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異世界と神風の指揮者《ディリジオール》  作者: 神嵜将太郎
第一章
8/13

地獄の宿

 昨日は何かと歩きづめで、かなり疲れが溜まっていた二人は、‘‘地獄の宿’’に着くなり、宛がわれた一部屋に入った後、昴はそのまま倒れ込み、フェアは元の大きさに戻って昴の上に乗って眠りについた。


 この宿の宿泊費は一泊朝食付きで銅貨5枚という破格の値段であった。


 翌早朝、起床した昴はフェアを揺すり起こし、人サイズになったフェアを伴って、一階の食堂に向かう。


 冒険者の活動開始時間は早い。ギルドに朝一番で貼り出される依頼に逸早く目を通す必要があるからだ。掲示後早々に依頼を受注しなければ、良条件の依頼はすぐに姿を消し、報酬額が低かったり難易度が高すぎたりする残り物しか受けられなくなってしまうのだ。


 にも関わらず、部屋を出てから食堂に向かうまで、と言うより食堂に入ってからも、誰一人としてすれ違う人は居なかった。


 それは、何故か? その答えは単純明快。宿泊者が昴とフェアを除いて一人も居ないのだ。


 それにしても、銅貨5枚という考えられない安さの宿であり、この宿が特別汚かったりボロボロだったりする訳でもないというのに、何故誰もここに泊まらないのか。


 ‘‘地獄の宿’’という名前のせいも有るのだろうが、諸悪の根元はすぐに昴達の目の前にその姿を見せた。


「こ、これは……?」

「ね、ねぇ、スバル……なんか怖いんだけど……」

「朝食ですよ。どうぞお召し上がりください」


 目の前に出された朝食?のボリュームはどんな大食漢でも大満足のものであった。


「ボリューム満天ですね……」

「うちのご飯はそれが取り柄だからね」

「そうですか……」


 黒い墨の盛り合わせと、ボコボコと何かが常に噴き出ている深紫色のスープ。加えて、黒に近い赤色のジュース。


 二人の眼前に並んだそれらは、とてもこの世の物とは思えない代物だった。間違っても負のオーラを放ち続けるこの大量の物体を口に入れようなどとは決して思えない。


「さぁ、どうぞ」

「あ、あの~ これは……」

「……」

「あ、あの……」

「……」


 すみません、お腹が空いていないので……と言ってどうにかこの地獄への回廊から脱け出そうと試みる昴。


 しかし、返ってくるのは無言の威圧のみ。俺の飯が食えないのか? と目が物語っている。昴は、「目は口ほどに物を言うっていうのは見事に的を射てるよなぁ」などと現実逃避気味だ。


 そんな中、隣でずっと黙っていたフェアは何を血迷ったのか、謎物質に手を伸ばし、口に持っていっている。


 ちょっ、待てフェア! と、フェアの行動を阻止しようとしたが、その甲斐無く。


バリッ


「……」


 黒い塊を口にしたフェアは動きを停止させてしまった。それを見た昴の顔はみるみるうちに青くなっていく。


 そんな昴の様子に気づく気配もないフェアは、どう見ても焼却された有機物の成れの果てである物体を口に含んでからずっと、無表情を貫いている。明らかにおかしい相棒の様子に、どうにかしなければ、と慌て出す昴であったが。


「……おいしい」

「へ?」


 つい先程まで完全に停止していたフェアがあり得ないことを呟き、昴は呆けた声を上げてしまう。


 再起動後のフェアは、素早い動きで次々と目の前の物を腹に仕舞っていく。


 余りに予想外の展開に、今度は昴の脳がフリーズしてしまった。暫くぼーっとそれを見ていた昴であったが、気が付いたときにはフェアが既に全て食べ終わった後だった。


 黒い山に赤い海を欠片も一滴も残さず腹に仕舞い込んだフェア。しかし彼女はそれだけに飽きたらず、自分の口元に人差し指を当て。


「……ちょーだい?」


 おねだりである。軽く小首を傾げ、少々上目がちにこちらを見つめてくる可憐な姿に顔が熱くなるのを止められない昴だが、その奇行に背筋にはツーっと一筋の汗が流れていた。なんとも器用である。


「フェア! し、死ぬな!」

「あぁ~あぁ~あぁ~、スバルぅ~、揺らさないでぇ~」


 暗黒物質を大量摂取したフェアが正気ではないと感じた昴は、ぐわんぐわん、とフェアを前後に揺り動かす、が。


「スバルも食べてみればわかるよ!」

「むぐっ!」


 隙を突かれた昴は運悪く、口に異物を突っ込まれてしまう。これが人生初の‘‘女子に食べさせてもらう’’行為となってしまった昴であった。口にそれが侵入した後、これから見るであろう地獄を予感して身構える昴。


