四本場21
「ありがとうございました……」
いつものように客の対応をし、沙夜は低めのお辞儀をした。
いつもと変わらないバイト風景であるが、沙夜は何と無く昔の事を思い出していた。
自分には両親の記憶がほとんど無い。唯一まともに覚えている事といえば、シミだらけの天井と見上げている幼い自分と、両親らしい人物の怒鳴り声であった。
自分はいわゆる『望まれない子』であったらしい。母親は知人の保証人になってしまったばかりに借金を肩代わりするハメになったらしく、風俗で働いていた時に近付いてきた男に身を寄せ、その時に出来た子供が自分だけであるという。
子供が出来たと分かるや否や父親は失踪し、結局借金を返済し切れなかった母親は自己破産の末行方不明になり、自分は気付けば施設で暮らしていた。
基本的に十八歳を迎えると退所しなければならない。アメリカでは退所する二年ほど前から自立支援プログラムが実施されており、それに倣って沙夜が入所している施設が自立支援のモデルケースとなったらしく、アパートでの独り暮らしが施設支援の元執り行われている。希望者には就労経験もさせてもらえるらしく、沙夜は現在このケーキ屋で働いているという次第である。
不意に鈴がなり扉が開いた。沙夜が顔をあげると、そこに立っていたのは中野であった。
「あ……」
「こんばんはセンパイ、景気はどう?」
「ケーキ屋だけに……ボチボチでんな……」
「おっ、座布団一枚。特注取りに来たんだけど……」
そういえば今日は特注が一件入っていた。中野が注文していたものだったのか。
「ああ中野くん。声がしたから来たのかと思ったよ。特注出来てるよ」
中野の声を聞き付けたのか、奥から木村が顔を覗かせた。一旦厨房に引っ込むと、仰々しい包装のなされた折りを持ち出して来た。
「身内の誕生日なんだよ。ありがとう木村さん」
「腕によりを掛けて作ったからね」
クリスマス商戦中に使う一番大きい型の箱に入っているらしい。直径30cmのホールが入る箱である。
しかし中野はどこにでも現れる。この間は雀荘で遭遇したし、今日もふらりと店に姿を現した。まるで神出鬼没の天狗のようだ。
マスターが直接、中野に手渡した。代金は先払いしてあるらしい。
「ところでこの間頼んでたのどうだった?」
「好いのが見付かりましたよ。引っくるめて二十万。週末には手配出来ますよ」
突然二人は耳打ちするような体勢で話し始めた。耳打ちというのは見てて決して気持ちの好いものでは無いが、とりあえず自分には関係無さそうな話だと、沙夜は気にしない事にした。
「全部セットになってますからすぐに使えますよ。日曜日の昼間に届くと思います」
「色々ありがとう。じゃあまた」
中野は木村に頭を下げ、沙夜の方にも向いて手を振り、来た時と同じように鈴を鳴らしながら店を後にした。




