お姫様と召使いD
コバルト短編で選外だった話に手を加えたものです。
白雪姫を題材に書きました。
ですが中途半端になってしまって、いっそ魔法の鏡も毒林檎もやめて、新しい話として書いた方が良かったのかなあ、と後悔も。それじゃまったく別の話になってしまうか……。
主人公にダルタニアンという勇ましい名前を付けたけど、それも生かせてないし。
うーん、今は何が何だか分からなくなっていますが、まだまだ頑張ります。ちょっぴりでも楽しんでいただけたら幸いです。
――あなたのことを息子同然に思っています。
女王のお言葉を聞き、我が耳を疑った。
僕は恐縮して声が出なくなり、エレアノール女王の前にひれ伏します。
あれから何年が過ぎたのか……。
少年時代、戦火で両親を失った僕は物乞いをして暮らしていました。町を視察中のエレアノール女王の目に止まり、王宮で雑用などをして働くようになったのです。忙しい毎日ですが王宮では食べるものに困りません。僕は懸命に働きました。
そんな僕を女王が自室にお呼びになり、そのようにおっしゃられたのです。
息子同然……。
僕を拾ってくだされたエレアノール女王は僕にとって唯一の存在です。恩返しになるのならばと懸命に働いていました。その様子を微笑ましく女王は思っていたようです。
さらに、第一召使いのお役目をくださりました。
天地が晦冥したような出来事です。
どのような返事をしてよいか分からず、またどのような態度を取っていいのか分かりません。僕はエレアノール女王の前で跪いて身動きが取れなくなりました。
エレアノール女王が僕に近付きます。
「あなたは第一召使いになりました。明日から、私の側に寄り添って使えるように」
「……はっ」
下がろうとした僕に、
「ダルタニアン、お前は来月の七月十日が誕生日でしたね? たいしたことはできませんが、この出世が私からの贈り物です」
「はっ……」
僕は王女の部屋から下がりました。
本当は僕の誕生日は十月。でも、そんなの関係ありません。女王の記憶に僕の誕生日を合わせればいいのです。僕の誕生日は七月十日になりました。
※
第一召使いの日々――。
エレアノール女王は、王宮の奥にある石造りの祈祷室に籠り、そこで毎日、国の行く末を占います。
第一召使いに昇進した僕は、その部屋に控えて女王の護衛を務めるのです。
この部屋には誰もが入れるわけではありません。神聖な空間です。護衛を兼ねた第一召使いの僕のみが入ることを許されています。
一通りの占いが済み、女王は戯れに魔法の鏡に尋ねました。その様子を僕は部屋の隅で見守ります。
「――鏡よ、この国で二番目に美しい者はだれか」
女王のお尋ねに違和感を覚えました。
祭壇上に掛けられた漆黒の鏡が波を打ち、その鏡面に女王の姿が浮かび上がります。
二番目に――。
女王は鏡に映るご自分の姿に満足の微笑みを浮かべられています。しかしその微笑みに、寂しい翳があるのを僕は見逃しません。この国で一番の美貌の君であらせられるエレアノール女王。それよりも美しい者とはいったい誰なのか。一番は常にエレアノール女王でなければなりません。
占いを終えたエレアノール女王が僕に静かに近付きます。
「ダルタニアン……、二人で居るときは私を本当の母だと思って甘えなさい。発言も自由に。さあ、顔を上げて、母にその顔をよく見せておくれ」
「しかし……」
恐縮して、臥せた顔を上げられなくなった僕ですが、女王が喜んでくれるならばと思い切って顔を上げます。なにか言わなければなりません。
「……こ、この国で一番美しい者とはだれなのでしょう? 僕にはあの鏡が間違っているように思えます」
「そうですか?」
エレアノール女王は微妙な微笑みを浮かべました。戸惑っているような、満足しているような……。
「鏡の言うことは神託です。言葉を慎むように」
「はっ! 失礼しました」
エレアノール女王は満面の笑みをたたえて僕の顔を覗き込みます。
「まだ少年だと思っていたのに、すっかり声も成長しましたね」