 しかし、一瞬の間を挟んで。


「!?」


 口内で味の爆発が起こった。舌の味覚を司る神経という神経が余すこと無く蹂躙される。噛み締める度に刺激は強くなり、香りは隅々まで広がる。広がった香りは口に隙間無く広がると鼻孔から外へと溢れだした。さらに、噛み砕く度に身体中に電流が流れるような衝撃が襲ってくる。そして得られる圧倒的満足感。ここまででただ一口しか入れていないと言うのだから考えられない。しかし、舌に乗った塊が砕かれてあちらこちらに触れ始めると、ついさっきまでの満足感がいかに序の口であったのかよくわかる。細かく分かれた一つ一つの味が痛いほどに神経を突き刺し、最初の何倍もの快感を与えはじめたのだ。嚥下中にもそれが和らぐことはなく、身体が軽く痙攣する。やがて胃の中に収まるまで、その存在感が薄れることは全くなかった。


 しかし胃の中に消え去ったそれは、体内からその存在感を一瞬にして消し去る。ついさっきまでの満足感がまるで最初から無かったかのように失われ、身体が本能的に次を求める。


 ついさっきまでの満足感が唐突に消え去り、絶望的な程の喪失感へと姿を変えた。


 苦しみ喘ぐほどに次が欲しくなり、今度は自ら手を伸ばして口に放り込む。すると瞬時に再び甦る充足感。飲み下すと続いて表れる喪失感。


 噛み締め、流し込み、かぶり付き、飲み込み、噛み砕き、胃に収め、噛み付き、喉を通し、現れて、消えて、現出して、消失して、有って、無くて、有で、無で……。


 こうなるのが当然とでも言うように際限無く続くかと思われた行為は、しかし案外すぐに終結を迎えた。


「……はぁ」


 溜め息しか出てこない。この食事で得た感覚を言葉で表すなどという無粋なことは赦されよう筈もない。


 それを無意識に納得し、受け入れてしまう。この世の物とは思えない見た目の物体は、それまたこの世の物とは思えない程に美味であった。


 この宿に人が入らないのは、ここで出される食事をその見た目だけで――といってもかなり酷いものだが――忌避して、食べずに宿を後にしてしまうからだろう。


 ただ、これはある意味劇物である。いや、寧ろ劇物としか言えない。これは余り、人にはおすすめできないかもしれないな。口にある間は素晴らしい食べ物ではあるのだが、無くなってから次を口に含むまでが苦しすぎる。頭がおかしくなりそうだった。


 二人の様子を満足気に眺めていた宿の主に対して、唯一の疑問を問う。


「こんなに旨い物を作れるのに、何故あんな見た目だったんですか?」

「そうそう、なんで?」

「それは……‘‘見た目の良い普通の味の料理’’よりも‘‘見た目は悪いけどすっごく美味しい料理’’の方が良いでしょう?」


 微妙だ。見た目の美しさも料理の味の一部を担っているのだ。必ずしも、そうとは言い切れない。


「両方上手くできなかったんですか?」

「それができたら、今頃ここは大繁盛だよ……」


 そういって肩を落とす主人。


 それもそうだ。見た目はあれだが、あれだけの味を出せるのだ。繁盛しない訳が無い。依存性がありそうだし。かなりの量を食べたから、今のところなんともないけれど、後が心配だ。


「暫くここに泊めさせてもらうよ」

「本当ですか!?」


 昴の一言に主人はあからさまに喜び、それに対して首肯する昴。恐らく、人が継続して宿泊するのは久しぶりなんだろうな。


 取り敢えず、今日を含めて一週間分の宿泊料を払い、残りの所持金は銅貨が90枚の筈なのだが、両替してやると言われ……。


「あの~、これは?」

「ん? 銅板だが?」


 宿の主人に話を聞くと、通貨として用いられるそれぞれ硬貨の上には、白金板・金板・銀板・銅板というものがあるのだそうだ。


 これらは同金属の硬貨の50倍。つまりは一つ上の硬貨の半額の価値があるのだ。


 その解説を聞いて、再び手元のお金を確認すると、銅板1枚と銅貨40枚。確かに合っていた。


「では、今夜もお願いしますね」

「お待ちしております」


 こうして、昴達は一週間の‘‘地獄の宿’’での滞在を決めて、ギルドへと歩みを進めるのであった。

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