公爵まで嗚咽にむせってたのか謎でたまらねえ。
『出陣前に理由は話す』ってアーリは言ってたけど、出港してからはお互いに作戦のことで忙しくて、同じ旗艦の中に居るってのにすれ違ってばっかで結局謎のまんまだ。
式にはメイドさんたち全員大集合で俺をこれが究極っ、って感じで飾り立ててくれて、プロポーズのときからなんか妙に俺の庇護者立場になってるインダルトの度肝を抜いてやれたもんで、大満足プラス大感謝、だったな。
――結婚衣装は、もう人前じゃ着たくねえけど。あれ、着てるだけですげえ辛かった。
みんな無言でぽかんと口開けてたのは、衣装の豪華さに感動してたんだと思う。
前世でタキシードも着たことなかったのに、生涯初の結婚で花嫁衣装なのはなんだかなあ。
つっても、転生してもう15年、もうすぐ16年にもなるんだし、正直言うと、男性だった意識、転生前の記憶は昔ハマってた物語、みたいな感覚で、かなりあやふやになりつつある。
ぶっちゃけると、記憶が生前で完全に固定されてるシィの方が、忘却されつつある俺の記憶よりも明瞭で覚えがいい。
写真とかもあるわけじゃないから、死んだ親父やお袋の顔形ももう朧げだし、俺に命をくれて死んでった兄弟たちの顔ももう思い出せねえけど。
転生しても忘れてねえんだから、それで許して欲しい。墓までちゃんと持ってくから。
そういや、作戦行動中だってのに、しれっとイファンカが抜け出してメイド衆の中に混じってたのにはびっくりしたけど。
考えてみりゃ、イファンカは密偵潜入に特化した戦闘メイドだって言ってたっけ。潜入先から舞い戻って結婚式出席して、また元の潜入先に戻るのもお手のものか。
さすがに任務違反だからか、イファンカが知らんぷりしてるんで俺も気づかない振りしたけど、笑いを堪えるのが大変だったな。
今頃はもうジェリト東のシェファイーンの森に戻って、モントラルの白虎隊として働いてるよな。
アユカが手を振るった料理の数々はアーリ以下の貴賓席の面々を唸らせまくって、その後に軍糧食の味の改善にアユカが協力することになったのは笑い話だ。
この艦にも、その味が劇的に改善された保存食が積み込まれてるけどな。
アユカは危なくて連れて来てないから、調理は俺が担当してるけど、流石に8,000余名の軍馬の糧食全部を、ってわけにゃ行かないんで、旗艦の幹部相手だけだけど。
「エイランダールも来たがってたな、そう言えば」
「アイツには留守を任せてんだ、アイツが国元で政務官勤めてなかったら心配で出陣出来ねえよ」
エイランダールの家族と、俺の家族――、旦那のインダルトと娘のロナがシスの街に移り住んで、俺らは家族ぐるみで仲良くなって。
エイランダールは歳も離れてるってのに旦那のインダルトとめちゃくちゃ気が合っちまったらしくて、親友みたいな間柄になってんだよな。
おかげで何か申し付ける度に「旦那様によろしく」とか言われて、やりづらいったらありゃしねえ。
……旦那様に、って言われるたびに、ちょっとだけ顔がニヤつくのがまだ慣れねえんだけど。
「いや、エイランダールが居れば、水先案内がもっと捗ったんだろうなって」
「アァ……、魔術師なら潮流に含まれる海の魔力を魔力感知で見れるからな。俺も出来るぜ?」
「お前が魔力消費すると後々俺が献血の被害者になるんだよ、大人しくしてろ」
「そんな多く吸ってねえじゃん」
「お前のちょっとはちょっとじゃないんだよ! まったく」
くすくす笑いしながら、左の膝の上に置かれたインダルトの左薬指にムギリが誂えてくれたミスリルの結婚指輪がしっかり嵌ってるのを目の端に入れて、俺の首から下げた同じ指輪に意識を移す。