「はっ! すべて貴方様のおかげです。僕などは泥にまみれて暮らし、泥の中にかき消えるしかない一生でした」
「運命なのですよ。そのときが来ただけです。本当に、私はあなたのことを息子のように思っています」
驚いたことに、エレアノール女王は膝を曲げて僕に近寄り、僕をふわりと抱擁しました。
もったいない――。
しかし、胸が詰まってその言葉が出てきません。エレアノール女王の気高く尊い香りに僕は包まれ続けます。
エレアノール女王は立ち上がり、
「この国で一番美しい者はカーラです」
と、僕に言って背中を見せました。その背中に寂しさが陰ります。
「カーラ姫……」
もちろん、僕も知っています。
エレアノール女王の四番目の姫君――。
隣国に嫁いだ姫君もいますが、十六歳のカーラ姫はまだ王宮で暮らしています。不老不死の魔法使いであるエレアノール女王の娘たちは、女王に即位する日が永遠にありません。そのためカーラ姫の扱いは、他の姫君同様かなり軽いものでした。
「カーラ……。考えたらあの子は不憫な子です。魔力はほんの僅かしかない。寿命も普通の人間と同じ。その美しさも、枯れるために咲きほこる花のように儚いものです」
エレアノール女王は花瓶の花をひとつ手に取り、そして握りつぶしました。花びらが床に舞って落ちていきます。
「いっそ、若く美しいときに時間が止まってしまう方がカーラもいいでしょうに。バルバラのように」
バルバラ姫は第三の姫君です。
ふた月ほど前に病に倒れて亡くなりました。まだ十八歳……。エレアノール女王の涙に誘われて、僕の頬も濡れます。エレアノール女王はバルバラ姫の死が受け入れられず、まだ乱心なされているのです。そうでなければ、カーラ姫の死を願うはずがありません。
※
その日、エレアノール女王は祈祷室で泣いていました。
僕は心配で駆け寄ります。
「大丈夫ですか?」
「ああ、ああ……。大変なことになってしまいました」
エレアノール女王は両手で頭を抱えてうろたえます。
「カーラはまだ十六歳。すでにその身は病に蝕まれています。あの子の命はもう半年しかない。夜中から、何度占ってもそう出てしまいます」
「カーラ姫が?」
「かわいそうに……。あの美しい子がバルバラのように病でやつれて死んでゆく。その姿を魔法の鏡で見ました。あの子は醜く萎んでゆく自分を見ながら死ぬ運命なのです」
「お気をたしかに」
床に崩れそうになるエレアノール女王を僕は支えます。
「せめてこれを渡してあげたい。いいえ、私はなんと恐ろしいことを……」
エレアノール女王は手に深紅の櫛を握っていました。ヨウギクの毒が塗ってあるそうです。この櫛を使えば毒が髪を伝って身体に入り、人は即座に死んでしまうと女王は言いました。
「それをカーラ姫に渡すのですね」
「ああ、恐ろしい……」
「女王様はカーラ姫のためを思ってお苦しみになられているのです。カーラ姫も国一番の美しさの中で死にゆくことが本望のはず」
僕は女王の苦しみを和らげるべく言いました。女王は間違ってはいない。その発想は恐ろしいものではあるけれど、正しいものなのです。どうせ人は死んでゆきます。絶頂のときに死ねるのは幸せなことであるはずです。
「ダルタニアン、私を恐ろしい女と思わないのですか?」
「めっそうもございません。櫛は、僕がカーラ姫にお渡しします」
※
僕はカーラ姫に近付く工作を始めました。
僕はエレアノール女王の第一召使い。常に女王の側に控えています。人々は、どんな告げ口を僕が女王に伝えるかわからないと恐れ始めています。僕よりも、はるかに身分の高い貴族たちでさえ、事実上、僕にはもう逆らえません。卑賎の出身でありながら、僕はある種の権力を掴んだのです。女王に何かを取り計らってもらいたい者は、まず僕を懐柔しようとするため、おびただしい金品を僕の前に置いていくようになりました。その金品を使用して僕はカーラ姫に近付きます。
