89話 負けた
「んっだよ、アントスから出なくていい、つったのによ」
シスの街を一望出来る中央監視塔の更に上、最上階の開いた天窓の縁に腰を降ろし、足を空中に投げ出し、のんびりと日向ぼっこしてた俺の横に、ちょっと不満な顔したインダルトが立ってた。
「……ロナが、『ママが元気なかったから行ってあげて』って頼むからな」
「ロナには敵わねえな。ちょいと貧血気味なだけだ、吸血すれば治る。……心配ねえから、ほら、帰れよ?」
「俺も、お前の態度はおかしいと思ってから、丁度良かったんだよ」
俺の命令に逆らって、インダルトが俺の隣に腰を降ろす。
……あんまし幅のない天窓の縁だ、自然と、俺とインダルトは密着する形になる。
――心構え出来てねえのに突然くっつくんじゃねェよ。
「今日は、仕事は全部エイランダールに任せたんだってな?」
「なんか文句言ってたか? 俺だって、たまにはのんびりしてェ日だってあるさ」
「いや? 職務が充実して感謝しかない、って歓喜してたぞ。仕事も出来ないのに威張り散らすだけの小煩い上司から開放してくれた、って喜んでた」
童顔のエイランダールが頬を上気させて少年のように可愛い笑顔を浮かべてる様子が脳裏に浮かんで、俺は失笑しちまった。
「ハハッ、そりゃ何よりだ。……もう少し体制が整ったら、エイランダールは他所に連れてくから一時的なもんだけどな」
「――そこには俺の席もあるんだよな?」
インダルトのくせに核心を突いた質問をするもんで、俺は言葉に詰まって、適当に眼下の町並みに目を移した。
「シスの街も賑やかになったよな。いや、ここは元々賑やかな街だったんだけど」
「コテツの施策が大当たりで、人口が二倍近くに膨れ上がってるからな。――人頭税が撤廃されたから、どこの街でも近在の村人たちが移住してるんだ」
「不動産の施策も上手く行っただろ? 借地だけじゃなく、借家の概念がなかったからな」
言って、隣に並ぶインダルトの方を見たら、真剣に俺の横顔を見つめて来やがってるもんで、俺はすぐに視線を逸した。
この世界の土地は全部、王侯貴族から借りてるもの、そこを治める領主から個人が借りたもの、って概念はあったけど。
街に転居するなら家を新造、引っ越し時には退去後に兵士が取り壊し、また誰かが同じ土地に住むときは新築から、基本全部自費。
――だから、街に移り住むなら街の土地を買う資金、家を新築する建築費の両方がないと住めない。
なんて観念がまかり通ってたからな、時代劇でお馴染みの『長屋』の概念を組み込んだんだ。
盗賊ギルドが買った土地に商会設計の集合住宅を建てて、家賃は盗賊ギルドへ、家具使用料は商会へ。
それぞれに住んだ家族は盗賊ギルドか商会どちらかで雇用して、給料から天引してるから、実質的には社員寮みたいなもんだな。
永続的に雇用してやってもいいし、貯めた金で商機見て自営業に挑戦してもいいし。
こうやって公共施設とかで民衆に積極的に金をばら撒いてやらないと、街の中で遣った金は巡り巡って結局領主に戻って来る仕組みになってるから、領主や国が『儲けすぎちまう』からな。
それ以外にも、川から引いた水を街中に導いて噴水や公共浴場に共同水利、上下水道って民衆向けな公共事業やってるし……。
シスの街に政治機構を分離してからかれこれ四ヶ月、エイランダールもハインもよく領地内を治めてる、って思う。
「大きな戦があるんじゃないのか? インマンダ港周辺にカスパーン軍とか、皇帝直属の近衛師団が移動してる、ってよ」
「何をどうやってどこと戦うんだよ。海と森しかねえんだぞ、皇都南東のあそこら辺は」
一笑に付して、左側に居るインダルトから距離を離そうと思って窓際に身体を寄せたら。
「俺をバカだと思ってるだろ? 新造した鉄甲船と輸送船団は何に使うんだよ。あれに軍馬積んで、どこかに向かうつもりだろうが。――たぶん、西の平原に遠征だろ」
「軍師として、帝国軍の軍略については答えられねえな」
「俺をのけ者にするな。全部の情報に通じられる立場にしたのは、お前らだろ」
――誰だよ、コイツをこんな役職に付けたの。……俺だよ!