レムネアはもっと豪華にごてごての装飾を主張したんだけど、ムギリが俺たちにはこれでいい! って押し切って、無装飾の蒼く鈍色に光る蒼銀製の、簡素な指輪になった。
元々結婚の証ってなこの世界じゃ指輪の形とかじゃなくて、新居や結婚祝いの贈り物が主なんだが、それは大仰になるんで断ったんだよな。
アーリ以下の貴族たちはそれぞれ個別に馬車数十台分の贈り物も用意出来る、つってたけど、国内再編中に余計なことすんな、って感じで。
でも、左薬指にお揃いにしたかったんだけど、インダルトの利き腕は右だから左指に嵌めてんのは別にいいんだけど。
俺の左腕は勇者に取られたまんまで、右腕で小太刀振るから右指に嵌めると握りに違和感出るから、ってことでネックレスにして首に下げてんだ。
――まあ、どこにあってもコレで俺がコイツに負けた証、って思ったら納得出来る、ってもんでさ。
「ほんとに良かったのか? ガチの侵略戦争なんだぜ。国から正式に宣戦布告してるっつっても、やるこた上陸強襲なんだし」
「悪いが戦闘には出ない。けど、この船でずっと待ってるからな。――必ず帰って来るんだぞ?」
「そうだなあ。ちゃんと帰って旦那から搾り取らないといけないからなあ」
肩を強く抱かれるもんで、インダルトの首筋に寄り添う形になった俺が、耳元に囁いたら。
「また、そういうはしたない……。毎回痛いんだろ? 我慢して義務でしなくてもいいんだぞ?」
「――ッ。お前の方が恥ずかしいだろ、そういうこと言うんじゃねえよ。俺がしたくてしてるんだっつの」
不死身の俺は毎回破けるたびに身体再生が働くから、以前より再生が遅いんですぐにってわけじゃないけど、一週間くらいで破れる前の新品に戻っちまう。
五感万倍の俺にゃ下半身が砕けるかってくらいの激痛なんだけど、それ以上に全身が爆散したかって思うくらいの気持ち良さが……、って何考えてんだ俺。
って、それで思い出したけど。
「そう言えば。――アユカが発情期っぽいの、気づいてたか?」
「ああ。抜け毛の季節で生え変わり終わるまで調理に関われなくて申し訳ない、って言ってたあれか?」
「風魔法で全身ブロワーしてるし、元々調理中は抜け毛が混ざらないように蓋閉める感じだからそこまで極端に気にしなくてもいいんだけどな。――なんか妙に俺を見る目が艶めかしい気がして」
「コテツ。お前な……、女の子の道を踏み外させる悪行はいい加減にしとけよ?」
「なっ……、俺のせいかよ!?」
至近距離からの心底呆れた目線は、ちょっと胸に刺さる。やめてくれ。
「レムネア様もアユカも、シルフィンやシフォンもみんなお前の色香に迷ってるだろ? 誰彼構わず手を付けるのはやめろ」
「ただのスキンシップじゃんよ……」
ぷいっ、とそっぽを向いたら、おとがいに手を掛けられてぐいっ、と首を戻された。
「ちゃんと愛してやるから、やめろ?」
「……はぁい」
むぅっ、と睨み付けながら返事したら、にやり、と笑ったインダルトにちょんっ、と触れるか触れないかくらいの軽いキスされた。
予定じゃあと二週間くらいで隣国シャハブ王国の南端に到着する。
その前にジェリト港南でインディラさんの旦那さん、インダルトの父親で大盗賊のイヒワン率いる海賊団と交渉があるし。
海の上に出ても、旦那になったコイツの気は休まりそうにないな。
俺のために大人物なオーラ出してくれてるのは分かるんだけど……、コイツ本来はあちこちに気を回す情報通だから、気を回しすぎて胃に穴開けなきゃいいけど。
――やっぱり嫁としては、旦那の気疲れを癒やすのが務めだから……、毎日一回のペースを日に三回くらいに増やすべきかな?