カーラ姫は湖のほとりの社交界に出席の予定で、その随行団に僕は加わりました。カーラ姫の馬車を守るための護衛兵に紛れ、いいえ、紛れるどころか護衛隊長とすり替わり、軽騎兵の姿で、剣を帯びてその隊列を僕が指揮します。
僕が率いるカーラ姫の隊列が王宮を出発して、僕はシンシアの森で隊列を止めました。そこで、カーラ姫だけを馬車内に残し、隊列をすべて王宮に帰します。僕とカーラ姫だけが森に残ります。
異常を察したカーラ姫が馬車から降りて来ました。その美しいこと……。白のドレスに輝くばかりの白い肌。黄金の髪が香るように柔らかくなびいています。
「……カーラ姫、お話があります」
「あなたは?」
カーラ姫は僕を知らないようでした。
「エレアノール女王の第一召使い、ダルタニアンです」
「お母様の?」
カーラ姫は首をひねります。眉間に警戒の翳が浮かんでいます。
エレアノール女王は自室に閉じ籠って祈祷を続けることが多いため、僕が調べたところ、カーラ姫は十四歳のときの建国記念の催しでエレアノール女王に会ったのが最後のようでした。自分の母親に、もう二年も会っていないのです。女王の側で働いていた僕など知らなくて当然です。
「端的に言います」
僕は感情を捨てて言いました。
「あなた様のお命をいただきます」
「それは……」
驚きの色を、カーラ姫は顔中に表します。
カーラ姫は逃げようとするに違いありません。僕は剣に手を添えました。カーラ姫が逃げた瞬間、その背に剣を浴びせます。カーラ姫はここで『病死』を遂げるのです。
「お母様の命令ですね。承知しました」
カーラ姫は言いました。
春のそよ風に吹かれたような面持ちで僕を見つめます。その様子に僕の方が戸惑います。
「……怖くはないのですか?」
「もちろん、怖いですよ」
悲しそうにカーラ姫はひとつうなずき、
「ですが、お母様には逆らえません。さあ、どのようにするのです。その剣で私をつらぬくのですか?」
「い、いや」
僕は剣から手を放しました。
「お伝えしたいことがあります。実は、あなた様のご寿命が尽きようとしています。すでにあなた様の御身は病に蝕まれ、あと半年の命。お苦しみを、やわらげて差し上げます」
「その剣で?」
「毒を仕込んだ櫛があります。それを使えば即座に死ぬことができます。しかし、毒は苦しみがあるかもしれません。剣がお望みならば、この場で僕が――」
「僕が?」
カーラ姫は不思議そうに僕を見つめます。
「まだ、お若いのですね。その歳で第一召使いとは驚きました。きっと、あなたは優秀なのですね」
僕はカーラ姫に自分の生い立ちを話しました。女王の信頼が厚く、『息子同然』の僕が命を奪うのです。カーラ姫のせめてもの供養だと考えました。僕が女王の息子同然であるならば、カーラ姫は僕の兄妹という解釈も成り立ちます。
「あなた、何歳ですか?」
「私は……」
「いつもの言い方でいいわよ。自分のことを『僕』というのでしょ?」
小首をひねって、真剣な顔のカーラ姫。
「はい……。僕は今月、十八歳の誕生日を迎えました。十八歳の成人を機会にエレアノール女王が抜擢してくださって、第一召使いになりました」
「なんにちが誕生日?」
「はあ……」
澄んだ、憂いを帯びた青い瞳。その瞳が僕をとらえ続けます。
「誕生日は今週です」
「なんにち?」
「それは……」
僕の本当の誕生日は十月七日。それがどういうわけか、エレアノール女王の中で入れ替わって七月十日ということになったようです。僕の新しい誕生日は七月十日。
「七月十日です」
「まあ、今日ではないですか。誕生日おめでとう。これをあげましょう」
カーラ姫は髪に手をやり、銀に輝くティアラを外して僕に差し出しました。これはカーラ姫がいつもしている物です。カーラ姫の象徴と言っても過言ではありません。
「そ、そのようなものは受け取れません」
「いいのです。あなたに良い人が居ればこれを贈ってください」
しかし、僕は頑としてそれを受け取りませんでした。
寂しそうにカーラ姫は微笑みます。抗えない運命を受け入れた微笑み――。心を鬼にしなければなりません。カーラ姫はすでに病に侵されています。苦しみの前に僕が救って差しあげるのです。