「前回はコテツの要請で一人で行かせてあんなことになったからな? 今回は、絶対に俺はついてくぞ?」
「ロナを放ったらかしにするのかよ? 言っとくが、行ったら年単位で帰って来ないからな? ここで平和に暮らしててくれよ。――頼む」
「聞けないな。お前は放っておくとどんな無茶するか解らない。お目付け役がそばに居ないと。って、ロナも言ってた」
クソが、心構え出来る前に強襲して来やがって。
「その真剣な眼差しで俺を見るなっつの、平静で居られなくなるんだよ!」
「お前が身内を心底大事にして、それ以外をめちゃくちゃ冷酷に扱うのは……、寂しさの裏返しだろ?」
「見透かしたように言うんじゃねえよ、お前に俺の何が分かるっつーんだよ!」
「分かるさ。常に孤独になろうとする癖に、自分の都合で他人をいいように振り回す。――振り回しても許してくれる人間をふるいに掛けて、自分が愛されてるって実感を得るためだ」
「お前が……、お前がなんでそんなに――、また、ハインか!」
「ハイン様は暫く前から俺と接続を切ってる。俺が頼んだんだけどな」
狭い窓際の上で、どんっ、と両手を俺の両脇に通してインダルトの真剣な顔が、どんどん間近に迫って来て。
……また壁ドンシチュエーションかよ、この世界の男はこれがデフォなのかよ、ちくせう。
「もう一度言う。俺は離れないからな? ……一人になろうとするな」
「俺は化物なんだぞ? 俺と一緒に居ると、不幸になるって判っただろ。――お前の村も、俺が殺し尽くした」
「俺は生きてる、ロナも、インシェルド爺ちゃんも。全滅なんかしてない、生き残りはたくさん居る。ちゃんと現実見ろよ。……お前のせいじゃない」
「俺が居なきゃ、死ななかったんだよ!」
「仕方のないことまでお前のせいにして俺が安心すると思ってるのか! 見くびるな!」
間近で大声で言われて、俺はびくり! と身体を震わせちまった。
「見くびって、ねえ。むしろ、頼りにしてる。揺らがない、絶対的な価値観、持ってるから」
「じゃあ、俺はついてく。問題ないな?」
「……ある」
「……なんだ? あと、何がある? 行った先でまた無茶するんだろ? お目付け役は絶対に必要――」
心底呆れた、って表情作ってぶつぶつ呟く至近距離のインダルトに振り返って、俺はインダルトの胸ぐら掴んで。
俺は、キス、した。
暫く目を白黒させてたインダルトが、ふっ、と目元を和らげて、片手で俺の背中に手を回すもんで。
俺も唇を離して、片腕をインダルトの背中に回して、お互いに強く抱き締め合う。
「……俺は執着心すげえんだよ。一度俺の懐に落ちたら、もう二度と離さねえぞ?」
「お前は目を離すと何やらかすか判ったもんじゃない、爆発魔法みたいな女だ。――俺が、ずっとそばに居てやるから、安心しろ」
「不老不死な俺のそばに、人間のお前が永久にとかどうやるんだっつの」
ぎゅううっ、ってインダルトの背中の服を握り締めて耳元に囁いた俺を、インダルトは俺の後頭部に手を回して、ぽんぽん、って軽くあやすように叩いて。
「死んでも魂だけになっても、ずっと監視しててやる。この世が滅びるそのときまでな」
「監視されるのが嬉しい俺って、なんか性癖おかしくねえ?」
「お前がおかしいのは最初からだろ? 今更気にすんな」
「……その言い方はなんかすげえムカつく。殺すぞ?」
「お前は殺せないよ」
確信してるように言われて、そっか、って俺はなんか、不思議に腑に落ちた。
「殺せない……」
「お前は、俺を殺せない。なんでか俺には解らないけど、俺は分かる」
「言ってる内容矛盾してんぞ、インダルトお兄ちゃん」
何言ってんだコイツ、って思いながら、俺の心には、安心が満ちて来る。
そうだ。俺はインダルトを殺せない。
インダルトだけじゃない、レムネアも、ハインも、ムギリも、インシェルドだって、エイランダールに、商会のみんな、アウレリアたち……、憎らしいけど、エルガーもな。
シィとシンディは不死身だから別格だけど。
家族だからだ。
俺は愛されたいから、自分に愛情を向けるかもしれない相手を殺せない。
憎まれてる相手を殺すのは楽だから、憎まれるように動くのに、その壁を簡単にぶち破って来る家族を、殺すなんて真似は出来ない。
「……あのさ、インダルト」
「なんだ?」
場所が悪すぎるっつか、街全体からぜってー見られてるっつか、こんな場所で言うつもりなかったし、もっともーっと後で言うつもりだったし、俺がリードしてコイツを負かすつもりだったのに。
心構えもへったくれもねえ、これが流れに身を任せるってやつか。
――どっちかってーと、怒涛の洪水にぶち流される河童の激流下り?
なんか脳内お花畑で朦朧としながら、それでも、なんとか俺は言葉を紡いで。
「結婚してくれ」
「……逆玉の輿か。それも、いいかもな」
クソが、ムードもへったくれもあったもんじゃねえ。
確かに俺の立場は皇族だけど、今それ言うか?