「その剣でお願いします」
カーラ姫は僕の腰の物に視線を落として言いました。続けて、
「でも、夕方でいいかしら? それまで、あなたは私の恋人のふりをして」
「といいますと……」
カーラ姫は何を言い出すのでしょう。
「夕方まで、あと半日あります。その半日を、私はせいいっぱい生きます。一人で死ぬのは寂しいのです。愛し合っている恋人がいる……。そう私を騙してください」
カーラ姫は、ぱっと両手を広げて森の木々を見上げました。木漏れ日に照らされるカーラ姫の美しさに僕は見とれます。白いドレスの腕を開き、金髪が風に揺れています。
――今、ここに天使が舞い降りた。
そのような輝きを湛えた美しさでカーラ姫は僕の目の前に立っています。
「私、こんな森の中で暮らすのが夢だったの。鳥のさえずりを聞きながら」
「鳥の……」
小鳥が木々で歌を歌っています。ああ……なぜか涙が溢れてきます。僕の幼少の記憶に、このような景色があります。肥沃な大地、穏やかな森、鳥のさえずり――。そこは花の香りなのか、とても良い匂いがします。そういう地で僕は暮らしたことがありません。しかし、その映像が子供のときから浮かぶのです。記憶の中の僕は自由で羽が生えています。
僕たちは、深い森の奥に二人だけ……。それにしても、この国一番の美貌の姫君の恋人とはどういうものでしょう? 清廉潔白の王子であらねばならぬはずで、役不足なのは重々承知ながら、僕は護衛隊長の軽騎兵の格好のまま、カーラ姫に寄り添って夕方まで過ごすことにしました。僕はカーラ姫の恋人……。当然、逃げられないように監視の意味もあります。
湖のほとりを散策し、僕はすべてを忘れた笑顔でカーラ姫に従います。カーラ姫は丘の上でレンゲを編み、そこで寝ころび、美しい声で歌います。その声音が切なく夕日に響きました。そして日が完全に沈み、少し離れた場所に居た僕の元にカーラ姫がやってきます。黒い人影しかもう見えません。僕は荷を開け、ランプを出して明かりを灯します。
「最後にキスを――」
「それは……」
「今日は私の恋人でしょ? 私の最後のお願い」
「カーラ姫、聞いてください」
僕はカーラ姫を逃がそうと決心していました。カーラ姫に発病のご様子はまだない。せめて苦しみが始まるまで、どこかで自由に暮らして欲しかったのです。
「ねえ、キスを」
カーラ姫は穏やかな表情で目を閉じます。
「姫様、目を開けてください。早くお逃げになってください」
「え?」
重そうに瞼を持ち上げ、怪訝な面持ちのカーラ姫。
「だめよ」
諦めたような溜息と共に、
「お母様の命令であなたは来たんでしょ……。その命令を守りなさい。お母様は恐ろしい人です。あなたが殺されてしまいますよ?」
「命令ではありません。僕は自分の考えでここに来たのです」
「自分の? そうではないでしょう。さあ、私にキスを。それですべてを終わりにしましょう。キスのあとに、その剣で私をつらぬきなさい」
湿り気をおびたカーラ姫の唇が僕に近付いてきます。
「い、いけません!」
僕はカーラ姫を遠ざけました。
「だめみたい」
赤い舌を出して、悪戯が見つかった童女のような微笑みをカーラ姫は浮かべます。
「ごめんなさい。私と口づけをすればあなたは死んでいました。私はあなたを殺して逃げるつもりだったのです。この半日、私は芝居をしていました。自然にあなたが私とキスをするように……。失敗だったけど」
また、はにかんだお転婆の顔でカーラ姫は舌を出します。
「芝居を?」
「私とキスをすれば、あなたの心臓は即座に止まったのよ。それが私の使える唯一の魔法」
「そうだったのですね……」
僕はカーラ姫を逃がします。その決意を本物と認めてくれたのか、安心した表情で僕に教えてくれました。カーラ姫は命をつかさどる力を持っている。口づけで命を奪うが、逆に亡くなった者をよみがえらせることも出来る――。
殺しの接吻の話を聞いても僕の考えは変わりません。