けど、無性に嬉しかったんで。
お互いににやにや見つめ合って、俺達はもう一度、長く果てしないキスを、した。
――――☆――――☆――――☆――――☆――――☆――――
「エルガーの前では言いたくなかったけどネ、全く、忌々しい女ネ!」
声を荒げて毒づくフヴィトルに、エルガーは弱々しい笑みを浮かべた。
「一撃で状況をひっくり返された形だね。正直、予想外だった」
「ほんとだネ。あんな邪悪な女に<絶対魔法防御>を持つ皇帝が堕ちるなんてネ」
怒気をはらんでも相変わらず儚げで美しいフヴィトルの身体を抱き締め、その怒りを宥めるように背をぽんぽん、と軽く叩き、エルガーは耳元に唇を寄せ、呟く。
「僕の自慢の姉さんだからね。――女の魅力を使うのは予想外だったけど」
普段と変わらぬ表情ながら、エルガーのその言葉に、フヴィトルはやや小首を傾げた。
(術の掛かりが浅くなったかネ? 姉への憎しみが薄れたような気がするネ)
そのまま、じっ、とエルガーの両目を直視して確認するが、エルガーは不思議そうにフヴィトルを見つめ返すのみだった。
(後でもう少し強く掛け直した方がいいかもネ? ……やり過ぎると戦闘力に響くネ、全くめんどくさい子だネ)
疲れたように深くため息をつき、フヴィトルはエルガーの無言の要求に応え、薄衣を自らはだける。
「魔法ではなく、皇帝は色香に迷ったと思ってるのネ、エルガーは?」
「それ以外に考えられないでしょう? 皇帝には僕の<魅了眼>も、君の洗脳術も効かなかった。――だから、絶対に魔法的なものじゃないことくらいは専門外の僕でも分かる」
「それは……、認めるしかないネ」
首筋や耳に舌を這わせるエルガーにされるがままにしつつ、フヴィトルは声を震わせた。
「確かに、最初は一度謁見してしまえば後は思いのまま、と思ってたネ」
「――甘かったね。他にも、重鎮と目される幹部には僕らの力は効いてないみたいだし」
「ほんとうに忌々しすぎる奴らネ! 勇者の力に逆らう、だなんてネ!」
「眉間に皺を寄せると、美人が台無しだよ?」
眉根を寄せた眉間に軽くキスをして、エルガーはフヴィトルを軽々と抱き抱え、ジェリト領主館の寝室でベッドにいざなった。
「とりあえずは、ジェリトの領主にはなれたんだし。ここから領地経営で巻き返しを図ろうよ?」
「そちらはインシェルドに任せるんじゃなかったかネ? んっ……、はぁっ、私達は、そっち方面は素人だからネ」
甘い息を間に混ぜつつ、フヴィトルはエルガーの間近に迫る目を見つめた。
豪奢な金銀の飾りで飾り立てられたキングサイズのベッドが、二人分の重みと刺激で飾りを周期的に揺らしている。
その揺れは二人の息遣いと比例するように大きくなった。
「帝国幹部級はこちらの陣営に取り込めなかったけど……、有力貴族はこちらについたし、元宮廷魔術師筆頭、インシェルドの施策に外れはないし」
「インシェルドは洗脳したわけではないネ、油断は禁物ネ?」
「確かに。魔法なしに魅了眼が効かない人間は彼で二人目だよ」
答えながら、エルガーはそのときの様子を思い返す。
両目を蒼く変えてインシェルドを見つめた際、インシェルドは操られるでもなく、エルガーの眼をまっすぐに見つめ返し、魔道士らしく、蒼く光る魔眼の原理を尋ねたのだった。
「ただ、自分で意識して抵抗しているわけではないようだから」
「あんなのが何人も居たらお手上げネ。――エルガー、今日は後ろからがいいのネ?」
「――最初は恥ずかしいって言ってたのに、変わるものだね」
くすくすと笑いながら、はだけた衣の下をまさぐり、エルガーは引っこ抜くようにフヴィトルの腰を持ち上げた。
「インシェルドもイヒワンも、よくやってくれてる。何かご褒美を用意しないといけないね、領主としては」
「正しき勇者に仕えることが、従者の、至上の喜びのはずネ? んんっ、帝国を追放された元貴族を見つけたネ、そちらも利用するネ」
「モントラル侯爵だっけ? アントス領主の嫡男で、死んだことにされて葬儀まで上げられたんだってね。――反乱の旗頭には申し分ないだろうね」
「戦闘力に長けた護衛メイドまで連れて来ているのが幸いネ、あれはかなり強いネ」
「そうだね。……僕ほどではないけど、村々を率いる英雄を欲していた辺境を纏めて国境に攻め入るには十分な人材だ」
急速に動きを速めたことで、荒い息を吐くフヴィトルは答える余裕を失ったようだった。
「海賊衆を率いて帝国軍の輸送隊を襲撃してるイヒワンも、ジェリト領を治安維持しつつ国境外の辺境村と友誼を結んで同盟を取り付けてるインシェルドも見事な手腕だね。――僕は、どうやって君に応えればいいんだろう」
「新しいっ、王国のっ、国王っ!」
「そうだった。僕が王になって、皆を治めればいいんだったね。じゃあフヴィトル、君がその国の王妃だね?」
「……!!」
ぎしぎし、と絶え間なく揺れ続けるベッドの軋みは、更に激しさを増した。