「さあ、お逃げください。王宮のあなた様のお荷物は、僕がこっそり指定の場所へ届けます。この森がいいでしょうか?」
「でも、だめだと思う」
カーラ姫は草の上にしゃがんでうなだれました。
「きっと届けます」
「ちがうの……。お母様からは決して逃げられない。あなたは自分の考えでここに来たと思っているようだけど、私にはそうは思えない。お母様は私を殺したいのよ、バルバラ姉さんを殺したように。私たちが病気なんて嘘なのよ」
「まさか……」
バルバラ姫は病でお倒れになったはず。
まさか、エレアノール女王が魔法の鏡で自分よりも美しいと言われた者を殺しているというのでしょうか? 僕は操られていたのでしょうか……。
そうであるならば、頻繁に第一召使いが入れ替わるのは、口封じに女王が殺しているとも考えられます。女王は、僕のような卑賎の少年を拾って育てることを趣味のようにやられています。僕の替わりは、きっと他にもいる……。しかしながら、そうであったとしても、僕の命はエレアノール女王のものということに変わりはありません。真実がどうであれ、僕は女王に従います。
ただ、幸いなことに、カーラ姫を殺すように僕は命令を受けていませんでした。
「……大丈夫です。僕は近いうちにこの森に様子を見に来ますが、あなた様がこの地を去られたら、僕にはもう探しようがありません」
暗に、遠くに逃げるようにカーラ姫に言いました。カーラ姫を殺害するように命令された場合、僕はそれを実行します。しかし、居ない人は殺しようがありません。
「ありがとう」
カーラ姫は、眉を下げて憂いの溜息をしました。そして、驚くべきことを言いました。
「殺されるなら、いっそ逆のことをしないと」
「逆、とは」
「お母様を殺すのです。適わぬまでも、人を殺そうとするとどういうことになるか、あの人に分かってもらいたい。バルバラ姉さんが、私の背を押しています」
なんということ……。
カーラ姫は眉尻を下げながらも、小鼻にキナ臭い笑いじわまで作っています。
命のやり取りは人を狂わせます。カーラ姫はおかしくなったのです。王宮の方角を、カーラ姫が目を細めて見つめます。これから、取って返して女王に剣を突き立てるというのでしょうか。
「カーラ姫、落ち着いてください」
僕はカーラ姫を説得します。
「たとえ貴方様でも、女王に近付くことはできません。それに、そのようなことは僕が許しません。どうかこのままお逃げください。生活に困らないお金は僕がなんとかしますから」
カーラ姫も分かってくれました。
そのまま、森の闇に消えるカーラ姫。
これでいいのです。これしか、カーラ姫が生き残る術はありません。
僕の誕生日のお祝いにと、銀のティアラをくれると言ったカーラ姫。僕に恋人のふりをするようお願いしたカーラ姫。それらはみな、死への抗いであったのです。僕は、そのような人間味のある抵抗を見せたカーラ姫に惹きつけられました。王族と言っても生身の人間なのです。どうあっても、生き続けて欲しいと思いました。
王宮に帰り、カーラ姫殺害の嘘の報告をすると、エレアノール女王はお嘆きになり床に崩れ、そこでさめざめとお泣きあそばしました。それは演技であったのか、本物であったのか……。
※
「――おかしい! おかしい!」
次の日、エレアノール女王は髪を振り乱して魔法の鏡の前で叫んでいました。
「ダルタニアン、これはどういうことなのです! カーラは生きているのですか!」
魔法の鏡は、この国で一番美しい者はカーラ姫……。そのように答えたようです。
「はっ……」
僕は正直に話しました。
カーラ姫は森を愛している。その地で短い一生を終えさせたいと考え、そこに置き去りにしてきたと。
「それではだめなのです! カーラを殺してきなさい!」
僕は、はっきりと命令されました。
「今度、私を騙したら承知しませんよ」
「騙すなどと……」
「今度は、あの子の心臓を私の前に持ってきなさい」
「そこまで必要なのでしょうか?」
「あの子の心臓を国家安康の祈祷に使用します。あの子もそれを望んでいるでしょう。すぐに森に出立しなさい」
エレアノール女王は僕に林檎を持たせました。毒入りの林檎です。遅効性で、七日ほどでゆるゆると毒が身体をめぐり、眠るように死ぬのだそうです。もだえ苦しむ姿を見ることもなく、血を見ることもない。僕にも容易に任務を遂行できると考えたのでしょう。一週間後、動かなくなったカーラ姫から心臓を抜いてくるのは、誰か他の者の役目になるのかもしれません。ああ、我が心の母と言うべき唯一の御方から僕は信頼を失いかけています。心臓は僕の手で抜き取る必要があります。
※
シンシアの森――。
そこにカーラ姫はいます。捜索隊は僕だけです。
カーラ姫はなかなか見つかりませんでした。
そして僕は、森に入って三日目に気付いたのです。僕は必死にカーラ姫を探しているようで実はそうではない。内心では、カーラ姫が見つからなければいいと思っていたのです。
捜索は五日目となり、僕は小さな湖のほとりで休んでいました。鳥のさえずりを聞き、もう二日もここで過ごしています。カーラ姫は、きっともう遠くに逃げてしまったのです。いないものは探しようがありません。
「私を探さないの?」
背後から声をかけられて振り返ると、天使がそこに立っていました。森の生気を吸収したせいか、なおいっそう美しく健康的な姿で僕に近付いて来ます。
「いけません」
僕はカーラ姫を手で制しました。
「あなたの発見に僕は失敗しました。そのように女王に伝えます。金貨を森に撒きながら僕は歩いていました。それを拾って今後の生活に役立ててください」
「これ?」
カーラ姫は、数枚の金貨を握っていました。
「まだまだあります。それをお探しください」
「私のために金貨を撒いたのね」
「それもありますが、半分は自暴自棄になって金貨を捨てて歩いていました。無駄遣いというのをしてみたかったのです。お金だけは持っていますから」
「まあ! でも、捨てるのを無駄遣いと言うのかしら? ……そのバスケットは?」
カーラ姫に屈託はありません。天真爛漫なさまで僕が抱えるバスケットを覗き込みます。
「林檎です」
僕はバスケットの中身を見せました。
「私に?」
「いいえ、森の中に林檎などいくらでもあるでしょう。これは僕の食料です。ほとんどもう食べてしまいましたが」
たくさんあったバスケットの中の毒入り林檎は、もう二つしか残っていません。僕がシンシアの森に入ってから五日。この二日は、カーラ姫捜索を止めて、僕はこの湖のほとりで林檎を食料として過ごしていました。
「私に金貨を渡すために来たの?」
「違います。最初は姫様を探し出して殺すつもりでした。そう女王に命令されたのです。ですが途中で気が変わって、僕も逃亡者になりました。僕には人など殺せなかったのです」
「『僕も逃亡者』とはなんですか。まるで私も逃げているようではないですか」
カーラ姫の笑顔のなんと美しいこと。
「失礼しました。姫様は森を愛しているだけですものね」
「木こりの小屋を見つけて私はそこで暮らしています。行くところがなければ、あなたもそこにいらっしゃい。もう、林檎も残り少なくなっているじゃありませんか。代わりの食料を上げますから」
「迷惑ではないのですか?」
「あなたは私の恋人でしょ?」
「それは、ただの『ふり』だったはずです。キスは勘弁してください」
「うふふ……。いいから来て。悪いようにしないから」
「では、しばらくの間だけ」
カーラ姫の香る風の中を僕は歩きます。
少しだけ妄想に浸りました。
僕が林檎を含んだのは二日前です。毒が身体に回るのは七日ほど。僕はあと、五日は生きられるでしょうか? あと五日だけなら、僕は幸せに暮らせるかもしれません。
僕は天使の背を追い、シンシアの森の奥に向かって歩きます。
美しい鳥のさえずりが降りそそぎます。
ああ、幼少からたびたび浮かぶあの映像は、今のこのシーンです。今の僕は自由です。今が僕にとっての『そのとき』であるようです。〈了〉